異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

文字の大きさ
185 / 1,121

雨季 1

しおりを挟む
 七の月五日目。
 とうとうか。
 空を見上げると、灰色の雲が、びっくりするくらい低い位置まで立ち込め始めている。
 昨日までとは打って変わって、空模様が怪しい。

「本当に、雨季が来るんですね。
 昨日まで、全然そんな雰囲気じゃ、無かったのに……」

 窓辺から、空を見上げたサヤが、そんな風に零す。
 雨季のこの雨は、この地方特有だ。
 どういったわけか、ひと月ほど降り止まないわけだが、王都などはそんなこともなく、長雨は続くが、合間に雨の降らない日や、晴れた日も挟まれる。

「振り始める前に、家具が届くと良いのですけど……」
「際どいかなぁ……これだと、夕刻まで保たないだろうし」
「……見て分かるんですか?」
「見た目と、匂いで、まあだいたい?」

 なんとなく会話の流れでそう答えると、サヤは窓を大きく開け、スンスンと鼻を鳴らし出した。
 一生懸命空気の匂いを確認するその姿が、可愛いわ、可笑しいわで、つい口元が緩む。

「匂いの違いが、分かりません……」
「あー……サヤはまだ雨季の雨を経験してないからじゃないか?
 むせ返るみたいな水の匂いと、土の匂いと、混じった感じなんだよ。それが濃くなる」
「んん?」

 俺を見上げたサヤが、眉を寄せる。
 そして虚空を見上げたままの体制で、匂いに集中するためなのか、目を閉じた。その表情が何かこう……求められている様に見えて、視線を外す。
 そんなわけがない。
 サヤはいたって真面目に空気の匂いを確認しているだけだ。
 鼻に集中するあまり、口が薄く半開きになっているから、それがその……うああぁぁ。
 一人頭の中で混乱していると、くっくっと笑う声。
 しまった……人の視線があることをすっかり、失念していた。
 扉の横で、拳で口元を隠す様にして笑う偉丈夫に視線をやると、咎められると思ったのか、慌てて姿勢を正した。

「失礼」
「……いえ」

 男前なんだよなぁ……。
 皆総じて背が高く、体格も良い。更に見目が麗しい。
 今朝の護衛は、ディート殿だった。
 俺の護衛役は、近衛の中から数人が交代で行う取り決めとなっている様子だ。

「やっぱり分かりません。
 でも、昼食の匂いは嗅ぎ分けました!   もうすぐお昼だと思います」
「うわっ、油売ってる場合じゃなかった」

 慌てて窓を閉め、執務机に戻る。
 仕事の合間、ちょっと息抜きをしている間に脱線してしまったのだ。
 氾濫対策もひと段落し、雨もまだ振らない。よって午前中の業務は少なくなり、慌てる必要もない。
 雨が降り出せば、暫くは忙しくなり、そしてまた暇になるだろう。
 そんなことを考えつつ手を動かしていると、またサヤの手が止まる。

「…………車輪の音です……」

 お。思ったよりも早かったな。ギルも、空模様を気にして、早く発ったのかもしれない。
 サヤの呟きに、ディート殿が耳をそばだてるが、彼にもまだ聞き分けられない様だ。だが、サヤの耳なら確実と、急いで手元の処理を終わらせ、片付けを行なっていると、俺の耳にも喧騒が届いた。

「急いで荷運びだな。まずは玄関広間に全部入れてしまおう。濡れなきゃ、後はゆっくり進めても良いんだし」
「ですね。昼食はちょっと後回しにしましょう」
「ええっ⁉︎」

 ……第三者の悲鳴。
 視線をやると、ディート殿が若干情けない表情で俺たちを見ている。
 昼食が遅れるの、嫌なのか……。なんか本当、この人色々と垣根が低い……。

「レイ殿、俺も荷運びを手伝っても良いだろうか」
「あ、はい。助かりますけど……近衛の方にそんなことお願いするのもその……」
「良い!   昼食の為だからな‼︎」
「は、はい……」

 そんなに、昼食が遅れるの、嫌なのか……。

 ルオード様の率いる近衛部隊は、姫様の独断で選別された部隊なのだそうな。
 こう言うと酷い我儘に聞こえるが、姫様は身分に囚われず、有能な人材をどこかからか見抜き、近衛に引き抜くのだという。なので、男爵家出身者や、士族から大抜擢を受けた者までいるのだそうだ。年齢も、総じて若い。次代を担う若手の発掘を行なっているということだった。
 これを聞いたときは、ルオード様は本当に凄いと感心したものだ。
 正直、身分にとらわれない部隊というは、纏めるのが至難の技だ。
 しかもルオード様も子爵家出身と、決して高いご身分の方ではない。
 気苦労も多いだろうに、隊を率いる姿は、本当に凛々しかったものな。
 そしてその隊員であるディート殿。
 俺とさして変わらない十九歳、今回派遣された中では一番の若手であるらしい。髪型が示す通り、まだ成人前の為正式な近衛となるのは三ヶ月後とのこと。
 とはいえ、一人前の騎士として近衛職に就くことが確約されているのだから、その実力も推して知るべしだ。

 玄関広間に移動すると、外から支持を飛ばす声が聞こえる。やっぱりな、ギルだ。
 サヤが小走りに駆けて行って、玄関扉を開けると、途端に誰かが飛びついてきた。

「サヤさん!」

 ルーシーも来ている。店の方はワド一人で大丈夫なのかな。

「ルーシーさん、お久しぶりです」
「お久しぶりですっ。ずっと叔父様だけこっちに居っぱなしで本当に腹が立ったから、我儘言ってついて来ちゃいました!」

 サヤに抱きついた状態できゃぴきゃぴとはしゃぐ。
 サヤが男装中だってこと、忘れてないよな……完璧に女友達に接してる態度じゃないのかそれは……。はらはらと見守っていると、俺に気付いたルーシーが、サヤから慌てて身を離す。
 そして、袴を摘んで上品に挨拶を始めた。

「レイシール様、お久しぶりです。この度は、土嚢壁の無事な完成、おめでとうございます」

 やれば出来る。
 それにしても、なんだか随分とめかし込んで、キラキラだ、物凄く。もともと見目麗しい娘であるのだけれど、着飾るとまた凄いな。
 露草色の袴に袖無しの白い短衣、腰帯は浅葱色と、清々しい色合いだ。更に、腰帯を紺の飾り紐で飾ってあるのがとても新鮮だった。見たことない装いだな。飾り紐には銀細工もあしらわれている。
 艶のある金髪は横髪を編み込まれ、後頭部で纏められている。襟足を大胆に晒した纏め髪だが、社交界のご婦人方のようなギッチリ感はなく、ゆるくふわりとしている。
 こちらにも紺の飾り紐と、銀細工の飾りがある。
 俺の視線に気付いたのか、ニッコリと笑ってふわりとその場で回ってみせた。

「如何ですか?   最新作です」
「うん。凄く美しいと思うよ。髪型も、服装も、爽やかでとても良い」

 その言葉に満足そうに笑う。そして、サヤの腕に自身の腕を絡めた。

「ですってサヤさん。流石です!」

 うん?   何故サヤ……。

「腰帯の飾り紐、サヤさんの発案です!」

 ええっ、いつの間に⁉︎

「発案というか……故郷の衣装にある飾りですから……」

 苦笑しつつサヤが言う。
 腕に美少女が絡み付いているからか、男装のサヤがより凛々しく見える構図になっているな。

「でもでも、サヤさんの故郷の衣装と、この国の衣装は違うものでしょう?   そこに新しい飾りを取り入れたのは、サヤさんの案です!
 私、凄く気に入ったんですから!   女性の装いに小物が増えるのは素晴らしいことです!   自己表現の新たな風ですよ⁉︎
 帯に新しい装飾が加わったことで、女性はより羽ばたけるようになったんです!   叔父様も大絶賛だったんですから‼︎」

 ……言ってることの意味が、半分以上分からない……。

「こらルーシー!   手伝うっつーから連れて来てんだぞ⁉︎   てめえの荷物くらい運びやがれ!
 あと叔父って言うな‼︎」

 開けっぱなしになっていた玄関扉から、大きな荷物を両手で抱えたギルがのしのしと乱入して来た。数日ぶりだ。
 俺を見て、表情を緩め……たと思ったら、その後ろに視線をやってハッと身を正す。そして、深く頭を下げた。

「失礼致しました。バート商会店主のギルバート、参じました。
 ご注文の品をお持ち致しましたので、お目汚しかと存じますが、運び込ませて頂き……」
「ちょっ、ちょっとギル、怖い、畏まるの怖いから止めてくれ!」
「それはお許し下さい、私共下賤の身と致しましては……」
「ああ、俺のことも気にしなくて良い。
 今日俺が護衛なのは、その辺も含めての人選だ。レイ殿に民間のご友人が多いことは伺っている」

 背後からの声に、俺もハッとなって振り返る。
 また忘れてた。ディート殿だ。貴族のこの方がいらっしゃったから、ギルは畏まったんだな。

「俺のことに気付いたか。気配を殺すのは得意なのだが、ギルと言ったか?   結構な手練れだな」

 そう言って爽やかに笑う。
 ルーシーは気付いていなかった様子で、あわあわと挙動がおかしくなっていた。
 気配を殺す?   って、ああっ、それでやたらと意識から外れるんだな、この人。それが出来るってことが相当な手練れだ。
 ディート殿のくだけた態度に、ギルも大きく息を吐く。そして、屈めていた姿勢を正した。

「友人として……接する態度をお見せしても、問題無いと?」
「ああ。俺も民間の友人は多いつもりだ。なのにそんな口調で話されたんじゃ、話が進まん」
「そうですか。では、失礼します。レイ、降り出す前に一通り、ここに入れるぞ。結構な量だから、急いで奥から詰める」
「ああ、そうしてくれ。俺たちも手伝う。……その、ディート殿も」
「……はぁ⁉︎」
「ご、ご本人がね、昼食が遅れるのも、申し訳ないし……その……」

 しどろもどろの俺に対し、ディート殿はさっさと動く。玄関扉から外に出て、有無を言わさず、大きな木箱を持ち上げ、運び始めてしまった。
 それを見たサヤとルーシーも、慌てて動き出す。
 俺はとっさにサヤを捕まえて、力加減だけ気をつけてと耳打ちした。こくりと頷くサヤ。
 数台続く荷車から、使用人と共に、どんどん荷物を運び込む。ギル、ディート殿、サヤと力持ちは、家具を中心に手伝ってくれたので、より捗った。
 いつもならば、寝台くらい一人で持ち上げてしまうサヤだが、今日それは控え、二人一組で作業してもらう。
 それでもやはり、小柄なサヤが大きな家具を、涼しい顔して運ぶ姿は注目を集めた。
 まあ、ギルの店の使用人らなので慣れている。流石だねぇ、頑張るねぇと、褒めてもらえた様だ。

「思いの外早かったな。男手が一人加わると違う」
「俺が戦力外だもんなぁ……いつも悪いね」

 一息ついたギルに、そう言って労う。
 そうしていると、食堂の扉が開いた。
 ハインだ。お疲れ様ですと、台車を押してやって来た。
 まずはたらいから、濡らした手拭いを取り出し配る。使用人らに混じって、ディート殿がいることに気づいて若干眉間にしわを寄せた。この人何してんだ……って顔だ。

「お茶と、試作があるのですが、ひとつまみされますか」
「……試作?」
「あっ、炭酸葡萄、ちゃんと出来てましたか?」
「ええ、面白いことになってますよ」

 満面の笑みでサヤがやって来て、硝子の鉢を覗き込む。
 鉢の中は、皮を剥かれた葡萄が水の中に敷き詰められていた。
 サヤは、横に添えられていた小鉢に、硝子鉢から葡萄を少量取り出す。

「炭酸葡萄……炭酸って、炭酸水の炭酸か?」
「はい、それと葡萄です」
「何が面白いことになってるんだ?皮を剥く手間を省いてあることか?」
「食べたら分かります」

 そう言って、自身の口に一つ放り込む。
 興味津々に歩み寄って来たルーシーの口にも、匙ですくったそれを差し出した。

「ルーシーさん、あーん」

 ザワッと、一部の使用人とディート殿が動揺して、素直にパクリと口にしたルーシーに、おおぉ!   と、歓声が上がる。
 ルーシーは、そのまま葡萄を咀嚼したかと思うと、両手を口元に添えて驚愕した。

「面白いでしょう?」

 ニコニコと笑顔のサヤに、こくこくと全力で首を縦に振る。キラキラと瞳を輝かせ、それはもう愛らしい。
 が、分からん!   何が面白いのか全然伝わりません!

「レイシール様も如何ですか?   食べなければ絶対に分からないです」
「うん。食べる」

 ルーシーの反応に俄然興味が湧いたので、サヤが新しい匙にすくってくれた葡萄を受け取って口に入れた。
 途端に、衝撃が走る。うん。これは衝撃。舌に衝撃が!

「なっ……なんで⁉︎」
「面白いでしょう?」
「おい、何が面白いんだ⁉︎」

 首を傾げている使用人やギル。代表して、ディート殿がそう聞いてくるが、俺は黙秘した。
 これは言えない。言ったら面白くない!

「食べますか?」

 笑顔のサヤ。
 皆それぞれが葛藤した挙句、結局口にした。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

余命1年の侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
余命を宣告されたその日に、主人に離婚を言い渡されました

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お父様、お母様、わたくしが妖精姫だとお忘れですか?

サイコちゃん
恋愛
リジューレ伯爵家のリリウムは養女を理由に家を追い出されることになった。姉リリウムの婚約者は妹ロサへ譲り、家督もロサが継ぐらしい。 「お父様も、お母様も、わたくしが妖精姫だとすっかりお忘れなのですね? 今まで莫大な幸運を与えてきたことに気づいていなかったのですね? それなら、もういいです。わたくしはわたくしで自由に生きますから」 リリウムは家を出て、新たな人生を歩む。一方、リジューレ伯爵家は幸運を失い、急速に傾いていった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...