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なになに、正妻の余裕ってやつ?
しおりを挟む「おはよう、エメ。 ……ねえ、起きてる?」
机に肘を突いてそこに顎を乗せ、ぼんやりしていると、登校して来たケイトが声をかけてきた。
「ケイト、おはよう。起きてるよ~」
にへ、と笑ってみせたら、ぺち、と額を軽く叩かれた。
「ちょっと、しっかりなさいな。今日から授業なのにもう気が抜けてるじゃない」
「いた……くはない。ごめん、授業始まったらちゃんと気合い入れる」
「そうしてちょうだいな、特待生さん」
ケイトはふふ、と艶やかに笑って後ろの席へ向かう。
「はよ、ケイト」
「おはよう、ニコル。 ……なによ、あなたまで? どうなってるのよ」
「……聞くな。はー……すげえ怖かった……」
「は?」
ちら、と後ろを振り返ると、首を傾げながらもケイトがニコルの頭をよしよしと撫でてから席に着いている。あれ、私はおでこ叩かれたのに。羨ましいけど優しい光景に癒された。
やがて始業のベルが鳴り響くと同時に一限目の数学の教師が教室に入って来た。クラスの担任バートランド・フランクリン先生だった。
歳の頃は二十代後半かな。数学教師より騎士の方が似合っていそうな逞しい体格と精悍な面立ちをしていて、美丈夫という言葉がぴったり当てはまる。
紅柱石の瞳と赤みを帯びた茶髪で、肩の上辺りまで伸ばした髪をハーフアップにし、ボタンをひとつ外したシャツにウエストコートを着ているのだけれど、鍛えているのか胸のところが若干パツッと張っているし、捲った袖から伸びる腕にはしなやかな筋肉の筋が浮き出ている。なんか、こう……色々ムンムンしている人だ。
……ねえ、先生ってほんとに数学教師なの?
「授業始めるぞ。さっさと教科書開けー」
数学教師なら繊細で神経質そう、という先入観を覆す筋肉とざっくばらんさを垣間見せるバートランド先生だが、授業中にかける眼鏡が知的で似合うことといったらない。
教室内の女の子たちがムンムンに匂い立つ大人の魅力にぽーっと見惚れている。
とりあえず、またケイトに叱られないよう授業に集中しよう。
基本的にバートランド先生の授業は楽しいので、あっという間に時間の過ぎる感覚がする。
今日はケイトの後ろの席、学年四位で学級委員長のジュリアン・フルニエ君が、バートランド先生ご指名により難解な計算式を解かされていたのだけれど、途中わからなくて詰まった時ジュリアン君の後ろの席で彼と同じ学級委員のカミーユ・バルトワ嬢がこっそり教えてあげていたのが本日の見せどころだった。
ジュリアン君とカミーユ嬢が照れながらちらりとアイコンタクトを交わすのを私は見逃さなかったもんね。
あ、あ、甘酸っっっぱ……っ! とどれだけ叫びたかったか。
ニコルには案の定きょとんとされたけど、ケイトは目が合った瞬間、親指を立てて同意してきたので、ここにジュリアン・カミーユ……長いので略してジュリカミ見守り隊が発足した。
なお、バートランド先生には残念な子を見るみたいな目を向けられた私たちであった。
さて。午前中の授業が終わり、昼休みに入った。
昨日話し合ったとおり、ニコルとケイトと三人で早速第三棟のカフェに行ってみることにする。
途中、それぞれ単独で第三棟へ向かっていたジュリカミの二人に遭遇、これは好機だとそれぞれ誘ったら了承を得られたので、五人で向かうことになった。
暖かい陽気に少し冷たい風が心地良い天気なので、注文を終えると外のテラス席に座り、美しい庭を眺めながら改めてジュリカミの二人に自己紹介をする。
「えっと改めまして。エメ・リヴィエールです。隣国の辺境伯家の娘です。どうぞエメと呼んでください。それから出来れば敬語はなしの方向で。けど無理強いはしないから、二人が良い方を選んでね」
「ニコル・オトニエル、子爵家嫡男だ。オレも呼び捨てにしてくれ」
「ケイト・シモンズよ。男爵家嫡女です。同じくケイトと呼び捨ててくださいな」
ぺこりと会釈すれば、二人からも同じように会釈が返ってきた。
「ジュリアン・フルニエ、侯爵家三男だ。僕も呼び捨てでお願いする」
ひょろりと背が高く癖のある黒髪と銀縁眼鏡。黒髪眼鏡が若干キャラ被りだけれど、涼やかな切れ長の目元に藍色の瞳は凪いだ湖面のように静かだ。
ただ、あまり表情が動かない様子なのに、相手がカミーユ嬢だと目元は和らぎ口角も上がるっぽいのが……実に良き。
「カミーユ・バルトワ、子爵家長女です。同じく私のことも呼び捨てでお願いしたいな」
嫡女ではなく長女、か。貴族家の半数以上はワケありだよねえ……。今はまだ突っ込んで聞くのはやめておこう。
カミーユ嬢は癖のないダークブラウンの長い髪を後頭部でひと纏めに結わえ……謂わゆるポニーテールをしていて、こちらもすらりと背が高く、凛々しい面立ちの中で若葉のような橄欖石の瞳が生き生きと輝いている。長い手足に引き締まった若い雌鹿のような体躯も相まってどこか女騎士を彷彿とさせるから、これは令嬢方の人気を掻っ攫いそうだな、と思う。
自己紹介を終えたところで質問の先陣を切ったのはケイトだった。
「お二人はひょっとして知り合いなの?」
ジュリアンとカミーユは互いに顔を見合わせると、僕が、とジュリアンが頷いた。
「領地が隣り合っている関係で昔から家同士の仲が良いんだ。だからカミーユは幼馴染で……婚約者だ」
ジュリアンの切れ長の瞳、その目の端がほんわりと朱に染まる。
あらやだ、ステキ。
見れば、カミーユも顔が真っ赤だ。
あらもう、なんてこと。凛々しさの強い女の子が照れると可愛さが半端ない。
私たちまで見事にあてられたよね。
「幼馴染の婚約者でずっと仲が良いなんてステキねえ……」
ケイトがうっとり呟く。
それから二人の話や領地の話で盛り上がる中、料理が運ばれて来たので一旦中断し、暫く静かに食事を進めていたのだけれど、やがて話は今朝あったイキリのご令息との出来事に移って行った。
私が今朝の顛末について話し終えると、
「へえ、そんなことがあったなんてねえ」
と、人参と胡桃のサラダをつつきながらケイトが相槌を打ってくれた。
「殿下は否定してるみたいだけど、そのご令息が言う殿下の想い人って誰なんだろう」
咀嚼していた白身魚のソテーを飲み込んでから、そう言って小首を傾げるカミーユ。
「エメは気になる?」
静かに訊いてきたのはジュリアンで、カミーユの好物なのだろうホワイトアスパラガスを実に自然な動作で彼女の口元へ運んでいる。 ……あ、食べた。そして直後、私たちに見られていたことに気づいて慌てている。可愛い。
その微笑ましい光景を横目に、切り分けたチキンのグリルをマッシュポテトと一緒に口へ運んだ私は、うーん、と首を傾げた。あ、レモンバターソースが美味しい。さわやかなのにコクがあって好みの味だ。
「全く気にならないと言えば嘘になるけど、取り乱すほどではないかなあ」
そう返せば、ケイトが興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
「え、なになに、正妻の余裕ってやつ?」
「正妻って。いや、そういうのじゃなくて。殿下がそのご令息に“自分の気持ちをお前が決めるな”みたいなことを言っていたから、単純に誤解してるんじゃないかなあと」
例のヤバい彼女のことだったら明らかに誤解だしなあ。そうじゃなかったら……うーん、それならもう昨日のうちに話してくれていると思うんだよね、アシュレイ様なら。そういうところは信用して良いと思うんだけど。
「えー、そんなこと言って誤解じゃなかったらどうするのよ?」
「ええ……うーん、どうすると言われても。どうもしないかな。殿下のお気持ちは殿下のものだから」
うん、そうだよ。殿下にだって選ぶ権利はあるのだから。そう。私を選ばないという権利が。
平坦な気持ちでそう考えた……はずなんだけど。
一瞬。ほんの一瞬、細い針で刺したみたいに胸の奥がチクリとした。
ああー……誤魔化せればどれだけ良いか……こういう時、自分の気持ちすら察してしまう己が憎い。
溜め息を吐きたいのを堪えていると、ケイトが呆れたような目を向けて来る。
「んもう、エメってばドライねえ。殿下のこと好きなんじゃないの?」
「え? いや、もちろん好ましいと思っているよ。王子様なのに気さくで身分や外見で人を見下したりされないし、常識的で真面目で優しい方だしね。でもそうは言っても昨日が初対面だから……」
と、ほんのり苦笑してみせれば、つまんない、とでも言いたげに頬を膨らませた。
対して、納得顔をしたのはジュリアンだった。
「まあ、初対面で育つ気持ちなんて普通はその程度じゃないか?」
さすが、幼少から大切に幼馴染との愛を育んできた人は言うことが違う。ぜひ恋愛マスターとお呼びしたい。
そこへ、でも、と言ったのはカミーユで、目線を天井へ向けてなにか思い出そうとしている。
「そういえば昨日の朝の……私も遠くから見てたけど、殿下の方は初っ端から溺愛全開って感じだったね?」
「あーそれは……うん、なんでなんだろうね?」
そこは曖昧に笑って知らない振りで誤魔化しておく。
昨日の溺愛モードには裏があったから。
……でもそれとは別にアシュレイ様、なんか嬉しそうなんだよね……。誰も見てないところでもずっと手を繋ぎたがったり、いちいち視線が蜂蜜みたい甘く蕩けてるし……。
だから……たぶん、その辺はそこそこ自惚れても良いのではないかと……うん。
私は察しが早い女なのである。
ていうか良いじゃないかそれくらい。私だって年頃の女だから、あれだけ態度に出されれば悪い気はしないものなのですよ。チョロいとか手のひら返しとか言われても知らんし。
そもそもあの顔面凶器の美貌と美味なる手作りお菓子で迫られてチョロくならない人いる? 私は無理。それだけですべてを乗り越えられるとは言わないけれど。
というか、何より本当に不思議なことに、触られても嫌じゃないんだよなあ……むしろ逆に落ち着くのなんでだろう。いつもなら見知らぬ異性に触れられると体が硬直してしまうんだけどな。
嫌じゃないと言えばゴールドフィンガー・セヴラン様にも頭を撫でられたけど、あれはもう明らかに人扱いではなく愛猫を撫でる手つきだったから論外だ。 ……とはいえあれはあれで、ある意味危険な気もするけども。
あとニコルは自分から手を繋ぎに行ったけど、友達というか、ニコルは性別ニコルっていうか。そんな感じなので。
「おい、そんな感じってなんだよ」
「……あれ、漏れてた?」
向かいの席でニコルがじとっと半目で睨みつけている。子猫ちゃんの睨みはただただ可愛いだけだった。
「ンフッ、性別ニコル……わかる」
そう言って笑いをこらえるケイトと力強く握手する。
「だよね」
「うん」
「お前らだけでわかりあってんじゃねえよ」
「ねえ、ニコ、って呼んで良い?」
「は? いきなりなんだよ……まあ、良いけど」
ぷい、と視線を逸らしつつも、尖らせた口の端がちょっと嬉しそうにピクピクしているニコルが可愛い。
ケイトも「私もニコ、って呼びたい呼んで良いわよね。ていうか呼ぶわ」と笑顔でゴリ押し、ジュリカミの二人が僕たちも、とそれに乗じ、そんなこんなで結局今朝の顛末のことは流れてしまい、そのまま昼休みは終わったのだった。
応援ありがとうございます!
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