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望む未来 2
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「お待ち致しておりました。さぁ、どうぞ」
リーカ様に満面の笑顔で迎えられ、また若干照れが出てしまうが、気を引き締めて室内へ足を踏み入れた。ディート殿は、言葉通り部屋前で待機すると断って、そのまま残る。その彼に、よろしくお願いします。と、一声掛けておいた。
とはいえ、ほぼ毎日の様に伺っているお部屋だ。もう慣れている。案内された長椅子に腰を下ろし、ハインは俺の背後に立った。
さて、向かいに座るクリスタ様にも一応、謝っておくことにしよう。
「先程は失礼しました。
でも、クリスタ様も意地が悪いですよ。俺が女性慣れしていないの、知ってるでしょうに」
「知らんわ。二年も会っておらぬからな。その様に様変わりしておるし……」
「……もう、身長の話は止めましょうよ……俺だって、まさかこんなに伸びるなんて思ってませんでしたし……。そもそも伸ばそうと思って伸びるものでもないでしょう?」
「社交界で、女性をはべらせたりしておるのではないのか?」
「……あのですね、俺、成人してませんから。出向きませんから」
「分かった。許婚か恋人に、行くなと止められておるのだろう。虫がついては堪らんからな」
「いませんから!」
顔から火が噴きそうだ。
なんでそう揶揄うんだこの人は……。熱を持ってしまった顔を、手で隠して俯く。
社交界は……基本、成人した貴族の、交流の場とされている。成人前の者も勿論参加するが、その場合、成人した者……親や親族の管理下の元でとなるのだ。
異母様が俺を同行させるわけがないし、父上は療養中。俺が参加するわけがない。
俺の返答に、クリスタ様が探るような視線を寄越してくる。……あのですね、ほんと、止めてくださいね、その手の話で揶揄うのは。
「決められた相手はおらぬのか?」
「いるわけないでしょう。畑とここを往復するだけの日々なのに」
「まるで隠居生活ではないか」
「良いんです! 別段っ……別段、女性と知り合いたいという考えもありませんでしたし、成人を迎えれば、貴族も辞める気でいましたから、そんなしがらみは作りませんよ」
脳裏にサヤがよぎる。
けれどそれは振り払った。
サヤがこの世界にいる限り、俺は貴族でい続ける。それがサヤを守るための手段であるからだ。だが、それがなければ、貴族である必要は、微塵もない。
微塵も…………?
ツキリと、胸に針が刺さった。
貴族を辞めれば、村は……河川敷となるあの土嚢壁の管理はどうなるのかと、思ってしまったのだ。
父上が快復なさったなら、そんな心配は必要ない。父上なら、責任を持って管理して下さると分かっている。けれど……。
「君は、本気で貴族を辞める気でいたのか……。あれは……戯言なのだと、思っていたのだがな……」
急に、沈んだ声でそんな風に言われ、一瞬、集中を切らせてしまっていたことに気付き、慌てて視線を上げた。
心配そうな表情のクリスタ様が、俺を見つめていて、ドキリとする。
俺は言い訳をしようと口を開きかけて、思い留まった。あぁ、誤魔化したって、しょうがない。もう俺は、動いてしまったんだ。
「……ええ、辞めるつもりでしたよ。でも……俺はもう、役目を担ってしまいましたから……そうも言ってられなくなりましたよね……。
俺は一生をかけて、全うしなければならない責任を負う立場になった……だからもう、逃げてはいけないんだ」
学舎に居た頃、願っていた夢は、ことごとく、潰えてしまった。全てが、貴族を辞めることを前提にしていたから。
とはいえ、今それを後悔しているかといえば、どうだろう……?
「まあ、それはそれで……。
あの頃には考えていなかった生き方ですが、やり甲斐も感じていますし……。
選べる中で選んできたことだと、今なら納得できますかね」
自然と、そんな風に口にできた。
サヤに出会う前の俺だっだら、きっとこんな風には思えない。
やれと言われた仕事をこなし、必死で居場所を確保していただけだった俺。
だけど、今のこの結果は、少ない選択肢の中からだったとしても、俺が選んできたことなのだ。
ことんと、俺の前に湯呑が置かれた。
リーカ様が、そっと一礼して下がる。
俺も小さく礼を返し、その湯呑を手に取った。
香茶の香りをしばらく楽しんでから、口に含む。うん、美味しい。
「……なあ、レイシール。
ここ暫く、僕はその……少し、大人気なかったな。
私情で苛ついて、とても見れたものじゃない態度だったと思う。すまなかった……」
急にクリスタ様がそんなことを口にした。
それに、自然と口元が綻ぶ。
事情を知ってしまったから……責める気なんて起きるわけがない。
俺には考えられない様な重圧の中に、クリスタ様は一人、身を置いてらっしゃるのだ。俺なんかじゃ耐えられやしない。それをこの方は、ずっと、耐えてこられている……そして今、更に足を、踏み出さなければならない時に、差し掛かっているのだ。
「気にしてません。どちらかというと、嬉しいですよ。
学舎に居た頃の俺にだったら……見せては下さらない、お姿だったでしょう?」
クリスタ様に守られていただけの俺には、きっとあんな姿は、見せて下さらなかった。
俺とクリスタ様じゃ、比べるまでもない。クリスタ様は、素晴らしい方だ。俺が叶うわけがない。だけどあの時のクリスタ様は、俺に嫉妬して下さった。俺はクリスタ様と、一瞬だけでも、対等であれたってことだ。
「君は……本当に、人たらしも大概にしろ!
ああぁぁ、僕の方が年上なのに……成人前なのに⁉︎ なんでそう……」
クリスタ様が、長椅子の座褥を抱き締めて、それに顔を埋めてしまった。
成人男性としてはちょっとアレな行動だが、もう女性だと知ってしまい、そうなると女性にしか見えないから可愛らしい仕草でしかない。
クリスタ様の白磁の肌。座褥に埋まっていない耳が、物凄く赤い。やばい……、俺、そんなに恥ずかしい言葉を口にしてしまってたか?
「す、すいません……。
だけどその……偽らない、本心ですよ? 俺は未だに、ギルやハインに、助けられてばかりで、サヤにも、村の皆にも、頼りないと思われている身です。
そんな俺でも、少しは成長していたと、認めてもらえた……。さ、先程の、リーカ様に頂いたお言葉もそうです。クリスタ様が、本当にそう、思って下さったなら、俺は……」
「もう言うな! こっちが恥ずかしいわ!
図体ばかり大人びて、こそばゆいことを口にするのは昔のままか⁉︎ 大概にしろ‼︎」
「に、二年そこらで性格なんて変わりませんよ! 俺、そんな変なこと口にしました⁉︎ あっ、リーカ様まで笑わないで下さい、俺の言ったこと、そんなに変だったんですか⁉︎」
頭の後ろで大きな溜息。ハインまで⁉︎
結局、俺まで両手で顔を隠す羽目になってしまった。座褥に手を伸ばさなかったのがせめてもの抵抗だ。
暫くそんな、いたたまれない空間でうーあー唸ってるしかなかったわけだが、やっと落ち着いてきたという頃になって、クリスタ様が、ポツリと言葉を口にした。
「……なあ、レイシール。君は……何故、そんな風に、考えられるんだ。
……正直、こんなことを君に聞くのは……君を傷付けることだと、思う。だが僕は……君に、聞かずにはいられない……。
二年前……君は、何一つ望まない方向に、足を踏み出すしかなかったろう?
僕は……僕なら、突っぱねると、先日は息巻いた。
正直、僕はきっと、耐えられない……君の様に、受け入れられない……。
なのに君は……そうやって、今も笑う。それどころか、責任を担い、それから逃げない。
……はは、本当だ。君は、素晴らしい器だよ。僕が、嫉妬してしまうくらいに……」
座褥で顔を隠したまま、クリスタ様は乾いた笑い声を零しながら、まるで自分を責める様にそう、言った。
俺の担った責任と、クリスタ様がこれから担う責任は、雲泥の差だ。
王家唯一のお子で、女性の身でありながら、王とならなければならない、クリスティーナ様。
本人の意思とは関係のない結婚を強制されるお立場の方。子を為すことを、義務とされる方。そしてきっと……望む相手と結ばれることを、望めない方……。
苦しいだろう……。それこそ、俺には想像を絶する、苦しさだろう。
だから、嘘は言わないと、心に誓った。
俺は決して、クリスタ様が思う様な人間じゃない。
「俺は、絶望してましたよ」
正直に、あの時、俺の考えていたこと、全てを口にする。
「俺は幼い頃から、望むこと、得ることを許されてきませんでした。
だから、学舎での十年は、俺にとって夢の様な時間でしたよ。今でも、そう思ってる。
それがあの瞬間、どれだけ脆く、儚いものだったかを知りました。
実家からの書簡を受け取った時、十年の時間が、指の間をすり抜けていったと感じました。
ああやっぱりか。俺はこういう人生を、神に約束されているのか。
きっとこれは罰なのだ。望んではいけないものを望んだから。得てはいけない俺が、この十年を、これから先を手にしようとしたから、奪われてしまうのか。そう思った。
だから……奪われる前に、捨てました。自分の手で、断ち切らなければ、心が壊れてしまうと思った。自分から捨てたのだと言い訳しなければ、耐えられなかった。
多分ね……身、一つでここへ帰っていたら、俺はもう、生きていません」
本当に全てを失っていたのなら、俺はきっと、耐えられなかった。
「だけど俺には……ハインがいてくれたんです。そしてギルがいた。
今はもっと沢山の人が、俺との縁を、まだ手放さないでいてくれていたことを知っています。
クリスタ様、貴方もだ。不義理をした俺を、手放さないでいて下さった。
十年は、ちゃんと俺の手に残っていた……。
とはいえ、そんな風に思える様になったのは、ここ最近です。ある人が、俺は何も、失くしていないと教えてくれたから……。罰なんて無いのだと、教えてくれたから、少し前向きに、考えられる様になった。
だからクリスタ様、貴方が思うほど、俺は凄い人間じゃない。買い被りすぎです」
今の俺は、大勢の人に支えられて、やっとギリギリ、役割をこなしているだけの、半端者だ。
勿論このままでいちゃいけない。だが俺は、どれだけ不甲斐なかろうが、人の手を借りまくろうが、それでも責任を、全うしなければならない。
周り中を振り回して、手を煩わせて、生きている。それでも、生きなきゃならない。こんな俺でも、俺にしか果たせない責任を、今、担っている。
「クリスタ様……俺は今でも、沢山の人に支えてもらっている未熟者です。
けれどね、皆は、それを許してくれている。有難いことです。
それに、甘えてはいけないと分かってますし、精進する気はあるのですけど……俺はまだまだ全然、足りないです。
そんな俺がこんなことを言うのもなんかその……痴がましいのですが……、お一人で、全てを背負おうと、なさらなくても良いではないですか。
クリスタ様の周りには、優秀な方々が、沢山いらっしゃいます。クリスタ様は素晴らしいお方ですから、皆がきっと、喜んで手を貸してくださいます。
自分にしか出来ない役割は、重責です。でも……決して、孤独じゃない」
俺だって、貴女を支える。本当に微力な身ではあるけれど、お力になれたらと、思っている。
俺の言葉を、クリスタ様がどの様に受け止めたかは分からない。
だが、小さな声で「そうか……」と、呟く声は、ちゃんと俺の耳に届いた。
「本当に……どっちが年上やら、分からぬな……。
そうか…………僕も……時が経てば、君の様に、思える日が来るのだろうか……。
望まない役割でも、笑って、悪くないと思える日が……」
クリスタ様が将来得る答えは、分からない……。
分からないけれど、そうであれば良いと、思う。願っている……。
リーカ様に満面の笑顔で迎えられ、また若干照れが出てしまうが、気を引き締めて室内へ足を踏み入れた。ディート殿は、言葉通り部屋前で待機すると断って、そのまま残る。その彼に、よろしくお願いします。と、一声掛けておいた。
とはいえ、ほぼ毎日の様に伺っているお部屋だ。もう慣れている。案内された長椅子に腰を下ろし、ハインは俺の背後に立った。
さて、向かいに座るクリスタ様にも一応、謝っておくことにしよう。
「先程は失礼しました。
でも、クリスタ様も意地が悪いですよ。俺が女性慣れしていないの、知ってるでしょうに」
「知らんわ。二年も会っておらぬからな。その様に様変わりしておるし……」
「……もう、身長の話は止めましょうよ……俺だって、まさかこんなに伸びるなんて思ってませんでしたし……。そもそも伸ばそうと思って伸びるものでもないでしょう?」
「社交界で、女性をはべらせたりしておるのではないのか?」
「……あのですね、俺、成人してませんから。出向きませんから」
「分かった。許婚か恋人に、行くなと止められておるのだろう。虫がついては堪らんからな」
「いませんから!」
顔から火が噴きそうだ。
なんでそう揶揄うんだこの人は……。熱を持ってしまった顔を、手で隠して俯く。
社交界は……基本、成人した貴族の、交流の場とされている。成人前の者も勿論参加するが、その場合、成人した者……親や親族の管理下の元でとなるのだ。
異母様が俺を同行させるわけがないし、父上は療養中。俺が参加するわけがない。
俺の返答に、クリスタ様が探るような視線を寄越してくる。……あのですね、ほんと、止めてくださいね、その手の話で揶揄うのは。
「決められた相手はおらぬのか?」
「いるわけないでしょう。畑とここを往復するだけの日々なのに」
「まるで隠居生活ではないか」
「良いんです! 別段っ……別段、女性と知り合いたいという考えもありませんでしたし、成人を迎えれば、貴族も辞める気でいましたから、そんなしがらみは作りませんよ」
脳裏にサヤがよぎる。
けれどそれは振り払った。
サヤがこの世界にいる限り、俺は貴族でい続ける。それがサヤを守るための手段であるからだ。だが、それがなければ、貴族である必要は、微塵もない。
微塵も…………?
ツキリと、胸に針が刺さった。
貴族を辞めれば、村は……河川敷となるあの土嚢壁の管理はどうなるのかと、思ってしまったのだ。
父上が快復なさったなら、そんな心配は必要ない。父上なら、責任を持って管理して下さると分かっている。けれど……。
「君は、本気で貴族を辞める気でいたのか……。あれは……戯言なのだと、思っていたのだがな……」
急に、沈んだ声でそんな風に言われ、一瞬、集中を切らせてしまっていたことに気付き、慌てて視線を上げた。
心配そうな表情のクリスタ様が、俺を見つめていて、ドキリとする。
俺は言い訳をしようと口を開きかけて、思い留まった。あぁ、誤魔化したって、しょうがない。もう俺は、動いてしまったんだ。
「……ええ、辞めるつもりでしたよ。でも……俺はもう、役目を担ってしまいましたから……そうも言ってられなくなりましたよね……。
俺は一生をかけて、全うしなければならない責任を負う立場になった……だからもう、逃げてはいけないんだ」
学舎に居た頃、願っていた夢は、ことごとく、潰えてしまった。全てが、貴族を辞めることを前提にしていたから。
とはいえ、今それを後悔しているかといえば、どうだろう……?
「まあ、それはそれで……。
あの頃には考えていなかった生き方ですが、やり甲斐も感じていますし……。
選べる中で選んできたことだと、今なら納得できますかね」
自然と、そんな風に口にできた。
サヤに出会う前の俺だっだら、きっとこんな風には思えない。
やれと言われた仕事をこなし、必死で居場所を確保していただけだった俺。
だけど、今のこの結果は、少ない選択肢の中からだったとしても、俺が選んできたことなのだ。
ことんと、俺の前に湯呑が置かれた。
リーカ様が、そっと一礼して下がる。
俺も小さく礼を返し、その湯呑を手に取った。
香茶の香りをしばらく楽しんでから、口に含む。うん、美味しい。
「……なあ、レイシール。
ここ暫く、僕はその……少し、大人気なかったな。
私情で苛ついて、とても見れたものじゃない態度だったと思う。すまなかった……」
急にクリスタ様がそんなことを口にした。
それに、自然と口元が綻ぶ。
事情を知ってしまったから……責める気なんて起きるわけがない。
俺には考えられない様な重圧の中に、クリスタ様は一人、身を置いてらっしゃるのだ。俺なんかじゃ耐えられやしない。それをこの方は、ずっと、耐えてこられている……そして今、更に足を、踏み出さなければならない時に、差し掛かっているのだ。
「気にしてません。どちらかというと、嬉しいですよ。
学舎に居た頃の俺にだったら……見せては下さらない、お姿だったでしょう?」
クリスタ様に守られていただけの俺には、きっとあんな姿は、見せて下さらなかった。
俺とクリスタ様じゃ、比べるまでもない。クリスタ様は、素晴らしい方だ。俺が叶うわけがない。だけどあの時のクリスタ様は、俺に嫉妬して下さった。俺はクリスタ様と、一瞬だけでも、対等であれたってことだ。
「君は……本当に、人たらしも大概にしろ!
ああぁぁ、僕の方が年上なのに……成人前なのに⁉︎ なんでそう……」
クリスタ様が、長椅子の座褥を抱き締めて、それに顔を埋めてしまった。
成人男性としてはちょっとアレな行動だが、もう女性だと知ってしまい、そうなると女性にしか見えないから可愛らしい仕草でしかない。
クリスタ様の白磁の肌。座褥に埋まっていない耳が、物凄く赤い。やばい……、俺、そんなに恥ずかしい言葉を口にしてしまってたか?
「す、すいません……。
だけどその……偽らない、本心ですよ? 俺は未だに、ギルやハインに、助けられてばかりで、サヤにも、村の皆にも、頼りないと思われている身です。
そんな俺でも、少しは成長していたと、認めてもらえた……。さ、先程の、リーカ様に頂いたお言葉もそうです。クリスタ様が、本当にそう、思って下さったなら、俺は……」
「もう言うな! こっちが恥ずかしいわ!
図体ばかり大人びて、こそばゆいことを口にするのは昔のままか⁉︎ 大概にしろ‼︎」
「に、二年そこらで性格なんて変わりませんよ! 俺、そんな変なこと口にしました⁉︎ あっ、リーカ様まで笑わないで下さい、俺の言ったこと、そんなに変だったんですか⁉︎」
頭の後ろで大きな溜息。ハインまで⁉︎
結局、俺まで両手で顔を隠す羽目になってしまった。座褥に手を伸ばさなかったのがせめてもの抵抗だ。
暫くそんな、いたたまれない空間でうーあー唸ってるしかなかったわけだが、やっと落ち着いてきたという頃になって、クリスタ様が、ポツリと言葉を口にした。
「……なあ、レイシール。君は……何故、そんな風に、考えられるんだ。
……正直、こんなことを君に聞くのは……君を傷付けることだと、思う。だが僕は……君に、聞かずにはいられない……。
二年前……君は、何一つ望まない方向に、足を踏み出すしかなかったろう?
僕は……僕なら、突っぱねると、先日は息巻いた。
正直、僕はきっと、耐えられない……君の様に、受け入れられない……。
なのに君は……そうやって、今も笑う。それどころか、責任を担い、それから逃げない。
……はは、本当だ。君は、素晴らしい器だよ。僕が、嫉妬してしまうくらいに……」
座褥で顔を隠したまま、クリスタ様は乾いた笑い声を零しながら、まるで自分を責める様にそう、言った。
俺の担った責任と、クリスタ様がこれから担う責任は、雲泥の差だ。
王家唯一のお子で、女性の身でありながら、王とならなければならない、クリスティーナ様。
本人の意思とは関係のない結婚を強制されるお立場の方。子を為すことを、義務とされる方。そしてきっと……望む相手と結ばれることを、望めない方……。
苦しいだろう……。それこそ、俺には想像を絶する、苦しさだろう。
だから、嘘は言わないと、心に誓った。
俺は決して、クリスタ様が思う様な人間じゃない。
「俺は、絶望してましたよ」
正直に、あの時、俺の考えていたこと、全てを口にする。
「俺は幼い頃から、望むこと、得ることを許されてきませんでした。
だから、学舎での十年は、俺にとって夢の様な時間でしたよ。今でも、そう思ってる。
それがあの瞬間、どれだけ脆く、儚いものだったかを知りました。
実家からの書簡を受け取った時、十年の時間が、指の間をすり抜けていったと感じました。
ああやっぱりか。俺はこういう人生を、神に約束されているのか。
きっとこれは罰なのだ。望んではいけないものを望んだから。得てはいけない俺が、この十年を、これから先を手にしようとしたから、奪われてしまうのか。そう思った。
だから……奪われる前に、捨てました。自分の手で、断ち切らなければ、心が壊れてしまうと思った。自分から捨てたのだと言い訳しなければ、耐えられなかった。
多分ね……身、一つでここへ帰っていたら、俺はもう、生きていません」
本当に全てを失っていたのなら、俺はきっと、耐えられなかった。
「だけど俺には……ハインがいてくれたんです。そしてギルがいた。
今はもっと沢山の人が、俺との縁を、まだ手放さないでいてくれていたことを知っています。
クリスタ様、貴方もだ。不義理をした俺を、手放さないでいて下さった。
十年は、ちゃんと俺の手に残っていた……。
とはいえ、そんな風に思える様になったのは、ここ最近です。ある人が、俺は何も、失くしていないと教えてくれたから……。罰なんて無いのだと、教えてくれたから、少し前向きに、考えられる様になった。
だからクリスタ様、貴方が思うほど、俺は凄い人間じゃない。買い被りすぎです」
今の俺は、大勢の人に支えられて、やっとギリギリ、役割をこなしているだけの、半端者だ。
勿論このままでいちゃいけない。だが俺は、どれだけ不甲斐なかろうが、人の手を借りまくろうが、それでも責任を、全うしなければならない。
周り中を振り回して、手を煩わせて、生きている。それでも、生きなきゃならない。こんな俺でも、俺にしか果たせない責任を、今、担っている。
「クリスタ様……俺は今でも、沢山の人に支えてもらっている未熟者です。
けれどね、皆は、それを許してくれている。有難いことです。
それに、甘えてはいけないと分かってますし、精進する気はあるのですけど……俺はまだまだ全然、足りないです。
そんな俺がこんなことを言うのもなんかその……痴がましいのですが……、お一人で、全てを背負おうと、なさらなくても良いではないですか。
クリスタ様の周りには、優秀な方々が、沢山いらっしゃいます。クリスタ様は素晴らしいお方ですから、皆がきっと、喜んで手を貸してくださいます。
自分にしか出来ない役割は、重責です。でも……決して、孤独じゃない」
俺だって、貴女を支える。本当に微力な身ではあるけれど、お力になれたらと、思っている。
俺の言葉を、クリスタ様がどの様に受け止めたかは分からない。
だが、小さな声で「そうか……」と、呟く声は、ちゃんと俺の耳に届いた。
「本当に……どっちが年上やら、分からぬな……。
そうか…………僕も……時が経てば、君の様に、思える日が来るのだろうか……。
望まない役割でも、笑って、悪くないと思える日が……」
クリスタ様が将来得る答えは、分からない……。
分からないけれど、そうであれば良いと、思う。願っている……。
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