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25.クリスマス②

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 配信が終わってしばらくして、ヒナキはようやく帰り支度を始めた。あまり控え室に長居するわけにはいかない。今日はこれで仕事が終わりだ。年内にはあと2日だけ潤とのドラマ撮影が入っているが、それを除けば残るはラジオの仕事と年末番組3本だけだ。
 あと2回。あと2回で、ラヴァーズ・イン・チェインズの撮影が終わる。当初の予定より少し早く、年内で全ての撮影が終了することになった。
「あと2回……か」
 仕事で潤に会えるのがそれだけだということだ。潤は番宣にはほとんど出ていない。年明けにはそういった機会も出てくるかもしれないが、URANOSの全国ツアーが始まることを思えば、その可能性も低いだろう。
 それに第一、潤とこれからもずっと一緒にいられるかどうかというのが問題だ。結局、彼に直接「例の呪い」については何も聞けていない。もしヒナキが彼の秘密に触れるのならば、その時はヒナキ自身も自分の秘密について明かさなければならないだろう。それは、なるべくなら避けたい事態だ。けれど、もし本当に何の前触れもなく殺されるか、潤が居なくなってしまうかなどということになれば、それこそヒナキはどうしていいか分からない。
 少し暗澹とした気持ちになりながら、ヒナキは大きなため息をついた。荷物を抱え、スタッフたちへの挨拶に向かう。控室を出たところ、こちらに向かって来ている相良の姿が見えた。
「ヒナキ君、遅かったね」
「すみません。少し、返しておきたい連絡があって」
「そう。ま、行きましょうか。家まで送るよ」
「あ、いえ。今日は少し用事があって……1人で帰ります」
「そうかい。わかった。お疲れ様」
 相良はあっさりそう言うと、ヒナキを見送ることもなくさっさとその場を立ち去った。以前横浜でファン達に姿を見られてしまったことについては、結局一度も注意すらされていない。大した問題どころかそもそも話題にすらならなかったからであろうが、本当に相良という男はヒナキに興味がないらしい。
——まあ、放っておいてくれるだけありがたいんだけどね。
 社会に素性をはっきりと明かしていないヒナキとしては、彼くらいいい加減な人間がマネージャーでいてくれる方が動きやすいのだ。
 現場を離れて、最寄りの駅に向かって歩いていると、潤から電話がかかってきた。向こうも作曲の作業というものが終わったらしい。ヒナキは少しだけ画面を眺めてから、電話に応じた。
「やあ、潤」
「あっ、ヒナキさん」
 潤は、とても嬉しそうな声をしていた。さっきのライブ配信とは全然違う、少し甘えたような柔らかい声だ。彼からこんな風に名前を呼ばれる日が来るなんて、思ってもみなかった。
「お疲れ様だったね」
「はい、ヒナキさんこそ。ふふっ、ヒナキさん……公式アカで俺らの配信見るなんて」
「ちがっ……あれはわざとじゃないよ! いきなりインライなんて始めるからテンパって」
「うん、わかってます。ふはははっ」
 潤はとても楽しそうに笑っている。
「そういうところ、可愛いです」
「え?」
「ふふふっ。ホントに今日予定空けててくれたんですか?」
「うん。君がそう言ったんだろう。何するんだ?」
「実はあまり深く考えずに誘っちゃったんですけど。ヒナキさん、今日どんな格好してます?」
「どんな? って、普通の格好」
「ちょっと寒くても平気です?」
「え……うん」
 一体どこに行くつもりなのだろう。今、時刻は16時を回った頃だ。外は夕焼けに染まっていて、晴れ渡った空に低く鋭い陽の光が眩しい。
「わかりました。それじゃ、迎えに行きますね」
「えっ」
「今どこですか?」
「赤坂だけど。駅の近く」
「分かりました。すぐ向かうんで、どこにいるか写真送ってください」
「えっ」
「またあとで! 多分10分くらいで着きます!」
 潤はそう言うと、ほとんど一方的に電話を切った。彼がどんな手段でここへ来るのか、駅のどの辺りを目指しているのかすら分からない。
「全く、なんなんだよ……」
 適当に近くにある駅の出口の写真を撮り、潤に送った。移動中だからか、既読はつかない。
 空を見上げる。ため息をつくと、白い水蒸気がふわりと空気に広がった。鋭い冷たさを持つ冬の気温に、思わず身震いをする。どこで待とうか、何をしていようか考えているうちに、ヒナキは手持ち無沙汰になってイヤホンを取り出した。
——なんだかんだ、URANOSの曲ばっか聞いてるな、僕。
 そう思いながら、音楽アプリを立ち上げて最新の視聴履歴を再生する。ちょうど、今朝の通勤中にURANOSの新しいアルバムを聴いていたのだ。
 今年の夏に放送していたドラマの主題歌や、珍しくベースのIRUMAが歌詞を書いたというバラード曲も収録されている。URANOSの楽曲はほとんど全てMEGの手で作られているが、編曲や作詞に関しては他のメンバーも時々携わっているようだ。

 雪さえ降らない いつもと何も変わらない日常
 曇り空に 疲れた人々 時間に追われる僕
 クリスマスだということに 君に会うまで気がつかなかった 
 まるで魔法のよう 君が通った後は星のようにキラキラ輝いている
 街中のイルミネーション 好きでもなかったのに どうしてだろう 今はこんなにも眩しい

 JUNがしっとりと歌い上げるその曲に聴き入りながら、先ほどの配信のことを思い出した。
——潤は、こういう歌をうたうとき誰のこと考えてるんだろうな。
——僕のこと好きって、確かめたわけじゃない。本当に好きなのかな。僕の思い上がりだろうか。分からない。
——なんでクリスマスイブの夜に僕に会いたいと思ったの? それくらい、聞いても許されるかな……。
 本当は、潤に気持ちを確かめたい。ヒナキ自身の気持ちも伝えたい。クリスマスの夜なのだ。もし本当にお互い好き合っているのなら、ここで想いを伝え合って、一緒に呪いを解く方法を探すことだってできるんじゃないか?
——いや、そんなの馬鹿げてる。調子に乗るな、僕。
 ぼんやりと考え事をしていると、イヤホンの外からバイクの排気音のようなものが聞こえてきた。こんな寒い日に、バイクに乗る人がいるのか。そう思って目を向ける。すると、真っ黒な車体に黄色い装飾の入った大きなバイクが、斜め向かいの信号で止まっていた。
「でかいバイク……」
 街中で大型バイクに乗る人間はそう多くない。少なくとも、ヒナキは滅多に見かけない。車種は分からないが、艶やかなボディに「Kawasaki」というロゴが入っていた。
 思わずじっと眺めていると、突然運転手がヒナキの方を向いた。何かに気がついたかのようだ。彼はフルフェイスのヘルメットを装着しているため、視線がどこに向いているのか分からない。しかし、どうにもこちらを見られているような気がしてならない。
 やがて、信号が変わる。しばらくすると、大型バイクは滑らかに右折して、ヒナキのいる駅の出口へと向かってきた。マフラー音が響く。やがて、少しだけ通り過ぎたところで路肩に停車した。
「あれってまさか……」
 ヒナキがそう言ったのとほとんど同時に、運転手はエンジンを切って降車した。ヘルメットを被ったまま、ヒナキの方に駆け寄ってきた。
「ヒナキさん!」
——やっぱり。
 ヘルメットの中から聞こえてきた明るい声に、ヒナキは思わず目を丸くした。それを不審がっていると思ったのか、倉科潤は慌ててヘルメットを脱ぎ始めた。
「ごめんなさい、驚かせちゃいました?」
「あ、ああ……お疲れ様。君って、バイク乗るんだ」
「ハイ。言ってませんでしたっけ」
 ヘルメットの中に収まっていた潤の髪は、少しだけ乱れていた。しかし、それもまた無造作な感じがしてカッコいい。ヒナキは初めて見る潤の姿を隅々まで眺め回したい気持ちを抑えながら、潤の前髪を整えた。
「ひ、なきさん……いきなり触られるとビックリします」
「ああ、ごめん。つい」
「いいえ、ありがとうございます」
 潤は少しだけ目を泳がせ、照れくさそうに笑った。可愛い。ヒナキは口元がにやけてしまうのを手で隠しながら、潤の目元がじわりと赤くなるのを見逃さなかった。
「行きましょう。後ろ乗ってください。寒くて申し訳ないですけど……」
「ほんとに寒そう……どこ行くの?」
「ちょっとだけ遠出してもいいですか? 今日中には帰るんで」
 潤に言われるがまま、ヒナキは手渡されたヘルメットを装着し、彼の後ろに座った。バイクに乗るのなんて初めてだ。
 潤のバイクは、新品なのか、マメに手入れをしているのか、艶やかなボディが眩しかった。潤の指示通りに彼の腰につかまると、程なくしてエンジンがかかった。滑らかに走り出したその瞬間に、冷たい風が2人を撫でた。
 大きなエンジンは、それこそURANOSの音楽のように重低音を響かせながら、夕方の街を走る。ヒナキは潤に掴まるのに必死で、あまり景色を楽しむ余裕がなかったが、それでも見慣れた街を慣れないスピードで駆け抜けていくのは新鮮な気持ちだった。背筋がぞくぞくと震える。
「手冷たかったら、俺のポケットに突っ込んでてください!」
 信号待ちの時、潤が振り向いて声を張り上げた。その言葉に甘えて、彼の腰を掴んでいた手をそっとポケットの中に入れる。温かい。いつか食事に行った時と同じく、カイロを忍ばせているようだ。
 ヒナキは黙ったまま、潤の背中に頭を預けた。

 それから、1時間以上は走っただろうか。都内でもかなり郊外の方に来たのが、過ぎて行く景色でわかった。
「もうすぐです!」
 潤は前を向いたまま、少し弾んだ声で言った。空はすでに夜の色に染まっており、少し首を傾ければ小さな星が微かに見える。ヒナキはぼんやりと、URANOSの「イルミネーション」という曲を思い出していた。さっきまで聞いていた、IRUMAが詞を書いた曲だ。
 ほどなくして、潤は駐車場に入った。他にはあまり車が停まっていないようだ。潤に「着きましたよ」と言われるまで、ヒナキはまだ風に包まれている気がしていた。寒さで固まった足をぎこちなく動かして、地面に降り立ったが、なんだか不思議な感じがする。運転していたわけでもないのに、妙な疲労感があった。
 ヘルメットを外すと、目が覚めるような冷たい空気が肌を刺したので、思わず身を竦めてしまった。今晩は一段と冷え込むらしい。
「急にスミマセン。この間一般人に見られちゃったの、あれ不味かったなって思って」
 潤はようやくバイクから降りると、優雅にヘルメットを脱いだ。ずっと一緒にいたはずなのに、これまでの旅が長くて、久しぶりに再会したような気分だ。潤の頬は、普段より血色が良く見える。
「これなら誰にも見られないでしょ」
 これ、と言って脱いだばかりのヘルメットを指す。少しへたっていた潤のウルフカットは、不思議なことに、彼が首を振るだけでふわふわした質感を取り戻した。一体どんな魔法が隠れているのか、ヒナキには分からない。
「せっかくクリスマスだし、イルミネーションでもと思って」
 潤はバイクの中に2人分のヘルメットを収納すると、代わりにマフラーを取り出した。
「使います?」
 そう言って、少しだけ悪戯っぽく笑う。なんでそんなに綺麗に笑うんだろう。ヒナキはすっかり目を奪われ、潤に釘付けになってしまった。
 ぼうっとしている間に、柔らかい布で首元をすっぽり覆われる。濃いグレーのそれは、潤の匂いがした。
「あ……ありがと……」
「うん」
 瞬きも忘れて見つめていると、手袋をつけた手に両頬が包まれた。綺麗な笑顔が、また少し近づく。それでも、ヒナキは身動きが取れなかった。
「ね、ヒナキさん。そんな顔してたらキスしちゃいますよ」
「へ……っ」
 困惑するヒナキに構わず、潤は額に触れるだけのキスをする。ちゅ、と小さな音が鳴って、その瞬間に寒さが消えた。魔法にでもかかったみたいに、全身が熱くなる。
「早く行きましょう」
 潤は、何事も無かったかのようにさらりとヒナキの手を取ると、どこかへ向かって歩き出した。行く先に、星明かりとは違う光が見える。それでも、少し前を歩く彼の方がもっと輝いて見えた。
 心臓がおかしくなってしまったのではないかというくらい激しく鳴っている。このまま、知らない間に死んでしまえたらいいのに。それで潤が救われたら……なんて、馬鹿な考えさえ浮かんだ。
 マフラーに移った彼の匂いを感じるたびに、不思議な感覚が体の奥底から湧き起こってくる。体が——いや、だ。本当に、ヒナキにとって潤の存在はあまりにも……あまりにも尊くて、危険だ。
——でも、幸せ。
 彼のために心身のバランスを崩すのが、最初は恐ろしかったけれど、今はそれだけじゃない。そうあることで、ヒナキは「自分が生きている」ことを実感できる。彼のおかげで心臓が動いていることに気づき、血が熱いことを思い出す。そして、潤へ抱いている感情が「人間のもの」に限りなく近いのだろうと思えば、嬉しくて、これ以上ない幸福感を得ることができた。





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