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前代未聞……?

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 タダより怖いものはない。

 講堂にて始まった入学式、演壇の見える舞台袖の入り口の所で、半分魂の抜けた顔で立つ私は、スピーチをする学園長の寂しい後頭部を眺めながら、その言葉がまさに真理だと確信していた。

 ちらりと隣に立つ王子の顔を窺う。
 澄ました顔してるなあ。王子よ、あなたはなぜそう落ち着き払っていられるのだ。というか、よく見ればなんだか妙にご機嫌麗しくないか? 今が入学式でなければ鼻歌でも歌っていそうな雰囲気を醸しているのだが? 

 ええ……なぜだ。
 いきなり見ず知らずの得体の知れない女が婚約者(暫定)になったんだぞ? 側近ならまだしも私生活にもがっつり食い込む伴侶になるかもしれない女だぞ? 

 良いのか王子、それで。それで良いのか、王子。
 もっとこう、なんかないのか? 実は幼き頃から想い合っている可憐な令嬢がいるとかさあ!? それなら喜んで、諸手を挙げてとっとと辞退致しますが!? なんなら側近で手を打ちますが!? 

 そもそも側近か婚約者どちらだ、と問われたはずなのになぜ婚約者一択なのか!? 

 やはり辞退できるものなら辞退したい。切実に。
 だって私は卒業したら故郷に帰って就職したいのだ。週中は一生懸命働いて、週末ゆっくり自分の好きなことをして過ごすのが夢だ。

 何より私の帰りを家族や親戚友人が待っているのだ。だというのに何をまかり間違って王家に永久就職なぞ……考えただけで恐ろしい。逃げたい。全力で逃げたい。
 それにやはり、私では……私などでは……。

 はっ、 ……そういえば故郷の家族はこのことを知っているのだろうか……いや、知っていたなら絶対母様を筆頭に家族親戚こぞって大反対していたに違いない。何せ、母様に至ってはあんな即席家訓を作り出すくらいなのだから。よりにもよって王子とは何事か! とすごい怒りそうだしなあ。
 家訓(仮)、今のところ微塵にも役に立っていないけども。

 うう……今からでも遅くないからこのことを知ったらすぐに反対してくれないかなあ。それなりに学園生活を楽しみにしていたのに、今となっては故郷に帰りたくて仕方ない。
 
 それにしても特待生制度試験の時、そんな説明あったっけ? 
 何せ試験前日、泊まっていた宿で明日に備えてしっかり睡眠を取ろうとベッドに潜り込んですぐ、隣の部屋で異臭騒ぎが起きて。
 どうも旅行で来てたどっかの貴族の坊ちゃんが興味本位で買った世界一臭い魚の保存食とかいう珍味を部屋で開封しちゃったらしく、良い感じに発酵されたそれが漬け汁諸共四方に飛び散ってそれはもうとんでもないことに。
 壁越しに聞こえる坊ちゃんの悲鳴がうるさいのと、慌ただしく行き交う従業員の物音と早くなんとかしろ、と喚き怒鳴り散らす坊ちゃんの声がとにかく延々続いて、結局明け方二時間くらいしか眠れなかったのだ。
 それでも試験は気力を振り絞って出来たけれど、あとは寝不足のせいでぼーっとするあまり聞き逃していたかもしれない……。

 あー……言い訳のしようもないなあ、これは。知らなかったじゃ済まされないのはわかっているけど……。
 今更ながら己の迂闊さに項垂れる。側近にしろ婚約者にしろこんな迂闊なので大丈夫なのか? この制度見直しませんか? そして異臭騒ぎ起こした坊ちゃんは許さん。誰か知らんけど。

 そもそも側近か婚約者って最初に決めたのは誰だ。見つけたら胸ぐら掴んで揺さぶって責任転嫁してやりたい。
 
 本当にタダより怖いものはない。
 だって、たった三年間をほぼ無料(タダ)で過ごす引き換えが王子との婚約で、万が一婚姻に至ったならばその後の何十年という一生を王家と国にその身を捧げねばならないとかこれこそ割りに合わな過ぎるではないか。

 嘘だろう……誰か嘘だと言ってくれ......。

 あああああ、と叫び悶絶しながら床を転げ回りたい衝動を堪え、かわりに口の端から長い長い溜め息を漏らすように吐き続けていたら、学園長の肩がびくっと跳ねた。
 焦ったように急にスピーチの速度が上がった気がするのだがどうしたのだろう。顔色が悪いし震えているしで突然の腹痛かなにかかな。朝食食べ過ぎたとか?

 しかしそのおかげなのか、子守唄という名の学園長挨拶で白目になりかけていた新入生たちの顔が徐々に輝きを取り戻し、在校生及び教職員もにこにこ笑顔になっている。身体の後ろで親指をぐっと立てているの誰だ。

 驚異的な速さで入学式が進行していくワイルドスピードスピーチ、声は震え、噛み噛みなのがやや残念だが皆がハッピーになるようなので今後もその方向性でお願いしたいものだ。
 ちなみに隣の暫定(私は断じて認めていない)婚約者様は、涼しい顔の下で身体が小刻みに震えている。 ……王子よ、さては意外と笑いの沸点低いな?

 ハイスピード学園長挨拶が終わり、続いて新入生代表挨拶で私の名が呼ばれたので演壇へ進み出る。学園長がすれ違いざまなぜかこちらを見て怯えながら舞台袖に引っ込んで行った。 ……なんだ? なんであんなにビビってるんだ? 「あの長い溜め息、ダラダラ話すなよって言ってたのかな」なんて王子に確認取ってる声がするんだけど……誰がそんな溜め息吐いたんだろう? 学園長のスピーチ、速くて素晴らしかったのにな。

 と訝しみつつ演壇の前に立つと、途端、生徒たち、主に令嬢方のざわめきが大きくなるのは、十中八九、入学式前の出来事を目撃していたからだろう。

 私が王子に捕獲され、尚且つファーストおでこを奪われたことなどがひそひそとさざ波のように広がって行く。出来れば三年間、学園の隅でひっそり目立たないままつつがなく卒業したかったのだけれど。
 入学早々めちゃくちゃ認識されていくじゃないか、王子に巻き込まれたせいで。うっかり自分からも巻き込まれに行ったけども。
 まさか婚約者云々だとは思っていなかったから、あれっきりだと思ってたんだよ。やっちまった感が半端なくて泣きたい。

 いやあ、彼方此方あちらこちらからあらゆる色の視線が突き刺さって痛いのなんの。
 しかも、格好を見て私を男の子だと勘違いしている一部のご令嬢方の目がギラギラしているのはなぜだろうか。嫉妬ややっかみではない。あれは格好の獲物を見つけた飢えた捕食者の目だ……コワイ。

 極力そちらは見ないようにし、頭に叩き込んできたスピーチの内容を思い浮かべながら深く息を吸い込んだ。

「伝統と格式あるこのサウスフェリ王立学園の一員として責任と高い志をもって……」

 
 なんとか噛まずに無事スピーチを終え、安堵の気持ちで見渡せば、なぜか講堂にいるほぼ全員が肩や身体を震わせて身を屈めたり蹲っていたりした。

「え、あれ……?」

 ぱちぱちと瞬く。
 何か耐え難いほどおかしなことを言っただろうか。定型文か、と言うくらい特に面白みもない無難な内容そのものだったと思うのだけれど。

 ただ学園長挨拶に敬意を払い、かつそれに倣って三倍速で口上を述べただけなのだが。 
 
 はて、と首を傾げつつ舞台袖に引っ込めば、学園長挨拶を耐え抜いた王子の腹筋は崩壊し、片膝を床につけて崩折れていた。

「ぐっ、んんっ、ちょっとエメ……ッ、君という子はどうしてそんなに……っふ、ふはっ、もう前代未聞だよ……っ」
「前代未聞……? しかし、こんなこともあろうかと弟に超高速絵本読み聞かせをしておいて良かったです。おかげで噛まずに済みました」

 ちなみにこれをやると弟は三秒で寝る。こちらも超高速就寝である。
 
 ひとまず役目を果たしたと胸を撫で下ろせば、王子は更に噴き出しながら、「超高速読み聞かせ……っ、なんだそれ、ああもう駄目だ可笑しい、お腹痛い」と目尻に溜まった涙を指で拭っている。

「心外です」

 こちらは至極真面目にやっただけなのに。そう、極めて真面目に。あくまでも。

 何度かげほげほ咳をしたアシュレイ王子だったが、代表挨拶で名前を呼ばれたため、護衛を兼ねているらしいセヴラン様から水の入ったグラスをもらってひと息に煽ると、はー、と大きく息を吐き、

「せっかく考えたスピーチの内容が危うく全部飛んじゃうところだったよ」

 などとうそぶきながら、憮然とする私の頭をくしゃりとすると、瞬時に涼やかな顔を張り付けて演壇へ向かって行った。

 演壇から自信に満ちた声が朗々と響いてくる。 ──四倍速で。

 な ん だ と。

 よりにもよって私より速く、しかもなんという流暢さか。
 思わず愕然と王子の背中を凝視する。
 あれだけ速いのに、何を言っているのかするすると理解出来るなんて。

「すごい……」

 ぽつり、呟いたら、いつの間にか後ろにいた生徒会執行部の皆様が「感動するの、そこ!?」と静かに爆笑していた。
 
 いやだって。この王子、顔も美しいが声も実に素晴らしい。
 十代の少年を僅かに残した瑞々しいテノールの音域で、低過ぎることのない声は柔らかさを伴ってよく通り、水の流れのように耳に心地良く、抑揚と緩急の付け方も非常に巧みだ。

 生まれもった才能かはたまた努力で勝ち得たものか、自然と人を従える、あるいは自然と人が従いたくなる、そんな声と話し方だった。これにはさすがとしか言いようがない。あんなに爆速なのに。

 そういえば、アシュレイ王子は第二王子だった。第二でこれなら兄君の王太子は更に優秀ということだろうか。確か王太子と王太子妃の間には八歳と六歳になる男児の御子が二人いたはずだ。

 ちなみに現国王には側妃も愛妾もおらず、正妃との間に設けた子供は三人。二十九歳の王太子、スメラギ皇国へ嫁がれた二十五歳の王女、そして末っ子で十七歳のアシュレイ第二王子となっている。王太子と第二王子はずいぶん歳が離れており、第二王子が産まれた年に第一王子が立太子し王太子となっていたため、王子たちの間では特に継承争いなど起こることもなく王女も含めて兄弟間の仲は非常に良好だと聞き及んでいる。

 その他王族として国王には弟君がおられ、こちらは既に臣籍降下されて公爵位を賜っておられるが、それがアリンガム公爵家、つまりクレア様の父君にあたられる。

 そんなこんなで愛憎渦巻かない平和な王宮に在わす国王は、噂ではあと二、三年で王位を王太子に譲る予定らしいが、果たして本当だろうか。その辺の真偽は定かではない。

 ……ん? そういえば王太子の御子……つまり王太孫、か。それも男児の御子二人。ということは、王太子の御子達がこのまま何事もなく健やかに成長あそばせば、次に立太子されるのはその御子達のどちらかということになるわけで、仮に王太子が二、三年後に王位を受け継ぎ、その御子のどちらかの立太子が現王太子と同じく十二~十四歳辺りであるなら、アシュレイ王子はそう遠くない将来に王位継承権を放棄し臣籍降下される……?

 今後アシュレイ王子が変な気を起こさず、もしくは王子を担ぎ上げようとする派閥が余計なことをしさえしなければ王位はひとまず安泰と言えるだろう。
 まあこれは王太子ならびに王太孫の治世が良きものであるということが前提ではあるが。

 王位継承のあたりのことは、後ほどアシュレイ王子自身どうされたいのかも含めてしっかり訊いておかねば。 

 ……って、いや待て。待て待て待て。なにを先走っているんだ私は。婚約など認めていないはずじゃなかったのか。私に婚約者はいない。いないったらいない。
 知らなかったので無効、なんてことにならないかなあ。なるわけないよなあ。ああ、白目剥きそう。

 そんなことをつらつら考えている私をよそに、王子ご乱心の四倍速に講堂のほぼ全員が息も絶え絶えに撃沈しており、もはやそこは腹筋の耐性を極限まで試される地獄の入学式と化していたのだった。




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