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本日いよいよオリエンテーリング開催日です
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見上げれば、朝から文句のつけようもないほどの晴天だった。
風も爽やかですっきりとした清々しい空気。
バスケットにサンドイッチ詰めてピクニックにでも繰り出したくなる陽気だなあ。
さて。というわけでやってまいりました、本日いよいよオリエンテーリング開催日です。
運動着に着替えた一学年全員がぞろぞろと学園裏にある森の入り口に集合する。
予め決められていたチームの指定場所へ行くと、すでに他クラスからひとりずつ、五人が揃っていた。
チームは私を含め女性が三人、男性が三人の計六人。
……って、なんか全員に凝視されてるな……?
彼らの中から流れて来る何やら敵意のような不穏な空気、更に敵意はなくてもいかにも値踏みしてるなあ、という視線も飛んで来る。先日の近衛騎士クリスティアン様から受けたそれよりもずっと直裁な不躾さだ。あまりにもあからさまなので、わざとなのかもしれない。あの五人の中の誰なのかまではわからないけど。
よし。対策会議でジュディス様と話した時のように、表情の使い分けを意識していこう。彼らを信用出来るか否かまだ定かではないので微笑みながらも油断せず、だ。
意識して神経を身体に隅々まで行き渡らせ、胸の内で気合いを入れる。
「お待たせしてすみません。Sクラスのエメ・リヴィエールです。皆様、本日はよろしくお願いいたします」
真っ先に挨拶をして頭を下げたのだけど、どこか白々しい空気が流れる。うーん、これぞ敵地ってやつかな。
良いね、燃えてきた。
密かに闘志を燃やしていると、五人の中で最初に挨拶をしてくれたのは薄茶の髪と瞳をした痩身の令息だった。
「Aクラスのジスラン・ケンドリックだ。侯爵家嫡男。家名ではなく名前で呼んで貰えるだろうか。よろしく頼む」
物事に動じなさそうな堂々とした雰囲気がある。侯爵家で常に大勢の使用人に囲まれているだろうから指示や命令も慣れていそうだな。傍若無人な気配も感じないしリーダーは彼が適任かもしれない。
続いて渋々というふうに進み出て来たのは、黄色みの強い金髪の神経質そうな令嬢だ。
「Bクラスのシュゼット・ブラナー、男爵家です。ジスラン様が名前で呼べと仰るので私も名前で呼んでください。よろしくお願いします」
言葉遣いも態度もやや横柄な印象を受けるけど、眼球が忙しなく動いているな……精一杯虚勢を張っているだけで本来はかなりの小心者と見た。
次の挨拶も令嬢だった。濃茶の髪を三つ編みにしていて、小鼻にそばかすが散っている。こちらはシュゼット嬢のように横柄ではないけれど、見るからにどんよりと暗い雰囲気で卑屈そうに背を丸め、なにかずっと小声でぶつぶつ呟いている。
「……Cク……コリーナ・キャボット……す……。子爵……コ……と……呼び……さい……よ、よろし……ます……」
声小っっっっっさ!!
え、なんて? と耳に手を当てて聞き直したいくらい小さい。なんとかCクラスと名前とお家が子爵家なのは聞き取れたけど。
視線が合わないな……ずっと地面見てるし。 ……仕方ない、次行こ、次。
お、次はぽっちゃりめの令息だ。お肉に押し上げられて目が細く、実にふくふくしい。健康なら問題ない。
「Dクラスのヒューゴ・セルウィンだよ。えぇっと家は子爵家でぇ、ボクは嫡男さ。ボクも名前で呼んでねぇ、ヨロシク」
母音が“え”の時だけ語尾が妙に間延びするのはなぜだ。しかもヨロシク、の語尾に星が飛びそうなウィンク付きだったし。
いや、めちゃくちゃ癖が強いな。個人的には嫌いではないけどね。遠くから眺める分には。
しかし、はるか格上である侯爵家の令息を前に初っ端からタメ口とは……ヒューゴ君は大物か……? その豪胆さ……いや、無謀さに感心する。ちょっとセレッサ嬢に似た空気を感じるぞ。
最後の五人目はなんとも不思議な雰囲気の令息だ。茶髪茶眼のぼんやりとした顔つきにやけに薄い気配。今日を過ぎれば記憶にも残らないような、そんな印象の……って、この人……! 初めてセレッサ嬢を見かけた時に彼女の肩を抱いていた令息じゃないか? うん、やっぱり見間違いじゃない、耳の形が一致している。以前と微妙に印象が違う気がするけれど、人は他は変えられても目と耳の形は変わらないというからね。
「Eクラスのディディ・フラスト、男爵家です。ディディでもフラストでもどちらで呼んでくださっても構いません。よろしくお願いします」
アシュレイ様は彼をセレッサ嬢の取り巻きと言っていたけど……挨拶きちんとしてるなあ……ジスラン様以外の三人よりずっと。
だというのに、先に挨拶したヒューゴ君の癖の強さのせいで余計影が薄くなって……気の毒に……四人共ディディ様を見ていない。
大丈夫、私は見てるからね。強く生きていこう?
そんなこんなで挨拶と自己紹介を終えた私たちのチームは、よそよそしい雰囲気を残したまま実行委員による説明と注意事項を聞き、オリエンテーリングをスタートさせたのだった。
話し合えたか自信はないけれど、とりあえず誰も異を唱えなかったので侯爵家のジスラン様がチームリーダーになってくれた。
「私たちのチームは南から反時計回りのルートになっているな。まずは南のチェックポイントへ向かうか」
ジスラン様の指示に皆が頷き、森へ入って行く。途中、ニコルのチームとすれ違ったのでお互い頑張ろう、と笑って手を振っておいた。ニコルがいるからにはきっとほんわか癒されてみんな仲良くなれるだろうなあ。
うん、私も頑張ろう。それなりに。
それにしても、学園裏にある森だからかよく手入れがされているな、と思う。リヴィエール領の数ある森の中には経験者でもよほどでなければまず間違いなく遭難するところもあるからね。
そういう意味では超初心者向きと言えそうだ。
あ、でも南側は下生えが茂って迷いやすいとセヴラン様が言っていたから、手入れは学園に近い範囲でなのかもしれない。
下生えはよく刈られているし、枝もきちんと伐採されているから樹々の枝葉の間から陽の光が適度に降り注いでいて見通しも良い。
人が歩きやすいように地面も均されていて、ある意味学生向けに至れり尽くせりだ。お膳立てされた行事だな、これは。
森とはいえ道らしいものもあるし、手入れもされていて、まさに至れり尽くせりだな(二度目)と密かに苦笑する。
まあ何せ貴族の令息令嬢相手だから、万が一事故が起きたら大変だものなあ。特に王族や高位貴族の子息や娘が怪我でもすれば責任問題がえらいことに……。行く先々の道の端で先生たちが緊張の面持ちで立っている(見張っている)のも仕方がないよね。
……って、我が一学年Sクラス担任のバートランド・フランクリン先生よ……なにそんな「あークッソ眠ぃ……」とかぼやきながら堂々と欠伸してるんですか……。しかも正確には、「あー」じゃなくて「あ゛ー」なのよ。濁点て。飲みすぎた日の翌朝じゃないんさからさ……。
いやもう、前から他の先生方とは毛色が違うなと思ってたけど……大丈夫? 学園長に怒られない?
あ、目が合った。なんだろう、口が動いて……ん? 言うなよ、って……誰に? 学園長に? ていうかなんで私?
ほんとテキトーだなあ。数学の授業はわかりやすくて楽しいけどね。
あーほら、先生のそばを行き交う令嬢たちがみんなキャーキャー言ってるし。
だけど、それに対し「うるせえよ」と面倒くさそうに返す先生。 ……清々しいほどガキには興味ねえんだわって顔してますなあ。その辺は徹底していて信頼できる大人という感じで大変良い。
でもなんだろうなあ……先生って、クソ眠いとか言ったりして口が悪い割に所作は驚くほど洗練されてるし、教師にしては身体バキバキに鍛えてるし、大人の色気ダダ漏れで顔は良すぎるしで、身分の低い者に命じられるのを嫌うタイプの矜持が山のように高い上位貴族の令嬢令息でも不思議と先生の言うことには従うというか、有無を言わせず従わせてしまう雰囲気を持ってるんだよね。しかも嫌々じゃなく喜んで言う事きくんだよなあ、これが。
アシュレイ様もそういうところあるけど、口は悪くないし全体的に雰囲気が穏やかで柔らかい。あとひたすら優しい。
先生はなんだろう……うーん……ざっくばらんで泰然としていて、口は悪いけど人当たりが良いから近づきやすい。だけど一瞬でも油断すれば喉を食い破られそうな鋭さ、あるいは厳しさも感じるんだよなあ。
大抵の人はそこに気づかず気をゆるゆるに緩めて近づいて行ってるけど。ああほら、ちょっと目を離した隙に幾つかのチームに囲まれちゃってるよ。で、犬猫を追い払うみたいに「しっしっ」って鬱陶しそうに手で追い払ってる。貴族の令嬢令息相手にね……。近くにいる他の先生方がぎょっとして顔を青褪めさせてるよ?
なのにそんな邪険に扱われておいて、された子たちみんなキャッキャと喜んでるのなんなの……?
いや、なんていうか……一介の教師にしては恐ろしくカリスマ性が高すぎないか、この人……。先生を見るたび毎回思ってるけど、本当にこの人、教師なの……?
そんな先生を尻目に私たちのチームは最初のチェックポイントへ向かう。与えられたコンパスと地図を頼りに目的地へ向かうのだけど、進むに従って徐々に均された路と呼べるものは消失してゆき、生い茂る下生えを掻き分けたり踏み締めたりして進まないといけなくなっていった。
そうなると、黙々と歩くAクラスのジスラン様とEクラスのディディ様以外の三人が不平を漏らし始める。
「もう……なんなのかしら、こんなの道じゃないじゃない。足下は草と木の根で足を取られるし、土だらけで汚れちゃうわ。大体、どうしてこんな野蛮な事しないといけないのよ」
ここは森です、はじめの道こそが普通はないものですよシュゼット様。そして汚れるのは当たり前なのでそのための運動着でしょう? 汚れるのに慣れましょう。そして毎年恒例のイベントは学園主催なのできちんと目的があっての事ですよ。安全のためもあるけど、なぜ各所に先生方が配置されているか考えよう?
「うう……歩きにくい……ああ……ふらふらしてきた……もう歩けない……もう倒れる……もう嫌……もう帰りたい……」
今度は真後ろにいたから聞き取れたけど……コリーナ様って虚弱体質なのかな……と心配したのは一瞬、ちら、と振り返って盗み見れば、どう見てもふらふらしていないししっかり地面を踏み締めてらっしゃる。ヒューゴ君ほどではないけどややぽっちゃりさんだからしっかり食事も摂れているだろうし。
おそらく気持ちの問題みたいだから、辛いと思うけど出来ればもう少し頑張ってほしいな。どうしても無理ならいつでもそこら辺にいる先生に言うからね。
「ねえぇ、ねえぇ、まだチェックポイントに着かないの? ボク、もう飽きちゃったよ。お腹も空いたし休もうよ」
ヒューゴ君よ、まだ歩き始めて一時間も経っていないぞ。飽きるのはまだ早い。まだひとつ目のチェックポイントにすら辿り着いていないうえに、チェックポイントは全部で四つあるんだよ。頑張れヒューゴ君。お腹が空いたらそのはち切れそうなポケットの中の飴ちゃん食べると良いよ……って、もう食べてた。なんかガリゴリ噛み砕いてる音がする。丈夫な顎と歯で何よりだ。
ぶつくさ言ってる三人に比べてさすがリーダーのジスラン様は……我関せず。と顔に書いてますね。着いて来られない奴は知らん、とでも言いたげに不平発言一切無視。それに心なしか三人を見る目が冷ややかな気もする……。 ……ドライだこの人。スーパードライ。
お、置いてかれないよう気をつけよ……。
なんて思ったそばから、
「……っ、う、わっ」
どんどん歩き難くなってきた地面、ボコッと飛び出た木の根っこに足を取られてつんのめる。
あ、これは倒れるな。と諦めと共に目を閉じた。 ――と、その時。
咄嗟に伸びた力強い腕に抱きとめられたと思ったら、瞬く間にひょい、と地面に降ろされた。早すぎてなにが起きたのかわからないくらいだった。
「え……あれ……?」
ぱちぱち瞬いて茫然と視線で腕の主を辿れば、助けてくれたのはEクラスのディディ様だった。
「足下をよく見て……」
ぼそっと呟いてさっさと背を向ける。 ……なんというスマートさか。若干あっさりしすぎでは、とも思うけど、私はむしろ好感度が上がった。少なくとも、男性に触れられると身体が硬直してしまう私にとってはその暇も与えないディディ様みたいなスマートさがありがたかった。
うーん私もあんなふうに出来たら良いなあ。ちょっと憧れる。
ともかく、私は慌てて彼の背中に向けて礼を言った。
「ありがとうございます、ディディ様……!」
振り返ってはくれなかったけど、ちらりと目線だけ寄越して、ふ、とごく僅か口角が上がった。 ……おお。なんだカッコいいなこの人。しぐさがやたらキマッているぞ。
なのに恐ろしく気配が薄くて外見ぼんやり……なんというか……違和感が凄い。
しかし、それにしても。私って本当に鈍臭いんだな……。ぶうぶう文句垂れてる三人だって騒がしいだけで行動面で迷惑をかけているわけじゃないし。もしディディ様に抱きとめられていなかったら確実に地面に転倒していただろうし、打ちどころによっては怪我をして棄権の可能性だってあった。この中で今一番足手まといで迷惑をかけているのは間違いなく私だ……情けない……。
しょんぼり肩を落としかけたけど、アシュレイ様の顔や今日という日の目的を思い出してなんとか気持ちを持ち直す。
そうだ。今は落ち込んでる暇なんてなかった。
むん、と心の中で気合を入れる。
なぜなら。
今日こそ決着を着けるのに絶好の機会はないのだから。
風も爽やかですっきりとした清々しい空気。
バスケットにサンドイッチ詰めてピクニックにでも繰り出したくなる陽気だなあ。
さて。というわけでやってまいりました、本日いよいよオリエンテーリング開催日です。
運動着に着替えた一学年全員がぞろぞろと学園裏にある森の入り口に集合する。
予め決められていたチームの指定場所へ行くと、すでに他クラスからひとりずつ、五人が揃っていた。
チームは私を含め女性が三人、男性が三人の計六人。
……って、なんか全員に凝視されてるな……?
彼らの中から流れて来る何やら敵意のような不穏な空気、更に敵意はなくてもいかにも値踏みしてるなあ、という視線も飛んで来る。先日の近衛騎士クリスティアン様から受けたそれよりもずっと直裁な不躾さだ。あまりにもあからさまなので、わざとなのかもしれない。あの五人の中の誰なのかまではわからないけど。
よし。対策会議でジュディス様と話した時のように、表情の使い分けを意識していこう。彼らを信用出来るか否かまだ定かではないので微笑みながらも油断せず、だ。
意識して神経を身体に隅々まで行き渡らせ、胸の内で気合いを入れる。
「お待たせしてすみません。Sクラスのエメ・リヴィエールです。皆様、本日はよろしくお願いいたします」
真っ先に挨拶をして頭を下げたのだけど、どこか白々しい空気が流れる。うーん、これぞ敵地ってやつかな。
良いね、燃えてきた。
密かに闘志を燃やしていると、五人の中で最初に挨拶をしてくれたのは薄茶の髪と瞳をした痩身の令息だった。
「Aクラスのジスラン・ケンドリックだ。侯爵家嫡男。家名ではなく名前で呼んで貰えるだろうか。よろしく頼む」
物事に動じなさそうな堂々とした雰囲気がある。侯爵家で常に大勢の使用人に囲まれているだろうから指示や命令も慣れていそうだな。傍若無人な気配も感じないしリーダーは彼が適任かもしれない。
続いて渋々というふうに進み出て来たのは、黄色みの強い金髪の神経質そうな令嬢だ。
「Bクラスのシュゼット・ブラナー、男爵家です。ジスラン様が名前で呼べと仰るので私も名前で呼んでください。よろしくお願いします」
言葉遣いも態度もやや横柄な印象を受けるけど、眼球が忙しなく動いているな……精一杯虚勢を張っているだけで本来はかなりの小心者と見た。
次の挨拶も令嬢だった。濃茶の髪を三つ編みにしていて、小鼻にそばかすが散っている。こちらはシュゼット嬢のように横柄ではないけれど、見るからにどんよりと暗い雰囲気で卑屈そうに背を丸め、なにかずっと小声でぶつぶつ呟いている。
「……Cク……コリーナ・キャボット……す……。子爵……コ……と……呼び……さい……よ、よろし……ます……」
声小っっっっっさ!!
え、なんて? と耳に手を当てて聞き直したいくらい小さい。なんとかCクラスと名前とお家が子爵家なのは聞き取れたけど。
視線が合わないな……ずっと地面見てるし。 ……仕方ない、次行こ、次。
お、次はぽっちゃりめの令息だ。お肉に押し上げられて目が細く、実にふくふくしい。健康なら問題ない。
「Dクラスのヒューゴ・セルウィンだよ。えぇっと家は子爵家でぇ、ボクは嫡男さ。ボクも名前で呼んでねぇ、ヨロシク」
母音が“え”の時だけ語尾が妙に間延びするのはなぜだ。しかもヨロシク、の語尾に星が飛びそうなウィンク付きだったし。
いや、めちゃくちゃ癖が強いな。個人的には嫌いではないけどね。遠くから眺める分には。
しかし、はるか格上である侯爵家の令息を前に初っ端からタメ口とは……ヒューゴ君は大物か……? その豪胆さ……いや、無謀さに感心する。ちょっとセレッサ嬢に似た空気を感じるぞ。
最後の五人目はなんとも不思議な雰囲気の令息だ。茶髪茶眼のぼんやりとした顔つきにやけに薄い気配。今日を過ぎれば記憶にも残らないような、そんな印象の……って、この人……! 初めてセレッサ嬢を見かけた時に彼女の肩を抱いていた令息じゃないか? うん、やっぱり見間違いじゃない、耳の形が一致している。以前と微妙に印象が違う気がするけれど、人は他は変えられても目と耳の形は変わらないというからね。
「Eクラスのディディ・フラスト、男爵家です。ディディでもフラストでもどちらで呼んでくださっても構いません。よろしくお願いします」
アシュレイ様は彼をセレッサ嬢の取り巻きと言っていたけど……挨拶きちんとしてるなあ……ジスラン様以外の三人よりずっと。
だというのに、先に挨拶したヒューゴ君の癖の強さのせいで余計影が薄くなって……気の毒に……四人共ディディ様を見ていない。
大丈夫、私は見てるからね。強く生きていこう?
そんなこんなで挨拶と自己紹介を終えた私たちのチームは、よそよそしい雰囲気を残したまま実行委員による説明と注意事項を聞き、オリエンテーリングをスタートさせたのだった。
話し合えたか自信はないけれど、とりあえず誰も異を唱えなかったので侯爵家のジスラン様がチームリーダーになってくれた。
「私たちのチームは南から反時計回りのルートになっているな。まずは南のチェックポイントへ向かうか」
ジスラン様の指示に皆が頷き、森へ入って行く。途中、ニコルのチームとすれ違ったのでお互い頑張ろう、と笑って手を振っておいた。ニコルがいるからにはきっとほんわか癒されてみんな仲良くなれるだろうなあ。
うん、私も頑張ろう。それなりに。
それにしても、学園裏にある森だからかよく手入れがされているな、と思う。リヴィエール領の数ある森の中には経験者でもよほどでなければまず間違いなく遭難するところもあるからね。
そういう意味では超初心者向きと言えそうだ。
あ、でも南側は下生えが茂って迷いやすいとセヴラン様が言っていたから、手入れは学園に近い範囲でなのかもしれない。
下生えはよく刈られているし、枝もきちんと伐採されているから樹々の枝葉の間から陽の光が適度に降り注いでいて見通しも良い。
人が歩きやすいように地面も均されていて、ある意味学生向けに至れり尽くせりだ。お膳立てされた行事だな、これは。
森とはいえ道らしいものもあるし、手入れもされていて、まさに至れり尽くせりだな(二度目)と密かに苦笑する。
まあ何せ貴族の令息令嬢相手だから、万が一事故が起きたら大変だものなあ。特に王族や高位貴族の子息や娘が怪我でもすれば責任問題がえらいことに……。行く先々の道の端で先生たちが緊張の面持ちで立っている(見張っている)のも仕方がないよね。
……って、我が一学年Sクラス担任のバートランド・フランクリン先生よ……なにそんな「あークッソ眠ぃ……」とかぼやきながら堂々と欠伸してるんですか……。しかも正確には、「あー」じゃなくて「あ゛ー」なのよ。濁点て。飲みすぎた日の翌朝じゃないんさからさ……。
いやもう、前から他の先生方とは毛色が違うなと思ってたけど……大丈夫? 学園長に怒られない?
あ、目が合った。なんだろう、口が動いて……ん? 言うなよ、って……誰に? 学園長に? ていうかなんで私?
ほんとテキトーだなあ。数学の授業はわかりやすくて楽しいけどね。
あーほら、先生のそばを行き交う令嬢たちがみんなキャーキャー言ってるし。
だけど、それに対し「うるせえよ」と面倒くさそうに返す先生。 ……清々しいほどガキには興味ねえんだわって顔してますなあ。その辺は徹底していて信頼できる大人という感じで大変良い。
でもなんだろうなあ……先生って、クソ眠いとか言ったりして口が悪い割に所作は驚くほど洗練されてるし、教師にしては身体バキバキに鍛えてるし、大人の色気ダダ漏れで顔は良すぎるしで、身分の低い者に命じられるのを嫌うタイプの矜持が山のように高い上位貴族の令嬢令息でも不思議と先生の言うことには従うというか、有無を言わせず従わせてしまう雰囲気を持ってるんだよね。しかも嫌々じゃなく喜んで言う事きくんだよなあ、これが。
アシュレイ様もそういうところあるけど、口は悪くないし全体的に雰囲気が穏やかで柔らかい。あとひたすら優しい。
先生はなんだろう……うーん……ざっくばらんで泰然としていて、口は悪いけど人当たりが良いから近づきやすい。だけど一瞬でも油断すれば喉を食い破られそうな鋭さ、あるいは厳しさも感じるんだよなあ。
大抵の人はそこに気づかず気をゆるゆるに緩めて近づいて行ってるけど。ああほら、ちょっと目を離した隙に幾つかのチームに囲まれちゃってるよ。で、犬猫を追い払うみたいに「しっしっ」って鬱陶しそうに手で追い払ってる。貴族の令嬢令息相手にね……。近くにいる他の先生方がぎょっとして顔を青褪めさせてるよ?
なのにそんな邪険に扱われておいて、された子たちみんなキャッキャと喜んでるのなんなの……?
いや、なんていうか……一介の教師にしては恐ろしくカリスマ性が高すぎないか、この人……。先生を見るたび毎回思ってるけど、本当にこの人、教師なの……?
そんな先生を尻目に私たちのチームは最初のチェックポイントへ向かう。与えられたコンパスと地図を頼りに目的地へ向かうのだけど、進むに従って徐々に均された路と呼べるものは消失してゆき、生い茂る下生えを掻き分けたり踏み締めたりして進まないといけなくなっていった。
そうなると、黙々と歩くAクラスのジスラン様とEクラスのディディ様以外の三人が不平を漏らし始める。
「もう……なんなのかしら、こんなの道じゃないじゃない。足下は草と木の根で足を取られるし、土だらけで汚れちゃうわ。大体、どうしてこんな野蛮な事しないといけないのよ」
ここは森です、はじめの道こそが普通はないものですよシュゼット様。そして汚れるのは当たり前なのでそのための運動着でしょう? 汚れるのに慣れましょう。そして毎年恒例のイベントは学園主催なのできちんと目的があっての事ですよ。安全のためもあるけど、なぜ各所に先生方が配置されているか考えよう?
「うう……歩きにくい……ああ……ふらふらしてきた……もう歩けない……もう倒れる……もう嫌……もう帰りたい……」
今度は真後ろにいたから聞き取れたけど……コリーナ様って虚弱体質なのかな……と心配したのは一瞬、ちら、と振り返って盗み見れば、どう見てもふらふらしていないししっかり地面を踏み締めてらっしゃる。ヒューゴ君ほどではないけどややぽっちゃりさんだからしっかり食事も摂れているだろうし。
おそらく気持ちの問題みたいだから、辛いと思うけど出来ればもう少し頑張ってほしいな。どうしても無理ならいつでもそこら辺にいる先生に言うからね。
「ねえぇ、ねえぇ、まだチェックポイントに着かないの? ボク、もう飽きちゃったよ。お腹も空いたし休もうよ」
ヒューゴ君よ、まだ歩き始めて一時間も経っていないぞ。飽きるのはまだ早い。まだひとつ目のチェックポイントにすら辿り着いていないうえに、チェックポイントは全部で四つあるんだよ。頑張れヒューゴ君。お腹が空いたらそのはち切れそうなポケットの中の飴ちゃん食べると良いよ……って、もう食べてた。なんかガリゴリ噛み砕いてる音がする。丈夫な顎と歯で何よりだ。
ぶつくさ言ってる三人に比べてさすがリーダーのジスラン様は……我関せず。と顔に書いてますね。着いて来られない奴は知らん、とでも言いたげに不平発言一切無視。それに心なしか三人を見る目が冷ややかな気もする……。 ……ドライだこの人。スーパードライ。
お、置いてかれないよう気をつけよ……。
なんて思ったそばから、
「……っ、う、わっ」
どんどん歩き難くなってきた地面、ボコッと飛び出た木の根っこに足を取られてつんのめる。
あ、これは倒れるな。と諦めと共に目を閉じた。 ――と、その時。
咄嗟に伸びた力強い腕に抱きとめられたと思ったら、瞬く間にひょい、と地面に降ろされた。早すぎてなにが起きたのかわからないくらいだった。
「え……あれ……?」
ぱちぱち瞬いて茫然と視線で腕の主を辿れば、助けてくれたのはEクラスのディディ様だった。
「足下をよく見て……」
ぼそっと呟いてさっさと背を向ける。 ……なんというスマートさか。若干あっさりしすぎでは、とも思うけど、私はむしろ好感度が上がった。少なくとも、男性に触れられると身体が硬直してしまう私にとってはその暇も与えないディディ様みたいなスマートさがありがたかった。
うーん私もあんなふうに出来たら良いなあ。ちょっと憧れる。
ともかく、私は慌てて彼の背中に向けて礼を言った。
「ありがとうございます、ディディ様……!」
振り返ってはくれなかったけど、ちらりと目線だけ寄越して、ふ、とごく僅か口角が上がった。 ……おお。なんだカッコいいなこの人。しぐさがやたらキマッているぞ。
なのに恐ろしく気配が薄くて外見ぼんやり……なんというか……違和感が凄い。
しかし、それにしても。私って本当に鈍臭いんだな……。ぶうぶう文句垂れてる三人だって騒がしいだけで行動面で迷惑をかけているわけじゃないし。もしディディ様に抱きとめられていなかったら確実に地面に転倒していただろうし、打ちどころによっては怪我をして棄権の可能性だってあった。この中で今一番足手まといで迷惑をかけているのは間違いなく私だ……情けない……。
しょんぼり肩を落としかけたけど、アシュレイ様の顔や今日という日の目的を思い出してなんとか気持ちを持ち直す。
そうだ。今は落ち込んでる暇なんてなかった。
むん、と心の中で気合を入れる。
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