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彼女の名前はセレッサ・ロペス

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 はい。というわけで本日もやってまいりました、婚約者との語らいのお時間です。
 
 昨日に引き続きアシュレイ様の手作りお菓子を前にすっかり全身の骨を抜かれているところでございます。
 この魅力的なお菓子たちを前にして「お断りします」などと到底言えるはずもない。秒で陥落したけど後悔はしていない。

「んんん、やっぱり美味しすぎる……っ、スパイスの効いたキャロットケーキも、甘酸っぱいレモンメレンゲパイもたまらなく美味しい~っ、はー……天才だ……天才がここにいる」

 ひと口食べる度にいちいち感動に打ち震えながら天井を振り仰ぐ私に、アシュレイ様が半分くすぐったそうな顔で嬉しそうに、もう半分を面白そうに肩を小さく揺らし、喉を鳴らして笑い声を上げている。

「そんなに喜んで食べて貰えたら、もう感無量だね」
「なぜこれほど美味なるものが賞賛されないのか理解に苦しみます。ですが、そのおかげで独り占め出来るのは悪くないですね」
「今度は旬の苺を使ったお菓子を作ろうと思うんだけど、タルトにムース、ミルフィーユ、マフィン、それから苺シロップをたっぷり染み込ませたジェノワーズにこれでもかとクリームと苺を乗せて……」
「わぁ……わぁ……そんなの想像だけでもう美味しいやつじゃないですか……今、私は想像でワンホール美味しくいただきました。大変美味しゅうございました」

 なんということでしょう。
 期待にわなわなと身を震わせる私を見て、アシュレイ様は笑いに身を震わせる。

「本当に、ここまで喜んでくれるなんて思っていなかったなあ」
「独り占めしたい気持ちと全人類に等しくこの美味しさを知らしめたい気持ちがせめぎ合って辛い」
「全人類……っ、あははっ」

 大袈裟だよ、と心から楽しそうにアシュレイ様は笑う。

「大袈裟なものですか。どうしたら広く遠く深く知らしめられるのか……そうだ、我が家の全財産を注ぎ込もう」
「ふはっ、思ってた以上に愛が重かった。まあでも、ご家族を路頭に迷わせるのは偲びないから財産を貢ぐのはやめておこうか?」
「……残念です」

 しょんもりと肩を落とす私の前に、くすくす笑うアシュレイ様が紅茶のおかわりをポットから注いでくれる。紅茶飲みたいな、とちらっと一瞬、空のカップに目を落としたのに目敏く気付いて、すかさず注ぎ足してくれるなんて……勤続何十年の一流執事ベテランか。
 王子様なのにおもてなし力が凄すぎないだろうか。家事とかやらせてもすぐにコツを掴みそうだし、これだけの能力があれば引く手数多で就職にも困らなそうだし、案外この人、王子様辞めても市井でのびのび楽しく暮らせるのでは?

 などと、失礼なんだか失礼でないのかわからないことを考えていたら、アシュレイ様が、そうそう、と顔を上げた。

「今朝のことだけどね」
「ああ、はい。あのイキリのヤン……じゃなかったあの私のことが気に入らなくてたまらない様子のご令息の言っていたことです?」
「イキリ……? えっと、うん。そのことだけど、あの令息が言っていたことは誤解だから」
「はい。そうだろうなあと思っていました」

 軽く頷いてそう即答すれば、アシュレイ様は明らかに安堵した顔をする。 ……ひょっとしてあれからずっと気にしてたとか?

「ああ、良かった。エメに疑われたらどうしようかと思った」
「いえいえ、アシュレイ様があの令息に仰っていたでしょう? 『私の気持ちはいつから君が勝手に決めて良いことになったのかな?』と。なので」
「うん。そうなんだけどね……でも、エメは気にならなかったの? 違うけど、あの令息が言うとやらが」
「いえ、全く気にならないわけではないのですが……ひょっとして、それが例の彼女ですか? 今朝、寮を出たところで見かけた長い金髪の」

 と訊けば、苦虫を百匹纏めて噛み潰したような顔をされた。

「おそらくそうだと思う。 ……でも全然想い人なんかじゃない。エメに協力してもらって釘を刺したくらいだし。断言しても良いけど、彼女に僅かの気持ちも傾けたことなんてないからね」

 むすっと口を尖らせ憤慨しているアシュレイ様は、怒りながら器用に私の空いた皿へレモンパイのおかわりをサーブする。怒っていても忘れないおもてなし。実に細やか。

「ありがとうございます。 それで、そのご令嬢はどんな方なんです? なにやら今朝は関係性の不明な令息に肩を抱かれていましたが」

 そう訊ねれば、アシュレイ様は思いきり顔をしかめた。

「あー……、彼女の名前はセレッサ・ロペス。ロペス男爵家のひとり娘だよ。肩を抱いていたという令息は……あー……おそらく取り巻きの一人、かな?」

 名前を言うのもすごく嫌そうだ。そこまでとは……セレッサ嬢とやら、いったいなにをやらかしたんだ……。

「セレッサ・ロペス……男爵家の娘が取り巻きですか……おまけに名も姓もサウスフェリでは珍しい。元は帝国あたり……?」
「よくわかったね。二代前の当主が帝国から亡命して来たんだよ。帝国では伯爵だったようだけど、帝国の情報と引き換えに、ね」
「なるほど。覚えておきます」

 こくり、と頷けば、アシュレイ様が気を取り直したのかひとつ咳払いをする。

「……さて話を戻すとして、事の始まりは七年前。その年、我が国とエストーラ王国にスメラギ皇国、それからインディリシエ王国にシェスティア共和国、その五ヶ国が同盟を結んだのはエメも知っているよね?」
「はい、もちろんです。五ヶ国同盟ですね」

 数百年に及ぶ鎖国状態だったスメラギ皇国との国交が開かれただけでも快挙だったのに、隣国サウスフェリに加え、更に海を隔てた南の大陸にある王国、そして一年の半分が雪と氷に閉ざされる北方の共和国とも友好関係からの同盟を結ぶまでになれた。

 大っぴらに語られてはいないものの、その立役者のひとりと言われるのが、実は我が家うちの祖父様だったりする。何せ祖父様、先代国王の弟でリヴィエール家の入り婿なのである。王女の降嫁先に選ばれるのならわかるが、さすがに王子が婿に入るのは前代未聞だったらしく、てんやわんやの悶着があったとのこと。

 臣籍降下後の公爵の位と領地を蹴って辺境の地へ婿入りする条件が、とにかく外交に力を入れることだったらしい。年の半分以上を外交で飛び回っていた祖父様だったのだけれど、意外にも天職だったようで行く先々で友人知人を量産し、まずは隣国サウスフェリの親友マブダチになったと言って揚々と帰って来たと思えば有名ワイナリーのワインと病気に強い農作物の苗の輸入取引が決まっていたし、北方へ出向けば何があったのか(あるいは何をしたのか)鉄鉱石鉱山の権利を持ち帰って来るしで、気づけば数十年、そんなことが繰り返されていった果てが五ヶ国同盟だった……とよく祖父様がうそぶいているものの、真実か否かは未だ解明されていない。

 それなので、五ヶ国同盟と言われてもちろん知らないわけはない私なのである。
 
 
「うん。それで大規模な記念式典が我が国で開かれたわけだけど、式典やら晩餐会やらの行事が全て終わった数日後、私は兄上と共に新設された初等学校へ視察に行っていたんだ。平民の子供たちが無償で通える学校という事で諸外国でも話題になってね。それで、まだ王宮に滞在していたエストーラとシェスティアの大使や王族数人も是非見てみたいと同行していたと思う」
「ああ、当時エストーラでも話題になっていたそうですよ。なので三年後、我が家の領地でも真似をして学校を建てました」

 おかげで領民の識字率は飛躍的に上がったし、基本的な計算も出来るから取引相手や雇用主からぼったくられる事も不当な契約を結ばされる事も格段に減った。このまま順調にいけば、いずれ領全体における仕事と生活の質は格段に向上していく事だろう。

 アシュレイ様も感心したように頬を綻ばせた。

「そうなのか。それは嬉しいね。 ……ところで話を戻すとして、視察の内容は授業見学や教師との意見交換、それから生徒たちとの交流などがあったのだけど、十歳で唯一子供だった私は学校の子供たちと交流と称して遊ぶことになって。まあ、予め決められていたみたいだけど。だから兄上に着いて来られたのか、と自分の役目を悟ったりね。で、かくれんぼをしようとなって、いざ遊びが始まったから隠れるために私は人気のない校舎裏へ向かったのだけど、そこで潜んでいた暴漢に襲われた」
「…………っ」

 


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