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まだ二日目なんだよなあ……

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 襲われた、と聞いて自分でも顔が強張るのがわかった。それを見たアシュレイ様は、半ばうつむきながらそっと微笑む。
 
「後の診察で無事だったのは確認出来てるから大丈夫だよ。それに、その時助けてくれた女の子がいてね」
「助けた子……」
「うん。背丈からすると同じ年頃か少し下くらい、だけど私自身、その時の前後の記憶が曖昧なんだ。校舎裏へ向かうまでは確かにそばに護衛がいたはずなのに何故なぜ襲われた時はいなかったのか、とかね。覚えているのは私を背に庇って立つ女の子の髪が金色だったことと、顔は朧げだけど、瞳の色が吸い込まれそうなほどに澄み渡った空色だったこと、それだけだ」

 きんいろ、と呟いた私がぼんやりした視線をアシュレイ様へ向けると、どこか痛みをこらえるような顔をする。

「助け出された時、校舎裏にいたはずの私はなぜか校舎内にある空き教室のひとつにいて、そこの物入れの中で蹲っていたそうだよ。その先の廊下と階段に飛び散った血痕が残されていたのだけれど、そこには誰もいなかった。その後すぐ犯人は捕えられたけど、取り調べの前に奥歯に仕込んでいた毒を飲んで自害してしまったそうだ。その際、血液の付着したナイフを持っていたことがわかって、襲われた私にも襲った犯人自身にも刀創がなかったことから、おそらく斬られたのは私を庇ってくれた女の子だろうと結論づけられた」

 なるほど、と呟きながら、前髪に隠された奥で目をすがめる。思考に入る時についやってしまう癖だ。
 
「女の子の行方と空白の時間が気になりますね」
「すまない。私も何度も思い出そうとはしたのだけれどね……」

 と、残念そうに苦笑する。きっと、どうして思い出せないのかとこれまで自責し続けてきたのだろう。
 私は慌ててかぶりを振った。

「いえ。よほど恐ろしかったのでしょう。記憶を封じる事で十歳のアシュレイ様は精一杯ご自身の心を守ったのです。なれば、その懸命さをどうして責められるでしょうか」

 そう心から訴えたら、ありがとう、と柔らかな声色で返事が返ってきた。

「……そういえば、目撃証言もなかったのですか?」
「そこも妙なところでね。自国の王太子に加え二つの隣国からも数人が視察で訪れていたのだから、当然厳重に各所に護衛が配置されていたし、学校関係者や生徒たちがいたにもかかわらず誰も現場を目撃していなかったんだ。思えば何故なぜその日訪れた学校の人気のない場所を私が知っていたのかもおかしな点だから、おそらく誰かが何らかの方法で私を誘導したのだろうと推測されている。 ……そのあたりのことも私の記憶がしっかりしていれば……って、たった今エメに言われたばかりだったね」

 はい、と微笑んだ私は、しかしすぐに眉をひそめた。

「誘導ですか……かくれんぼなんて、生徒の子どもたちにとっては知り尽くした場所だから良いとして、最も隠れるのに不利な殿下が迷わず人気のない場所へ向かえたのはおかしいですね」
「うん、そうなんだ。けれど、犯人が自供する前に自死したせいで犯行動機も女の子のこともなにもわからずじまいだった」
「衝動的、あるいは突発的な犯行ならわざわざ毒を体内に仕込んでおくなんてしないでしょうから、計画的に殿下を狙ったのだけは間違いなさそうですが」
「そうだね。しかし暗殺なら王太子である兄上を狙わないと、幾ら第二王子とはいえ私を殺しても家族を悲しませるだけで然程さほど旨みがないんだよ。もうその頃には兄上には一歳になる上の子、それも息子がいたし、義姉あね上のお腹には下の子もいたからね。将来的にはどう転んでも私が臣下にくだるのはわかりきっていたはずなのに……」

 そうだよなあ、と思いながら相槌を打った私は、ふと思いついた事をたずねる。

「もしアシュレイ様が兄君と不仲であるとか、あるいは兄君より飛び抜けて優秀であるなら、そしてそれに兄君が思うところがあるとするなら、そこにわかりやすい動機が成立しますし、第三者もそこにつけ込みやすくなるのでしょうが……ですが、そうではないのですよね?」

 これに対し、やはり返ってきたのは力強い肯定だった。

「ああ、もちろん。私は兄上と十二も歳が離れているのだけれど、それもあって兄上にもの凄く可愛がられて育ったんだ。八つ上の姉上も同じで、なんなら両親も祖父母もみんな末っ子の私をそれはもう総出で可愛がってね……って、なにを言っているんだろうね、私は……ああ恥ずかしい……。まあでも、そういうわけだからその動機は成立しないと断言出来るよ」
「王家の御一家が仲睦まじいのは有名ですからね、そうではないところの方が多い中にあって素晴らしいことです」
「ちなみにエストーラはどうなんだい? …………エメ? どうかした?」

 怪訝そうに顔を覗き込まれたところではっと我に返った私は、慌てて笑顔を繕うとかぶりを振った。 

「ああいえ、ぼんやりしてすみません。少し考え事を……。エストーラですか……実を言えば、私はこの学園に来るまであまり辺境伯領から出なかったものですから、詳しくは知らないのです。自国のことなのにお恥ずかしい限りで……」

 軽く頭を下げれば、苦笑で返される。

「いや、私こそ考えなしな質問をしてしまったね」
「とんでもございません。仲睦まじいかはわかりませんが、エストーラ王家は国王陛下と妃殿下との間に現在十八歳になられる第二王子の王太子殿下と十三歳になられる第二王女殿下が、そして側妃様との間に二十二歳になられる第一王子殿下と十五歳の第一王女殿下、十二歳の第三王子殿下がいらっしゃいます。更に愛妾様との間にも四歳になられる姫様がいると聞き及んでおります。側妃様のお産みになられた王子殿下が先ですが、こちらは正妃様の御子を王太子にするとあらかじめ取り決めてあったそうなので、表面上は特に王子殿下方で争っているようなことはないかと。知っているのはこれくらいでしょうか。 ……と言っても、これくらいの初歩的な情報でしたら同じ王子殿下のアシュレイ様の方がご存知でしたよね。余計なことを申し上げました」
「そんなことはないさ。私もエストーラの王子王女たちとの面識は数える程度だしね。兄上はそれなりに交流がおありのようだけど」
「そうなんですね」
「うん。 ……すまない、話の腰を折ってしまった。ついでにお茶のおかわりを淹れよう」

 アシュレイ様はそう言ってトレイを手に立ち上がると、給湯室へ行ってしまった。

 ぽつりと残されたのでなんとはなしに窓へ目をると、夕陽になる前の薄く和らいだ光が差し込んでいた。

 静かだな、と思う。離れた給湯室から茶器の立てる小さな音が聞こえてくるが、それだけだ。見るともなしに窓をぼんやり眺める。

「まだ二日目なんだよなあ……」

 無意識に零れた独り言、自分で言った言葉に心底同意した。入学してからまだ二日目って。

 想像してたのと全然違うぞ。それまでの予定ではもちろん生徒会にも入っていないし、今頃寮の自室で買ったお菓子を食べながらのんびりしていたはずなのに。そもそも予定では王子に絡まれてもいないしお知り合いにだってなっていないし婚約者にすらなっていないはずなのに。

 第一、あれほど母様に念押しされていたのだ、歴史感ゼロ由緒ゼロな即席家訓を持ち出されてまで、王子に近づくな、と。
 それがなにがどうなってこうなっているのか。 ……まあ、アシュレイ様の手作りお菓子に釣られた自業自得感は否めないけど。

 しかし、それにしたっておかしいな。たった二日の間で予想外の出来事が起こりすぎだしのんびりどころではない。やることが……やることが多すぎる……っ。とまではいかないけれど、予定より遥かに考えねばならない事もやらねばいけない事も多いのが現実だ。
 嗚呼、さらば私ののんびりお気楽おひとり様学園生活。

 胸中でわざとらしくそう嘆いてみせたのだけれど、皿に乗せられたレモンパイが視界に入ってそっと溜め息を落とした。昨日、私が甘酸っぱいレモンムースを大好きだと言ったからか、早速私好みの味を完璧に把握して作ってくれたのだろう。

 王子が……アシュレイ様がもっと偉ぶった俺様気質で選民意識の塊でこういう身なりをしている私を鼻で笑って見下してくるような男だったら言うまでもなく逃亡一択だったのになあ……。

 偉ぶらないし気さくだし、身分が下だからって馬鹿にしないしこんな格好してるのに蔑みもしないし、髪は短いうえに前髪で目が隠れてモッサリしてるし令嬢らしからぬ、ある意味貴族令嬢としても王子の婚約者としてもあるまじき身なりだというのに、今のところは何も言わずにいてくれる。
 それに、自分の振る舞いを真摯に謝罪までしてくれた。王子なのに。

 これだけでも明らかに良い人なんだよね……アシュレイ様。
 そんなの。
 
 そんなの、余計逃げられないじゃないか。

 弱ったなあ、と思う。何がそうかって、逃げられない事を嫌がっていない自分にだ。
 逃げられるうちに、なんてもう手遅れじゃないだろうか。




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