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あなた、邪魔なのよ

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 スタートしてから一時間と少し。ようやく最初のチェックポイントへ辿り着いた。
 見通しが悪く歩き難いおうとつだらけの道を歩くのと、コンパスで方角を確認しながら進んだので実際の距離より幾分時間がかかっただろうか。
 ともかく無事に着けて良かった。早くも足が痛み始めたけど、我慢だ。まだ大丈夫。

 ジスラン様がチェックポイント位置にいた実行委員からカードにスタンプを押して貰っている間に、皆に背を向け、こっそりリュックから鎮痛薬を取り出して水筒の水で流し込む。ぐ……いつもの事ながらものすごく苦い。ひょっとして痛みを耐える方がマシなのでは? と一瞬悩みそうになるくらい苦い。うう……舌にいつまでも苦味が……。口直しにヒューゴ君から飴を貰っておけば良かったなあ……素直にくれるかはわからないけど。
 
 でもまあ良薬は口に苦しというくらいだから暫くすれば効いてくるだろう。これで痛みもなんとか誤魔化せるはずだ。
 とはいえ明日は絶対筋肉痛とその他諸々でのたうち回るの確定だなあ、これ……。仕方ないけど。 ……うん、仕方ない。

 そっと溜め息を零したと同時にジスラン様が戻って来たので、次の地点へ向かうことにする。
 休憩時間がない事にディディ様を除くぼやき三人衆が絶望顔をするからちょっと可笑しかった。でもさすがに侯爵家のご令息には面と向かって意見出来ないらしく、がっくり項垂れていたけど。

「次は東へ向かう。 ――行くぞ」

 端的に指示を出すジスラン様の後に皆で着いて行く。協力ってなんだっけ、と問いたくなるくらい一向に仲間意識が芽生えない私たちだけど、その後ジスラン様の見事な誘導ナビゲーションにより危なげなく第二ポイント、そして北の第三ポイントに辿り着く事が出来た。
 ヒューゴ君のはち切れそうだったポケットもみるみる萎み、令嬢二人が息も絶え絶えになった頃だったうえに、ちょうど時刻も正午を過ぎたので、ここでようやく昼食がてらの休憩となった。

 皆でチェックポイント近くにあった池のほとりに腰を下ろし、各々リュックからパンやサンドイッチを取り出して食べる。
 ……とっても静かだなぁ~。爽やかにそよぐ風が起こす葉擦れの音や小鳥の囀りがやけに響き渡るね……癒されるぅ……?

 そんな胃が痛くなりそうな状況だけど、今朝、激励を込めてアシュレイ様がお手製サンドイッチを持たせてくれたので私は今とてもご機嫌である。塩気を効かせた卵たっぷりサンドに手作り苺ジャムとバターのサンドイッチだ。塩気と甘いのとで幾らでも食べられてしまう恐ろしき組み合わせ。
 ん~美味しい~。あ、ジャムが口の端に。行儀悪いけど……ん、いいや舐めちゃえ。
 ぺろ、と舐め取ったらやっぱり甘酸っぱくて美味しい。いやぁ、アシュレイ様は今日も天才です。
 ああ、しあわせだぁ……。

 ほう、と息をいて、ふと顔を上げたらぼんやりディディ様以外の四人がこちらを凝視していて、目が合うとサッと逸らされた。
 ……なんぞ?
 みんな、どうしてほんのり頬が赤いんだろう。暑いのかな?

 ジスラン様が何度も咳払いして……なぜ歯を食い縛ってるんだ……? お腹痛いのかな?
 勝手に心の中でハラハラしていると、額に手を当てたジスラン様が、

「はー………………踏みとどまったぞ」
 
 と溜め息を吐いた後、決然とした表情で立ち上がった。 ……良かった。お腹痛い波が引いたみたい。

「よし、最後のチェックポイントへ向かうぞ今すぐ向かうぞとっとと向かうぞ……! …………このままだとヤバい……あの顔は危険だ……」

 ん? 最後の方なんて言ったのか聞こえなかった。 あんなにスーパードライだったのに急に熱くゴールを目指し始めたジスラン様、どうしたんだ……? やっぱりお腹が……? なら急がないとだね。

 他の三人もやけにこくこく頷いて同調してるし、やっぱりそうかと思って私も一緒に頷いたら、皆からとても残念な子を見る目で見られてしまった……なぜだ。
 いいもん。帰ったらアシュレイ様お手製のお菓子が待ってるもん。あともう少しだ頑張れエメ。

 アシュレイ様のお菓子たちを思い出して自分を奮い立たせ、皆の後を追いかけた。

 そうして。
 事態が急変したのは、最終地点である西の第四チェックポイントまであと半分の道のりといったところだった。

 南ほどではないものの、それなりに茂る草を足や手で払い除け、かろうじて道と呼べなくもない地面を踏み締め進んでいると、突如、右手の方角に開けた場所が表れた。続いているはずの森が途中で切れて、その向こうに青空が広がっている。
 
 ああ、と思い出す。ここがクレア様の言っていた西の崖か、と。
 少し離れたここからだと崖がどのくらい高いのか全くわからないなあ、とのんびり考えていたら、唐突に勢い良く背中を押され、前へつんのめってを踏んだ。

「わっ、なに……!?」

 なんとか踏んばって転倒は免れる。
 慌てて振り返ると、足下にはジスラン様が倒れ伏し、ディディ様とシュゼット様とコリーナ様、そしてヒューゴ君が私を半円状に囲み、じりじりと迫って来ていた。特にディディ様の手には小振りとはいえナイフがあり、その刃には赤い液体がべっとり纏わりつき、その粘り気のある赤黒い色が刃先からぽつりぽつりと滴り落ちている。

「ジスラン様……ジスラン様!?」

 叫ぶように呼びかけてもピクリともしない。
 さっき突き飛ばしたのは……私を庇って……?

 愕然と顔を上げれば、ディディ様の瞳にはなんの温度も宿っていなかった。

「……こいつも、君も、邪魔なんだ」 

 と呟く声はどこまでも平坦で、無風の日の湖面のようにあまりにも凪いだ表情と相まって余計にぞっとさせた。
 転倒しそうになった私を助けてくれたディディ様は嘘だったのか。私を安心させて油断させるための。
 
「どうして、ディディ様!? それにコリーナ様、シュゼット様、ヒューゴく……様まで!」

 じりじりと後退しながら訴えれば、シュゼット様が顔を歪めて笑う。

「ふふふ、必死になっていい気味ね。あなた、邪魔なのよ……あなたのせいでセレッサ様がどれだけお辛い思いをしていると思ってるの……!?」
「ロペス様が……でも、それは……っ、」
「あのねぇ、セレッサちゃんが第二王子サマと結婚したらねぇ、ボクを側近にしてぇ、毎日いっぱいお菓子食べさせてぇくれぇるんだってぇ」

 ヒューゴ君! 間延びする“え”が鬱陶しい……! そして言ってる事も心底意味がわからなくて鬱陶しい!

「ウザ……あなたはちょっと引っ込んでなさい」

 ほら、シュゼット様にも冷たく言われちゃったじゃないか。

「つまり、あなた方はセレッサ嬢がアシュレイと結婚出来るよう邪魔な私を消そうというわけですか?」
「察しが早くて助かるわね」

 私を追い詰める範囲が狭まる。また一歩、後退した。
 最初に感じた敵意のような空気は……この四人からだったのか。そうか……。
 私は彼らを睨みつけた。

「私はともかく、ジスラン様はどうされるのです? 彼は侯爵家令息ですよ。彼に何かあれば、あなたたちもただでは済まない」

 途端、弾けるようにシュゼット様が笑う。

「馬鹿ねえ、あなた! あなたたちは恋に落ちて駆け落ちするのよ、今から」
  
 嬉々とした顔で一歩踏み込まれる。一歩、後退する。

「なるほど……そういう事ですか。私を殺してジスラン様の遺体と共に処理し、このイベントを利用しアシュレイ様という婚約者を裏切って不貞を重ねていた私とジスラン様が互いに手に手を取り合って駆け落ちした事にする、という筋書きですね。失踪した後に書き置きなんて出てくればより真実味が増しますし」

「ふふ……よくわかってるじゃない。あなたはジスラン様と幸せにね。死んでるけど」

 じり、と後退した時、すぐ後ろの地面が消失しているのが見えた。いつの間にか崖側に追いやられていたようだ。
 いよいよ逃げ場を失って唇を噛み締める。
 どうする。

 前を向けば、眼前にナイフを振り翳すディディ様が映った。
 身体は凍りついたように動かない。

「――っ、」
「…………さようなら」

 刃先が振り下ろされる……! ――と、その時。

 カサリ、という下生えを踏む小さな音が確かに耳を震わせた。

「――ジスラン様!!」

 私が叫ぶのと、ガサガサと荒々しく下生えを踏む音と共に「キャアッ」という叫び声とがほぼ同時に森をこだました。

 刃先が私の鼻先すれすれでぴたりと止まる。
 ディディ様の凪いだ瞳と私の視線がぶつかり合った。
 数秒の間の後、ゆっくりナイフが下され、ディディ様の懐におさめられた。私はほっと息を吐く。

「……どうやら上手くいったみたいだね」

 ディディ様が振り返る。私も含め、その視線の先には。


 ジスラン様によって取り押えられたセレッサ嬢の姿があった。
 







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