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そんな態度で許されるとでも……?
しおりを挟む「………………ねえ、君」
アシュレイ様の地を這うような低音に、さすがにイキりのヤンキーご令息もビクッとする。なんなら私もちょっとビビった。セシル様はおっとり微笑んでいる。強者がここにおった。
「公式な発表はまだとはいえ、特待生のエメは私の婚約者だ。なれば彼女は既に準王族の身。その彼女に対して君、そんな態度で許されるとでも……?」
セシル様も怒らせてはいけない人だけど、アシュレイ様もそうだった。しかも王子ゆえに背後に王家の最高権力がちらついて余計にコワイ。
それにしても。
すっと目を眇めるアシュレイ様の周囲には耐性がなければそれだけで震え上がること間違いなしの冷気が吹き荒ぶ。自分に向けられるのは怖すぎて勘弁である。
ヤンキーご令息もさすがに顔を青褪めさせたが、すぐに私を殺気の籠った目で睨み、怒声を上げた。おお、めげない。怖いもの知らずという点においては素直に凄いと思う。ある意味、と注釈はつくけれど。
「なんで……なんでお前みたいなやつが……っ!」
私みたいなやつが……?
はて、と私は首を傾げた。
なぜ私みたいなのがアシュレイ様の婚約者に収まったのかどうしても納得がいかない、ということだろうか。
「お前が……っ! お前が特待生なんかにならなければ! 殿下は本当に想うあの方と、」
「――君、さっきからうるさいよ?」
遮ったのは、先程とは比べ物にならないくらいの低い声だった。決して声を荒げたわけではない。けれど、そのあまりの静かな迫力にご令息の舌は凍りついたみたいに固まってしまった。
「君がどこの家の子か知らないけど、私の気持ちはいつから君が勝手に決めて良いことになったのかな?」
目の笑っていない微笑みからの真顔。すうっと変わっていくその様に、今度こそご令息が顔を真っ白にさせて小刻みに身体を震わせる。
うん、イキってる場合じゃないよね。超訳すれば、お前がどこの家の者か知らんけど、次下手な事言ったらどうなるかわかってるよな? だもんね……。
いや……もう……こっっっっっっっわ......。冷気どころじゃない。猛吹雪だ。
声は静かなのに怒鳴られるより遥かに怖い......。
ちょうど私を見つけて駆け寄って来たニコルがうっかり流れ弾に当たって凍りついてしまったじゃないか。
ススス......と私の横に来ると(王子の反対側)、私の制服の裾をギュッと掴み、涙目でぷるぷる震えている。ほら、やっぱり子猫ちゃんはニコルだって。ニコって呼んで良い?
ヨシヨシ、怖かったねえ。と頭を撫でてあげたいのはやまやまなのだけれど、片手はアシュレイ様に握られていて、もう片方は鞄を持っているので出来ない。無念だ。
しかし続々と登校して来た他の生徒たちの注目を浴びつつあるな。皆遠巻きながらも何事かと興味津々に耳を澄ませている。貴族社会においてあらぬ憶測や噂はあっという間にさも真実であるかのように広がってしまう。一種の情報戦とも言えるけれど、だからこそ迂闊に隙を見せてはならない。油断を怠ったばかりに足元を掬われるのは御免被る。
なので、うーん、これはちょっといただけない。
というわけで、よし、即時撤退だ。
私は判断が早い女なのである。
「あのう、とりあえず名もお家も存じ上げないあなた様が私にお怒りなのはわかりました。そのお気持ち、しかとお受けいたしましたので、それではこれにて失礼致します」
ご令息に注意が行っているせいで緩んでいたアシュレイ様の手をスパッと振り解くと、鞄をそちらに持ち替え、空いた手でニコルの手を引っ張ってさっさと校舎へ向かう。
「えっ、ちょっと待ってエメ......ッ」
呼び止めようとするアシュレイ様へ振り返ると、「この件はまた放課後に」と言い残し、再度ニコルの手を引いて早足で歩く。
「ちょ、おいエメ、い、良いのかよ……?」
良いんだよ、ニコル。いたいけな子猫ちゃんを怖がらせたのだしね。
「おい、お前! 待てコラ!!」
あれだけアシュレイ様にビビらされておきながら、なおもご令息が怒鳴る。無視しても良かったのだけれど、怒鳴り声にニコルがビクッと反応したので、仕方なく立ち止まると、振り返りながらニコルを背中に隠した。
「まだ何か?」
「......は?」
ぽかんとすな。待てと呼び止めておいてぽかんとすな。ヤンキーの名が廃るぞ? 本人は拝命したつもりはないだろうが。
「ですから。あなたが私に怒ってらっしゃることは把握しました。これ以上、何か?」
真っ直ぐにご令息を見据えると、みるみる顔を怒りに赤く染めた彼が声を荒げた。
「あ? ふざけんなよ!?」
「ふざける意味がわかりません。むしろふざけているのはあなたでは? あなたのその怒りの理由は実に理不尽です。つまるところ、あなたが私を気に入らない、あるいは許せない、ということでしょう。ですが、何故、とお訊きしたい。何故、あなたに許される必要があるのですか? あなたに許されないことを盾に怒鳴られるのは理不尽以外の何ものでもありません。あなたは私にどうしてほしいのですか?」
「……なっ、なん……っ」
ひたと視線を逸らさないでいれば、明らかに怯んだ。まったく、そんなんで喧嘩を売ったのか、と少し嘆息したくなる。これはヤンキーではないな。とんだ似非ヤンのお坊ちゃんだ。怒鳴るだけで腹芸も何もあったものではない脊髄反射な甘ちゃんではないか。凄みで言えばよほどアシュレイ様の方が数百倍も怖かった。
「面と向かって理不尽な怒りをぶつけられ、けれど、生きている以上そういうこともあるだろうと、ただそれをすんなり受け入れただけなのですが、なにが気に入らないのでしょう。 ……ああ、ひょっとしてあなたは私に傷ついてほしかったのですか?」
大きな声で怒鳴って威圧し、貶めて傷つけたかった? それならお生憎様だ。
無意識に口角が上がる。
ご令息が息を呑んで後退った。
「もちろん私が何か不手際を起こしたのが理由であれば誠心誠意謝ります。あなたが望むだけ謝罪し続けましょう。ですが、特待生ゆえにと言われても正直、知らん、です。特待生の特典に釣られて試験を受けたのはその通りですし、その際、受かれば側近か婚約者に、という説明をうっかり聞き逃していたのも確かに私の落ち度ですが……ですが、そもそもそれが不都合であれば初めからそんな条件無くせば良かったのではありませんか? または想い合う方が既におられるゆえに本気で無理なら殿下ご自身が訴え出るなり異論を唱えるなり何らかの手を尽くすなりするのが本来の筋というものでは? でもそうはされなかったのが答えではないのですか? ならばなぜ正当に試験を受けただけの私にそれらの責任と罪悪感を負わせようとされるのです? 私が試験で不正でも働いて無理矢理婚約者の座に収まったというなら話は別ですが、そうでないのなら私が特待生であることと、それ故に殿下の婚約者であることの正当性をあなたにどうこう言われる筋合いはどこにもありません」
ご令息、絶句。
ここまで息継ぎなしで言い切ったからなあ。言いたいことは言ったので、もう構うかと今度こそニコルの手を引いて教室へ向かった。
なんか後ろでご令息だけでなくアシュレイ様やセシル様までもが呆然と立ち尽くしていたけど、まあ良いや、ほっとこ。
応援ありがとうございます!
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