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Season1 セオリー・S・マクダウェルの理不尽な理論

#022 愚人の魔女 Hachimoji

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 得点カウンターが、セオリー62548点、陽葵45763点を刻み、鐘が鳴り二回戦の終了を知らせる。

 鐘が鳴り響く中、陽葵は膝を地面につけたまま立ち上がらない。

(少しやり過ぎましたわね……)

 自分の悪い癖が出てしまったとばつが悪そうにセオリーは頬を掻いた。

「貴女は全て自分の力だと、努力の成果だと錯覚していたのでしょう。そして貴女を支えてくれていた存在さえ見失っていたのです」

 セオリーは監獄の一か所に向けて、陽葵に「御覧なさい」と言って指を差す。

「え……」

 そこには囚人に向かって必死に説得している数人のアバターがいた。

 彼らは『我々に従えば懲役が少なくなる』など訴えているが、説得している時点で最早、『主人と奴隷』戦略は瓦解している。

「副団長……」

 項垂うなだれている陽葵にも、小奇麗なアバターが演説している姿が見え、ポツリと呟いた。

「勝負に水を差しているのは確かですが、怒らないであげてください。貴女は気付いていなかったでしょうが、貴女が必死に考えた戦略を彼らは実行しようとしたのですわ」

「……それでも貴女には敵わなかった」

 三回戦目のカウントダウンが始まる中、陽葵は完全に戦意を失ったようで地に伏したまま、『投了』のボタンを押す。

(投了することも無いですのに……)

 セオリーの頭上で騒々しいファンファーレが鳴り響き、強制ログアウトが実行された。


 美術室へ戻ってきたセオリーはVRヘルメットを脱いで汗をぬぐう。

 目の前にいる陽葵は現実へと帰ってきても、沈みかけた夕日の様に表情は暗いままだった。

「気にしない方が良いでしょう。貴女は同じ人間・・とは戦ってはいなかったのですから」

 セオリーは『ノーカン』ですと言って、微笑んで見せるが、陽葵の表情は曇ったままだった。

「確かに同じ人間ではありませんでした。結局、努力で才能には勝てない。そういうことですよね」

「ですから、そういう事ではありませんのに……」

 全く分かっていない陽葵に痺れを切らしセオリーは重々しい溜息を付く。

「わかりました。貴女には特別に見せてあげますわ。わたくしの遺伝情報を」

 セオリーは携帯端末を操作して、自分の遺伝情報を陽葵に送る。

「更に現実を突きつけようとするのですか、本当に容赦がない人ですね」

「いいから見なさい」

 陽葵が流し目で自分のDNAを見つめる中、セオリーは意外にも勝負に対して熱が入っていたことと、大人げなかったことを悔いていた。

(これで少しは分かるでしょう……)

「……え?」
 
 一瞬、陽葵は驚愕の顔を見せるが、セオリーの遺伝情報を目で追うにつれ、どんどんと顔が青ざめていく。

(彼女の様子を見る限り、知識はあるようですわね……)

 セオリーが渡したのは、空港で提示したものと本質的には同じ、ただし空港で読み取れたのはあくまでも彼女の遺伝情報の半分・・だけであった。

 青ざめていったと思いきや今度はみるみる赤く染まっていき、憤然と立ち上がる。

(青くなったり、赤くなったり忙しい子……)

「こんなことが許される筈がないっ! デザイナーズベイビーより倫理に反していますっ!」

「それが普通の人間・・・・・の反応ですわよね。『賢い人ホモサピエンス』のね」

 学の無い人ならたまらず恐怖しただろう。なぜならセオリーは――

「『八文字DNA』の人間を生み出すなんて、人間のする発想ではありませんよっ!」

 セオリーは「そうですわね」と言って肩を竦めて笑った。

(とても優しい子ですわね……)

 純真な陽葵の反応につい嬉しくなったセオリーは、物悲しい微笑みを彼女へ向けた。

 八文字DNA。通常のDNAの構成物質であるアデニングアニンシトシンチミンに加え、人工塩基であるP5-アザ-7-デアザグアニンZ6-アミノ-5-ニトロ-2(1H)-ピリジノンBイソグアニン、S(dS1-メチルシトシン及びrSイソシトシン)を加えたDNAを指す。

 セオリーは八文字DNAを持った人間、最早人間ホモサピエンスと呼べるかどうか妖しい存在の一体。

「安心して? 単にDNAの情報量を増やすことで子孫へ伝える遺伝形質を増やし、過酷な環境への適応を可能にしただけです。それに設計上は人間との交配が可能です」

「そういう問題ではないでしょうっ!」

 自分の為に声を荒らげてくれる陽葵の反応は、とても嬉しいものではあったが、セオリーは彼女の為に淡々とした態度をとり続ける。

「でも、大半の情報は人工塩基分の生合成経路の構築遺伝子が占めていますので、実際には本末転倒、『失敗作』もいいところなのですわ」

 セオリーは自分の種のことを『愚かな人ホモ・ストゥルトゥス』と呼んでいる。

 彼女自身葛藤が無かったわけではない。偉そうなことを言っていたが、目の前で伏している陽葵の様に自我が壊れそうなときもあった。

「そんな……それでは貴女は何のために生まれてきたのか分からないではありませんか」

「遺伝学的に言えば、人類を絶滅させるためでしょう」

 セオリーの不穏な言葉に息を呑む陽葵へ、「勘違いなさらない」でとセオリーは手を振って否定する。

「自然淘汰の中で、伝える遺伝子量の多い方が、人間の遺伝子より少しだけ先見の明があるというだけですわ」

 セオリーは物悲し気に微笑みながら身も蓋も無い事を言って見せる。
 
「そんなの悲しすぎます……」

 そういってすすり泣き始める陽葵に、セオリーは激しく動揺する。

「ちょ、ちょっと泣くほどの事じゃありませんわよ?」

「泣くほどの事ですよっ!」

 こんな失敗作でもどんなことでも出来るのだからと言うつもりが、逆に慰められている事に気付く。

「ありがとう……でも、私は『愚かな人ホモ・ストゥルトゥス』であることを知ることで、本当の意味で『孤独』であることを知り、自我が『錯覚』である事を知り、同時に真に『自由』であることを知ったのですわ」

 セオリーは再度微笑んで見せる。最早、陽葵は言明できなくなり肩を落とす様子が窺えた。

 いずれにしても勝負は決した。セオリーは掌を合わせて、陽葵へお願いをする。

わたくしの勝ちという事ですから、一つだけ教えて下さらないかしら?」

「……えっと、何をお聞きしたいのですか?」

「貴女と且又かつまた先生とのご関係についてお聞かせ頂けないかしら」

 陽葵は且又と肉体関係を結んでおり、ベッドの上で且又から度々、セレスティアルクランクロニクルへ没頭するプレイヤーを、現実へと引き戻す手段を講じていることを聞かされていた。

「乍而先生は、今日から7日後。セレスティアルクランクロニクルで大規模なイベント。エロジオーネファンタズマというストラテジーイベントがあるので、そこで彼らを救う手段をとっていると……」

(エロジオーネ……ファンタズマ? イタリア語? 浸食する幻想)

「それには貴女も参加するの?」

「ええ、アプリのErodingイロウジング fantasyファンタジーとの合同企画で、拡張現実ARを駆使して街中でストラテジーイベントを行うと」

「ちょっと待って、今なんとおっしゃいました?」

「ですから、ARで現実にイベントがあると」

 セレスティアルクランクロニクルErodingイロウジング fantasyファンタジー、レトロウイルスベクター薬『アセンション』、そしてエロジオーネファンタズマというARストラテジーイベント。
 
 そこから導き出される答えは、現実世界を利用したCCCプレイヤーによる大規模な暴動が予想されるという事だった。

 セオリーは徐に耳元抑える。

「暁、聞こえました」

『ああ、奴が消える前に言っていたのはそういう事か……』

 暁の口ぶりから且又は消息を絶ったのだろう。予想していた事ではあったが、事実上目の前の陽葵が蜥蜴の尻尾きりに利用された事を想うと少し不憫に思えた。

「あの……どうかしましたか?」

 じっと見つめるセオリーを不審に思ったようで、首を貸し掛けながら陽葵が語り掛けてくる。
 
「黒井さん。且又の事は忘れなさい。二度と貴女に姿を見せることはありません」

 陽葵へ現実を突きつける言葉を投げかけた次の瞬間、突如何者が美術室の窓ガラスを割り、セオリー達は瞬く間に包囲されてしまった。
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