異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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泉から 1

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 歩く。
 歩く。
 ひたすら歩く。
 手を引かれて。
 母は何を話し掛けても、上の空で。
 強く握られた手が、悲鳴をあげていた……。
 嫌だ……ここから先は、もうあまり無い。
 それ以上は進みたくない……だから足掻け、これは夢なのだから。

 いやだ、すすみたくない。

 何度もそう訴えた。
 だけど、母には届かない。
 いつも、いつも、どう抗っても、届かない。

 こわい。

 闇に覆われる視界が……引きずり込まれる水の中が。
 俺の意思なんて関係なしに、ただ迫ってきた終焉が。
 押さえつけ、沈めようとしてくる、優しかったはずの手が。

 やめて。
 ぼくは…………っ。


 ◆


 空が東雲色に染まる早朝。
 俺は山道を、ゆっくりと進んでいた。
 木々と、羊歯やらなんやらが好き勝手に伸びて、半分以上埋まってしまった、ほぼ山肌。
 知らない人は道だと思わないような、急な斜面だ。
 一応、人は通るので、なんとか保たれている道。ここを登りきると、少し開けた場所があり、そこには小さな泉がある。
 俺が向かっているのはそこだった。

  あー……身体と気持ちが重い。

  夢を見た後はいつもそうだ。気分が沈んで、なかなか向上しない。
  何でもない夢なのだ。母に手を引かれて、ひたすら歩く夢。ただ、夢の終着点が少々思い出したくないもので、そのため俺は必死で足掻いて飛び起きる。

  もう過ぎた過去で、今更どうこうできることでもない。
  それが分かっているのに繰り返される夢。
  何度目か分からない溜息をついた時、やっと視界が開け、目の前に小さな水場が現れた。

  村の人間が『望郷の泉』と呼ぶ小さな水場。
  昔からある願掛けの泉なのだが、たまに不思議なことが起こると言われている。
  例えば、

  落とした筈のものが無くなったり。
  お供えしたはずのものが、消えていたり。
  何に使うのか全く分からない変なものが落ちていたり……。

  正直、気の所為とか、通りすがりの獣が美味しく頂いていたりとか、自分の知らないものって大抵意味不明の変なものなんじゃないかとか、思ったりするのだが……誰が何を思おうと勝手なので、物言いを付けるつもりはない。

  まあ、不思議な場所ではあるのだ。
  季節外れの草木が育っていたり、他には見ない謎の植物が、当たり前の顔して蔓延っていたりする。
  呪われているのでは……と、思わなくもない。
  例えば、冬の最中に、赤い花を咲かせる木だとかが代表例だ。ここ以外で見かけたことがない。
  まだ雪の深い時期に花を咲かせるだけでも不気味なのに、真っ白い雪の上に、咲いたままの赤い花が、ボトリ、ボトリと落ちてたりする光景が、なんだか血飛沫を連想させられて、不吉きわまりない。
  怖いので一応近付かない様にしている。

  とはいえ、俺がここにくるのは願掛けの為ではない。
  人目がなくて、一人で落ち込める場所であるからだ。
  例え呪われた赤い花の木があったとしても、心を落ち着けることのできる数少ない場所だ。手放せない。

  湧き出す水をひとすくい飲んで、清水の溜まった小さな泉を覗き込むと、首の後ろで一括りにしてある灰色の髪が肩から垂れてくる。
  水面に写る藍色の瞳は、陰ってほぼ黒にしか見えない。
  母譲りの色と顔だ。 その顔が、水の中でゆらゆら崩れ、不安そうにこちらを見ている。

  ……誰がどう見ても元気そうには見えない……。

  一応、領主代行という職であるからして、人前で暗い顔をするのはよろしくない。
  ハインにも見られたくない。
  奴は大変優秀な従者だが、人を慰めるという能力に関しては人並み以下だ。
  気分の沈んだこの状態で、あまりお小言をいただくと死んでしまいたくなるので、とりあえず避けたい。

  だけど……朝食までの時間程度で復活できるかな、俺……。

  夢で飛び起き、眠れないから仕事をこなして時間を潰したまでは良かった。それに集中して、夢を頭から追い出すことができていたから。
  けれど、することが無くなると、夢がまた、侵食してくる。考え出すと止まらなくなる。
  十五年も前の出来事を。そして、十年会わずにいるうちに、死んだ母のことを……。
  葬儀にも参列できなかった。だから、未だ実感が、伴っていないのかもしれない……。

「あ~……暇って良いことない。考えないで良いこと考えるだけ頭の毒だ……」

  結局、いつも通り、思考の行き止まりに到達した。
  泉の中の自分を、手でかき混ぜて誤魔化して、濡れた手を適当に服で拭ってから、いつも腰掛ける木の根元に座り込み、幹に背を預けた。
  まだ冷たい風がそよりと吹く。
  俺は……ここにいる意味があるのだろうか……。

  母の死から二年。
 とりあえず、やれと言われた仕事をこなし、必死で居場所を確保していることしかできない。剣の腕も最低で、乗馬すらやっとこさで、勉強も途中辞めのダメダメ領主代行。しかも押し付けられてるだけ。
  従者の方がむしろ偉そうに見えるとか、領民にすら言われている。
  今はきっと趣味の料理を堪能すべく、厨房で鍋をかき回して朝食を作っている、俺の一人だけの従者。
  領主代行がギリギリ成り立ってるのも、ハインあってのことだって俺は知ってる。
  やつがいなかったら、俺は自分の仕事すらままならないわけだ。

「……~~~ぁぁぁ、ダメだ、抜け出せない……」

  結局思考は落ちていくばかり。自分に対するダメ出ししか出てこない……。
  折角夢に出てくる母を、怖いと感じている後ろめたさも、気分の低下に拍車をかける。
  ぐるぐる回る負の思考から抜け出せない。いい加減、考えたくないのに。そろそろ戻ってハインと顔を合わせなきゃならないのに。
  このまま帰ったら、また溜息を吐かれて、心配されて、気を使わせて、いらないダメ出しされてもっと落ち込む。
  落ち込んでるのに機能不全の慰め受けて、更に傷をえぐられたりしたらマジ死にたくなるかもしれない。だから頑張れ俺。とりあえず笑顔。貼り付けとくだけでいい、ないよりマシだから!

「…………帰ろー」

  ただ歩いて山登って落ち込んで帰るという、無意味極まりない暇つぶしに区切りを付けて、俺は重い腰を上げた。
  愚痴はおしまい。今日も仕事を頑張ろう。それしかすること無いんだから。
  体を引きずるように、泉に背を向けて、重たい一歩を踏み出そうとした瞬間。

             ぴしゃん……

  と、音がした。
  視界の端で、何かが動く。
  泉の方だ。
  魚かな……と、思ったが、望郷の泉は、今まで生き物を見かけたことがないと思い至る。
  手を突っ込んだところで、肘までしか浸からないような、浅い小さな泉なのだ。
  帰りたくない気持ちと好奇心とで、何とは無しに振り返って……。

  手が、伸びてた。

  水面から、にゅっと、人の手首から上だけが覗いていた。
  カクっと折れ曲がって空中をかき回している。
  色白な、きめの細かい肌の、綺麗な手。細く華奢な指。手首から先だけなのに、女の子の手だと直感が働いた。
  そして、次に思ったのが、なんで?   ということ。
  
 なんで泉から手首?
  たまに落ちてる変なものってこれ?
  確かに……確かに変だけどね⁈

  あまりに非現実的な現象に、一瞬で頭が真っ白になり、混乱をきたす。

  ぉぉぉおお溺れてる⁉︎    なんでこんな時間に⁈    こんな場所で⁈

  慌てて近寄って、必死で掴んで引っ張り上げた瞬間、頭の端っこの方の、冷静な俺がむくりと起き上がって来た。

  なんでこんな浅い泉で溺れる必要が?
  むしろどうやって溺れてるんだ?    身体全部浸かるのすら、無理だよね?

  引っ張るのを止めた方が良いんじゃないかと気付いた時には、もう引っ張り上げ切ったと言える状況で、しかも急に重さを感じ、ぐらりと体が傾いた時に、目が、合った。

  びっくりした顔。
  鳶色の、まん丸に見開かれた瞳。
  艶のある漆黒の髪。

  そして傾いた俺の上にそのまま全体重で落下。

「ぐふぇ」

  最低なうめき声。肺の中の空気が全部押し出され、しかも固いもので後頭部を打ち、俺はお約束通り、意識が飛んだ。
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