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H-43.木曜の予定 1
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少し、身体が重い気がする。雨が来るのかもしれない。ベッドの中で天気予報を確認すると、今日はまだ曇り、週末には台風が接近するらしい。
(怠いわけだ……)
今日はスタジオの日で、基樹くんがギターを運ばないといけないから、雨は降らないで欲しい。基樹くん、雨だったらどうやってスタジオへ行くつもりだろう。昨日の時点で連絡がなかったし、私はシューぺで待っていたらいいんだとは思った。
週末に雨なら、バイトには雨の中歩いて行って、頭痛を感じながら働くことになる。まだ働き始めたところで、集中して紛れたり、基樹くんがフォローしてくれたりすると分かっていても、あまり甘えたくはない。その分、気を許していると思われてしまう。早めに薬を飲んで、対策は取っておく方がいい。
☆
あいつに手を掴まれて以来、北原くんが図書室についてくる。教室を出ると後ろに居て、そのまま立花先生と一緒に三人でご飯を食べる。
気になって聞いてみると、「オレがいれば小林が来ねえだろ」と言われた。それは確かにそうだけど、北原くんにメリットがあるように思えない。色目も向けてこないし、何のために私の近くにいるのか掴めない。
あいつに絡まれなくて済むのはいい。でも、北原くんが目立たないわけではない。西高の中では髪色がおとなしくても、十分整った顔をしてるんだと、周りの反応を見ていると思ってしまう。
(あいつから離れられるけど…、結局女子の目は痛いままだよ)
☆
北原くんと一緒にスタジオに向かうのは避けたかった。別に、私だけの問題ならいいけど、基樹くんがいい顔をしないのは分かってる。あいつも、授業が終わってすぐの今なら女子に囲まれて動けない。北原くんの準備を待たずに、ひとりで教室を出た。
(よかった、雨は降ってない)
空を見ながら靴を履いて、いつも通り自転車に乗って、無事に西高を出た。シューペに停めるには、中央駅前を通らないといけない。基樹くんは家へギターを取りに帰ってるはず。ショッピングモールやスタジオのある駅前を避けて、市立大の方へ大きく回って自転車を降りた。
シューペの、周囲からは浮いた外観を眺めていると、基樹くんが来る音がする。一週間ぶりに見る、ギターを背負った姿だ。「お疲れ様」と変わらず挨拶をして、歩き始める。
「妃菜ちゃん、テス勉は大丈夫?」
「うん、ひとりでもできるから。こっちの方が時間過ぎるの早いし」
スタジオに来れる方がいいと言っておく方が、基樹くんは離れていかない。ひとりで時間を潰さなくて済むことに慣れてきて、その分基樹くんとの距離も近づいてるんだと思うと、近づくことをずっと許可し続けるわけにはいかない。私は、家から離れる口実として、基樹くんを利用しているだけだから。
親について言いかけた時のことを、基樹くんは聞いてこないけど、たぶん分かってて口に出してない。気を遣ってくれているんだと思う。基樹くんを伺い見ると、スタジオを前に緊張しているのか、ゆっくり息を吐いていた。
受付カウンターで記名した後、航さんについてロビーと廊下を進んで、今日の部屋は《KEEP OUT》の手前にある一号室だ。中に入って、真っ直ぐにキーボードのイスに座る。変にうろついても邪魔になるだけだ。
前回とほぼ同じスタジオ内の物の配置を眺めつつ、ギターを下ろす基樹くんを見る。ギターを準備する基樹くんの目線の先には、尊さんがいた。
「ありがとうございます」
「いいよ、覚える気があるなら別だけど」
「あ、はい。やってみたいです」
「そう? じゃあ今度は置いておくよ」
(ああ、そうか…)
マイクがすでに立ててあって、歌える状態になっていた。本当なら基樹くんが使うもので、自分で用意したいと思うのも当然かもしれない。ただ、基樹くんはギターを取りに一旦家に帰るし、大学生の尊さんとはスタジオに来るまでの時間の余裕さがきっと違う。短縮のために、シューペではなく中央駅前の駐輪場を使えばいいとは、言わないでおく。たぶん、嫌がる。
ドアが開いて、西高の教室に置いて来た、北原くんが入ってくる。防音扉をしっかり閉めてから、その顔が私に向いた。
「長谷川って、自転車?」
「うん」
「どうりで…、スタジオ行くなら同じ電車だろうなって思ってたんだけど」
「あいつに絡まれたくなくて、できるだけ誰の視界にも入らないように教室出るから」
「何それ、忍者?」
「なれたら楽かもね」
基樹くんの表情は変わってない。変わってないけど、自分の準備に集中しようとしてるのが分かる。必死に、私から目を逸らそうとしてる気がする。
(ただの、クラスメイトだよ…?)
基樹くんが私に好意を持ってるのは気付いてるけど、北原くんはクラスメイトで、西高内で唯一私が話す同い年だ。それ以上でもそれ以下でもない。基樹くんは、そんなに子どもじゃない。精神的に幼い人を、私が頼ろうと思うわけがない。
☆
スタジオでの時間は、あっという間に過ぎる。私はただ聴いているだけだけど、基樹くんの声は相変わらず心地いいし、ただ見て聴いているだけの時間が苦痛じゃない。
「前野、これからもスタジオ来るなら、料金割るのに含めていいか?」
「はい、むしろ気になってたんで」
「実家、金持ち?」
「いや、バイトしてます」
実際のところ、基樹くんのお父さんは社長だから、家にお金がないわけではないんだろう。でもそれを見せびらかすような基樹くんではないのも知っている。弟を理由にしていたとはいえ、バイトをさせた上でギターを買わせるくらいだから、きっと私の両親よりはずっと、金銭感覚も普通なご両親だ。
会話を聞きながら、財布を取り出す。スタジオに来ると記名する受付カウンターには、前回は気が付かなかったけど料金表もあった。私もここにいる以上、払わなければ。その方が、ひとり当たりは安くなる。
「東高で?」
「航さんもじゃないんですか」
「あ、バレた? 長谷川さんはいいよ。演者じゃなくて、聴いて欲しくて居てもらってるから」
「え」
「女子に払わせるほどじゃねえしな」
基樹くんを見ても、頭を横に振られただけだった。意見を聞こうと思ったけど、基樹くんなら私に払わせることをしないのも、今までの行動で腑に落ちてしまう。いやいや、スクールバッグに財布を戻した。
「ねえ、時間ある? 時間というか、ご飯食べて帰っても怒られない?」
「え? まあ…」
「スタジオでやる曲とか、決めたいんだよね」
スタジオで話し合いをするよりは、楽器を弾く時間にしたいんだろう。話すだけなら、楽器を鳴らせない他の場所でもできる。私でも分かる、効率的な使い方だった。
家に帰る時間が遅くなるなら、それで構わない。基樹くんは、ふたりになりたいと思っているかもしれないけど。
「さっきやった曲、録音したから曲のとこだけ切って送る」
「おー、さすがっすね、航さん」
「前野が思ってたより上手いからな」
「え」
「自信持てよ。そこらの軽音部より、歌もギターも上手いよ。基礎練ちゃんとやってるのが見える」
急に褒められた基樹くんを見ると、赤くなってはいなかった。代わりに、少し目を細めてイケメンさが増しただろうか。私と放課後に会うようになってから、裏道の特等席が使えなくなったり、保健室登校になったりして、あまり調子が良くなかったのは想像しやすい。バンドがひとつ、回復の一歩になるのかもしれない。
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