40 / 62
これで証拠は揃った
しおりを挟む
サイラス団長はそこで区切ると、その時のことを思い出すためにか目蓋を閉じて眉根を寄せた。
「……あれは飛沫血痕でした。飛び散り方からして刃物かあるいはそれに似た形状のもので斬られたのだろうと。壁などに付着していた血痕が床に近いなど、やけに低い位置に集中していたのを覚えています」
「低い位置、ですか……」
思わず小さく呟いてしまった音を拾って、サイラス団長はそうです、と頷く。
「さらに床にはごく少量の血溜まりが一箇所、そこを起点に一方向へ飛沫が飛んで、あとは階段に点々と血痕が残されていました。起点付近に落ちた点状の滴下血痕は小さく、階段に落ちていたものは大きかった。つまりこれは、傷口から出た血液が起点付近と比べてより高い位置から落ちた事を示しており、明らかに子供の身長を遥かに超える位置から落ちた大きさと形状でしたので、おそらく犯人が斬りつけた人物を抱え上げるか担ぎ上げるかしてその場から連れ去ったと推察されます」
「なるほど、当時の資料に書かれてある事とも一致していますね。 ……その他に気になった点などはありましたか?」
と訊ねたけれど、これには否定が返ってきた。
「いえ、特には。私はその後、王太子殿下のおそばにつく事になりましたので、以降の情報についてはあまり」
「……そうですか。話してくださってありがとうございました」
頭を下げると、サイラス団長も、いえ、と短く言って軽く頭を下げてくれた。顔を上げた時、鋭かった目元が幾分柔らかくなっていたように見えたのは気のせいじゃないと思いたい。
さて、次は。
私は視線をクリスティアン様へ向ける。
「エルドレッド様は、当時、一時的に行方のわからなくなったアシュレイ殿下を探し、最初に発見した方と伺っておりますが、それまでについていたはずの殿下の護衛騎士はその時どうしていたのですか?」
質問すると、長い指を顎に軽く当てたクリスティアン様は、うーんと唸って目を閉じた。
「あの日殿下の護衛をしていたのは俺の……失礼、私の同期の騎士でした。私はその時エストーラ国の要人を警護していましたので、殿下のお姿がわからなくなった時間帯は他の国の要人たち及び王太子殿下と共にいたのです。なので同期の騎士が何をしていたのか正確には知りません」
「正確には?」
問いただすと、苦笑してひょい、と肩を竦めてみせたクリスティアン様だけど、気障なしぐさが顔の良さのせいで様になっている。
「ええ、正確には。同期が言うには、学校の子供たちと遊びはじめた時にはまだそばにいたのだそうです。ですが、たまたま走っていた子供にぶつかられ、そちらに気を取られてしまったようで。そしてその僅かな間に殿下の行方がわからなくなった、と」
「一見、もっともらしい証言ですが……続きがあるという事ですね?」
「ええ。やはり事が事なだけに、第七の鴉共が動いたようで」
第七の鴉……第七騎士団か。しかし、諜報や工作が主な任務の彼らが動いたとなると。
「他国絡みですね……」
苦い気持ちで溜め息を吐き出した私に対し、クリスティアン様は楽しげにぱちんと小さく手を打ち鳴らした。
「ご明察。同期を徹底的に洗ったところ、博打で作った借金が近衛の給金程度では一生かけても返せないほど莫大な額に膨れ上がっていたようで、どうやらそこを上手く利用されたようです。借金を肩代わりしてやるかわりに言う事を聞け、今度視察で訪れる学校でアシュレイ殿下を上手く誘導しろ、という指示を外国訛りのある男から受けたそうです。つまり、子供のせいで殿下を見失ったと言い訳したのは大嘘で、本当は同期が殿下に耳打ちしたのだそうです。校舎の裏なら誰もいないし隠れる場所がありますよ、と」
――そういうことか。
初めアシュレイ殿下に話を聞いた時、彼の護衛はいったいなにをしていたんだと疑問に思った事を覚えている。人の弱みに漬け込むのは悪党の常套手段だ。どうせその借金とやらもクリスティアン様の同期を利用するためにその悪党が仕掛けた罠だろう。同情はしないけど。
それにしても、これほど重要な情報を当事者である殿下が知らなかった、というより知らされなかったのは、第七騎士団が動いていたせいか。
「アシュレイ殿下がひとりで校舎裏へ向かった謎は解けましたが……他国絡みでなぜ殿下が襲われたのか、という謎は残されたままですね」
「はい。こう言ってはなんですが、もし暗殺を目論むならアシュレイ殿下ではなく王太子殿下を標的にしないとあまり意味がないですからねえ」
飄々とそう言ってのけるクリスティアン様は、思っていた以上に怖いもの知らずらしい。
私の横でアシュレイ様も苦笑している。良かったね、苦笑で済んで。まあわかってて言ってるんだろうけど、後でオズワルド副団長には怒られるかもしれない。
「とりあえずそこは置いておくとして、エルドレッド様は殿下を庇ったという金髪の女の子については学校でご覧になられましたか?」
「いえ、残念ながら見ていないですね。要人警護から離れたのはアシュレイ殿下を探した時だけですから」
「そうですか……」
話をしてくれてありがとうと礼を言いかけた時、そういえば、と何かを思い出したのかクリスティアン様が口を開いた。
「校舎裏の近くに配置されていた奴が、『金髪の女の子って……ああ、あの子か。ふわっと少し癖っ毛で猫みたいに大きな目の』と言うので、他の奴が『なに言ってるんだ? 金髪の女の子は癖のない長い髪で猫と言うよりウサギみたいな可愛い子だろ? かくれんぼの時、校舎裏へ走って行くのを見たぞ』と言っていて、女の子の外見に対する相違に皆で首を傾げた事を思い出しました」
横でアシュレイ様が
「金髪の女の子が二人…………?」
と怪訝な顔で考え込む。
それを横目に、私はクリスティアン様に頭を下げて礼を言った。
「お話くださってありがとうございました」
「いえ、とんでもございません。リヴィエール嬢の聡明さとアシュレイ殿下との仲睦まじさを知る事が出来て喜ばしく思います」
「……?」
クリスティアン様の感情の読めない瞳に僅か、私を値踏みする色が見て取れ、なぜだろうと小首を傾げたら、再度苦笑したアシュレイ様がクリスティアン様を手で払って下がらせた。
「クリスティアンは今は兄上の専属護衛をしていてね。兄上への忠誠心が誰よりも強いんだ……」
ああ、と納得する。それは心配だよね。隣国の知らん貴族の娘がいきなり王太子殿下の溺愛する弟の婚約者になったんだものなあ。
なにが目的だと疑われるのも仕方がないし、そうでなくとも良い関係性が築けているか心配になるのも当然だよね。それにもし性格に難があってまたとんでもない子が言い寄ってきた、となったら大変だから。セレッサ嬢の二の舞にだけはなりたくないよね。
「聞いていた通りにアシュレイ様が王太子殿下から心底可愛がられてると知れて良かったです」
「そう言われると少し恥ずかしいね……」
珍しくアシュレイ様が照れている。可愛い。
と言いたいところを我慢して、居住まいを正した。
話を聞く相手はもうひとり。フランシス・コーエン様だ。
「お待たせしてすみません、コーエン様。コーエン様は殿下が襲われた時の現場にいたのではなく、その後セレッサ・ロペス嬢が王宮を訪れた際、その腕の傷をご覧になったのだとか」
そう訊ねると、ふわりと柔和な笑みを浮かべて首肯する。
「仰る通りでございます。当時、私は近衛騎士として国王陛下のおそばにおりましたので、つぶさに傷痕を見る事が叶いました」
国王陛下専属の護衛だったのかな……だとしたら相当凄い実力の持ち主だったのだろう。今はすっかり痩せておられるけど、騎士にしては小柄な身体を生かした速度重視の剣技……とかだったりして。なんとなくそう思っただけだけど。
「それを是非お聞きしたかったのです。セレッサ嬢の傷の形状、また傷の深さはどれくらいでしたか?」
「はい。そうですね……左手の甲から肘のあたりまで刃物で斬られたと思しき傷がありました。傷自体は躊躇なくひと息に切り裂いたと見られますが、傷の深さは然程でもなかったかと。 ……ああそれから、甲付近に二、三箇所ごく浅い傷が小さくございましたね。 ……そう、ためらい傷のような入り方だったので少し不思議に思ったのです」
ためらい傷とは、人が自傷行為に及んだ際の致命傷には至らない傷の事だ。
躊躇なく斬りつけられた腕にためらい傷のような浅い傷……これも犯人の仕業とすれば矛盾が生まれる。
「コーエン様、セレッサ嬢の腕の傷についてですが、傷から刃物の形状についておわかりになった点はありますか?」
「刃物の形状ですか……いかんせん七年前の事ですのでどうだったか記憶が……、 ――ああ、いえ。そうです。あの時は素通りしていたのですが、その後とある傷害事件でロペス嬢とそっくりの傷を見たのです。確か凶器の刃物についても詳しく調書に記入したかと」
私は思わず身を乗り出した。アシュレイ様も固唾を呑んで、立ち上がりそうになるのを堪えている。
「その時の調書はどちらに……!?」
「地下にある第二資料保管室にあったと思いますので今から取りに参りましょうか? ……オズワルド副団長、特例で資料の持ち出しの許可をいただけますか?」
フランシス様がオズワルド副団長へ視線を流す。太陽みたいに明るい副団長がやや顔を引き攣らせて何度も頷いた。
「はっ。許可します……!」
「ふふふ……もう君は私の部下ではないのですよ?」
「はっ。 あ、いえ……承知しておりますが……」
うわあ……オズワルド副団長が冷や汗かいてる……。フランシス様の騎士時代が俄然気になるけど、今は我慢だ。いつか機会があったら聞いてみたいな。オズワルド副団長も交えて。
ともかく、過去の上司と部下の関係性は置いておいて、私はフランシス様に深々と頭を下げる。
「フランシス様、お手数をおかけしますが出来ればお願いいたします……っ」
フランシス様は快く頷いてくれ、「わかりました。少々お待ちくださいね」と言い残してすぐに部屋を出て行った。
アシュレイ様と顔を見合わせ、頷き合う。ぎゅっと握り締めてきた手を同じ強さで握り返した。
ばらばらだった出来事が頭の中でひとつに纏まっていく。まだ知りたい事はあるけれど、最も知りたかった情報を得て気持ちが高揚するのを感じた。
暫くすると、フランシス様が調書を手に戻って来たので逸る気持ちをどうにか抑えながら調書に目を通していき……、
待ち望んでいた文字を、そこに見つけたのだった。
無意識に拳をぐっと握り締める。
――これで証拠は揃った。
あとは、決着をつけるのみだ。
「……あれは飛沫血痕でした。飛び散り方からして刃物かあるいはそれに似た形状のもので斬られたのだろうと。壁などに付着していた血痕が床に近いなど、やけに低い位置に集中していたのを覚えています」
「低い位置、ですか……」
思わず小さく呟いてしまった音を拾って、サイラス団長はそうです、と頷く。
「さらに床にはごく少量の血溜まりが一箇所、そこを起点に一方向へ飛沫が飛んで、あとは階段に点々と血痕が残されていました。起点付近に落ちた点状の滴下血痕は小さく、階段に落ちていたものは大きかった。つまりこれは、傷口から出た血液が起点付近と比べてより高い位置から落ちた事を示しており、明らかに子供の身長を遥かに超える位置から落ちた大きさと形状でしたので、おそらく犯人が斬りつけた人物を抱え上げるか担ぎ上げるかしてその場から連れ去ったと推察されます」
「なるほど、当時の資料に書かれてある事とも一致していますね。 ……その他に気になった点などはありましたか?」
と訊ねたけれど、これには否定が返ってきた。
「いえ、特には。私はその後、王太子殿下のおそばにつく事になりましたので、以降の情報についてはあまり」
「……そうですか。話してくださってありがとうございました」
頭を下げると、サイラス団長も、いえ、と短く言って軽く頭を下げてくれた。顔を上げた時、鋭かった目元が幾分柔らかくなっていたように見えたのは気のせいじゃないと思いたい。
さて、次は。
私は視線をクリスティアン様へ向ける。
「エルドレッド様は、当時、一時的に行方のわからなくなったアシュレイ殿下を探し、最初に発見した方と伺っておりますが、それまでについていたはずの殿下の護衛騎士はその時どうしていたのですか?」
質問すると、長い指を顎に軽く当てたクリスティアン様は、うーんと唸って目を閉じた。
「あの日殿下の護衛をしていたのは俺の……失礼、私の同期の騎士でした。私はその時エストーラ国の要人を警護していましたので、殿下のお姿がわからなくなった時間帯は他の国の要人たち及び王太子殿下と共にいたのです。なので同期の騎士が何をしていたのか正確には知りません」
「正確には?」
問いただすと、苦笑してひょい、と肩を竦めてみせたクリスティアン様だけど、気障なしぐさが顔の良さのせいで様になっている。
「ええ、正確には。同期が言うには、学校の子供たちと遊びはじめた時にはまだそばにいたのだそうです。ですが、たまたま走っていた子供にぶつかられ、そちらに気を取られてしまったようで。そしてその僅かな間に殿下の行方がわからなくなった、と」
「一見、もっともらしい証言ですが……続きがあるという事ですね?」
「ええ。やはり事が事なだけに、第七の鴉共が動いたようで」
第七の鴉……第七騎士団か。しかし、諜報や工作が主な任務の彼らが動いたとなると。
「他国絡みですね……」
苦い気持ちで溜め息を吐き出した私に対し、クリスティアン様は楽しげにぱちんと小さく手を打ち鳴らした。
「ご明察。同期を徹底的に洗ったところ、博打で作った借金が近衛の給金程度では一生かけても返せないほど莫大な額に膨れ上がっていたようで、どうやらそこを上手く利用されたようです。借金を肩代わりしてやるかわりに言う事を聞け、今度視察で訪れる学校でアシュレイ殿下を上手く誘導しろ、という指示を外国訛りのある男から受けたそうです。つまり、子供のせいで殿下を見失ったと言い訳したのは大嘘で、本当は同期が殿下に耳打ちしたのだそうです。校舎の裏なら誰もいないし隠れる場所がありますよ、と」
――そういうことか。
初めアシュレイ殿下に話を聞いた時、彼の護衛はいったいなにをしていたんだと疑問に思った事を覚えている。人の弱みに漬け込むのは悪党の常套手段だ。どうせその借金とやらもクリスティアン様の同期を利用するためにその悪党が仕掛けた罠だろう。同情はしないけど。
それにしても、これほど重要な情報を当事者である殿下が知らなかった、というより知らされなかったのは、第七騎士団が動いていたせいか。
「アシュレイ殿下がひとりで校舎裏へ向かった謎は解けましたが……他国絡みでなぜ殿下が襲われたのか、という謎は残されたままですね」
「はい。こう言ってはなんですが、もし暗殺を目論むならアシュレイ殿下ではなく王太子殿下を標的にしないとあまり意味がないですからねえ」
飄々とそう言ってのけるクリスティアン様は、思っていた以上に怖いもの知らずらしい。
私の横でアシュレイ様も苦笑している。良かったね、苦笑で済んで。まあわかってて言ってるんだろうけど、後でオズワルド副団長には怒られるかもしれない。
「とりあえずそこは置いておくとして、エルドレッド様は殿下を庇ったという金髪の女の子については学校でご覧になられましたか?」
「いえ、残念ながら見ていないですね。要人警護から離れたのはアシュレイ殿下を探した時だけですから」
「そうですか……」
話をしてくれてありがとうと礼を言いかけた時、そういえば、と何かを思い出したのかクリスティアン様が口を開いた。
「校舎裏の近くに配置されていた奴が、『金髪の女の子って……ああ、あの子か。ふわっと少し癖っ毛で猫みたいに大きな目の』と言うので、他の奴が『なに言ってるんだ? 金髪の女の子は癖のない長い髪で猫と言うよりウサギみたいな可愛い子だろ? かくれんぼの時、校舎裏へ走って行くのを見たぞ』と言っていて、女の子の外見に対する相違に皆で首を傾げた事を思い出しました」
横でアシュレイ様が
「金髪の女の子が二人…………?」
と怪訝な顔で考え込む。
それを横目に、私はクリスティアン様に頭を下げて礼を言った。
「お話くださってありがとうございました」
「いえ、とんでもございません。リヴィエール嬢の聡明さとアシュレイ殿下との仲睦まじさを知る事が出来て喜ばしく思います」
「……?」
クリスティアン様の感情の読めない瞳に僅か、私を値踏みする色が見て取れ、なぜだろうと小首を傾げたら、再度苦笑したアシュレイ様がクリスティアン様を手で払って下がらせた。
「クリスティアンは今は兄上の専属護衛をしていてね。兄上への忠誠心が誰よりも強いんだ……」
ああ、と納得する。それは心配だよね。隣国の知らん貴族の娘がいきなり王太子殿下の溺愛する弟の婚約者になったんだものなあ。
なにが目的だと疑われるのも仕方がないし、そうでなくとも良い関係性が築けているか心配になるのも当然だよね。それにもし性格に難があってまたとんでもない子が言い寄ってきた、となったら大変だから。セレッサ嬢の二の舞にだけはなりたくないよね。
「聞いていた通りにアシュレイ様が王太子殿下から心底可愛がられてると知れて良かったです」
「そう言われると少し恥ずかしいね……」
珍しくアシュレイ様が照れている。可愛い。
と言いたいところを我慢して、居住まいを正した。
話を聞く相手はもうひとり。フランシス・コーエン様だ。
「お待たせしてすみません、コーエン様。コーエン様は殿下が襲われた時の現場にいたのではなく、その後セレッサ・ロペス嬢が王宮を訪れた際、その腕の傷をご覧になったのだとか」
そう訊ねると、ふわりと柔和な笑みを浮かべて首肯する。
「仰る通りでございます。当時、私は近衛騎士として国王陛下のおそばにおりましたので、つぶさに傷痕を見る事が叶いました」
国王陛下専属の護衛だったのかな……だとしたら相当凄い実力の持ち主だったのだろう。今はすっかり痩せておられるけど、騎士にしては小柄な身体を生かした速度重視の剣技……とかだったりして。なんとなくそう思っただけだけど。
「それを是非お聞きしたかったのです。セレッサ嬢の傷の形状、また傷の深さはどれくらいでしたか?」
「はい。そうですね……左手の甲から肘のあたりまで刃物で斬られたと思しき傷がありました。傷自体は躊躇なくひと息に切り裂いたと見られますが、傷の深さは然程でもなかったかと。 ……ああそれから、甲付近に二、三箇所ごく浅い傷が小さくございましたね。 ……そう、ためらい傷のような入り方だったので少し不思議に思ったのです」
ためらい傷とは、人が自傷行為に及んだ際の致命傷には至らない傷の事だ。
躊躇なく斬りつけられた腕にためらい傷のような浅い傷……これも犯人の仕業とすれば矛盾が生まれる。
「コーエン様、セレッサ嬢の腕の傷についてですが、傷から刃物の形状についておわかりになった点はありますか?」
「刃物の形状ですか……いかんせん七年前の事ですのでどうだったか記憶が……、 ――ああ、いえ。そうです。あの時は素通りしていたのですが、その後とある傷害事件でロペス嬢とそっくりの傷を見たのです。確か凶器の刃物についても詳しく調書に記入したかと」
私は思わず身を乗り出した。アシュレイ様も固唾を呑んで、立ち上がりそうになるのを堪えている。
「その時の調書はどちらに……!?」
「地下にある第二資料保管室にあったと思いますので今から取りに参りましょうか? ……オズワルド副団長、特例で資料の持ち出しの許可をいただけますか?」
フランシス様がオズワルド副団長へ視線を流す。太陽みたいに明るい副団長がやや顔を引き攣らせて何度も頷いた。
「はっ。許可します……!」
「ふふふ……もう君は私の部下ではないのですよ?」
「はっ。 あ、いえ……承知しておりますが……」
うわあ……オズワルド副団長が冷や汗かいてる……。フランシス様の騎士時代が俄然気になるけど、今は我慢だ。いつか機会があったら聞いてみたいな。オズワルド副団長も交えて。
ともかく、過去の上司と部下の関係性は置いておいて、私はフランシス様に深々と頭を下げる。
「フランシス様、お手数をおかけしますが出来ればお願いいたします……っ」
フランシス様は快く頷いてくれ、「わかりました。少々お待ちくださいね」と言い残してすぐに部屋を出て行った。
アシュレイ様と顔を見合わせ、頷き合う。ぎゅっと握り締めてきた手を同じ強さで握り返した。
ばらばらだった出来事が頭の中でひとつに纏まっていく。まだ知りたい事はあるけれど、最も知りたかった情報を得て気持ちが高揚するのを感じた。
暫くすると、フランシス様が調書を手に戻って来たので逸る気持ちをどうにか抑えながら調書に目を通していき……、
待ち望んでいた文字を、そこに見つけたのだった。
無意識に拳をぐっと握り締める。
――これで証拠は揃った。
あとは、決着をつけるのみだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
53
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる