ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

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H-42.あったかい手

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 ☆☆☆


 だいぶすっきり目が覚めた。慣れないバイトで疲れたのかもしれない。寝不足だったのは先週の後半だけといえばそうだが、親に遭ってしまうと乱されて、落ち着かなくなる。それを解消するのは本でもカフェでもなく時間で、今までずっと耐えるしかなかった。きっと、これからも同じだ。

 クラスの女子からの目線は変わらない。そんなに他校の男子としゃべりたいなら、別にそうすればいい。あいつにだって、私は興味を持ってない。勝手に話しかけて仲良くすればいいのに。


 ☆ 


 パスタサラダの入った保冷バッグを持って教室を出ようとしたら、あいつに手首を掴まれた。今日は、何も話しかけて来なくてほっとしてたのに。母親の話もあって、妙に気にしてしまうのは、見ないふりをした。

「逃げられると、追いたくなるね」
「離して」
「二回も振り解かれないよ、さすがに」

「…長谷川、先生呼んでる」

 北原くんのその言葉で、手が緩んだ。間違いなくあいつは北原くんを睨んだ。私は鼻につくムスクの匂いを振り解いて、すでに廊下に居た北原くんの方へ動いた。

 
 教室から職員室へ向かう途中にある水道で、勝手に立ち止まる。「長谷川?」と声を掛けてくる北原くんを無視して、手首から爪先までを洗った。

「…潔癖?」
「いや、あいつの手の感覚が嫌」

「…いつもどこでお昼食べてんの」
「え、先生は?」
「あんなの嘘だよ、オレも弁当持ってんだよね」

 図書室へ、連れて行っても大丈夫だろうか。立花先生は、たぶん待ってくれている。

 廊下を歩いていて気が付いた。北原くんからは、シトラスの香りがする。香水ではなく、制汗剤か整髪料だろう。あいつよりはずっと、近くに居ても大丈夫な人な気がした。


 ☆


「今日遅かったじゃない、あら」
「こんにちは」
「どうぞ、ふたりとも入って。ここで食べるのは内緒よ」
「分かりました」

 包みを広げながら、「すみません、いきなり来てしまって」と、北原くんが切り出した。「少し驚いたけどいいのよ、これから増えるなんてことがなければ」と、立花先生は笑った。

(コミュニケーションに抵抗がない人は、こうやって話すのか…)

 西高の中で、黒髪の北原くんは確かに私と同じで地味かもしれないが、性格は割とチャラそうに見える。もちろん、あいつほどではないけど。普段話す男子は基樹くんだけだし、北原君を初めて認識したのがスタジオだったことも、関係しているかもしれない。

「小林優って知ってます?」
「ええ、有名人ね」
「長谷川さんが絡まれてて。それで一緒に抜けて来たんです」
「そうなの、大丈夫だった?」
「はい」

 北原くんが、先生とどんどんしゃべる。すごい能力だと思った。私は、初めて対面した人とここまで打ち解けられない。どうしても、反応を探る方が勝ってしまう。基本的に、あの時モールで大学生に話しかけられたみたく、見た目で寄ってくる人しかいないから。

「あ、でも、すごく手を洗ってましたけどね」
「…気持ち悪くて」

 それは口に出さなくてよかったのに。先生が私の方を向いたから、応えないわけにはいかなかった。

「しばらく残るの?」
「慣れてるんで大丈夫です」

 父親の感覚も小林の感覚も、似てるから、慣れてるのは事実。北原くんがいるから、あまり踏み込んだことは聞かれなかった。先生は、私があいつから絡まれているのも知っているし、深く聞かなくても察してくれたのかもしれない。


 ☆

 
「今日、神社でもいい?」
「いいよ、直接行くね」

 基樹くんなら、断らないと思った。理由も気になるだろうけど、会うまでは聞いてこない。もしかしたら、会っても聞いてこないかもしれない。

 安心感が欲しくて、手に触れて欲しいなんて、上書きしてほしいなんて、言葉で言えない。基樹くんなら、きっと察してくれるから、頼りに行ける。

 テスト一週間前で、部活動が停止になった。みんなの下校時刻が重なって、帰りの自転車庫に人が溜まってる。掻き分けて、自転車に乗った。


 ☆


 わざと、神社の石段を駆け上がって、すでに待ってた基樹くんの顔を見た。ちょっと驚いてるけど、赤くはなってない。たぶん、何かあったことは分かってて、身構えて来てくれてるから。

「基樹くん」
「ん?」
「手、貸して」
「うん?」

 目の前に立つと、言った通りに、基樹くんは手を差し出してくれた。軽く握ったつもりが、握り返される。

「また、握られた?」
「うん」

 片手で握手していただけだったのに、隣に座った途端、両手で包まれる。

(……あったかい)

 この人の手には、嫌でもほっとさせられる。だから、苦しくなった時に一番に思い浮かぶ顔。基樹くんには友達もいて、私みたくひとりで過ごしてるわけじゃない人。寄りかかりすぎて、痛い目を見るのは私。距離を、間違うことはできない。

「逃げられた?」
「北原くんが助けてくれた」
「…そう」

 北原くんの名前を出すと、少し不機嫌そうに見える基樹くん。私への好意を向けてくれる人だから、他の男子の名前は聞きたくないんだろう。

 手から伝わってくる安心感が、もっと欲しいと思ってしまう。この人からは、もらえる。好意が向けられているのが分かる。これ以上踏み込まれたくないのに、触れて欲しい。基樹くんが私と会うのは、仕事じゃない、お金じゃない。ただ、私へ向ける気持ちだけで会ってくれる。だからこそ、何かの拍子で関係が壊れる可能性だってある。


 基樹くんには、親に遭ったことを話せてない。今日の朝はまだちゃんと寝られた感覚があったから、別に今すぐに話したいことでもない。必要がないことは、明かさなくていい。明かして頼っても、どうせ、長くても高校生活の残り一年半くらいが経てば離れてしまうんだから。それでも、頼りどころがないと、受験は乗り切れない気がした。手続きが待ってる以上、親と向き合うことを、学校からも求められるんだろう。絶対に、辛くなる。

(…基樹くんには、話してもいいって思えるなんて)

 今までは、考えられなかった。同い年の異性を頼ることになるなんて。利用するのだって、ずっとお金で繋がった人ばかりだったのに。立花先生よりもずっと、基樹くんを当てにしている自分には気付いてた。今もまだ握られた手を、振り解けないのがその証拠だ。

「……あのね」
「うん」

 手を、握りしめてくれる。震えてるのが、伝わってしまってるはず。頼りたくない。突き放したい。これ以上近づいたら、離せなくなる。私はずっと、独りだから。

「…やっぱなんでもない」
「…それはちょっとずるくない?」

 私が今、どんな顔をしているのか、考えたくもない。基樹くんが慌てて「いや、話したくなければいいよ」と言ったくらいだから、きっと酷いものなんだろう。結局、言い掛けて、言い切れなかった。

 基樹くんに握られた片手に、空いた手も近づけると、一緒に握ってくれた。膝が当たるけど、基樹くんは気にしなかった。それほど、私が不安定に見えたんだろう。


 ☆


 基樹くんはそれから何も聞かず、握ったり、撫でたり、ひたすら手に触れてくれていた。放課後を一緒に過ごしてくれるようになってからは、一番遅くまで付き合ってくれた。いつもの曲がり角まで送ってくれる時も、おにぎりをくれて、何か言いかけるだけで、聞きはしなかった。

(あ……)

 テーブルに置かれた封筒には、それなりに厚みがある。銀行名的に、今回のお金は父親からだ。昼間に帰ってきたんだろう。財布に現金はそれなりに残ってるし、そのままATM行きだ。朝、入金してから学校へ行こう。

 このお金を人質に、私は親から離れられない。親も未成年の私が居るから、離婚できない。社会的信用、世間体を失いたくはないはず。だって、堂々と遊べるのは家庭は家庭、愛人は愛人と割り切っているから。私を養えている自負があるから。社会的信用を失って仕事がなくなれば、そんな自由はなくなる。何かしら働いて、経済を回していることに違いはない。

(……早く、稼げるようになりたい)


 お風呂も済ませて、写真集を手にベッドに寝転ぶ。基樹くんに、両親に遭ったことを言いかけたのは完全に失敗だった。基樹くんはきっと察してくれて、それ以上聞いてこなかったけど、絶対覚えてる。たぶん、気になるけど私が言いたくなるまで待ってくれる。頼りたい人が同い年の人なんて。今まで考えられなかったし、言う・言わないで迷うくらいなら、同い年をここまで頼るんじゃなかった。

 携帯が光って、ぎょっとしてしまう。大して内容が入ってきていなかった本を置いて、通知を開いた。基樹くんからだけど、きっと今日の態度が妙だったことについては触れてこない。

「木曜スタジオあるって」
「行っていいんだよね?」
「うん」
「分かった、そのつもりでいる」

 あの空間にいた基樹くんは、普段とは違ってた。ギターを弾いてた裏道が使えなくなって、久々弾けた嬉しさも、溢れ出ていた。家に居たくない私は、誘ってもらえるだけありがたい。楽器も何も、できないのに。

 そういえば、北原くんに、何か送った方がいいのかもしれない。助けてくれたお礼を、言ったかどうかは覚えてない。基樹くんはギターが弾けるあの環境を手放さないと思うし、私がバンドメンバーとぎくしゃくするわけにはいかない。

「今日、助かった。ありがとう」

 個人のやり取りを作って、送った。返事はすぐに「どういたしまして」とだけ返ってきた。

 基樹くんと違って、今までの関わりが薄いから、その言葉をどんな雰囲気で返してきたのかが分からない。別に要らないメッセージだったんだろうか。考えても仕方ない。携帯を横に置いて目を閉じた。
 
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