ふたりで居たい理由-Side H-

垣崎 奏

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H-23.感動と応援 1

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文庫本も忘れず持ち出していて、時間を潰して帰ってくる。部屋の物干しに、少し皺を伸ばすように払ってから吊るす。基樹くんのバイトが終わるのは、夕方頃。朝のパンは食べたけど、さっとお菓子を摘んでから、トートバッグを持って再度家を出る。

図書館で、課題や予習を進める。携帯で時間を確認するたびに過ぎるのは、基樹くんのあの息切れ。話したくないのであれば、聞かないけど、一日経って落ち着いてみると、気になりはする。自習室の机に向かったまま、携帯で軽く検索してみると、似た症状がヒットする。

(過呼吸、正式には過換気症候群…)

聞いたことはあった。ネットの医学情報がどこまで信頼できるものなのかは分からない。それでも、書いてある内容は当てはまる気がした。

緊張や不安、心配など、精神的ストレスから起きる症状で、息を吐くことを意識すると治まりやすい。基樹くんは、たまに不自然に息を吐いてる時がある。

(…繋がってしまう。決めつけなんて、されたくないだろうに)

キャップとメガネの変装も、ストレスを減らして日常を送るために必要なことなんだと、ただ嫌で逃げるためにしているわけじゃないと、理解できてしまう。

バイトが終わったら連絡をくれるだろうけど、一言、送っておいてもいいかもしれない。

(弱みを見てしまった、罪悪感を減らすために…)


「お疲れ様。図書館にいるから終わったら教えて」


結局、私が調べてみても、それが本当かどうかは話してくれるまで待つだけ。無理に聞いて、離れて欲しくはない。私は、基樹くんを利用して、残りの高校生活を不自由なく過ごしたいだけだ。





「今から行くよ」と携帯が鳴ってすぐ、机の上を片付けた。明日からの授業には十分すぎるくらい予習は進めたはず。もし足りなくても、あの進度なら授業中でも何とかなる。


「お疲れ」
「基樹くんこそ」


昨日とほぼ変わらない格好の基樹くんが、自転車庫で待ってた。シューペから自転車に乗ってきたんだし、たぶん連絡をくれてすぐに着いたんだろう。

あの発作を見てから、基樹くんは別人のように柔らかくなって、昨日の別れ際には普通に顔を見れてた。でも今は、元に戻ってる。変わらずのキャップとメガネで、表情を見せてはくれない。そもそも、顔が私の方に向かない。


「…どこ行くの? 裏道?」
「んー、フロイデ行こうかなって思ってた。日曜の夕方は人少なくて、琴音さんとも話せるし」
「うん」


特別何も言わなくても、自転車を押して歩くことはすでに当たり前。中央駅前と呼ばれる範囲の中だと思うけど、市民の広場に来る高校生はほぼいないんだろう。見られるのが嫌なのであれば、きっと自転車に乗って走り去ってしまう方がいい。





「あれ、カーテン閉まってる」
「ほんとだ」
「とりあえず、停める?」
「うん」


目に入ったオレンジ屋根の建物の大きな窓からは、いつも楽しそうに会話する主婦や老夫婦が見えていた。今日は休みだったのか、それともランチ営業までだったのか。分からないけど、フロイデには入れない。


「裏道へ戻ろっか」
「基樹くん、妃菜ちゃんも!」


声がした方向へ顔を向けると、琴音さんが裏口から出てきたところだった。エプロン姿ではなく、仕事中に括っている髪も下ろして、ウェーブをふわふわさせている。

今朝、服を買う時に琴音さんの姿を思い出した、その通りの私服姿だ。普段はパンツだから、ロングスカートに履き替えている。綺麗目なおしゃれ服は、オフィスカジュアルと呼ばれるものだと、服屋さんが教えてくれた。


「ランチまでは営業してたんだけどね、今からライブ行くのよ。せっかくだし、よかったら一緒にどう?」
「え」


琴音さんはライブハウスによく行くって、基樹くんが言ってた。今日が、その日だったんだろう。

バンドマンと聞くと、華奢な母親の愛人のうちの何人かが出てくる。会ったことがあるのを覚えているのは、その煙草の臭いを覚えているから。膝の上に乗せられるたび、嫌でも嗅がされた。正直、あまり良いイメージはない。


「どうする?」
「……基樹くんが行くなら、ついてく」
「決まり! ほら、後ろ乗って!」


琴音さんの勢いに押された基樹くんと一緒に、後部座席に乗った。家から離れられれば何で時間を潰してもいいと思ってたけど、この選択は想定外だった。でも、断っても行くところがない。間にトートバッグを置いて、ドアの外を眺めた。


「昨日、あの後楽しめた?」
「はい」
「よかった、絡まれたりしなかったのね?」
「……」
「あら」


私の過去なんて、このふたりは知らない。基樹くんは聞いてくれたけど、母親にどんな愛人がいたかなんて、そんな具体的なところまでは話してないし、そもそも愛人がいるとは言ってない。気付いていても、私に言っては来ない。ライブに誘われた流れに乗らないと、変に思われただろう。

その愛人の、ライブに行ったことはないけど、曲を携帯で聴かせてもらったことはあったはず。基樹くんの声を知ってからは、比べるまでもないし、比べるほど覚えていない。あの人がヘビースモーカーだったからといって、バンドマンがみんなそうとは限らない。確かに遊んでいる人は多いのかもしれないけど、どこまで本気なのかは本人次第だ。

基樹くんはひとりでギターを弾いていたけど、集まってバンドとなると、話が変わってくる。とにかく、良い印象がない。


「……知り合いに声掛けられて、W7でも騒がれてます」
「どうしてもそうなってしまうのね。大変な時代になったわ…。それで、大丈夫なの」
「今のところは。起こるとすれば、明日以降ですね」
「そうね……」


ふたりの会話は聞こえているけど、頭に入っては来なかった。ライブハウスに連れていかれることだけが、ぐるぐると回ってた。


「さ、着いたわ。切り替えて楽しみましょ!」


テンションの高い琴音さんが、コインパーキングに車を停める。その声で、現実に戻ってくる。中央駅の近くなのは分かるけど、私が知らない場所だ。

基樹くんを見ると、キャップを引きながらゆっくりと息を吐いて、降りる準備をしていた。やっぱり、落ち着きたい時にする動作なんだろう。


「あ、妃菜ちゃん、そのトートバッグ、勉強道具よね? 置いといていいわよ。貴重品だけ持って」
「はい」


お言葉に甘えて、ショルダーバッグだけを下げて降りる。躊躇いなくどんどん進んでいく琴音さんの背中を追って、ビルに入る。基樹くんは背が高いこともあって、私の後ろに居る。

入口近くにはすぐ喫煙所があって、臭いが流れてくる。まだ、入口にあるから奥にはそれほど影響はないと思いたい。


「…大丈夫?」
「ん?」
「煙草の臭い」
「まあ…、分煙されてて中は禁煙だろうし」
「あら、しんどくなるなら言ってね? 外には出られるから」
「ありがとうございます」


(嫌な思い出が蘇るだけで、体調が悪くなるわけじゃないけどね…)

昨日の今日、あの発作を見てしまったから、基樹くんの前で、そう口にはできなかった。


地下への階段を降りている間、壁には一面、ポスターがずらりと貼られていた。サインが入っているものもあって、その日付から、過去にこのライブハウスに立ったことがある人たちなのは予想がついた。

階段を下り切ったところにカウンターが。琴音さんが料金を支払って、更に奥へと進む。通路の途中だったのもあって、基樹くんも何も言わなかった。

重たい防音扉の向こうには、シューペと似た薄暗さの空間が広がってた。少し高いところにステージがあって、フロアには大きなスピーカー左右にふたつ。掛かってる歌声入りの音は、聞き覚えのあるものじゃなく、上手いか下手かと聞かれると答えに詰まるような、そんなのが流れてた。

ステージやフロアを見回せてしまうほど、人はまばらで、これからライブが始まるとは思えなかった。


「始まれば、人は増えるわよ。集客できる、実力のあるバンドの方が後に出てくるから」


疑問が顔に出ていたのか、琴音さんが教えてくれた。


「今日は四組、みんな大学生バンド。一番目はまだ組み立てで初ステージらしいから、いい勉強になるかも」


どうやら、一組だけが出るわけではなく、数組が順番に出て演奏するのが、ライブハウスでは主流らしい。琴音さんにいい勉強になるかもと言われても、基樹くんはキャップを上げない。当然だろう、基樹くん本人は、こういう場所に立つことを想定していないんだから。


「あ、先にドリンクもらっておきましょ。帰りだと混むから」


その雰囲気を察したのか、琴音さんがフロアの角にあるドリンクカウンターへ向かった。受付カウンターでライブの料金を支払う時に、ドリンク代も払う必要があるらしく、ドリンクチケットで好きな飲み物を一杯飲めるらしい。

ただ、流石ライブハウス。カウンターで選べるのはお酒が多く、車の運転がある琴音さん含め、選べるものはウーロン茶かミネラルウォーターしかなかった。三人ともがペットボトルを持ち、近くのハイテーブルを陣取った。

静かに三人で話しながら待てるのかと思いきや、ここはライブハウス。好きだと公言するほどに来ている琴音さんには、当然知り合いも居る。


「琴音さん!」
「あら、わたるくん、今日はこっちなの?」
「はい、今日はお客さんです。兄貴はPAやってますよ」


三人で使っていたハイテーブルに、遠慮なく《わたる》と呼ばれた人が肘をついてくる。ライブハウスで琴音さんとよく話すのは、その仕草で分かった。ちらっと私と基樹くんを確認して、琴音さんと話を続けてる。

(高校生? いや、大学生かな…)


「ちょうどいいわ、今日基樹くんと妃菜ちゃん連れてきたのよ。他の方に挨拶してくるから、ちょっと居てくれない? ふたりとも初めてだし」
「分かりました」


(え……)

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