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拠点村 20
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マルが帰らぬままに、ディート殿の休暇がそろそろ終わりを迎える頃合いとなった。
俺の悩みは結局解決することなく、いまだに思案の中であったのだけど、俺が結論に行き着くより先に、答えは当人が示してきた。
「ウーヴェが来た?」
視察から二日後、夕方近くになって、ジェイドがそう知らせてきたものだから、俺は目を瞬かせて、首を傾げた。
今、ハインとサヤは夕食の準備に行っていて、執務室は俺とディート殿のみ。ジェイドは、いつものごとくそこら辺に姿をくらまし、館周辺の警備をしていたと思うのだが、ウーヴェがこちらに向かってくるのを、見かけたというのだ。
「……帰りどうするんだ?」
「知るか。本人に聞けよ」
こんな時間にセイバーンに来たら、メバックに戻れない……。
馬で来たのか? と、確認したら、食事処の幌馬車に同乗させてもらってきたという。
何か深刻な問題が発生したのか? 胸がざわつくが、とにかく中に通すように伝えたら、すぐにウーヴェは、執務室に通されてきた。
現れたウーヴェは、どこか硬い表情で、俺の前に立つなり、深く頭を下げ……。
「申し訳ございません。現場責任者の任を、解いていただきたく、伺いました」
低く、重たい声音で、けれどきっぱりと、彼はそんな言葉を口にしたのだ。
頭を下げ続けるウーヴェをただ呆然と見つめて、俺はしばし放心した。
任を解いてくれ……って……解雇しろ。という、意味だよな?
「っ⁉︎…………どういう、ことだ?」
ウーヴェがそこまで責任を感じるような問題が起こったのか⁉︎
「事故か⁉︎ それとも、あの小競り合いが殺生沙汰にでもなった⁉︎ 怪我人は何人だ、医者へは……っ」
「ち、違います! 現場は今日も、滞りなく進んでおりますから!」
慌てて席を立ち、外に駆け出そうとした俺に、ウーヴェは必死で取りすがってきた。
違うと言われ、ホッとしたのもつかの間、では何故ウーヴェは解雇しろと言ってきたのかと、別の意味で胸が締め付けられる。
その痛みに俺は……彼を失いたくないのだなと、改めて実感した。
この痛みは、もうウーヴェは赤の他人ではないということ……。望まなかった時は、感じることのなかった痛みだ。
「なら何故…………っ。理由を、教えてくれ……」
ウーヴェの腕を掴んでそう問うと、彼は、申し訳なさげに眉を下げ、一度瞳を伏せる。そうしてから……。
「私は……私の使命を、見出したのです」
そう言ってから、俺の手をやんわりと振りほどいた。
三歩ほどの距離をさがり、また深く、頭を下げる。
「レイシール様に、伏して願います。どうか私を、貴方様の僕としていただけないでしょうか。
貴方様に仇なした罪人を身内に持つ私が望むなど、痴がましいのは、重々承知しております。
しかし、私は、貴方様の手足となれる手段がございます。
お役に立ちたいです。どうか、私にお慈悲を。必ず、成果を出すとお約束いたします。命にかえましてもやり遂げます。ですから……」
「ちょっ、ちょっと待て、何を言ってるんだ⁉︎ ウーヴェはもう充分、役に立ってくれているし、エゴンのことだって、もう済んだことだ!
ウーヴェはもう何も、俺に気兼ねなんてしなくて良いんだ。そんな風に言う意味が分からないよ!」
ウーヴェはマルの元で働いている。そうやって役に立ってくれているのだから、それで充分じゃないか!
そう言ったのだが、ウーヴェは首を横に振った。そうではないという。
「ウーヴェよ。レイ殿の役に立つ手段があるとは、どういう意味だ?
今あの現場を仕切る以上の価値があることなのか? 其方があそこを離れるというなら、その代わりは一体誰が務める?」
「ディート殿!」
長椅子で瞑想し、存在を消していたディート殿が、不意にそう口を開いたものだから、ウーヴェはギョッとして飛び退いた。
どうやら彼に気付いていなかったらしい。
それだけ思い詰めてやって来たということだろうし、ディート殿の隠形が凄すぎるからでもあるのだけど、俺は話を進めようとするディート殿を制止するために、少し声を荒げた。
しかしディート殿は、やはり意に介さない。
「レイ殿もまず落ち着け。ウーヴェは別に、逃げも隠れもせぬだろうが。
慌てる前に、まず事情を聞かねば、何も進まんぞ」
と、窘められてしまった。
言葉に詰まった俺に、ウーヴェは、必死に懇願する。
「現場は、シェルトが責任者を兼任してくれるそうです。
彼は、大きな現場を何度も経験しておりますし、他業種との連携にも手馴れています。経験の浅い私が責任者を務めるより、きっと現場も落ち着くでしょう」
「ウーヴェは、きちんとやっていたろう⁉︎」
「そう言っていただけるのは、誠に有難いのですが……私があの場の最適ではありません」
「あの場にあれだけの人を集めてくれたのはウーヴェだ。あんな良い場に整えてくれたのは、ウーヴェじゃないか!」
そう言うと、彼は口元を歪めた。困ったような、嬉しいような、けれど、気持ちは変わらないのだと、その表情が語る。
「そんな風に言っていただけるなら……私は自信を持って、この任を解いてほしいと、口にできますね」
と、そう言って、微笑んだ。
その揺るがない決意に、俺は途方にくれるしかない。
何が彼にそこまでを言わせるのか……これほど必死で止めても、彼は、考え直してはくれないのか……。
項垂れる俺に、ウーヴェは片膝をついて、俺の手を取った。
「レイシール様、先日のお話です、私が決意した切っ掛けは。
あの村の構想と、目指すもの。私は貴方様のその志を……その礎を支えたいと思ったのです。
私には両替商という前歴があり、多くの職人と、金で繋がる縁を持っていました。
あの仕事が、私は辛くて仕方がなかった……死に金を漁る亡者のような、そんな家業が苦痛でならなかった。
けれど……もう、そんな風に考えなくても済みそうです。私は、私の生まれに、誇りを持てる。あの家に生まれたからこそ、貴方様のお役に立つことができると、気付きました。
私が、集めてまいります。貴方様の目指す先を、貴方様の心を理解して、共に歩んでくれる職人を。我々の同志を」
まっすぐ俺を見上げて、ウーヴェは真摯に、まるで誓約を口にするかのように、そう言った。
いつもどこか一歩引いた、自信の無さは鳴りを潜めてしまっていた。
まるで違う誰かであるみたいに、強い意志を瞳に宿して、言葉を連ねる。
「私には、沢山の職人と関わった経験がございます。金貸しとして繋いだ縁が、貴方様が残してくださった縁が、まだ私に繋がっています。
私は職人が何を考え、不安に思い、望んでいるのかを理解することができます。その生活を整える提案ができます。
少しでも良い物をと、向上心を持って仕事をする、そんな志を持った職人を、探して参ります。
どうか私に、任せていただけませんか。私は貴方様の、お役に立ちたいのです。私や父のことを救い、赦してくださったご恩に報いたいだけではなく、私自身が、そうしたいのです」
そう言って、掌と甲に唇を落とす。
魂まで捧げて、俺に尽くすと、覚悟を示した。
「はっはっ、魂まで捧げられてしまったな。これはもう逃げられんぞ」
「ディート殿!」
茶化すことじゃないでしょう⁉︎ ていうか、貴方がウーヴェを焚きつけるからこんな状況になってませんか⁉︎
狼狽えるしかできない俺に、ディート殿は覚悟を決めろと笑って言う。
「人を使う覚悟をしろ。命じることを厭うな。それが全部相手を縛る鎖であるだなんて、思うなよ?
ウーヴェのように、求める者だって、救われる者だっているのだからな」
「危険です! ウーヴェには自分の身を守る手段が無いんですよ⁉︎」
「レイ殿。不測の事態に陥れば、人は死ぬ。
それはサヤやジェイド、俺だって例外ではない。絶対の保証など、元から無いぞ」
あえて言葉にされたのだろう。それに心臓が跳ねる。
顔を引きつらせた俺に、ディート殿はなおも笑う。
「そんな不確かなものに縋っても意味など無い。
守りたいなら傍に置け。手の届く場所で、貴殿自身が守ってやれば良い。レイ殿が頭を使い、一番安全だと思う手段を講じてやれば良い。
この者らを守るためにも、揺るがない大樹となれるよう、名声を稼げ。立場を確立しろ。その手助けは、貴殿が守る者らがしてくれる」
「俺は成人前の半端者なんです! ただ貴族に仕えるだけでも大変なのに、俺なんかじゃ苦労させるだけですよ!」
「そんなこと百も承知で言っておろうよ。
なぁに、成人前でも、実力さえ示せば、文句等は半分ほどに減るし、年齢如きで貴殿を侮る者なら、目が曇っている証だ、交流してもさして益はない。
いらぬ輩を篩いにかけられる、良い口実だとでも思えば案外、使い勝手も良いぞ」
……ものすごい、前向き……。
ディート殿の言葉に呆れるしかなかったが、よくよく考えてみればこの方も、成人前の身で、近衛に抜擢され、王都にいらっしゃるのだ。
そう考えた時、ああ、この言葉は、この方が俺の前に示してくれた道標なのだと気が付いた。
そんな苦難の道を、この方自身が、今日まで耐え、歩んでいらっしゃったのだ。
つまり俺は、前人未到の地を一人彷徨うのではない。俺の前に立ち、背中を追うことのできる人が、こうして俺の前にいて、標を残してくれている……。
俺の進む先を、示してくれている。背を支えようとしてくれる。
……もう、目を背けておくわけににも、いかないのか……。
いつかは……踏み越えなきゃいけないことだったのだ。
「……ウーヴェ……、この前話したことは、俺の目的の全てではないんだ。
俺の目指すものはまだ他にもあって、それは一歩間違うと、世間を敵に回すようなことで……だけどいつかは、当たり前にしたいと思っていることなんだ。
今以上に深く関わると言うなら、それに巻き込むことになる。
俺は元から、覚悟して始めたことだから良い。だけどね……」
これ以上踏み込めば、知らなかったと言えなくなる。いざという時、切り離してやれなくなる……。
貴族である俺であっても、世間から抹消されるでは済まない結果に、至るかもしれない。
一庶民でしかない彼であれば、下手をしたら、手枷や足枷をはめられ、叛徒だと晒される可能性だって、あるのだ。
「構いません。レイシール様と歩めるなら、どんな茨の道でも厭いはしません」
「…………もうちょっとちゃんと聞いてから判断した方が良いよ……」
「では、聞いて決意が変わらなければ、受け入れていただけるのですね?」
「…………」
「一本取られたな。
レイ殿自身でそのように発言したのだから、責任を取らねば男が廃るぞ?」
「ディート殿……」
頭が痛い……。なんかどんどん、追い込まれてる……。
いつかはこんな風に、踏み越えなきゃいけないんだろうと、思っていた。
必ず巻き込まなきゃいけない相手が、きっといるだろうと。だけど……それが今、ウーヴェだなんて……。望んで進み出てくるなんて……。
そう思ったけれど、俺をずっと見つめ続ける彼の瞳は逸らされることなく、決意に揺るぎは見られなかった……。もう、溜息しか出てこない……。
「分かった……まず話す。
ウーヴェも座って。長くて重いから、覚悟するように」
そう前置きしたら、彼は嬉しそうに、是と首肯した。……もうどうにでもなれ。
「はじめに……うちのハインだけどね、彼は獣人だ。
俺に仕えるということは、彼らに関わるということになる。嫌悪感があるなら、もう諦めてほしい。
……良いんだね?
俺があの村でしようとしているのは、獣人に関わることなんだよ」
そう語り出しても、ウーヴェの視線は俺から離れなかった。
俺の悩みは結局解決することなく、いまだに思案の中であったのだけど、俺が結論に行き着くより先に、答えは当人が示してきた。
「ウーヴェが来た?」
視察から二日後、夕方近くになって、ジェイドがそう知らせてきたものだから、俺は目を瞬かせて、首を傾げた。
今、ハインとサヤは夕食の準備に行っていて、執務室は俺とディート殿のみ。ジェイドは、いつものごとくそこら辺に姿をくらまし、館周辺の警備をしていたと思うのだが、ウーヴェがこちらに向かってくるのを、見かけたというのだ。
「……帰りどうするんだ?」
「知るか。本人に聞けよ」
こんな時間にセイバーンに来たら、メバックに戻れない……。
馬で来たのか? と、確認したら、食事処の幌馬車に同乗させてもらってきたという。
何か深刻な問題が発生したのか? 胸がざわつくが、とにかく中に通すように伝えたら、すぐにウーヴェは、執務室に通されてきた。
現れたウーヴェは、どこか硬い表情で、俺の前に立つなり、深く頭を下げ……。
「申し訳ございません。現場責任者の任を、解いていただきたく、伺いました」
低く、重たい声音で、けれどきっぱりと、彼はそんな言葉を口にしたのだ。
頭を下げ続けるウーヴェをただ呆然と見つめて、俺はしばし放心した。
任を解いてくれ……って……解雇しろ。という、意味だよな?
「っ⁉︎…………どういう、ことだ?」
ウーヴェがそこまで責任を感じるような問題が起こったのか⁉︎
「事故か⁉︎ それとも、あの小競り合いが殺生沙汰にでもなった⁉︎ 怪我人は何人だ、医者へは……っ」
「ち、違います! 現場は今日も、滞りなく進んでおりますから!」
慌てて席を立ち、外に駆け出そうとした俺に、ウーヴェは必死で取りすがってきた。
違うと言われ、ホッとしたのもつかの間、では何故ウーヴェは解雇しろと言ってきたのかと、別の意味で胸が締め付けられる。
その痛みに俺は……彼を失いたくないのだなと、改めて実感した。
この痛みは、もうウーヴェは赤の他人ではないということ……。望まなかった時は、感じることのなかった痛みだ。
「なら何故…………っ。理由を、教えてくれ……」
ウーヴェの腕を掴んでそう問うと、彼は、申し訳なさげに眉を下げ、一度瞳を伏せる。そうしてから……。
「私は……私の使命を、見出したのです」
そう言ってから、俺の手をやんわりと振りほどいた。
三歩ほどの距離をさがり、また深く、頭を下げる。
「レイシール様に、伏して願います。どうか私を、貴方様の僕としていただけないでしょうか。
貴方様に仇なした罪人を身内に持つ私が望むなど、痴がましいのは、重々承知しております。
しかし、私は、貴方様の手足となれる手段がございます。
お役に立ちたいです。どうか、私にお慈悲を。必ず、成果を出すとお約束いたします。命にかえましてもやり遂げます。ですから……」
「ちょっ、ちょっと待て、何を言ってるんだ⁉︎ ウーヴェはもう充分、役に立ってくれているし、エゴンのことだって、もう済んだことだ!
ウーヴェはもう何も、俺に気兼ねなんてしなくて良いんだ。そんな風に言う意味が分からないよ!」
ウーヴェはマルの元で働いている。そうやって役に立ってくれているのだから、それで充分じゃないか!
そう言ったのだが、ウーヴェは首を横に振った。そうではないという。
「ウーヴェよ。レイ殿の役に立つ手段があるとは、どういう意味だ?
今あの現場を仕切る以上の価値があることなのか? 其方があそこを離れるというなら、その代わりは一体誰が務める?」
「ディート殿!」
長椅子で瞑想し、存在を消していたディート殿が、不意にそう口を開いたものだから、ウーヴェはギョッとして飛び退いた。
どうやら彼に気付いていなかったらしい。
それだけ思い詰めてやって来たということだろうし、ディート殿の隠形が凄すぎるからでもあるのだけど、俺は話を進めようとするディート殿を制止するために、少し声を荒げた。
しかしディート殿は、やはり意に介さない。
「レイ殿もまず落ち着け。ウーヴェは別に、逃げも隠れもせぬだろうが。
慌てる前に、まず事情を聞かねば、何も進まんぞ」
と、窘められてしまった。
言葉に詰まった俺に、ウーヴェは、必死に懇願する。
「現場は、シェルトが責任者を兼任してくれるそうです。
彼は、大きな現場を何度も経験しておりますし、他業種との連携にも手馴れています。経験の浅い私が責任者を務めるより、きっと現場も落ち着くでしょう」
「ウーヴェは、きちんとやっていたろう⁉︎」
「そう言っていただけるのは、誠に有難いのですが……私があの場の最適ではありません」
「あの場にあれだけの人を集めてくれたのはウーヴェだ。あんな良い場に整えてくれたのは、ウーヴェじゃないか!」
そう言うと、彼は口元を歪めた。困ったような、嬉しいような、けれど、気持ちは変わらないのだと、その表情が語る。
「そんな風に言っていただけるなら……私は自信を持って、この任を解いてほしいと、口にできますね」
と、そう言って、微笑んだ。
その揺るがない決意に、俺は途方にくれるしかない。
何が彼にそこまでを言わせるのか……これほど必死で止めても、彼は、考え直してはくれないのか……。
項垂れる俺に、ウーヴェは片膝をついて、俺の手を取った。
「レイシール様、先日のお話です、私が決意した切っ掛けは。
あの村の構想と、目指すもの。私は貴方様のその志を……その礎を支えたいと思ったのです。
私には両替商という前歴があり、多くの職人と、金で繋がる縁を持っていました。
あの仕事が、私は辛くて仕方がなかった……死に金を漁る亡者のような、そんな家業が苦痛でならなかった。
けれど……もう、そんな風に考えなくても済みそうです。私は、私の生まれに、誇りを持てる。あの家に生まれたからこそ、貴方様のお役に立つことができると、気付きました。
私が、集めてまいります。貴方様の目指す先を、貴方様の心を理解して、共に歩んでくれる職人を。我々の同志を」
まっすぐ俺を見上げて、ウーヴェは真摯に、まるで誓約を口にするかのように、そう言った。
いつもどこか一歩引いた、自信の無さは鳴りを潜めてしまっていた。
まるで違う誰かであるみたいに、強い意志を瞳に宿して、言葉を連ねる。
「私には、沢山の職人と関わった経験がございます。金貸しとして繋いだ縁が、貴方様が残してくださった縁が、まだ私に繋がっています。
私は職人が何を考え、不安に思い、望んでいるのかを理解することができます。その生活を整える提案ができます。
少しでも良い物をと、向上心を持って仕事をする、そんな志を持った職人を、探して参ります。
どうか私に、任せていただけませんか。私は貴方様の、お役に立ちたいのです。私や父のことを救い、赦してくださったご恩に報いたいだけではなく、私自身が、そうしたいのです」
そう言って、掌と甲に唇を落とす。
魂まで捧げて、俺に尽くすと、覚悟を示した。
「はっはっ、魂まで捧げられてしまったな。これはもう逃げられんぞ」
「ディート殿!」
茶化すことじゃないでしょう⁉︎ ていうか、貴方がウーヴェを焚きつけるからこんな状況になってませんか⁉︎
狼狽えるしかできない俺に、ディート殿は覚悟を決めろと笑って言う。
「人を使う覚悟をしろ。命じることを厭うな。それが全部相手を縛る鎖であるだなんて、思うなよ?
ウーヴェのように、求める者だって、救われる者だっているのだからな」
「危険です! ウーヴェには自分の身を守る手段が無いんですよ⁉︎」
「レイ殿。不測の事態に陥れば、人は死ぬ。
それはサヤやジェイド、俺だって例外ではない。絶対の保証など、元から無いぞ」
あえて言葉にされたのだろう。それに心臓が跳ねる。
顔を引きつらせた俺に、ディート殿はなおも笑う。
「そんな不確かなものに縋っても意味など無い。
守りたいなら傍に置け。手の届く場所で、貴殿自身が守ってやれば良い。レイ殿が頭を使い、一番安全だと思う手段を講じてやれば良い。
この者らを守るためにも、揺るがない大樹となれるよう、名声を稼げ。立場を確立しろ。その手助けは、貴殿が守る者らがしてくれる」
「俺は成人前の半端者なんです! ただ貴族に仕えるだけでも大変なのに、俺なんかじゃ苦労させるだけですよ!」
「そんなこと百も承知で言っておろうよ。
なぁに、成人前でも、実力さえ示せば、文句等は半分ほどに減るし、年齢如きで貴殿を侮る者なら、目が曇っている証だ、交流してもさして益はない。
いらぬ輩を篩いにかけられる、良い口実だとでも思えば案外、使い勝手も良いぞ」
……ものすごい、前向き……。
ディート殿の言葉に呆れるしかなかったが、よくよく考えてみればこの方も、成人前の身で、近衛に抜擢され、王都にいらっしゃるのだ。
そう考えた時、ああ、この言葉は、この方が俺の前に示してくれた道標なのだと気が付いた。
そんな苦難の道を、この方自身が、今日まで耐え、歩んでいらっしゃったのだ。
つまり俺は、前人未到の地を一人彷徨うのではない。俺の前に立ち、背中を追うことのできる人が、こうして俺の前にいて、標を残してくれている……。
俺の進む先を、示してくれている。背を支えようとしてくれる。
……もう、目を背けておくわけににも、いかないのか……。
いつかは……踏み越えなきゃいけないことだったのだ。
「……ウーヴェ……、この前話したことは、俺の目的の全てではないんだ。
俺の目指すものはまだ他にもあって、それは一歩間違うと、世間を敵に回すようなことで……だけどいつかは、当たり前にしたいと思っていることなんだ。
今以上に深く関わると言うなら、それに巻き込むことになる。
俺は元から、覚悟して始めたことだから良い。だけどね……」
これ以上踏み込めば、知らなかったと言えなくなる。いざという時、切り離してやれなくなる……。
貴族である俺であっても、世間から抹消されるでは済まない結果に、至るかもしれない。
一庶民でしかない彼であれば、下手をしたら、手枷や足枷をはめられ、叛徒だと晒される可能性だって、あるのだ。
「構いません。レイシール様と歩めるなら、どんな茨の道でも厭いはしません」
「…………もうちょっとちゃんと聞いてから判断した方が良いよ……」
「では、聞いて決意が変わらなければ、受け入れていただけるのですね?」
「…………」
「一本取られたな。
レイ殿自身でそのように発言したのだから、責任を取らねば男が廃るぞ?」
「ディート殿……」
頭が痛い……。なんかどんどん、追い込まれてる……。
いつかはこんな風に、踏み越えなきゃいけないんだろうと、思っていた。
必ず巻き込まなきゃいけない相手が、きっといるだろうと。だけど……それが今、ウーヴェだなんて……。望んで進み出てくるなんて……。
そう思ったけれど、俺をずっと見つめ続ける彼の瞳は逸らされることなく、決意に揺るぎは見られなかった……。もう、溜息しか出てこない……。
「分かった……まず話す。
ウーヴェも座って。長くて重いから、覚悟するように」
そう前置きしたら、彼は嬉しそうに、是と首肯した。……もうどうにでもなれ。
「はじめに……うちのハインだけどね、彼は獣人だ。
俺に仕えるということは、彼らに関わるということになる。嫌悪感があるなら、もう諦めてほしい。
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