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26.クリスマス③

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「見て、ヒナキさん」
 短い林道を抜けると、一気に視界が開けた。目の前には、無数の光。そして、おおよそ日常とは程遠い、幻想的な空間が広がっている。
「うわぁ……!」
 思わず目を輝かせ、ヒナキは景色に見惚れてしまった。ここは、おそらく山の麓にある公園だ。木々に囲まれたその場所は、?クリスマスを祝う装飾で素晴らしく光り輝いている。都心部から離れているからか、人通りはほとんどない。それなのに、こんなにも美しく、楽しい雰囲気で満たされている。
「すごい! こんな綺麗な場所があるなんて知らなかった!」
 動物の形をした電灯に、光のアーチ。足元には、小さなスノーマンや小人たち。そして、公園の中央には笑顔を浮かべたサンタクロース。
「素敵でしょ」
 そう言って笑った潤に、ヒナキは大きく頷いてみせた。本当に綺麗だ。これまで何度かイルミネーションは見てきたが、こんなに心動かされるものは初めてだ。都心部の大きな商業施設のように豪華なデザインではないし、きっとそれほど大金がかかっているわけでもない。それでも、「これこそがクリスマスだ」と言わんばかりに、一つ一つの明かりに幸せな気持ちがぎっしり詰まっているような気がした。
「この辺、俺の地元なんです。実家から近いんで、子供の時から時々来てました」
「そうなんだ……わっ」
 ヒナキは突然背中に温もりを感じて、目を丸くした。潤はヒナキの体を優しく抱きしめたまま、耳元で話を続ける。
「人が多いと前みたいになっちゃって困るけど……やっぱりヒナキさんとこういうの来てみたくって。ここなら喜んでもらえるかと思ったんです」
「うん……すごく嬉しいよ。こんな綺麗な場所で……って、こういうの喜んでると女の子みたいだけど。でも、君と来られてよかった」
 潤の腕に手を重ねる。マフラーと潤の体温で、すっかり温まってしまった。頬の熱に気づかないふりをして、無数の光をゆっくり眺める。
「ヒナキさんって……」
 潤はそこまで言って、ふと途切れさせた。それから抱き締める腕に力を込めて、ため息をつく。何を言いかけたのか、直感的に分かってしまった。
「僕の地元は、こんな綺麗なイルミネーションなんて絶対見られないような、真っ暗な場所だったよ。東京に来てからは一度も帰ってないけど、静かで、ちょっと寂しいところだ」
「遠いんですか?」
「うーん……ちょっと遠いかな。岐阜の山奥」
「へぇ、いつか行ってみたいなぁ。俺はヒナキさんのこと何も知らない。ヒナキさんは『JUN』には詳しそうなのに」
「ふふっ、僕の地元なんて来ても、何も面白くないよ。……確かに僕って『JUN』には詳しいと思ってたけど、バイクに乗れることすら知らなかった。ビックリだ」
「うん、そうですね。考えてみたら、マネージャーから女性ファンにウケないからメディアにバラすなって言われてたんでした」
「そういうもんなの?」
「そういうもんです。バンドマンといえど、メディアに露出する以上は色々と『言論統制』が敷かれるんで。恋愛関係は当然だけど、俺以外の3人、特にニックは家族のこともあまり話せないことになってる」
「大変だね。そういう類のは僕ら俳優やアイドルの専売特許かと思ってたよ」
「俺もそう思ってました。ニックのお父さんが元暴走族なのも、お兄さんがバイク屋なのも、俺らにとっては昔から知ってる当たり前のことなんですけどね。世の中には秘密です」
「それは……確かにあまり言わない方がいいね」
「ですよね、やっぱり。……さて、せっかくだし端っこまで見に行ってみますか?」
 潤は突然そう言って、やや名残惜しげに腕を解いた。背中が寒くなった代わりに、今度は手が温かくなる。2人は、砂時計のようにのんびりと歩き始めた。
「この雪だるま可愛い」
「ホントだ。ふふっ、ちょっとめぐちんみたいかも」
「アハハッ、確かに。似てるね」
「めぐちん、普段あんなにカッコつけてるけど、ホントはあれくらい間抜けなんですよ」
 時々そうやって他愛もない話をしながら、どちらからともなく指を絡める。自然と距離が近くなって、肩が触れ合って。互いに心が揺れているのは、口に出さなくても気がついていた。それでも、2人はゆっくりと散歩を続ける。この時間があまりにも貴重で、ひとつ間違えたら壊れてしまうような繊細なものだと分かっているから。
 あと少しで、公園を一周してしまう。そうしたら、どうするのだろう。また始めから歩き出すのだろうか。それとも、終わらせてしまうのだろうか。
「あ……あのねっ、潤」
 ヒナキは意を決して、声を上げた。ふと、先ほどまでの空気が途切れてしまったのが分かった。2人は歩くのをやめて、最初に見たサンタクロースの近くで向かい合う。
 終わらせるのも、もう一度始めるのも、恐ろしかった。ヒナキは潤の手を強く握ったまま、ゆっくりと息を吸った。けれど、言いたい言葉が喉に引っかかって、声にならない。
「ぼ……く、僕は……っ、その」
「ん……?」
「前から、君に言いたくて……」
 緊張のあまり、声が高くなってしまう。でも、逃げたくない。真っ直ぐに潤の顔を見上げ、瞬きを繰り返す。潤の透き通った瞳には、たくさんの光が反射していて、星空みたいだった。その中に微かに映り込んだヒナキは、いつもとは全然違う表情を浮かべている。
 感情と、高まった緊張感が張り詰めて、頭がうまく回らなくなった。
「僕は、君が……」
「ダメ」
 突然、潤ははっきりとヒナキの言葉を遮った。切羽詰まったような、焦りを含んだ声だった。ヒナキは口を噤み、目を瞠る。潤は、今までに見たことのないような顔をしていた。
「ダメ……です、言わないで」
「潤……?」
「ごめんなさい、ダメなんだ」
 潤の目が艶やかに光る。イルミネーションを反射している、それだけじゃない。
——泣い……てる?
 涙は流れていない。けれど、そうとしか思えない。潤は耳までを真っ赤にして、眉根を寄せていた。彼自身、うまく感情を整理できていないようだった。
「理由は、まだ話せないけど……」
 潤はヒナキの手を両手で包み込んだ。心なしか、震えている。そして、さっきまでよりもずっと熱くなっていた。
「俺は誰かを愛することはできない。愛しちゃいけないんです」
——嘘だ。
 ヒナキは潤の目を見て思った。今にも壊れてしまいそうな、悲壮な色が浮かんでいる。名前をつけられない複雑な感情が、絵の具のように混ざり合っているようだ。
「ごめんなさい。矛盾してるって分かってる。でもあと少しだけ……あと少し、だから」
「少し……?」
「…………俺は」
 潤が何かを言いかける。言い淀んだ言葉が、白い息となって空中に消えた。ヒナキは潤の体を思い切り引き寄せると、そのまま彼の首に腕を回した。
「んっ!? 」
 ほとんど無理やり唇を塞ぐ。潤は戸惑っていたが、ヒナキを振り払うことはしなかった。
——潤の体、あつい。熱が出てるのか?
——なんだか、マリンさんが言っていた時のような……。
「まっ、……んんっ、ヒナキ、さん」
「んっ……はぁ、ちょっと黙ってて」
 ちょうど潤の首に触れている、手首のあたりに鈍い痛みが生じる。彼自身の放つ熱とは違う。ヒナキにとって危険な物が、肌に触れている証だ。
——そうか。彼の鎖は「銀」なのか。
 布越しに触れているはずなのに、火傷してしまいそうだ。それでも、ヒナキは潤にこれ以上話をさせまいとした。
 キスを繰り返しながら、ヒナキは拳を握り締める。肌が焼かれている。それでも、こんな痛みよりも潤を失うことの方が恐ろしかった。
「ん、はなし……て」
「っ……やだ」
「大丈夫、だから……」
 潤はヒナキの腕を解かせると、今度は自分からキスをした。ヒナキの首を支えて、さっきより深く口付ける。
「んんっ、ふ……ぅ」
 ヒナキの力が抜けた瞬間に、温かいものが唇を押し開いた。間も無く、ぬるりとした感触と共に口の中へ入ってくる。舌で犯されていると分かった時には、呼吸が苦しくなっていた。
——甘くて、熱くて、変な感じする。
 自然と額が熱くなって、それが目の奥まで広がった。涙が出たのかもしれない。けれど、今は潤から与えられる全てが苦しくて、気持ち良くて、何も考えられない。
「ん……っ、ヒナキさん」
「んう……? なに」
 潤は不意に唇を離すと、指でヒナキの涙を拭った。彼自身の頬も濡れているのに、気がつかないのだろうか。2人は呼吸を整えながら、じっと見つめ合う。
「……ごめんなさい。ちょっと、考えさせて」
「何を?」
「えっと……いろいろ。整理しないと、喋れない。ごめんなさい」
「はぁ……分かったよ」
 ヒナキはほとんど力任せに潤の頬を拭いてやった。ずっと浸っていたかったぬるま湯のような気持ちは、潤が口を開いたところで静かに消えていってしまった。それよりも今は、妙な苛立ちで胸が痛い。彼を追い詰めるつもりはなかったのだが、結果としてヒナキの方が焦ってしまったようだ。
 すっかり濡れそぼってしまった唇を押さえて、顔を背ける。
「もう帰ろう。こんな事してても仕方ないよ」
 自分で思ったよりも怒ったような言い方になってしまったが、潤が酷く落ち込んだような顔をするので、それだけでいくらかヒナキの気持ちは慰められた。
 両手をポケットに入れて、歩き始める。まだ手首は痛むが、この分ならすぐに治るだろう。

 帰り道、ヒナキは来た時と同じように潤の後ろに座ってじっと頭を悩ませていた。どうすればよかったのか、何が正解だったのか、考えても答えが浮かばない。
——僕は潤に死んでほしくない。
 だから、好きだと伝えて、彼からも同じ気持ちを返してもらえるならば、喜んでこの命を差し出すつもりだ。
——僕はきっとどうせんだから。
 それを潤に伝えれば、彼は殺そうとしてくれるだろうか。
——とは言っても、本当に死なないのかどうか確かめたことなんてない。僕の親族はちゃんと死んでるし、もしかしたら人間と同じくらい簡単に死ぬのかもしれない。それでもいい。
 もう充分に生きた。だから最後の最後くらい、大好きな人と両想いになって、幸せな時間を過ごして、彼の手で殺されたい。それが今、ヒナキの考える最良の形だ。
「それを……伝えればいいだけなのかな」
 ヘルメットの中に、くぐもった呟きが響いた。それはバイクのマフラー音にかき消されて、潤の耳には届かない。
 ヒナキは潤の背中に抱きつくようにして、彼の体温を感じた。目を閉じる。いつのまにか、胸が痛くて堪らなくなっていた。
——どうしよう。なんだか泣けてきた。
 喉の奥が苦しくなって、呼吸が不自然になった。涙を拭うこともできずに、ただ唇を噛む。風の音がうるさい。潤は、さっきよりもスピードを出しているように感じた。



 潤はヒナキの住むマンションの前まで来ると、ゆっくりバイクを止めた。ヒナキだけを降ろして、そのまますぐ帰るつもりらしい。唸るエンジンの音を聞きながら、ヒナキは彼のすぐ隣に立った。
「ありがとう」
「いいえ、こちらこそ。急に連れ回してすみませんでした」
「ううん」
 潤はヘルメットを外さなかった。分厚いガラスの奥でふわりと目を細めていることは分かったが、表情までは読めない。
 また、胸が痛くなった。絞られているような、苦しみを伴う重いものだ。普段なら、少しくらい不安を感じたってこんなことはないのに。潤との間に生まれてしまった溝は、ヒナキの心の一部分をも抉ったようだ。
「潤……あのさ」
「なんですか?」
「君は……」
 バリバリという空気を裂くような重低音が、ヒナキの声を隠してしまう。きっと、潤には何も聞こえていないだろう。
 しばらくの沈黙が続く。やがて、潤は観念したようにエンジンを止め、ハンドルから手を離した。
「……俺、ヒナキさんと一緒にいたかったんです」
「え……?」
 突然、潤はそう言った。相変わらず表情は見えなかったが、明らかに覇気のないその声は、きっとヒナキでなければ聞き取れなかっただろう。
「本当に、自分勝手ですみません。でも、あなたにホントの事を言えない理由があって……言えないけど、あなたのことは大切なんです。それは信じてください」
「……うん」
 潤はじっと俯いている。
「誰にも渡したくないし、傷つけたくないのに……俺自身が傷つけてしまうって分かってるから……。もう、これ以上近づかない方がいいのかもしれない。いや……すでに近づきすぎてしまった。俺は馬鹿だ。頭では分かってたのに……」
 どんどんか細くなる声は、どこか暗いところへ向かっていっているかのようだった。なんと言えばいいのか分からない。ただ今は、潤の本心を聞くことに徹するべきだろう。ヒナキは黙ったまま、潤の手元を見つめた。
「終わりが来るまで、何も言わずにあなたの時間を奪おうとしてました。あなた自身の気持ちも考えずに……守れないくせに、あなたが他の誰かと一緒になるのは嫌だったから」
 ヒナキは、また涙が出そうになっていた。感情が昂っている。悲しいのではない。ただ、鉛色の雲のようなものが、胸の中に大きく広がっていく。痛みが、酷くなっていた。
 このままでは、潤は離れていってしまうのではないか?
「潤」
 名前を呼び、手を取った。潤はハッとしたように口を噤むと、ようやくヒナキの方を向いた。ガラスが街灯を反射して、完全に顔が見えなくなる。
「君は、死神なんだろう? ……本当に」
「え……」
 ヒナキは潤のそばに歩み寄ると、掴んだ手を自身の首元へと引き寄せた。手袋越しに、冷たい感触が喉を撫でる。
「僕を殺せ、潤」
 その瞬間、ヒナキは喉がカラカラに渇くのを感じた。






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