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第十章 女神の首

73. 自失 ☆

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 ──土曜の未明。
 陽が昇る直前に飛び込んできた一報が、王都ロームに激震をもたらした。

 パノン王国の魔導通信機の有効範囲は、個々の機械や魔石の性能にもよるが、王宮の魔導通信機の場合は最大距離にして約八0キロメートルから一00キロメートルといわれている。よって、遠方から受ける魔道通信は、あらかじめ決められているいくつかの中継点を経て、王都から一番近い中継点から王宮に伝達される。
 その一報の発信元は、セラザを管轄する王立第七騎士団本部。内容はセラザ領内にある小さな村や辺境警備隊の砦などの数箇所が、ほとんど一瞬のうちにというものだった。
 セラザの領民たちは夜の間中、地の底から響くような悍ましい咆哮を聞き、ついで夜空を衝くほどの爀い焔柱を見たり、凄まじい爆発音を聞いたりしていた。
 そして、夜空を悠々と滑空する巨大な生物の影を目撃した者も少なからずいるという。

 ──王宮内は、早朝から騒然としていた。
 宰相府と王太子の執務室との間には何度も魔導通信が飛び交い、それでも情報量が多い報告などは直接会って話した方が早いと、互いの政務を補佐する文官や侍従たちが書類を持ってひっきりなしに行き交う始末で、これでは埒が明かぬと最終的には王太子自らが宰相府まで出向いていき、その一室を自らの仮の執務室としたほどだった。

 決戦の日を五日も前にして、魔竜らしき存在が姿を現したことは、魔竜討伐戦に関わる全ての者たちを震撼させた。
 それも隣国との国境線上が最近とみに不穏なセラザの上空に発現したという報せで、当初はその直前に聖都・レンドリスから転移装置で単身セラザに入っていた宰相の身が非常に案じられていたのだが、つい先ほど宰相府からは、宰相は現在セラザ領主のラドモンド辺境伯爵の屋敷に逗留中であり、本人も無事であることを確認したとの発表がなされていた。
 曰く、ジオルグ・ジルヴァイン・ロートバル宰相閣下は幾日か現地に留まり、焼失した村々や砦を視察し、自ら陣頭に立って事実確認と原因究明、さらには不意の災禍に遭った領民の救済に尽力するという話だった。
 


 一番目朝六時の鐘が鳴り出す頃、緊急の招集を受けた王宮護衛師団員たちが、本部庁舎二階にある会議室に集まっていた。
 師団長と二名の副師団長、それに各隊を統べる隊長とで構成される護衛師団本部の幹部たち。そこにロルフ・ベルナーを始めとする数人の若い幹部候補たちも加えられていた。

「皆、朝早くからご苦労。じゃあ早速始めたいが……、んー、まだ一人足りないな?」

 椅子から立ち上がり、集まった顔ぶれを見回した護衛師団長ジストルード・ウィリク・コーゼルが、この緊急事態においてもどこか間の抜けたようなテンポで話し出したため、場の空気がわずかに緩む。

「これで揃っているような気がしますが……、もしや王太子殿下がいらっしゃるのですか?」

 今は空席になっている特別幹部席を見遣り、騎兵隊長の一人が発言する。

「いや、さすがに殿下はおいでにはならない。あと一人は……」

 副師団長のカイル・ユーディが言いかけた時、バンッと大きな音とともに会議室の扉が開いた。
 肩までの長さの黒髪を後ろで結い、瑠璃色の瞳に張り詰めた色を浮かべた細身の青年が入ってくる。

「え、ブライト?」

 若い幹部候補たちは、自分たちよりもさらに若輩のシリル・ブライトが何故ここに現れたのかと一様に訝しんだが、幹部たちは冷静かつ神妙な面持ちで彼を迎え入れた。
 先日のスタウゼン邸制圧の一件以来、魔法士としてはこの国一番といわれているヒースゲイルですら解くのが不可能な呪いをシリルが解いてみせたことで、護衛師団内ではその手腕がにわかに注目され始めていた。
 本来であれば今日にも発足する予定だった魔竜討伐作戦本部でのお披露目を前に、幹部らは月精ラエルと呼ばれる存在について副師団長の二人から一通りの講義を受けたところだったのだ。

「遅いぞ、シリル!」

 腰に手をあてたジスティが軽く叱りつける。しかし、シリルは彼のために空いている席にはつかず、俯きながら無言でジスティのところまでやってきた。

「シリル?」

 その様子にただならぬものを感じたのか、シリルのそばにカイルが歩み寄る。

「どうした、何があった?」
「……カイルさん」

 シリルは顔を上げた。え、とカイルが声をもらす。ジスティもぴくりと片眉を上げた。

「ヒースゲイル殿」

 護衛師団長に硬い声で呼ばれたもう一人の副師団長、魔法士隊長でもあるカルゼル・ディ・ヒースゲイルも、シリルの前にやってきた途端に表情を曇らせた。

「ヒースゲイルさん……」
「シリル、は昨夜からかな?」

 口調こそ穏やかだったが、目に厳しいものを湛えたヒースゲイルに問われ、シリルは青褪めた顔でこくりと肯いた。

「そうだと……思います。気づいたのは、夜明け時です。ロートバルの家令から閣下についての最初の報せを聞いたときでした」

 一体何事なのかと様子を見守っていた他の幹部たちも、ようやくに気がついた。
 シリルが装着している銀のサークレットについた極上品の青い魔法石が、今は異様なほど黒く濁っている……。
 ヒースゲイルが、シリルの肩をそっと抱いて促しながら言った。

「コーゼル師団長、私とシリルは今から宰相府に行ってまいります」
「承知した。ヒースゲイル殿、シリルを頼みます」
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