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27.タイムリミット

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「僕を殺せ、潤」
 その瞬間、潤が身を固くしたのが分かった。2人の間を、鋭く冷たい風が吹き抜ける。しかし、ヒナキはすでに腹を括っていた。
「ヒナキさん……今なんて……?」
 潤の声が震える。きっと、酷く傷ついた顔をしているに違いない。彼はそういう人だ。よく分かっている。分かっているからこそ、ヒナキは自分からこの事を口にしたのだ。
「僕を殺して。それが僕らにとって一番いい答えだと思う」
「は? 何言って……」
「ごめんね。君が事情を抱えていることは何となく分かってたんだ。もし君が、ホントに僕が思ってる通りの存在なんだとしたら……呪われてるんだとしたら、迷うことはない。僕を殺してくれ。そして、それまで僕のことを愛して欲しい」
 ヒナキは潤に、縋り付くような気持ちだった。けれど、潤は震える手でヒナキを振り払うと、また顔を背けてしまった。重い沈黙が落ちる。それから、潤はそっと自身の首元に手をやった。
「馬鹿なこと言わないでください」
 そう言って、何かを掴むような素振りをする。見えないけれど、そこに鎖があるのだと分かった。
「潤……僕は本気でっ」
「ヒナキさんは!」
 泣き叫ぶような、悲痛な声が響いた。ヒナキは思わず口を噤み、息を呑む。
「終わりが来るって分かってるなら、『後悔しない方を選ぶ』って言いましたよね?」
——あの時って、まさか。
 眼裏に、いつか旅館で話した記憶が蘇る。あの時のヒナキは、潤が何を言おうとしているのか分かっていなかった。特殊な存在であるヒナキにとって、「死」とはフィクションでしかなかったからだ。
「……そうだよ」
「俺がヒナキさんをこっ……手にかけるのが、俺らが後悔しない選択だとでも言うんですか?」
 まるで現実感がない。ヒナキは潤の言葉を受け止めながら、心のどこかでそう感じていた。いつかはこんな風に話をしなければいけないと分かっていたけれど、やはりまだ実感が湧かない。潤の言葉が紡がれるごとに、地に足がつかないような感覚になる。他人事ではないのに。
「俺は誰も殺さない」
「…………」
「あなたのことも、誰も」
——なら、潤自身は?
 そう問いかけることはできなかった。彼はヒナキの知らない間に、自分が死ぬことを選んでいたのだ。だから、その日が来るまでヒナキと、数時間前までのような、中途半端な関係を続けようとしていたのだろう。想いを告げた途端に、終わりが来るかもしれないから。
 再び風が吹き、ヒナキの言えなかった言葉を溶かしていった。潤はそれ以上何も言わずに、ハンドルに手を伸ばすと、エンジンをかけて走り去ってしまった。
 潤の背中はあっという間に暗闇に溶け込み、見えなくなる。熱のこもったマフラー音だけが、深夜の住宅街に響いた。ヒナキは急激に寒くなった空間に1人取り残され、家に入ることはおろか、自分が息をしていることさえ忘れていた。





1時間後

 潤はほとんど無意識のうちに、入間の住むマンションの前にいた。最寄り駅の駐車場にバイクを停め、慣れた道を何も考えずに歩いてきたところだ。頭の中が洪水を起こしたような状態だったのに、よくここまで事故も起こさず来られたものだ、と思った。
 エントランスを抜けて、エレベーターに乗る。目的の階に着いた時、ボタンを押したかどうかすら覚えていなかったが、たしかに6階にいることを確認して廊下へと降りた。
 入間の部屋は鍵がかかっていた。予め連絡すらしなかったのだから、当然だ。彼が今在宅かどうかすらわからない。インターホンを押そうか、このまま帰ろうか迷っていると、突然扉の内側からトントンとノックする音が聞こえた。
「誰? ……ジュン?」
 入間だ。なぜ分かったのだろう、と思いながら、潤は扉に近づいた。
「……うん、俺。ごめんよーちん……急に来て」
「なんだよビックリしたぁ。今開けるから待って」
 間も無く、ガチャリと鍵を回す音がして、開いたドアからピンク色の頭が覗いた。酷く疲れた顔をしている。もうとっくに日付は回っているのに、まだ髪もセットしたままだった。帰宅したばかりなのかもしれない。
「死にそうな顔してんね。早く入れよ」
「うん……」
「あ、そうだぁ。メリークリスマス。プレゼントは無いけど」
 入間はやけに明るい口調でそう言って、潤をリビングまで招き入れた。潤は苦笑を返すのが精一杯で、申し訳なさを抱きながらも、入間の優しさに甘えることにした。
「高永ヒナキと喧嘩でもした?」
 潤をソファに座らせるなり、入間はそう言った。いつのまにか、片手に缶ビールを持っている。それが先日一緒に買いに行ったものだと、なぜかすぐに分かってしまった。
「ジュンも飲む?」
「……飲もうかな」
「うははっ、マジかよ」
 笑いながら、入間は「ハイ」と言って潤に新しい缶を差し出した。潤はしばらく考え込んでから、プルタブを開ける。不思議な匂いがした。
「乾杯する?」
「しない」
「あはっ、機嫌悪いなぁ。でも俺んところに来たってことはさ、話聞いて欲しいんでしょ?」
 入間は優しい。潤が子供ぶってワガママを言っても、こうして夜な夜な突然押しかけて迷惑をかけても、拒まない。その優しさにつけ込んでいるのは他でもない潤自身なのだが、彼にはっきり嫌だと言われるまで甘え続けてしまいそうだ。
「ヒナキさんにね……」
 潤はさっきあった出来事を、なるべくざっくりと入間に説明した。詳細に話すのは得意でない上に、恥ずかしさが勝るのだ。しかし、入間はそれでも潤の拙い話から情報を汲み取ると、「なるほどね」と言って頷いた。
「君、酷いことするなぁ」
「……やっぱそう思うよね」
「うん。今日のは潤が悪いね」
「うう」
 ビールが苦い。初めて飲む酒がこんな味だなんて、ガッカリだ。潤はさっさと缶を手放して、口の中に残った苦さを忘れようとした。
 入間は、そんな潤の顔を見ながら、ニヤニヤと笑みを浮かべている。子供扱いされているようで落ち着かない。
「ヒナキ……くんはさぁ。そんな軽い気持ちで言ったんじゃないと思うよ」
「何でそう思うんだよ。俺の秘密知ってるってことすら、今まで何も言ってなかったのに」
「そりゃ言わないだろう。君だって言ってなかったじゃん。彼がどこでその情報を知ったのかは分かんないけどさ」
「そうだね。はぁ……やっぱ俺、バカだ。分かってるつもりだったけど、全然何も分かってなかった。実感を持ってなくて」
「だろうねぇ。好きになるなよって言ったのに、好きになっちゃった時点で」
「好きになろうと思ってなったわけじゃない」
「そりゃそうだ。その通り。恋ってそういうもんだよな。でも、流石にずーっと有耶無耶にしたまま逃げ切るのは無理だって。ヒナキくん可哀想だよ」
「うん……」
 入間は缶をテーブルに置くと、潤の肩を抱き寄せた。内緒話でもするように、顔を近づけて来る。
「それで、どこまでヤったの?」
「え?」
「告ってもねぇのに手ェ出したんだろ? どこまでヤった?」
「はっ……や、やってないよ! ……キスだけ」
「ええ? ホントに?」
「ほんと!」
 入間の顔をずいと押し返し、照れくささから逃れる。顔が熱い。一口しか飲んでいないはずのアルコールが、すぐに回ってきたようだ。
「ジュンちゃん。男同士のヤり方は知ってんの?」
「……知らない。けど、女の子と大して変わんないだろ」
「変わるよ。野郎にはチンコついてるし、女の子みたいに柔らかい体じゃないぞ?」
 言いながら、また入間が迫って来る。潤はソファの隅に逃げようとしたが、彼がほとんど押し倒すような格好で逃げ場を奪うので、されるがままになってしまった。入間は潤を見下ろしながら、胸板に指を当てる。潤の体の中心をなぞるように、ゆっくりと動かした。
「よーちん、ちょっと……」
「ジュンはさぁ。恋愛のことも分かってないし、人間のこともよく分かってないと思うよ。音楽の才能はスゲェし、素直でいい子だけど……」
「はぁ? 急になに」
「これまで呪いを受け入れることしか考えてなくて、しかも20歳で死ぬつもりで生きてきたんでしょ?」
 入間が酒に酔っている様子はない。潤は何もできず、彼の顔を見上げるしかない。
「だから君にもっと生きてほしいって思ってる人たちのこと、考えてなかったでしょ。ヒナキくんもそう。俺らだってさぁ……死んでほしくなんかないよ。もっとずっと、一緒にバンドやってたいよ」
「……それは」
「潤はさ、そりゃ、死ぬまでの最後の時間をヒナキくんと過ごせたら……ギリギリまで思いも告げずにいたらさ、幸せじゃない? でもヒナキくんは? 残される方はどうなるの」
 入間は薄らと笑みを浮かべ、あくまで穏やかな口調で語っていた。それでも、彼が怒っているかもしれないというのは、流石に潤も分かっていた。謝るべきか。けれど、うまい言葉が見つからない。
「ヒナキくんもさ……お前に殺されて死ぬなら、きっと」
 入間はそこまで言って、ふと笑みを消した。そうして、押し黙ってしまう。
「よーちん? どうしたの」
 入間の目は、じっと潤の首元を見つめていた。彼には鎖は見えないはずだが、一体どうしたというのだろう。
「ジュン、それ……」
「え?」
「その傷、いつできた?」
 入間がそれ、と言って指したのは、首の横あたりだった。慌てて手を当てるが、分からない。彼の声が突然低くなったので、冗談でないことは明らかだ。
「鏡で見てみろよ」
 入間にそう言われて、潤は洗面所へ向かった。鏡には、一見いつも通りの自分が映っている。しかし、決して解けないよう固く結びつけられた鎖の下に、2センチ程度の痣のようなものが浮かび上がっていた。まるで、火傷の痕のようだ。
 さっきまでは、髪で隠れていたのかもしれない。
「それってさ……」
 後ろについてきていた入間が、気まずそうに口を開く。
「タイムリミットってやつ?」
 タイムリミット。あと3ヶ月と少ししか残されていないということが、肉体にも表れ始めたというのか。呪いが、突然こんな効力を発揮して来るとは思わなかった。
 潤がヒナキを好きになってしまったから。呪いは、潤がはっきり口にせずとも感知して、「早く彼を殺せ」と言い出したのだろうか。
「……よーちん」
「ん」
 潤は黙って入間を振り向いた。彼は何か、考え込むような顔をして、潤の首を睨み付けていた。






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