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雨季 1
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七の月五日目。
とうとうか。
空を見上げると、灰色の雲が、びっくりするくらい低い位置まで立ち込め始めている。
昨日までとは打って変わって、空模様が怪しい。
「本当に、雨季が来るんですね。
昨日まで、全然そんな雰囲気じゃ、無かったのに……」
窓辺から、空を見上げたサヤが、そんな風に零す。
雨季のこの雨は、この地方特有だ。
どういったわけか、ひと月ほど降り止まないわけだが、王都などはそんなこともなく、長雨は続くが、合間に雨の降らない日や、晴れた日も挟まれる。
「振り始める前に、家具が届くと良いのですけど……」
「際どいかなぁ……これだと、夕刻まで保たないだろうし」
「……見て分かるんですか?」
「見た目と、匂いで、まあだいたい?」
なんとなく会話の流れでそう答えると、サヤは窓を大きく開け、スンスンと鼻を鳴らし出した。
一生懸命空気の匂いを確認するその姿が、可愛いわ、可笑しいわで、つい口元が緩む。
「匂いの違いが、分かりません……」
「あー……サヤはまだ雨季の雨を経験してないからじゃないか?
むせ返るみたいな水の匂いと、土の匂いと、混じった感じなんだよ。それが濃くなる」
「んん?」
俺を見上げたサヤが、眉を寄せる。
そして虚空を見上げたままの体制で、匂いに集中するためなのか、目を閉じた。その表情が何かこう……求められている様に見えて、視線を外す。
そんなわけがない。
サヤはいたって真面目に空気の匂いを確認しているだけだ。
鼻に集中するあまり、口が薄く半開きになっているから、それがその……うああぁぁ。
一人頭の中で混乱していると、くっくっと笑う声。
しまった……人の視線があることをすっかり、失念していた。
扉の横で、拳で口元を隠す様にして笑う偉丈夫に視線をやると、咎められると思ったのか、慌てて姿勢を正した。
「失礼」
「……いえ」
男前なんだよなぁ……。
皆総じて背が高く、体格も良い。更に見目が麗しい。
今朝の護衛は、ディート殿だった。
俺の護衛役は、近衛の中から数人が交代で行う取り決めとなっている様子だ。
「やっぱり分かりません。
でも、昼食の匂いは嗅ぎ分けました! もうすぐお昼だと思います」
「うわっ、油売ってる場合じゃなかった」
慌てて窓を閉め、執務机に戻る。
仕事の合間、ちょっと息抜きをしている間に脱線してしまったのだ。
氾濫対策もひと段落し、雨もまだ振らない。よって午前中の業務は少なくなり、慌てる必要もない。
雨が降り出せば、暫くは忙しくなり、そしてまた暇になるだろう。
そんなことを考えつつ手を動かしていると、またサヤの手が止まる。
「…………車輪の音です……」
お。思ったよりも早かったな。ギルも、空模様を気にして、早く発ったのかもしれない。
サヤの呟きに、ディート殿が耳をそばだてるが、彼にもまだ聞き分けられない様だ。だが、サヤの耳なら確実と、急いで手元の処理を終わらせ、片付けを行なっていると、俺の耳にも喧騒が届いた。
「急いで荷運びだな。まずは玄関広間に全部入れてしまおう。濡れなきゃ、後はゆっくり進めても良いんだし」
「ですね。昼食はちょっと後回しにしましょう」
「ええっ⁉︎」
……第三者の悲鳴。
視線をやると、ディート殿が若干情けない表情で俺たちを見ている。
昼食が遅れるの、嫌なのか……。なんか本当、この人色々と垣根が低い……。
「レイ殿、俺も荷運びを手伝っても良いだろうか」
「あ、はい。助かりますけど……近衛の方にそんなことお願いするのもその……」
「良い! 昼食の為だからな‼︎」
「は、はい……」
そんなに、昼食が遅れるの、嫌なのか……。
ルオード様の率いる近衛部隊は、姫様の独断で選別された部隊なのだそうな。
こう言うと酷い我儘に聞こえるが、姫様は身分に囚われず、有能な人材をどこかからか見抜き、近衛に引き抜くのだという。なので、男爵家出身者や、士族から大抜擢を受けた者までいるのだそうだ。年齢も、総じて若い。次代を担う若手の発掘を行なっているということだった。
これを聞いたときは、ルオード様は本当に凄いと感心したものだ。
正直、身分にとらわれない部隊というは、纏めるのが至難の技だ。
しかもルオード様も子爵家出身と、決して高いご身分の方ではない。
気苦労も多いだろうに、隊を率いる姿は、本当に凛々しかったものな。
そしてその隊員であるディート殿。
俺とさして変わらない十九歳、今回派遣された中では一番の若手であるらしい。髪型が示す通り、まだ成人前の為正式な近衛となるのは三ヶ月後とのこと。
とはいえ、一人前の騎士として近衛職に就くことが確約されているのだから、その実力も推して知るべしだ。
玄関広間に移動すると、外から支持を飛ばす声が聞こえる。やっぱりな、ギルだ。
サヤが小走りに駆けて行って、玄関扉を開けると、途端に誰かが飛びついてきた。
「サヤさん!」
ルーシーも来ている。店の方はワド一人で大丈夫なのかな。
「ルーシーさん、お久しぶりです」
「お久しぶりですっ。ずっと叔父様だけこっちに居っぱなしで本当に腹が立ったから、我儘言ってついて来ちゃいました!」
サヤに抱きついた状態できゃぴきゃぴとはしゃぐ。
サヤが男装中だってこと、忘れてないよな……完璧に女友達に接してる態度じゃないのかそれは……。はらはらと見守っていると、俺に気付いたルーシーが、サヤから慌てて身を離す。
そして、袴を摘んで上品に挨拶を始めた。
「レイシール様、お久しぶりです。この度は、土嚢壁の無事な完成、おめでとうございます」
やれば出来る。
それにしても、なんだか随分とめかし込んで、キラキラだ、物凄く。もともと見目麗しい娘であるのだけれど、着飾るとまた凄いな。
露草色の袴に袖無しの白い短衣、腰帯は浅葱色と、清々しい色合いだ。更に、腰帯を紺の飾り紐で飾ってあるのがとても新鮮だった。見たことない装いだな。飾り紐には銀細工もあしらわれている。
艶のある金髪は横髪を編み込まれ、後頭部で纏められている。襟足を大胆に晒した纏め髪だが、社交界のご婦人方のようなギッチリ感はなく、ゆるくふわりとしている。
こちらにも紺の飾り紐と、銀細工の飾りがある。
俺の視線に気付いたのか、ニッコリと笑ってふわりとその場で回ってみせた。
「如何ですか? 最新作です」
「うん。凄く美しいと思うよ。髪型も、服装も、爽やかでとても良い」
その言葉に満足そうに笑う。そして、サヤの腕に自身の腕を絡めた。
「ですってサヤさん。流石です!」
うん? 何故サヤ……。
「腰帯の飾り紐、サヤさんの発案です!」
ええっ、いつの間に⁉︎
「発案というか……故郷の衣装にある飾りですから……」
苦笑しつつサヤが言う。
腕に美少女が絡み付いているからか、男装のサヤがより凛々しく見える構図になっているな。
「でもでも、サヤさんの故郷の衣装と、この国の衣装は違うものでしょう? そこに新しい飾りを取り入れたのは、サヤさんの案です!
私、凄く気に入ったんですから! 女性の装いに小物が増えるのは素晴らしいことです! 自己表現の新たな風ですよ⁉︎
帯に新しい装飾が加わったことで、女性はより羽ばたけるようになったんです! 叔父様も大絶賛だったんですから‼︎」
……言ってることの意味が、半分以上分からない……。
「こらルーシー! 手伝うっつーから連れて来てんだぞ⁉︎ てめえの荷物くらい運びやがれ!
あと叔父って言うな‼︎」
開けっぱなしになっていた玄関扉から、大きな荷物を両手で抱えたギルがのしのしと乱入して来た。数日ぶりだ。
俺を見て、表情を緩め……たと思ったら、その後ろに視線をやってハッと身を正す。そして、深く頭を下げた。
「失礼致しました。バート商会店主のギルバート、参じました。
ご注文の品をお持ち致しましたので、お目汚しかと存じますが、運び込ませて頂き……」
「ちょっ、ちょっとギル、怖い、畏まるの怖いから止めてくれ!」
「それはお許し下さい、私共下賤の身と致しましては……」
「ああ、俺のことも気にしなくて良い。
今日俺が護衛なのは、その辺も含めての人選だ。レイ殿に民間のご友人が多いことは伺っている」
背後からの声に、俺もハッとなって振り返る。
また忘れてた。ディート殿だ。貴族のこの方がいらっしゃったから、ギルは畏まったんだな。
「俺のことに気付いたか。気配を殺すのは得意なのだが、ギルと言ったか? 結構な手練れだな」
そう言って爽やかに笑う。
ルーシーは気付いていなかった様子で、あわあわと挙動がおかしくなっていた。
気配を殺す? って、ああっ、それでやたらと意識から外れるんだな、この人。それが出来るってことが相当な手練れだ。
ディート殿のくだけた態度に、ギルも大きく息を吐く。そして、屈めていた姿勢を正した。
「友人として……接する態度をお見せしても、問題無いと?」
「ああ。俺も民間の友人は多いつもりだ。なのにそんな口調で話されたんじゃ、話が進まん」
「そうですか。では、失礼します。レイ、降り出す前に一通り、ここに入れるぞ。結構な量だから、急いで奥から詰める」
「ああ、そうしてくれ。俺たちも手伝う。……その、ディート殿も」
「……はぁ⁉︎」
「ご、ご本人がね、昼食が遅れるのも、申し訳ないし……その……」
しどろもどろの俺に対し、ディート殿はさっさと動く。玄関扉から外に出て、有無を言わさず、大きな木箱を持ち上げ、運び始めてしまった。
それを見たサヤとルーシーも、慌てて動き出す。
俺はとっさにサヤを捕まえて、力加減だけ気をつけてと耳打ちした。こくりと頷くサヤ。
数台続く荷車から、使用人と共に、どんどん荷物を運び込む。ギル、ディート殿、サヤと力持ちは、家具を中心に手伝ってくれたので、より捗った。
いつもならば、寝台くらい一人で持ち上げてしまうサヤだが、今日それは控え、二人一組で作業してもらう。
それでもやはり、小柄なサヤが大きな家具を、涼しい顔して運ぶ姿は注目を集めた。
まあ、ギルの店の使用人らなので慣れている。流石だねぇ、頑張るねぇと、褒めてもらえた様だ。
「思いの外早かったな。男手が一人加わると違う」
「俺が戦力外だもんなぁ……いつも悪いね」
一息ついたギルに、そう言って労う。
そうしていると、食堂の扉が開いた。
ハインだ。お疲れ様ですと、台車を押してやって来た。
まずは盥から、濡らした手拭いを取り出し配る。使用人らに混じって、ディート殿がいることに気づいて若干眉間にしわを寄せた。この人何してんだ……って顔だ。
「お茶と、試作があるのですが、ひとつまみされますか」
「……試作?」
「あっ、炭酸葡萄、ちゃんと出来てましたか?」
「ええ、面白いことになってますよ」
満面の笑みでサヤがやって来て、硝子の鉢を覗き込む。
鉢の中は、皮を剥かれた葡萄が水の中に敷き詰められていた。
サヤは、横に添えられていた小鉢に、硝子鉢から葡萄を少量取り出す。
「炭酸葡萄……炭酸って、炭酸水の炭酸か?」
「はい、それと葡萄です」
「何が面白いことになってるんだ?皮を剥く手間を省いてあることか?」
「食べたら分かります」
そう言って、自身の口に一つ放り込む。
興味津々に歩み寄って来たルーシーの口にも、匙ですくったそれを差し出した。
「ルーシーさん、あーん」
ザワッと、一部の使用人とディート殿が動揺して、素直にパクリと口にしたルーシーに、おおぉ! と、歓声が上がる。
ルーシーは、そのまま葡萄を咀嚼したかと思うと、両手を口元に添えて驚愕した。
「面白いでしょう?」
ニコニコと笑顔のサヤに、こくこくと全力で首を縦に振る。キラキラと瞳を輝かせ、それはもう愛らしい。
が、分からん! 何が面白いのか全然伝わりません!
「レイシール様も如何ですか? 食べなければ絶対に分からないです」
「うん。食べる」
ルーシーの反応に俄然興味が湧いたので、サヤが新しい匙にすくってくれた葡萄を受け取って口に入れた。
途端に、衝撃が走る。うん。これは衝撃。舌に衝撃が!
「なっ……なんで⁉︎」
「面白いでしょう?」
「おい、何が面白いんだ⁉︎」
首を傾げている使用人やギル。代表して、ディート殿がそう聞いてくるが、俺は黙秘した。
これは言えない。言ったら面白くない!
「食べますか?」
笑顔のサヤ。
皆それぞれが葛藤した挙句、結局口にした。
とうとうか。
空を見上げると、灰色の雲が、びっくりするくらい低い位置まで立ち込め始めている。
昨日までとは打って変わって、空模様が怪しい。
「本当に、雨季が来るんですね。
昨日まで、全然そんな雰囲気じゃ、無かったのに……」
窓辺から、空を見上げたサヤが、そんな風に零す。
雨季のこの雨は、この地方特有だ。
どういったわけか、ひと月ほど降り止まないわけだが、王都などはそんなこともなく、長雨は続くが、合間に雨の降らない日や、晴れた日も挟まれる。
「振り始める前に、家具が届くと良いのですけど……」
「際どいかなぁ……これだと、夕刻まで保たないだろうし」
「……見て分かるんですか?」
「見た目と、匂いで、まあだいたい?」
なんとなく会話の流れでそう答えると、サヤは窓を大きく開け、スンスンと鼻を鳴らし出した。
一生懸命空気の匂いを確認するその姿が、可愛いわ、可笑しいわで、つい口元が緩む。
「匂いの違いが、分かりません……」
「あー……サヤはまだ雨季の雨を経験してないからじゃないか?
むせ返るみたいな水の匂いと、土の匂いと、混じった感じなんだよ。それが濃くなる」
「んん?」
俺を見上げたサヤが、眉を寄せる。
そして虚空を見上げたままの体制で、匂いに集中するためなのか、目を閉じた。その表情が何かこう……求められている様に見えて、視線を外す。
そんなわけがない。
サヤはいたって真面目に空気の匂いを確認しているだけだ。
鼻に集中するあまり、口が薄く半開きになっているから、それがその……うああぁぁ。
一人頭の中で混乱していると、くっくっと笑う声。
しまった……人の視線があることをすっかり、失念していた。
扉の横で、拳で口元を隠す様にして笑う偉丈夫に視線をやると、咎められると思ったのか、慌てて姿勢を正した。
「失礼」
「……いえ」
男前なんだよなぁ……。
皆総じて背が高く、体格も良い。更に見目が麗しい。
今朝の護衛は、ディート殿だった。
俺の護衛役は、近衛の中から数人が交代で行う取り決めとなっている様子だ。
「やっぱり分かりません。
でも、昼食の匂いは嗅ぎ分けました! もうすぐお昼だと思います」
「うわっ、油売ってる場合じゃなかった」
慌てて窓を閉め、執務机に戻る。
仕事の合間、ちょっと息抜きをしている間に脱線してしまったのだ。
氾濫対策もひと段落し、雨もまだ振らない。よって午前中の業務は少なくなり、慌てる必要もない。
雨が降り出せば、暫くは忙しくなり、そしてまた暇になるだろう。
そんなことを考えつつ手を動かしていると、またサヤの手が止まる。
「…………車輪の音です……」
お。思ったよりも早かったな。ギルも、空模様を気にして、早く発ったのかもしれない。
サヤの呟きに、ディート殿が耳をそばだてるが、彼にもまだ聞き分けられない様だ。だが、サヤの耳なら確実と、急いで手元の処理を終わらせ、片付けを行なっていると、俺の耳にも喧騒が届いた。
「急いで荷運びだな。まずは玄関広間に全部入れてしまおう。濡れなきゃ、後はゆっくり進めても良いんだし」
「ですね。昼食はちょっと後回しにしましょう」
「ええっ⁉︎」
……第三者の悲鳴。
視線をやると、ディート殿が若干情けない表情で俺たちを見ている。
昼食が遅れるの、嫌なのか……。なんか本当、この人色々と垣根が低い……。
「レイ殿、俺も荷運びを手伝っても良いだろうか」
「あ、はい。助かりますけど……近衛の方にそんなことお願いするのもその……」
「良い! 昼食の為だからな‼︎」
「は、はい……」
そんなに、昼食が遅れるの、嫌なのか……。
ルオード様の率いる近衛部隊は、姫様の独断で選別された部隊なのだそうな。
こう言うと酷い我儘に聞こえるが、姫様は身分に囚われず、有能な人材をどこかからか見抜き、近衛に引き抜くのだという。なので、男爵家出身者や、士族から大抜擢を受けた者までいるのだそうだ。年齢も、総じて若い。次代を担う若手の発掘を行なっているということだった。
これを聞いたときは、ルオード様は本当に凄いと感心したものだ。
正直、身分にとらわれない部隊というは、纏めるのが至難の技だ。
しかもルオード様も子爵家出身と、決して高いご身分の方ではない。
気苦労も多いだろうに、隊を率いる姿は、本当に凛々しかったものな。
そしてその隊員であるディート殿。
俺とさして変わらない十九歳、今回派遣された中では一番の若手であるらしい。髪型が示す通り、まだ成人前の為正式な近衛となるのは三ヶ月後とのこと。
とはいえ、一人前の騎士として近衛職に就くことが確約されているのだから、その実力も推して知るべしだ。
玄関広間に移動すると、外から支持を飛ばす声が聞こえる。やっぱりな、ギルだ。
サヤが小走りに駆けて行って、玄関扉を開けると、途端に誰かが飛びついてきた。
「サヤさん!」
ルーシーも来ている。店の方はワド一人で大丈夫なのかな。
「ルーシーさん、お久しぶりです」
「お久しぶりですっ。ずっと叔父様だけこっちに居っぱなしで本当に腹が立ったから、我儘言ってついて来ちゃいました!」
サヤに抱きついた状態できゃぴきゃぴとはしゃぐ。
サヤが男装中だってこと、忘れてないよな……完璧に女友達に接してる態度じゃないのかそれは……。はらはらと見守っていると、俺に気付いたルーシーが、サヤから慌てて身を離す。
そして、袴を摘んで上品に挨拶を始めた。
「レイシール様、お久しぶりです。この度は、土嚢壁の無事な完成、おめでとうございます」
やれば出来る。
それにしても、なんだか随分とめかし込んで、キラキラだ、物凄く。もともと見目麗しい娘であるのだけれど、着飾るとまた凄いな。
露草色の袴に袖無しの白い短衣、腰帯は浅葱色と、清々しい色合いだ。更に、腰帯を紺の飾り紐で飾ってあるのがとても新鮮だった。見たことない装いだな。飾り紐には銀細工もあしらわれている。
艶のある金髪は横髪を編み込まれ、後頭部で纏められている。襟足を大胆に晒した纏め髪だが、社交界のご婦人方のようなギッチリ感はなく、ゆるくふわりとしている。
こちらにも紺の飾り紐と、銀細工の飾りがある。
俺の視線に気付いたのか、ニッコリと笑ってふわりとその場で回ってみせた。
「如何ですか? 最新作です」
「うん。凄く美しいと思うよ。髪型も、服装も、爽やかでとても良い」
その言葉に満足そうに笑う。そして、サヤの腕に自身の腕を絡めた。
「ですってサヤさん。流石です!」
うん? 何故サヤ……。
「腰帯の飾り紐、サヤさんの発案です!」
ええっ、いつの間に⁉︎
「発案というか……故郷の衣装にある飾りですから……」
苦笑しつつサヤが言う。
腕に美少女が絡み付いているからか、男装のサヤがより凛々しく見える構図になっているな。
「でもでも、サヤさんの故郷の衣装と、この国の衣装は違うものでしょう? そこに新しい飾りを取り入れたのは、サヤさんの案です!
私、凄く気に入ったんですから! 女性の装いに小物が増えるのは素晴らしいことです! 自己表現の新たな風ですよ⁉︎
帯に新しい装飾が加わったことで、女性はより羽ばたけるようになったんです! 叔父様も大絶賛だったんですから‼︎」
……言ってることの意味が、半分以上分からない……。
「こらルーシー! 手伝うっつーから連れて来てんだぞ⁉︎ てめえの荷物くらい運びやがれ!
あと叔父って言うな‼︎」
開けっぱなしになっていた玄関扉から、大きな荷物を両手で抱えたギルがのしのしと乱入して来た。数日ぶりだ。
俺を見て、表情を緩め……たと思ったら、その後ろに視線をやってハッと身を正す。そして、深く頭を下げた。
「失礼致しました。バート商会店主のギルバート、参じました。
ご注文の品をお持ち致しましたので、お目汚しかと存じますが、運び込ませて頂き……」
「ちょっ、ちょっとギル、怖い、畏まるの怖いから止めてくれ!」
「それはお許し下さい、私共下賤の身と致しましては……」
「ああ、俺のことも気にしなくて良い。
今日俺が護衛なのは、その辺も含めての人選だ。レイ殿に民間のご友人が多いことは伺っている」
背後からの声に、俺もハッとなって振り返る。
また忘れてた。ディート殿だ。貴族のこの方がいらっしゃったから、ギルは畏まったんだな。
「俺のことに気付いたか。気配を殺すのは得意なのだが、ギルと言ったか? 結構な手練れだな」
そう言って爽やかに笑う。
ルーシーは気付いていなかった様子で、あわあわと挙動がおかしくなっていた。
気配を殺す? って、ああっ、それでやたらと意識から外れるんだな、この人。それが出来るってことが相当な手練れだ。
ディート殿のくだけた態度に、ギルも大きく息を吐く。そして、屈めていた姿勢を正した。
「友人として……接する態度をお見せしても、問題無いと?」
「ああ。俺も民間の友人は多いつもりだ。なのにそんな口調で話されたんじゃ、話が進まん」
「そうですか。では、失礼します。レイ、降り出す前に一通り、ここに入れるぞ。結構な量だから、急いで奥から詰める」
「ああ、そうしてくれ。俺たちも手伝う。……その、ディート殿も」
「……はぁ⁉︎」
「ご、ご本人がね、昼食が遅れるのも、申し訳ないし……その……」
しどろもどろの俺に対し、ディート殿はさっさと動く。玄関扉から外に出て、有無を言わさず、大きな木箱を持ち上げ、運び始めてしまった。
それを見たサヤとルーシーも、慌てて動き出す。
俺はとっさにサヤを捕まえて、力加減だけ気をつけてと耳打ちした。こくりと頷くサヤ。
数台続く荷車から、使用人と共に、どんどん荷物を運び込む。ギル、ディート殿、サヤと力持ちは、家具を中心に手伝ってくれたので、より捗った。
いつもならば、寝台くらい一人で持ち上げてしまうサヤだが、今日それは控え、二人一組で作業してもらう。
それでもやはり、小柄なサヤが大きな家具を、涼しい顔して運ぶ姿は注目を集めた。
まあ、ギルの店の使用人らなので慣れている。流石だねぇ、頑張るねぇと、褒めてもらえた様だ。
「思いの外早かったな。男手が一人加わると違う」
「俺が戦力外だもんなぁ……いつも悪いね」
一息ついたギルに、そう言って労う。
そうしていると、食堂の扉が開いた。
ハインだ。お疲れ様ですと、台車を押してやって来た。
まずは盥から、濡らした手拭いを取り出し配る。使用人らに混じって、ディート殿がいることに気づいて若干眉間にしわを寄せた。この人何してんだ……って顔だ。
「お茶と、試作があるのですが、ひとつまみされますか」
「……試作?」
「あっ、炭酸葡萄、ちゃんと出来てましたか?」
「ええ、面白いことになってますよ」
満面の笑みでサヤがやって来て、硝子の鉢を覗き込む。
鉢の中は、皮を剥かれた葡萄が水の中に敷き詰められていた。
サヤは、横に添えられていた小鉢に、硝子鉢から葡萄を少量取り出す。
「炭酸葡萄……炭酸って、炭酸水の炭酸か?」
「はい、それと葡萄です」
「何が面白いことになってるんだ?皮を剥く手間を省いてあることか?」
「食べたら分かります」
そう言って、自身の口に一つ放り込む。
興味津々に歩み寄って来たルーシーの口にも、匙ですくったそれを差し出した。
「ルーシーさん、あーん」
ザワッと、一部の使用人とディート殿が動揺して、素直にパクリと口にしたルーシーに、おおぉ! と、歓声が上がる。
ルーシーは、そのまま葡萄を咀嚼したかと思うと、両手を口元に添えて驚愕した。
「面白いでしょう?」
ニコニコと笑顔のサヤに、こくこくと全力で首を縦に振る。キラキラと瞳を輝かせ、それはもう愛らしい。
が、分からん! 何が面白いのか全然伝わりません!
「レイシール様も如何ですか? 食べなければ絶対に分からないです」
「うん。食べる」
ルーシーの反応に俄然興味が湧いたので、サヤが新しい匙にすくってくれた葡萄を受け取って口に入れた。
途端に、衝撃が走る。うん。これは衝撃。舌に衝撃が!
「なっ……なんで⁉︎」
「面白いでしょう?」
「おい、何が面白いんだ⁉︎」
首を傾げている使用人やギル。代表して、ディート殿がそう聞いてくるが、俺は黙秘した。
これは言えない。言ったら面白くない!
「食べますか?」
笑顔のサヤ。
皆それぞれが葛藤した挙句、結局口にした。
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王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。
そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。
エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。
それがこの国の終わりの始まりだった。
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