上 下
24 / 35
Season1 セオリー・S・マクダウェルの理不尽な理論

#023 戦士の遺伝子 comfort

しおりを挟む
  窓ガラスを割って侵入してきたのは、黒い戦闘服タクティカルスーツを纏った兵士だった。

 セオリーは流石、よく訓練されていると感心する。

 咄嗟に陽葵を庇った為、あっさりと包囲されてしまった。

「あらあら、これは皆さんお揃いで、どうされました?」

 飄々として見せているが、気が動転する陽葵を、どうやって脱出させられるかセオリーは考えていた。

「セオリー・シャロン・マクダウェル。貴様をテロ等準備罪の容疑で逮捕する」

「あぁ~なるほど、そういうこと……」

 セオリーは兵士のその一言で状況を理解した。

 政界にレトロウィルスベクターが蔓延している時点で且又の手が政府まで及んでいることは分かっていたし、こういった最悪の事態でっちあげは想定していた。

(ただ、こんなにも早く動くとは思っていませんでしたわ。さて、困りました。あれを使いましょうか……でも……)

 この場から兵士達を倒して脱出する事は可能だ。しかし状況を更に混沌へ落とし込み、容疑ではなく罪を確定させてしまう。

「仕方がありませんわね。抵抗は致しませんわ。何処へなりとも連れていってください」

 銃口を突きつけられ、セオリーは乱暴に身を起こされる。

「人質確保っ!!」

「えっ……あっ……マクダ――」

 動揺しながらも精一杯振り絞って陽葵が声をかけようとしてきたので、セオリーは首を横に振る。

 ここで声を掛けられると陽葵に有らぬ疑いが掛けられてしまうからだった。

(さて、時間稼ぎでもしましょうかしら……)

 恐らく現在自由なのは、刹那とレーツェルぐらいだろう。

 セオリーは彼らが助けに来るまでの間、どうやって時間を稼ぐか考え始める。

(色仕掛けでも掛けてみようかしら……)

 ふと、部屋の隅から黒い筒状の何かが目の前をスーッと横切っていく。

「セオリー殿っ! 目を瞑ってっ!」

 凰華の叫びを合図にセオリーは目を閉じると、黒い筒状の何かが突然弾けたように激しい閃光を放つ。

 一瞬にして美術室内が光に包まれる中、突入してきた凰華と刹那が颯爽とセオリーの身柄を確保した。

(スタングレネード……なんて……実に用意周到ですわね……)

 両腕を拘束されていて耳は塞ぐことが出来なかったセオリーは、刹那の背に揺られながら、激しい耳鳴りにうなされた。

 凰華と刹那が何かを語りかけてはいたが全く聞こえない。

「耳が聞こえないんですの……ヘルメットを被っていては唇の動きを見ることも出来ません」

 ましてや狼である刹那の口元を読むことなど出来はしない。

 表情から察するに『安心して、今から安全な所へ連れて行くから』と言っているのは何となく分かる。

(暁は大丈夫かしら?)

 最後の通信から暁もまた襲撃にあったのは違いない。

 そう暁の心配をしていると校舎の外へと出た刹那は校庭へと一直線に向かっていく。

 段々と耳鳴りも落ち着いて来ると、今度はセオリー達の横から地鳴りのような騒音と共に物凄い速度で近づいてきた。

 それは暁の愛車。ウレタンコート上をタイヤ痕で綺麗な円を描きながらセオリー達の目の前に止まる。

「乗れっ!」

 セオリーは刹那に放り込まれるようにして助手席に押し込められる。

 身を投げるようにして乗り込んでいった凰華と刹那の乗車を確認し暁は急発進させる。

「きゃっ!」

「フッ――」

  反動でセオリーの身体はダッシュボードの下へ潜り込んでしまい、つい可愛い悲鳴をあげてしまったところを暁に鼻で笑った。

 セオリーは年甲斐もなく顔が火照っていき、暁へ不満が募っていく。

「暁っ!」

「じっとしていねぇーとした噛むぞっ!」

 セオリーが暁へ声を荒らげようとした矢先、車外から無数の銃声。

 助手席の窓ガラスが割れて破片がセオリーの頭へと降り注ぐ。

「――っ!」
 
 弾幕を駆け抜ける中、一発の銃弾が二の腕に被弾し、暁は一瞬苦悶の表情を浮かべた。

「暁っ! 血がっ!」

「そんなの後だっ! 突っ込むぞっ!」

 セオリーの心配を構わず、更にアクセルを踏みこみ、包囲網を一気に駆け抜け、校門から正々堂々、脱出に成功した。



 走ること10分、追ってくる気配は無い。

「暁、すぐに手当てを」

「それより如月、これからどうする?」

「それならもう一つ私のセーフハウスがある。一先ずそこへ向かおう。以前の場所は押さえられている筈だからな。レーツェル?」

『了解っ! ナビに入力するねっ!』
 
 凰華はレーツェルへ呼掛けると、ナビに目的地が表示される。

 場所は東京の郊外、奥多摩付近と表示された。

「しかし、暁。どうやってここまで来たのですか? 貴方も襲われたのではなくって?」

「ああ、アンタがくれた能力で助かった」

 暁は目尻を叩いて、セオリーへ不敵に微笑んだ。


 セーフハウスへ到着するや否やセオリー暁の手当てを開始した。傷口には弾丸が残っていたものの、器具が揃っていた為、然程苦なく処置することが出来た。

「それで結局どうなっていますの? あの兵士達は一体何だったのですか?」

 ベッドの上で包帯を暁の腕に通しながらセオリーは尋ねる。

(暁の背中、逞しいですわね)

  暁の鍛え上げられた肉体に舌舐めずりをしたいのをセオリーはぐっとこらえる。

「四課の全員が押さえられた。課長も警視庁の会議室で幽閉されている。あいつらは一課の実行部隊だ」

 現状、四課は壊滅状態。何故そうなったかといえば警視総監のレトロウィルスベクターの使用の証拠を押さえてしまったからだ。

 そして凰華を強引にテロリストと指定手配し、密かに協力関係を結んでいた四課を始末という名の揉み消しに掛かった。

「それでは……」

「孤立無縁ということだ。逃げおおせることは不可能だな」

 暁は「つまり、詰み」だと言って苦笑する。

「こうなる前に、あの時且又の野郎を殺しておくべきだった――痛っ!」

「あら? ごめんなさい」
 
 暁の言葉にセオリーは包帯を巻く手につい力が入ってしまう。

「暁はあの人と戦っては駄目です。ましてや殺し合うのはもっての他ですわ。もし殺してしまったら暁は……」

 セオリーはそれ以上言葉をどうしても口にすることが出来なかった。

 今、暁が且又かつまたを殺せば、本当に情動こころを失ってしまう。

(胸が苦しくなる気持ちって、こんな感覚ですのね……)

 それは分かっているのに、伝えなければならないのにぐちゃぐちゃに混ざった感情のせいで口にすることが出来ない。

 こんなことセオリーには始めての経験だった。

 そんな中セオリーが出来たのは自分のひたいを彼の背中に押し充てることだけだった。

「アンタの言いたい事は分かる。だけど俺は奴を殺さなきゃならない」

「どうしてです?」

「復讐心、それだけが俺に残された唯一の情動こころだからだ」

 暁は「復讐心を抱く時だけ、俺は人間でいられる」と寂しそうに笑って見せる。

 しかし悲哀に満ちた暁の背中を見続けることをセオリーは耐えられなかった。

「違いますっ! 暁、それは違うのですっ!」

 セオリーはその悲痛に満ちた暁の背中を抱きしめる。

 それは彼を慰めるというより自分の震える心を押さえつけたかったからだった。

「MAOA遺伝子欠失はそんなことの為にあるのではありません。これは戦士の遺伝子なのです」

 遺伝子とは死者の書。祖先がどんな環境でどんな困難を乗り越えてきたかを、脈々と受け継いできている。

「人間は多くの争いをしてきました。どうしても戦わなければならない時、貴方の祖先は先陣を切ってきたのです」

 セオリーは暁の手に自分の手をそっと重ねる。暁から伝わる温もりから生命の息吹を感じ取り、セオリーは話を続ける。

「貴方の祖先は家族や仲間を守るために戦い、その度に人の命を奪うという葛藤に苦しみ、自分の心を傷つけ、皆の為にとその心を殺してきたのです」
 
「……」

 暁は何も言わない。ただセオリーの話を静かに聞き入っている。

「貴方のお陰で皆の現在いまがあるのです。皆のために命懸けで戦い抜いてきた……貴方の利他的な遺伝子をわたくしは誇りに思います」

 科学者であるセオリーにはこんな慰めしか出来ない。でもこんなものは慰めにもならないことはセオリーには分かっていた。

 なぜなら――

「ありがとうセオリー」

 突如、優しい表情になった暁がセオリーの手をそっと握り返す。猛々しい彼の熱が自分の手を介して伝わってくるのを噛み締める。

 それは彼が時々見せる素顔。

「だけど、そんなのことで全てのサイコパスが犯してきた罪がゆるされる訳じゃないんだ」

 暁の言う通りだ。これが科学の慰めの限界だった。

しおりを挟む

処理中です...