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第十章 女神の首

75. セラザへの道

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    * * *


 ──俺にも、転移魔法が使えたらいいのに。

 あの休暇の日。ジオルグは、ロームの市街地で倒れた俺の異変に気づくと、すぐにヒースゲイルを連れて転移魔法で助けに来てくれた。俺が魔力切れを起こしたこと、そしてどうしてその位置までもがわかったのか。これまでジオルグは『君自身にもわからないようにいくつか護身の術式をかけてある』などと何故か曖昧にしか話してくれなかったのだが、それがサークレットの石にかけてあったとは。
 今回のことで石の色が変わり、その意味をクリスチャードやゼフェウスに教えてもらうまで、単に魔力が切れそうなとき、魔力を少しだけ補給してくれるアイテムだとばかり思っていた俺は、吃驚したのと同時にショックを受けていた。

 ──どうして、話してくれなかったんだろう?

 そう口にするとゼフェウスは、それはそうだろうな、と訳知り顔で呟いた。一体どういう意味なんだろう。だけどそのときは、いちいち聞き返す余裕もないほどジオルグのことが心配で、頭も気持ちも乱れていた。
 もしも転移魔法が使えたところで、ロームからセラザまでの距離を飛べる者はいない。例えば国の端から端までの長距離を転移できるような魔法士は千年に一人いるかどうかのレベルだそうだ。
 当然ジオルグの転移魔法にも距離的な制限があるのだが、その具体的な距離をジオルグは公表していない。強い魔法の使い手ほどその強味がかえって弱味にもなりうるため、使い手側は意図的に情報を秘匿するのだという。

 転移装置は、魔法士が使う隠語では『扉』と言われることもある。
 ゼフェウスによれば、王宮もしくは王都側の扉にも今は制限が課せられている。だがセラザ側の扉は、宰相の権限によって現在は全て完全に封鎖されてしまっているだろうということだった。
 それは、こちらから飛べないだけではない。セラザからも強大な魔法の使い手が勝手に余所に転移することがないよう、領内への封じ込めを行なっているのだ。宰相府が直接的に管理、または認可している扉には教会やギルドが所有しているものも多く含まれているため、この策はまあまあ有効かつ妥当といったところだろうか。それで魔竜の手先たちの移動を妨げることが出来ているのかどうかはわからないが。
 ゼフェウスがセラザへと飛べる転移装置を見つけに行ってくれている間、俺はヒースゲイルの執務室で休ませてもらっていた。もしも今日中にセラザに行けたとして、向こうが今はどんな状況にあるのかわからないため、とりあえず先に出来るだけ心身を休めておくようにと言い含められている。自分自身でも万全でないことはわかっているのだが、そんなに憔悴しているように見えるのだろうか。
 一方、多忙なヒースゲイルは机の前でじっとしていることがなかった。何度も所用で部屋を出入りしたあと、スタウゼン家の双子を往診するため、さっき彼等が療養している王宮の居館へと出かけて行った。きっとそこには、ヒューやその他の騎士たちに付き添われたアイリーネもいるのだろう。
 王宮護衛師団は、すでに総動員で厳戒態勢に入っている。呼び出されていたにもかかわらず、朝の会議にもまともに出席できなかった俺にはその詳細を知る由もないが、せめていつものようにアイリーネの側につくぐらいのことは出来ていなければならないのに、などと思えば今更ながら少し情けない気持ちにもなった。
 いや、だけど……。
 俺自身は、この世界の月精であるという前に、やはり【】であるという意識の方が強い。『セイント・オブ・ドラゴン ~竜と魔法の王国~』の世界に、一プレイヤーだったはずの自分が何故、裏切りの騎士として転生したのか。その目的意味は、もはや今の俺自身の願望のぞみそのものであるとも思っている。
 すなわち。
 シリルを、絶対に魔竜の手先にしないこと。
 シリルに、この魔法の王国を滅ぼさせないこと。
 そして、黒衣の冷徹宰相、ジオルグ・ジルヴァイン・ロートバルを魔竜に殺させないこと。
 はじめはあんなに気になっていた月精についての謎も、俺の中ではもうほとんど解けかけている。
 月精の真の役割についても、もう見当がついていた。
 ……最後のパズルの一ピースは、やはり【八回目】のこと。

『月精を殺めたのは竜人種。それも、竜を祀る祭壇リグナ・マーシャの祭司なのよ』

 メリジェンヌがセオデリクを介して告げてきたあの言葉こそ、として目覚めてしまったシリル・ブライトの運命を決定づける真実を指し示している。

 ──そのときが、もう迫っている。

 きっと、その答えは向こうからやってくると、何故か俺にはそんな確信があった。



 正午を迎える頃になって、ゼフェウスが宰相府からある人物を連れて戻ってきた。
 その名はタイス・オットー。宰相の優秀な書記官の一人であり、俺にとっても顔なじみの役人だ。丸い顔に実直そうな丸い目、鼻は団子鼻で、その上に丸眼鏡が乗っかっている。背丈は中背で、体つきもややふっくらとしている男だった。

「タイスさん? なんでここに?」

 ヒースゲイルはまだ帰ってきていなかった。長椅子に座っていた俺が驚いて立ち上がると、いやいやそのままで結構です、とタイスは再び俺の腰を下ろさせた。
 そして自分は立ったまま、タイスは指で丸眼鏡を押し上げつつ、せかせかとした事務的な口調で唐突に言った。

「えー、今朝方、宰相府から発した宰相閣下に関する情報を修正いたします」
「え?」
「……閣下のお身内が、何が何でも今日中に転移装置でセラザに向かおうとしている、という不穏な話を耳にいたしましてね」
「不穏」
「しかも、現状では現地側の扉は全て閉鎖されているにも関わらず、それが無理ならばとが軍務局にまで直接かけ合おうとする始末でして」
「軍務局」

 俺はちらりとゼフェウスを見る。

「いや何、俺が宰相府でものすごーく困っていたら、通りすがりのコーゼル団長が耳打ちしてくれたんだ。今、王立が物資を転送するために使用している軍事用の転移装置なら、セラザ近郊にあるガレートの扉までは飛べるとな。なんなら父親の軍務卿にかけあおうかとまで言ってくれたんだぞ」

 誰かさんことゼフェウスが、横合いからしれっとした顔つきで補足をしてくれる。軍事用の転移装置、なるほどその手があったか。如何にジオルグでも、その扉までは閉ざすことが出来ない。
 ゼフェウスの説明によると、最近になって西方にあるガレートの砦には大型の転移装置が導入されたのだという。このところジスティは、宰相直々の命令を受けて定期的に王立騎士団との交換視察を装い、各地の砦へと扉の敷設部隊を密かに護送していたらしい。

「昨今の軍務卿は、格別にシリル殿を贔屓になさっていると聞き及んでおります。直接かけあう前になんとしても阻止しろとからきつくきつく、厳命されておりますので、ええ」
「あの、ある御方って」
「……言わねばわかりませんか?」
「別に言っても問題ないだろうに」

 言わずもがなだろ? とまたゼフェウスが茶々を入れるが、よほどしつこく『扉』の件を追及されていたのか、タイスは腹に据えかねたようにゼフェウスに向かってフンと鼻を鳴らしてみせた。温厚な性格の彼にしては珍しい態度だ。それだけ彼も、朝から忙殺されているのだろう。
 でもまあ、それで合点がいった。贔屓にされているかどうかはさておき、確かに俺は一昨日、軍務卿のロイフォード・ウィリク・コーゼルと、短い時間ながら彼の息子であるジスティの手引きで非公式に面会していたのだった。
 何がどうハマったのか、軍務卿は俺の事をどうやら気に入ってくれたらしい。つまり、俺が本気で頼みこめば軍務局が動いてくれる可能性があって、それをジオルグは良しとしなかったのだろう。

「……前置きが長くなりましたが、宰相閣下について、あなた方にだけは端的にですが事実を申し上げます。どうか他言は無用に」
「はい」

 話が最初に戻った。俺は居住まいを正してまっすぐにタイスを見る。

「昨夜、ロートバル宰相閣下は辺境警備隊の砦にいらしたところを、正体不明のによって襲撃されました。魔竜なのか、それとも亜竜種なのかは今のところ判明しておりません。すでにご承知のことでしょうが、現在閣下の魔力量は著しく低下しております。しかし怪我などはなさっておらず、お命に別状はないということですので、どうかご安心を」
「では、なぜあんな虚偽の発表を? 混乱を避けるためだというのはわかるが、事実がわかってしまうシリルにまで嘘をつく必要があったか?」

 ゼフェウスがまだ不服そうにタイスに問う。
 いや、彼が本当に責めている相手はジオルグだ。何を水臭い真似を、という怒りだろうか。それは身内に対して向けられる優しい憤りだった。

「さあ。私どもでは何ともお答えいたしかねます。閣下に仰りたいことがおありでしたら、明日直接申し上げてください」
「「え?」」

 俺とゼフェウスの声が綺麗にハモる。そして、同時に顔を見合わせた。

「明日の正午、セラザより迎えを寄越すと宰相閣下が仰せです。それまでは、くれぐれも大人しく待っているようにと。そう閣下より伝言を承っております」

 俺の目をじっと見つめながら、「よろしいですね?」とタイスは強い口調でさらに詰め寄ってきた。

「はい」

 ……その念押しも、もしかしてジオルグの指示だったりするのだろうか。
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