異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

文字の大きさ
213 / 1,121

望む未来 3

しおりを挟む
 その夜、体調が悪化した。
 夕刻くらいから寒気は感じていたのだ。だがまあ、一日の終わりもあと少しと、軽く考えたのがいけなかった。夜になって、急激に熱が上がって来だした様子だ。
 グラグラと頭が揺れる。横になっているのに、馬車で揺られているかのような、浮遊感。
 しばらくそれに耐え、そのうちにうつらうつらとしていたようだ。妙な息苦しさで意識が覚醒した時には、更に状況が悪化していることを自覚した。
 呼吸が苦しくて、胸から喉にかけて圧迫感がある。やばい。これ駄目なやつだ、吐く。
 夕食を無理して完食したのが裏目に出た。しっかり食べて体力をつければ、熱も退散すると思っていたのに……。

 早めに寝室へ引っ込んだのが功を奏し、このことに気付いているものはまだいない。
 なんとか寝台から這い出して、吐いても支障のない場所に移動しようと思った。とはいえ、どうせ、そのうちサヤにはバレてしまうのだろうなと考えていると、

「レイシール様?   眠れないですか?」

 サヤが部屋を覗きにきて、あっさりと見つかった。ちょっとご立腹顔のサヤが、一旦部屋を出て、盥に水を張って戻って来る。そこに手拭いを放り込んで、濡らしたそれを、俺の額に乗せようとするから、ちょっと待ってと、手で止めた。

「ごめ……今、吐きそ……」
「不浄場まで行ける?」

 無理。正直喋るのももう無理。
 限界。
 ぐらつく身体を折り曲げた俺に、サヤは風のように動き、盥の水を開け放った窓から捨てた。
 それを俺の身体と、寝台の間にねじ込む。
 胃が痙攣し、せり上がってきたものを、俺はもう吐くしかなかった。
 けれど、サヤの機転のお陰で、寝台を汚さずに済んだのは有難い。一通り吐き終えてしまえば、少し身体が楽になった。そこに、湯呑が差し出される。

「口すすぎ。気持ち悪いやろ?」

 言われた通り、湯呑を受け取って口をすすぎ、盥に吐き出す。人心地ついた。

「……ごめん、ありがとう……」
「ううん。けど……もう!   しんどいなら早ぅ呼んで!   声上げてくれたら聞こえるのに、ギリギリまで我慢しない!」

 怒られてしまった……。
 だけど、久々に、顔を作っていないサヤが見れた気がする。
 謝っている最中もテキパキと動いて、俺を寝台に寝かし、先程の濡らした手拭いが額に置かれる。
 少し待っておくように言われ、盥を抱えたサヤが部屋を後にした。申し訳ない……吐瀉物の処理までさせてしまうとは。
 そのまま待っていると、盥二つを重ねて片手で持ち、もう片方の手には水差しを持った状態で、サヤが戻って来た。

「経口補水液作って来たし。水やのうて、こっち飲むんやで。熱も、だいぶん高い……汗と嘔吐で、脱水症状になりやすい。それ以上、体調崩したないやろ?」

 そう言いながら、その補水液が湯呑みに注がれ、飲むように促される。
 もたもたする俺に、サヤがしびれを切らして手を差し出した。抱き起こされて、背中を支えた状態で体勢維持。湯呑を手渡される。
 サヤに従い、それを飲み干した。甘みと、ほんの少しのしょっぱさが、妙に美味に感じたから、きっと身体が欲していたのだなと実感する。おかわりをお願いして、次はもっとゆっくり、時間をかけて飲み干した。

 補水液を飲み終えたら、もう一度寝台に寝かされた。そして、濡らし直した手拭いが、また額に置かれる。
 盥の一つはまた水が張られていた。
 もう一つは、嘔吐用だろう。
 寝台横の小机では狭い為、机がすぐ横まで引っ張ってこられ、小机と入れ替えられた。
 そして椅子も引っ張ってこられ、サヤがそこに陣取る。

「……サヤ、あとはもう、大丈夫だから……」
「大丈夫やあらへん。そんな熱いのに、放っておけると思うん?」

 しかめっ面でそう言われてしまった。
 譲る気は皆無だ。まあ、ここまで体調を悪化させた俺が悪い。甘んじて受け入れよう。
 もう一度、謝罪と、感謝を伝えて、目を閉じた。
 目を閉じても、平衡感覚が揺さぶられ、まるでゆりかごの中にいるかのようだ。
 正直しんどいのだけど、なんとなく、くすぐったい。なんか、懐かしいなぁ……。

「なにが?」

 心の中で呟いたつもりだったのに、口に出ていた様だ。何が?   うん。何が懐かしいんだろう。俺もよく、分からない。

「なんとなく、懐かしい、気がしただけかな……」

 だんだんふわふわしだした思考の中で、なんとかそう、返事を返す。
 うん。きっとそう、思っただけ。
 だって、俺の記憶の殆どは、このセイバーンに戻ってからのものばかりで、それより幼い頃のことは、もう、殆ど、覚えていないのだ。
 セイバーンでは、俺はずっと、一人だったから……。
 だから、懐かしいと思ったのは、きっと、錯覚。

「せやろか……。レイは、きっと覚えとるんやで?
 人の脳は、結構沢山、覚えとる。ただ、思い出すきっかけがないと、ずっと奥の方にしまわれたままになってしまうから、忘れた気ぃが、してるだけなんや。
 懐かしいって、思うんは、きっと、そんな悪い、思い出やない。レイも、慈しまれた、大切な時間が、ちゃんとあるんや思う」

 ゆらゆらする思考に染み渡る様な、サヤの優しい声。
 優しくて、柔らかい何かが、俺の頬を撫でて、髪を撫でてと、あやす様に動く。
 心地良い。これもなんだか、懐かしい。なんだろう、思い出したいんだけど、もう、眠い。

「おやすみ……」

 最後に、そう言ったサヤの声と、柔らかなものが頬に触れた感触を最後に、俺の意識は途切れた。



 ◆


 まただ。
 今日はなんだかおかしい。
 いつも見る夢がやってこないのだ。

「フェルくん、ダメだよ、飛び火しちゃう。
 それに、お母様に、怒られちゃうでしょう?」

 そんな話し声がしている。
 僕は、その優しい声の元を探すべく、重たい瞼をなんとか押し上げた。

「あっ、ロレッタ、レイが起きた」
「え?   あ、本当。レイ、しんどい?」

 好きな声。二つ。
 知ってる。母と、兄の声。
 母は、僕がこの前まで、入っていたお腹のひと。
 兄は、よくわからない。でも僕を、好きでいてくれるひと。
 まだよく見えない目で、声の方を見る。ちょっと遠くなるとぼやんとして、もう分からない。
 それがなんだか不安で、苦しいのも不安で、寂しくて母を呼んだ。

「あついねぇ、しんどいねぇ。おっぱい飲める?」

 抱きかかえられて、ホッとする。あったかくて、やわらかい。
 正直お腹は空いていなかったけれど、母に触れていられるのが嬉しいから、促されるままに胸を口に含んで、おざなりに吸った。

「レイ、大丈夫かな……。氷室の氷、もらってきちゃだめなの?」
「うん……だめなの」
「母上、ずるいよね。レイが苦しいのに、ちょっとくらい氷、分けてくれたっていいのに……」

 ちっちゃくてふくふくの手が、母の胸に吸い付く僕の手を優しく撫でる。

「フェルくん、触っちゃだめだよ。フェルくんまで病になったら、お父様が悲しむよ」
「飛び火した方が、早く治るって言うよ。
 僕はレイより大きくて強いもの。ちょっとくらい大丈夫だよ。
 だけどレイは、こんなにちっちゃいもの……きっとしんどいよね……」

 うん。しんどい。しんどいってよくわからないけど、体が重くて、いつもより動けなくて、なんだか怖い。
 だけど、ふくふくの手が、僕をなでてくれると、ちょっとほっとする。なでられるのは気持ち良いし、うっとりするから好き。

「……ロレッタ。レイは、なんで病になったのかな……」

 兄が、僕の手をにぎにぎとしながら、そんな風に、重たい声音で母に問う。

「レイは、寝て、泣いて、おっぱい飲むしかしてないよ。悪いことは何もしてない。
 なのになんで、病になったのかな……。泣くのがだめなのかな?   でも赤ちゃんは、泣くしかできないのに、それをしちゃだめなら、意地悪だよね」

 きゅっと僕の手を握って「母上みたいに、意地悪だ」と、言った。

「神様は、ちょっとのことですぐに罰をお与えになるのに、良いことしても、褒めてくれないよね。
 レイは、良いこといっぱいしてるよ。僕を慰めてくれるんだ。レイを見ているだけで、なんだか心が軽くなるんだよ。笑ってくれたら、もっとたくさん嬉しくなる。
 悪いことより、たくさん良いことしてるよね。なのに、病にするなんて、おかしいよ」
「フェルくん、病はね、悪魔が弱い子につけ込むからなるんだよ。
 神様はちゃんと守ってくださってるの。だから、そんな風に言っちゃだめ」

 母が、兄にそう言って、僕を抱えてた両腕の一つを外した。支えてくれる手が離れて、少し怖くなったけど、我慢する。その手が、兄を撫でるために外されたのだと、知っているから。
 だけど、次に兄の口から溢れた言葉で、母の手は、兄を撫でる前に止まってしまった。

「違うよ。神は、罰をお与えになるんだ。母上が、そう言ってた。
 悪いことをしたら、罰せられて当然だって。
 病になるのは、神の与えたもうた罰だって。レイがすぐ病に犯されるのは、大きな罪を犯しているからだって」

 僕を支える、母の手が震える。

「けどさ、僕はレイが生まれた時から毎日を知ってる。レイは罪なんて犯してない。寝て、泣いて、おっぱい飲んでるだけだもん」

 それまでの重い声音を振り払うように、兄はそう、明るい声で言った。
 母がその言葉に、眉の下がった、少し悲しいみたいな笑みを浮かべる。

「フェルくん……ありがとうね。ずっとレイと、仲良しでいてくれる?」
「うん!   僕、レイ大好きだよ。僕は兄だから、レイを守ってあげる。父上にも、そうお約束したんだ」

 そう言って、また僕の手をにぎにぎとしてくれる。
 うん。僕も好き。兄は、僕をうれしくしてくれる人。

「レイ、早く元気になるんだよ。病になんて負けちゃだめだよ。元気になったら、また遊んであげる」

 そう言って、頬にチュッと、口づけを落としてくれた。
 うん。元気になる。
 元気になったらきっと、兄と母は、笑ってくれると思うから、僕はがんばるよ。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

番(つがい)と言われても愛せない

黒姫
恋愛
竜人族のつがい召喚で異世界に転移させられた2人の少女達の運命は?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

舌を切られて追放された令嬢が本物の聖女でした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

黒騎士団の娼婦

イシュタル
恋愛
夫を亡くし、義弟に家から追い出された元男爵夫人・ヨシノ。 異邦から迷い込んだ彼女に残されたのは、幼い息子への想いと、泥にまみれた誇りだけだった。 頼るあてもなく辿り着いたのは──「気味が悪い」と忌まれる黒騎士団の屯所。 煤けた鎧、無骨な団長、そして人との距離を忘れた男たち。 誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。 「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」 ※本作はAIとの共同制作作品です。 ※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

元婚約者が修道院送りになった令嬢を呼び戻すとき

岡暁舟
恋愛
「もう一度やり直そう」 そんなに上手くいくのでしょうか???

処理中です...