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父の軌跡 1

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 翌日、ウーヴェは拠点村に戻り、その日のうちにシェルトへ引き継ぎを終え、メバックへと向かった。
 ここに訪れるまでの二日間で、大抵のことの調整は済ませてきていたということで、シェルトへの報告に戻っただけといった形だ。
 用意周到に、全て準備を済ませて行動している辺りが、ウーヴェの決意と、性格が現れているなと思う。
 俺が拒んでいた場合、どうしたのかと問うたら、責任者は辞め、立場を持たぬままでも、陰ながら力になる決意だったと、恥ずかしそうに彼は言った。

 そう。つまり彼は、俺の関わる全てを受け入れ、それでも俺に仕えるという意志を曲げなかったのだ……。
 獣人という存在について。我々が全て、獣人と人の混血である可能性が高いことなど、壮大な規模の話に半ば呆然とはしていたものの、そんなおおごとに関わるならなおのこと、力になりたいと懇願され、結局、俺は折れる以外、選べなかった……。

 彼自らが課した自身の任務は、拠点村の構造や方針について、周知を進めることと、職人集めだ。
 獣人のことは繊細な問題であるため、当面伏せると決めて、まずはあの村を、村として機能する形にする。
 しかし、誤解から現場に押しかけてくるほど過激な連中もいる。いかつい現場の職人らと一緒ならまだしも、ウーヴェ一人にことの収拾を任せるなんて危険過ぎる。
 だから一人では行かせられないと言ったのだが、ジェイドより「忍を数人警護に付けりゃいいだろうが」と進言され、そのように手配がなされた。
 それでも、身の危険を感じたら業務を中止すること、何かあれば商業会館かバート商会に逃げ込むことを約束させ、ウーヴェを送り出したのだった。

 良かったのか……これで……。
 ウーヴェを危険に巻き込んでしまうのに。
 でも、俺一人ではどうにもならないのは事実で、彼が担うと言ってくれたことは有難い。けれど…………っ。

 あれからずっと、そんな自問自答を繰り返していたのだが、異母様が帰還したため、迎えに出ていた。
 館の前庭に入ったきた馬車は、いつも通り、列をなして俺の前を通過する。
 それを見送って、さあ別館へ戻ろうかと顔を上げたところ、館より異母様がお呼びだと、使用人が俺を呼び止めにきた。
 いつもより、少し早いお帰りだった。それが関係しているのだろうか……?

「ハイン、ついてきてくれ。サヤは館へ戻って……」
「嫌です」
「……サヤ」
「嫌です」

 取りつく島のない拒否。
 けれど、異母様が何を言ってくるか見当もつかない状況で、サヤを連れて行きたくはない……。とはいえ、この顔は、諦めてくれる気皆無の様子だ。

「レイシール様、近衛の襟飾を取りに戻りましょう。それが目につけば、おいそれと手出しはできないでしょうし」

 それで妥協するしかないか……。

 普段は厳重に管理している襟飾を急ぎ取りに戻った。
 サヤは俺の襟飾を左襟につけているから、反対の右襟に近衛の飾りを身に付けさせる。
 俺も近衛隊長の襟飾を左襟に付けた。

「俺は出向かぬ方が良いのかな?」

 待機していたディート殿がそう問うてきたので、留守番をお願いしますと伝え、俺たちは本館へと足を向けた。

 調度品が色々入れ替わっているな……。季節ごとにいつも、何かしら買え変えられているのだけれど……。
 本館の中は相変わらず豪奢で、行き交う使用人は極力俺を視界に入れないよう努めている様子だ。うーん……何か無理難題でも押し付けられる兆候かな。
 そんな風に思いつつ、いつも通される応接室へ出向く。すると、珍しく異母様が既に在室しており、何やらお客人もいらっしゃった。
 これは……馬車に同行していたのかな。
 来客がいるのに呼ばれた意味が分からない……。

「お呼びと伺いました。何かございましたか」

 まあ、同室されているということは、俺に関わることなのだろうなと思ったので、そう問うてみたのだが、異母様は俺が出向いた途端、席を立ち。

「其の者が対処いたします。詳しくはあれに」

 急な馬車の移動で疲れたと退室してしまった。
 呆気にとられて見送ったが、とりあえず状況を確認しようと思い至る。

「セイバーンが二子のレイシールです。
 未熟ではありますが、現在領内の政務は私が預かっておりますので、要件は私が伺います」

 このような場合、相手はだいたい、俺を見て表情を曇らせる。
 成人前の未熟者に失望し、自分の願いが聞き届けられない現実を目の当たりにして、言葉を失うのだ。
 振り返ったお客人……それはひょろりとした、老齢の男性だった。
 かなりのご高齢だ。冗談抜きで、いつ天に召されてもおかしくないと言えるほど。
 しかし、俺の方に向き直ったその方は、しゃんと背筋を伸ばして立ち、きっちりと模範のような礼を取った。

「カークと申します。
 お初にお目にかかります、レイシール様」

 名前を、呼ばれた……。

 いや、名乗ったけど……。まさか名を呼び返されるとは思っておらず、少々驚いてしまう。
 成人前の未成年は、一人前とは認められない。だから大抵は御子息様……と、そんな風に呼ばれるのだ。
 名を呼ぶのは、特に親しくしたいと思っている時や、縁を繋ぎたいと思っている時だろう。このカークという老爺が、俺との縁を望む理由が見えない。
 しかし、気の迷いとか、つい間違ってとかではないのは明白だった。カークは、年をうかがわせぬ矍鑠とした佇まいで、惚けている様子もなく、ひたすら慈しみを込めた瞳を、俺に向けていたのだから。

「……………………あの……?」
「おお。これは失礼いたしました。
 いえ、性別が違いますから、ここまで似ていらっしゃるとは思っておらず。懐かしさに浸ってしまいました。
 ああ、よく……本当によく似ておられます……ロレッタ様に」

 ギクリと、表情が固まる。
 不意打ちに出た母の名に、俺は心臓を掴まれた心地だった。
 そんな俺の心情を知らないカークは、これは失礼。と、また頭を下げる。
 そして、すっと俺に身を寄せ、小声で呟いた。

「私、もう二十五年も前に引退した身でありますが、アルドナン様の元に仕えておりました」

 ⁉︎

「父上の⁉︎……え……じゃぁ……」
「はい。病により身を引かせていただいたのですが、思いの外寿命が尽きず、まだこうして生を賜っております」

 父上の、配下の方⁉︎
 ここに戻ってから、一度とて……誰一人として、俺の元にそれを名乗る人は、現れなかったというのに⁉︎

「ああ、年寄りはつい、昔話に気が逸れてしまい、困ります。
 そのような場合ではありませんでした。アルドナン様に、是非お頼みしたきことがあり、バンスまで足を伸ばしたのですが、お会いすることが叶いませんでした。
 奥様に掛け合いましたところ、政務は一切が貴方様の任とのことでしたので、申し訳ありませんが、よろしいでしょうか」

 丁寧な口調ながら、言葉は真剣そのもの。
 政務に関わることであるなら、急いだ方が良いだろう。

「では、別館へお越し頂けますか。今はあちらに執務室が移されております」
「……レイシール様、私は、もう引退いたしました、ただの老爺でございますれば、そのような丁寧な口調は、私に似つかわしくございません」

 ピシリと指摘されてしまった……。
 領主一族の者であるのに、民に対した態度ではないと。

「……ですが、私はまだ若輩者で……成人すら迎えておりません。目上を敬うのは当然の立場かと……」
「いいえ。そのような配慮は無用にございます。レイシール様はアルドナン様の名代。それをお忘れなきよう」
「……分かった。では別館へ。そこで話を聞こう」

 カークを促し、場所を移す。
 移動の最中も、彼の熱い視線を背中に感じていた。
 執務室に到着すると、早速ハインがお茶を用意してくれた。ご高齢の方を立たせておくのも気がひけるので、お茶を理由に長椅子へ導く。ディート殿は俺の護衛らしく、俺の背後に姿勢を正して立った。

「一度報告書を送らせていただいた件なのですが、どうにも対処に困り、こうして出向いたのです。
 と、いいますのも、傭兵団崩れの野盗紛いな連中が、山城に立てこもってしまいまして、近隣の警護をしていると主張し、村から金品や食料を強要するようになりました。
 当初は、通過するのみという話だったのですが……気付けば居着いていたという状態でして。
 山城は元々、セイバーン傍系の山荘であったのですが、一族は流行り病により死滅、今は男爵家の所有地となっております。
 ただ、もう数代も前の出来事でありましたし、未だ嘗て男爵家で山城を利用したことはございませんで、もうご存知の方がおられないのだと思い、報告に上がりました」

 傭兵団……。確かに報告書があった覚えがある。氾濫対策に追われている時期だ。
 あの時は報告のみであったように記憶している。その後連絡も特に無かったし、何事もなく通過したのだと、思っていたが……。
 少し、違和感を感じた。
 確かに由々しき事態だが、わざわざ出向いてまで伝える必要がある内容だろうか。通常は、近場の街にでも報告し、管理をする士族や代表者を頼れば良い。
 いや……男爵家の所有地だと言うのだから、この対応がおかしいわけでは、ないのだが……。

「……近場の役人では、手が回りませんでしたか」
「ええ。あの辺りは村の男衆が作る自警団しかなく、役人は書類手続きのための文官が、少数のみなのです。
 だからこそ、山城に居つかれたことに気付けず、更には周りを警護しているなどと主張されているのですが……。
 傭兵団崩れというのは厄介でして、争いごとに場慣れしている分、自警団ごときでは対処できず……」
「それはつまり……かつてはその傍系の一族が、近隣の管理をしていたのだな?    けれど死滅してから、管理者が置かれていないと……」
「左様です。そもそも、セイバーン男爵家自体も大きな被害を受けました。今ですら、血筋の男児はアルドナン様と、貴方様ご兄弟のみでございます」

 それは……確かに。
 元々父上は兄弟がおらず、俺の祖父母にあたる方々も、早々に他界しており、セイバーンの血筋は随分と細まっている。
 それは数代前、この地域を襲った流行り病により、たくさんの命を失ったからだと記録にあった。
 国全体としては、拡大する前に収束し、さして問題とならなかったのだが、セイバーンはその病の中心地であったため、被害が大きかったという。

「血が残っただけ僥倖という惨事であったのです。当時の御領主様一家も病に倒れられ、幼き御子息様お一人のみが、学舎に行かれており、難を逃れたと記憶しております」
「ああ、記録を確認したことがある。領民にも大きく被害があったとか。
 あの折の問題が、まだ尾を引いていたのだな……」

 その惨事があり、セイバーンは、このセイバーン村一帯のみを男爵家の管理下とし、他の地域は士族や役人に任じることとなった。
 まあ……それが功を奏したと、言えば良いのか……父上が急病で倒れた現在でも、セイバーン領内は問題なく運営されている。父上の任じた士族や役人らが、そのまま役目を続行してくれているからだ。
 地図を確認し、山城の位置を聞くと、随分不便な場所である様子だった。つまり、管理者を置くほどに価値を持たなかった場所であるのだろう。そしてその理由の最もたる部分が……。

「……西の地域……だな」
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