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第十章 女神の首
74. 宰相の嘘 ☆
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廊下に出ると、純白の騎士装束を着たゼフェウス・アレクシウス・ロートバルが二人を待ち受けるように立っていた。
「これは、ゼフェウス殿」
「ヒースゲイル殿。貴兄らの重要な会議の場を乱してしまい、申し訳ない」
「いやなに。こちらも一大事ですからな」
ゼフェウスの傍らで、シリルも頭を下げていた。彼らから一緒に詫びられたことで粗方の事情を察したヒースゲイルは、今閉めた扉の向こうを憚るように声をひそめた。
「それより、貴殿らがこうして共にいるということは、ロートバル家はおろか神殿も閣下のご様子について正確なことは把握出来ていないということですな?」
「恥ずかしながら、仰る通りです」
ゼフェウスは肯定した。三人は一旦、護衛師団本部庁舎の同じ階にあるヒースゲイルの執務室に向かった。
応接用の長椅子にシリルとゼフェウスが並んで腰かける。とりあえずお茶を勧めてみたが、二人は断った。下手に気を緩ませたくないのだろうと思い、ヒースゲイルもそのまま彼らの向かい側に腰を下ろす。
「昨日はレンドリスにいらっしゃる宰相閣下から、魔導通信でシリルのことを頼まれていました。そのご指示通りにシリルを王宮から屋敷まで送り届け、そのまま俺も泊まったのです」
「なるほど。留守居を頼まれたわけですな」
ジオルグが最近、過剰なほどシリルの周りに護衛をつけていることは知っていたが、敢えてそうとは口にはしなかった。
「はい。閣下は今日の朝にはお戻りになる予定でした。不測の事態に遭われたとはいえ、ご無事ならばご自分で我々や神殿に直接連絡をよこさないのはどう考えても不自然なのです」
「では、宰相府に行っても無駄だということか……」
顎を擦りながら、ヒースゲイルは呟く。
「はい。私もさっき副宰相のメルヴィルに詰め寄ってみましたが、宰相閣下はご無事なのであまり心配なさらぬように、の一点張りですよ。シリルのサークレットの石を見せてみても、おや少し魔力が不足なさっているのかもしれませんねぇ、と。そうとぼけられて仕舞いです」
「……見たところ、少しどころの不足では済まないようだが」
改めてシリルのサークレットを見て、その色を検分する。いつもは深く美しい青色なのだが、今はどこからどう見ても漆黒だ。実は違う石だと言われても信じられるほどの変色ぶりだった。
「以前、シリルが倒れたときに閣下がお持ちになっている半分の石を見せてもらいましたが、そのときの色よりも、ずっと黒い。……シリルから、この術式を組み込んだのはヒースゲイル殿だと聞きましたが」
「ええ、そうです。同じ石を半分に分かち、それぞれ縁のある者同士が持ち合って、たとえどんなに離れた場所にいても相手の状態が互いにわかる。……この国では古くよりよく用いられている呪い石の類いですが、この私がロートバル閣下から頼まれてお作りした物には、かなり精緻な術式が編み込んであります。ですから、その正確さは保証いたしますよ」
今の説明をシリル本人に聞かせるのはいっそ酷だと思ったが、ヒースゲイルはあえて強い語調で言い切った。
「だが罅が入ったり割れたりはしていない。今のところ、閣下は生きてはおられる」
「……でも、あのときの俺以上にひどい状態なのは確かです」
これまでずっと黙っていたシリルが、ようやく口を開いた。不安で震えそうになる声を必死に律して言葉を紡いでいるようだ。
「だから俺は、宰相府の発表をそのまま信じることは出来ません。それから、セラザ辺境伯の屋敷に逗留しているということですが、今の状況下で彼は宰相閣下にとって本当に信用出来る方なのでしょうか?」
「セラザ辺境伯のラドモンドは、私の長年の友人だ。まあ、いわゆる腐れ縁とでもいおうか。見た目はあちらの方が遥かに若いが、かつてはともに王立学術院で学んだ仲なのだよ」
歳は六十半ばのヒースゲイルが淡々とそう言うと、前に座っている二人は揃って目を丸くした。
「……それは知らなかった」
シリルの声には何やら深い感慨が宿っている。
「だから十年前のあのときも、ヒースゲイルさんはセラザにいらしたんですね」
「そうだ。……まあ、あの男が理由もなくわかりきった嘘をつくとも思えないが、私から一度連絡を取ってみよう」
そう言って、ヒースゲイルは執務机にある魔導通信機に手を伸ばした。
いくつかの中継点を経てようやくセラザに繋がった魔導通信でも、結局同じ話を繰り返されただけだった。
ヒースゲイルもよく知っている先方の家令は、丁寧な言葉で主人と客分である宰相閣下の不在を告げ、それから宰相府からの発表を肯定してみせるのみで、それ以上のことは口にしようとしなかった。
いつものように気安い調子で礼を言って通信を切り、ヒースゲイルはため息をついた。
「ヒースゲイル殿?」
ゼフェウスが窺うように呼びかけてくる。
「やはり、宰相府の発表は真実ではないな」
「では……!」
「魔竜のようなモノに襲われたのかどうか。そこはまだなんとも言えないが、閣下がかなり弱っておられるのはその石の色からしても確かだろう。そして、嘘をついているのはおそらく宰相閣下ご自身だ。あとの者は、ただそのご意志の通りに動いている」
「そんな、何故……」
シリルが呆然と呟く。
「シリル、それはきっと君が、閣下の為に危険を冒してセラザに向かおうとしないようにだ」
「……ッ、だとしても! このままにはしておけません!」
ヒースゲイルに向かって、激したようにシリルが言った。
「ああ。君ならきっとそう思うだろう。そして行動しようとする。そうとわかっておられるから、閣下は嘘をついておられるのだ」
「そんな……、そんなことはどうだっていいです。だけど急がないと! ポーションなんていくら飲んでも間に合わないのに……」
「シリル、間に合わないとはどういう意味だ?」
思わずといったようにゼフェウスが割り込む。シリルは、今度はゼフェウスの顔を今にも泣きそうに潤む目で見据えた。
「だって、もしまた夜になって魔竜が現れたら? 今いる辺境伯の屋敷が本当に安全かどうかもわからない。今のジオルグの魔力量じゃ狙われて襲われても次は抵抗できない! ただでさえ、竜人種のあの人には竜種を害することはできないのに!」
「シリル、お前……」
なぜそれを、と言って、ゼフェウスは心底驚いたように榛色の目を瞠った。
ヒースゲイルも、思い出していた。
竜人種は、竜種の言葉を解し、その権能の一部を有している種族だという。故に如何なる理由があれど竜種を害することは出来ないのだと。もしも竜種に刃向かえば、その瞬間には呪われて死に至るのだと……。
「ふむ……。君の言い分にも一理あるな」
と、ヒースゲイルは目を閉じて何度か頷きながら言った。
「何せ、今君が言った通り、宰相閣下の身の安全を保証するに足る情報がほとんどないのが実情だ。それで心配するなという方が無理に決まっておる」
「……ですね。私もようやく腑に落ちました。いかにもあの方らしいやり口だが、しかしそれは完全に閣下の……いや、大叔父上の手落ちです」
と、ゼフェウスは片頬をゆがめて皮肉げに笑う。
「よし。じゃあ、何としても夜までに俺がお前をセラザに送り込んでやる」
「え? 夜までにって……そうなると転移装置ですか?」
自分で言っておきながら、セラザに向かう具体的な方法までは考えていなかったようだ。意外と激情型か、とゼフェウスは呆れたように指でピシッとシリルのこめかみのあたりを弾いた。
「……っ、痛!」
「それしか方法はないだろう? どのみち、陸路は日にちがかかる上、最近は軍事上の理由から入領者自体が制限されている。さらに今は、領民を外に避難させる事を優先しているだろうからな」
まあ、転移装置は数も少ない上に、そっちにもとっくに手は回されているだろうけどな、とゼフェウスは肩をすくめる。
「まずは正攻法で行って、それで無理なら抜け道を見つけてやるさ」
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