78 / 117
第十章 女神の首
73. 自失 ☆
しおりを挟む──土曜の未明。
陽が昇る直前に飛び込んできた一報が、王都ロームに激震をもたらした。
パノン王国の魔導通信機の有効範囲は、個々の機械や魔石の性能にもよるが、王宮の魔導通信機の場合は最大距離にして約八0キロメートルから一00キロメートルといわれている。よって、遠方から受ける魔道通信は、あらかじめ決められているいくつかの中継点を経て、王都から一番近い中継点から王宮に伝達される。
その一報の発信元は、セラザを管轄する王立第七騎士団本部。内容はセラザ領内にある小さな村や辺境警備隊の砦などの数箇所が、ほとんど一瞬のうちに焼失したというものだった。
セラザの領民たちは夜の間中、地の底から響くような悍ましい咆哮を聞き、ついで夜空を衝くほどの爀い焔柱を見たり、凄まじい爆発音を聞いたりしていた。
そして、夜空を悠々と滑空する巨大な生物の影を目撃した者も少なからずいるという。
──王宮内は、早朝から騒然としていた。
宰相府と王太子の執務室との間には何度も魔導通信が飛び交い、それでも情報量が多い報告などは直接会って話した方が早いと、互いの政務を補佐する文官や侍従たちが書類を持ってひっきりなしに行き交う始末で、これでは埒が明かぬと最終的には王太子自らが宰相府まで出向いていき、その一室を自らの仮の執務室としたほどだった。
決戦の日を五日も前にして、魔竜らしき存在が姿を現したことは、魔竜討伐戦に関わる全ての者たちを震撼させた。
それも隣国との国境線上が最近とみに不穏なセラザの上空に発現したという報せで、当初はその直前に聖都・レンドリスから転移装置で単身セラザに入っていた宰相の身が非常に案じられていたのだが、つい先ほど宰相府からは、宰相は現在セラザ領主のラドモンド辺境伯爵の屋敷に逗留中であり、本人も無事であることを確認したとの発表がなされていた。
曰く、ジオルグ・ジルヴァイン・ロートバル宰相閣下は幾日か現地に留まり、焼失した村々や砦を視察し、自ら陣頭に立って事実確認と原因究明、さらには不意の災禍に遭った領民の救済に尽力するという話だった。
一番目の鐘が鳴り出す頃、緊急の招集を受けた王宮護衛師団員たちが、本部庁舎二階にある会議室に集まっていた。
師団長と二名の副師団長、それに各隊を統べる隊長とで構成される護衛師団本部の幹部たち。そこにロルフ・ベルナーを始めとする数人の若い幹部候補たちも加えられていた。
「皆、朝早くからご苦労。じゃあ早速始めたいが……、んー、まだ一人足りないな?」
椅子から立ち上がり、集まった顔ぶれを見回した護衛師団長ジストルード・ウィリク・コーゼルが、この緊急事態においてもどこか間の抜けたようなテンポで話し出したため、場の空気がわずかに緩む。
「これで揃っているような気がしますが……、もしや王太子殿下がいらっしゃるのですか?」
今は空席になっている特別幹部席を見遣り、騎兵隊長の一人が発言する。
「いや、さすがに殿下はおいでにはならない。あと一人は……」
副師団長のカイル・ユーディが言いかけた時、バンッと大きな音とともに会議室の扉が開いた。
肩までの長さの黒髪を後ろで結い、瑠璃色の瞳に張り詰めた色を浮かべた細身の青年が入ってくる。
「え、ブライト?」
若い幹部候補たちは、自分たちよりもさらに若輩のシリル・ブライトが何故ここに現れたのかと一様に訝しんだが、幹部たちは冷静かつ神妙な面持ちで彼を迎え入れた。
先日のスタウゼン邸制圧の一件以来、魔法士としてはこの国一番といわれているヒースゲイルですら解くのが不可能な呪いをシリルが解いてみせたことで、護衛師団内ではその手腕が俄に注目され始めていた。
本来であれば今日にも発足する予定だった魔竜討伐作戦本部でのお披露目を前に、幹部らは月精と呼ばれる存在について副師団長の二人から一通りの講義を受けたところだったのだ。
「遅いぞ、シリル!」
腰に手をあてたジスティが軽く叱りつける。しかし、シリルは彼のために空いている席にはつかず、俯きながら無言でジスティのところまでやってきた。
「シリル?」
その様子にただならぬものを感じたのか、シリルのそばにカイルが歩み寄る。
「どうした、何があった?」
「……カイルさん」
シリルは顔を上げた。え、とカイルが声をもらす。ジスティもぴくりと片眉を上げた。
「ヒースゲイル殿」
護衛師団長に硬い声で呼ばれたもう一人の副師団長、魔法士隊長でもあるカルゼル・ディ・ヒースゲイルも、シリルの前にやってきた途端に表情を曇らせた。
「ヒースゲイルさん……」
「シリル、それは昨夜からかな?」
口調こそ穏やかだったが、目に厳しいものを湛えたヒースゲイルに問われ、シリルは青褪めた顔でこくりと肯いた。
「そうだと……思います。気づいたのは、夜明け時です。ロートバルの家令から閣下についての最初の報せを聞いたときでした」
一体何事なのかと様子を見守っていた他の幹部たちも、ようやくそれに気がついた。
シリルが装着している銀のサークレットについた極上品の青い魔法石が、今は異様なほど黒く濁っている……。
ヒースゲイルが、シリルの肩をそっと抱いて促しながら言った。
「コーゼル師団長、私とシリルは今から宰相府に行ってまいります」
「承知した。ヒースゲイル殿、シリルを頼みます」
47
お気に入りに追加
475
あなたにおすすめの小説
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】だから俺は主人公じゃない!
美兎
BL
ある日通り魔に殺された岬りおが、次に目を覚ましたら別の世界の人間になっていた。
しかもそれは腐男子な自分が好きなキャラクターがいるゲームの世界!?
でも自分は名前も聞いた事もないモブキャラ。
そんなモブな自分に話しかけてきてくれた相手とは……。
主人公がいるはずなのに、攻略対象がことごとく自分に言い寄ってきて大混乱!
だから、…俺は主人公じゃないんだってば!
【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る
112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。
★本編で出てこない世界観
男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
*
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
▼毎日18時投稿予定
【完結】お花畑ヒロインの義母でした〜連座はご勘弁!可愛い息子を連れて逃亡します〜
himahima
恋愛
夫が少女を連れ帰ってきた日、ここは前世で読んだweb小説の世界で、私はざまぁされるお花畑ヒロインの義母に転生したと気付く。
えっ?!遅くない!!せめてくそ旦那と結婚する10年前に思い出したかった…。
ざまぁされて取り潰される男爵家の泥舟に一緒に乗る気はありませんわ!
★恋愛ランキング入りしました!
読んでくれた皆様ありがとうございます。
連載希望のコメントをいただきましたので、
連載に向け準備中です。
*他サイトでも公開中
日間総合ランキング2位に入りました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる