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64.人に堕ちた神

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2月25日夕刻

 約束通りに、ヒナキは潤と共にカレンの元を訪ねた。結局、彼の指定したとあるホテルの一室で、3人は食事をすることになった。といっても、カレンの分は格好だけだ。
「初めましてだね、死神君」
「初めまして。倉科潤と申します」
「そんなに畏まらずともいいんだよ。さあ、好きなだけ食べてくれ」
 カレンは相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべながら、潤に食事を勧めた。潤と、ヒナキの分は豪華な食事が用意されていたが、カレンの前にはグラスに並々と注がれたワインしかない。
「お話があると、伺ったのですが」
 潤は案の定緊張し、カレンを警戒しているようだった。彼がこんなに丁寧な言葉で話をしているのは初めて聞いた。ヒナキは、自分も緊張しているのを悟られないようにしながら、カレンをまっすぐに見据えた。
「ああ、そうだ。死神君に提案があってね。その話は後でしよう。その前に、お前達2人に話さなければならないことがある」
「僕たち2人に?」
「ああ、そうだ。ヒナ」
 カレンはヒナキに向かって、にこりと微笑んだ。相変わらず、男性とも女性とも判別のつかない不思議な顔立ちだ。その笑顔は、もし化け物的な要素を除くことができれば、大抵の人間に好かれるものだっただろう。
「少し長い話になるよ」
 カレンは一度ワインに口をつけて、唇を拭った。長い牙が、まるでこちらを威嚇しているかのようだ。
「どこから話せばいいだろうと、考えていたんだが……まあ、なんだ。お前達は食べながらでいいから、ジジイの昔話を聞いておくれ。その話をせねば、私の提案はに理解されないだろう」
 カレンはそう言って、テーブルの上で手を組んだ。真っ赤な目が潤の方をじっと見据える。まるで、彼の面影に誰かを見ようとしているようだった。




「まずは、呪われた死神の起源の話をしよう。
 今から140年近く前の話だ。

 私の知人に、『梅』という名前の純血の死神がいた。とても美しい女性だった。彼女はその名の通り人間の魂を導く『神』であることを誇りに思っていた。そして、人間というか弱い生き物を愛していた。
 梅は、人間社会に紛れて生きることを望んだ。その頃日本ではちょうど、明治維新が終わり、和洋折衷文化が形成され始めた頃だった。
 『鬼』である私は、その頃も時々東京——当時東京市と呼ばれていた地域に足を運んでいた。その時ばかりは飛騨に篭ってはいなかったんだ
 そして、1897年——明治30年。梅が人間の男——神田かんだ栄吉えいきちと懇ろな仲でいることを知った。驚いたよ。それまでは、人間を大事にこそすれ、深く関わろうとする死神なんて存在しなかったからね。
 間も無く、梅は私の忠告を聞かずに栄吉と婚約をした。ああ、忠告したさ。そりゃあ、私たちのような不吉な存在が人間と交わろうなんて、正気の沙汰じゃないからね。
 とはいえ、私に彼女を止める術はなかった。翌年、梅——神田うめと名を改めた彼女は、男児を産んだ。日本で最初の、死神と人間の合の子だ。彼は凛太郎りんたろうと名付けられ、栄吉とうめに愛されて育った」


「神田凛太郎……? どこかで聞いたことある」
 潤がそう口を挟むと、カレンは嬉々として目を丸くした。
「ああ、そうだろう。凛太郎はお前さんの父親の……曽祖母の叔父にあたる人物だ」
「曾々……大叔父さんってこと?」
「適切な日本語は知らんが、そういうことだろう。まあ聞いてくれ。ここからはヒナ、お前にも関係のある話だ」
「えっ、僕?」


「凛太郎が4歳になる頃、音楽家であった栄吉は彼にピアノを教え始めた。
 栄吉の家には数々の楽器があった。あの時代の日本では珍しい。確か……栄吉は華族というものの次男坊だったんだ。
 当然親族にはうめが死神であることは隠されていた。けれど、全能の神から寵愛を受ける死神の家庭は、日増しに繁栄していった。
 そして、4年後。栄吉の友人であり、同じ爵位を持つ今峰家の当主、今峰いまみね藤吉とうきちの家に長男が生まれた」


 カレンはチラリとヒナキの方を見た。ほとんど同時に、潤がテーブルの下でヒナキの手を握る。潤の手は、いつも以上にひんやりと冷たかった。


「今峰の息子は生まれつき体が弱かった。結果、今峰の跡取りはその2年後に生まれた次男に決まった。
 療養ばかりの身であった長男——朔之介は、音楽に興味を示した。藤吉はせめて病弱な息子にも趣味くらい与えようと、朔之介を栄吉の元へ通わせた。
 栄吉はその日から、息子の凛太郎と共に朔之介にもピアノを教えることにした。明治44年のことだ。
 凛太郎と朔之介はとても気の合う間柄だったようだ。2人は親友になり、朔之介は実の兄弟である弟や両親以上に、凛太郎を慕うようになった。
 それは凛太郎も同じだった。死神との合の子であるというコンプレックスから、友人がいなかったのだ。
 次第に凛太郎は朔之介を愛するようになった。兄弟以上の愛だ。彼が15歳になる頃——つまり、朔之介が9歳になる大正4年。栄吉が貴族院に召集され、凛太郎が朔之介に音楽を教えるようになった。
 それからはずっと2人きりだ。朔之介も、たまにしか今峰の家に帰らなかった。しかしそのおかげか、病気がちだったはずの彼は、死神の加護で知らず知らずのうちに体が丈夫になっていた。

 そして大正12年9月1日。関東大震災が起こった。
 その日、ちょうど朔之介は今峰の家に帰っていた。震災の被害で今峰の邸宅は崩壊し、弟と祖父母、そして大勢の使用人たちが亡くなった。
 藤吉は悲しみに暮れ、1週間後に朔之介を連れて岐阜にある妻の実家へ移り住んだ。その移住については、凛太郎はずいぶん遅れて聞かされた。あの日、朔之介を家へ帰らせずに、死神の庇護下に置いておけばよかったとひどく悔やんだそうだ。凛太郎にとっては、もはや朔之介以外はどうでもよかった。

 それからは……そう、ヒナ。お前は知っているね? 9月30日の明け方、岐阜に移り住んだ今峰一家は強盗に襲われた。
 藤吉と妻は惨殺された。そして17歳だった朔之介……お前は強姦され、目を潰された。悲惨だったよ。
 凛太郎はひと月も遅れてその事件を知った。25歳になった凛太郎は、愛する人を亡くしたショックで精神を病んでしまった。彼は数年前に許嫁と婚約していたのだが——しかし、本当はいつまでも朔之介だけを愛していたのだ。
 そして次第に、凛太郎は『朔之介が死んだのは自分のせいだ』と思うようになった。暮らしぶりも荒れ、仕事もまともにできなくなった凛太郎は、自宅で療養を言いつけられた。しかし、朔之介の死に囚われた彼は、大正13年の夏に自死を選んだ」


 カレンはそこまでを話すと、組んでいた脚を解き、ワインで喉をうるおした。それから、ヒナキの顔を眺め、にっこりと微笑む。
「朔之介はとても美しい少年だった」
「……朔之介」
 ヒナキは初めてその名を口にしたが、妙に馴染むことに気がついた。いつか見たあの夢の人物が凛太郎で、彼がヒナキのことを朔之介と呼んでいたということを、今になって理解した。
——それにしても。
 これまでカレンは、人間だった時のヒナキの話は全く話さなかったというのに、一体どういう風の吹き回しなのだろうか。
「それで……潤、といったか。死神の子よ、お前さんの血がなぜ呪われたかは分かったかね?」
 潤は真っ青な顔をして話を聞いていた。当然、何もかも彼にとっては衝撃的だっただろう。ヒナキにとっては既知の事実もあったが、潤にとってはそうではないはずだ。しかし潤は、カレンの手前で取り乱すことはせず、咳払い一つに留めた。
「……凛太郎が、自殺したからですか?」
「うん。実に惜しいが、つまりはそういうことだ」
 カレンは全く潤の顔色を気にしていないようだった。潤のヒナキの手を握る力が、少しだけ強くなる。ヒナキは、今すぐにでも潤をここから連れ出してやりたい気分だった。


「いいかい。神の血を持つ者の死とは、本来から与えられるものでなければならないのだ。それを凛太郎は、己の手で奪い取ってしまった。彼にそれができたのは、おそらく人間の血のせいだろう。きっとその行為が神の逆鱗に触れたんだろうね。
 そして凛太郎自身も、意図せず死神の血を呪ってしまった。その二重の呪いは彼の妹とその子孫、そして全ての『死神と人の合の子』に受け継がれてしまった。
 初めて愛した人を失った凛太郎を嘲笑うかのような……一見不条理な呪いだよ。
 まあ、正確には朔之介は死んではいなかったんだが、神の手の及ばぬ『鬼』になってしまった以上、人間としては死んだも同然だからな」


 潤はじっと黙っていた。視線を落とし、それからもう一度カレンの方を向く。カレンはそこで、また嬉しそうな笑みを浮かべると、顎を撫でた。
「お前さんは凛太郎と……生き写しのようにそっくりだね」
「え?」
「朔之介を愛したところまでそっくりだ」
「……っ」
 潤は苛立ったように眉を顰めた。冷や汗までかいている。あまりにも可哀想だった。
「俺が愛してるのはじゃなくてです」
「そうかい?」
 カレンは潤の言った言葉の意味をよく分かっていないようだった。しかし、潤はそれ以上言葉を続けることはしなかった——というよりも、できなかった。
 ヒナキの手を握っていた潤の手がするりと離れる。嫌な予感がして、ヒナキはすぐに顔を上げた。次の瞬間、立ち上がろうとした潤は、そのまましまった。
「潤!?」
 発作だ。潤は床の上にぐったり倒れたまま、目を閉じていた。意識を失っているようだ。
——どうしよう、こんなになるまで無理させちゃった。
 数日前の恐怖が蘇る。ヒナキは駆け寄ろうとしたが、目の前に大きな背中が現れて、思わず息を呑んだ。
「おや……だいぶていたようだね」
「潤、大丈夫!? 潤……っ」
「ヒナ、離れていなさい。大丈夫なはずはない。なんだ」
 カレンにそう言われ、ヒナキは身を固くした。視界が遮られる。そうして直後、カレンは何でもないことのように、潤の体を軽々と抱え上げた。まるで、彼がこうなることを予測していたかのようだ。
「お父様……まさか、こうなることをわかってて潤を追い詰めたんですか?」
「追い詰めた? いいや、私はそんな真似はしないよ。ただ、こうなる事が分かっていたのは認めるがね」
 瞬きのうちに、カレンの目の色が変わった。ものの例えではない。本当に、先ほどまでは穏やかな色をしていたそれが、眼球ごと血の色に染まったのだ。そうして、牙に挟まれた唇がみるみる紫色になっていく。そんな姿は、長年付き添っていたヒナキでさえ見た事がなかった。
「外に出ていなさい、ヒナキ。少々……ショッキングだろうから」
 一体カレンは潤に何をするつもりなのだろう。問い詰めたかったけれど、心身に焼き付けられたカレンへの恐怖心から、ヒナキはそれ以上口を開くことさえできなかった。



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