色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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【前編】

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「ふぁあああああ~…っ…!」

 ことりと万年筆を卓袱台の上に置きまして、僕は両手で顔を覆いました。
 我ながら、何と云う物を書いてしまったのでしょうか。これを旦那様が読みましたら、ただでは済まされない事でしょう。

「…まあ、その様な心配は不要なのですけどね」

 ですが、何時か涅槃でお逢い出来ました時に、僕は普通で居られるのでしょうか?

「はああ…顔が熱いです」

 はたはたと片手を動かして、開け放たれた障子の向こう、同じく開け放たれています縁側へと目を向けます。そこでは、硝子で作られた風鈴が、ちりんちりんと風に吹かれて揺れています。
 つい先日に梅雨が明けましたと思いましたら、もう、お盆も過ぎてしまいましたからね。
 初盆でしたが、恙無く終える事が出来ました。瑞樹様や優士様達には感謝してもしきれませんね。

「…ああ、仏膳の西瓜を下げませんと…」

 よいしょと腰を上げて仏間へと向かいます。
 初盆の時に、僕一人では食べ切れませんから、とお断りをしたのですが、季節物だし、小さいのを選んだからと言われてしまえば、受け取らざるを得ませんものね。お蔭で、お腹が水分でたぷたぷしている気がします。

「………おや…また、ですね…」

 お茶の間と同じく、風通しを良くしています仏間へ入り、お仏壇の前で僕は軽く首を傾げました。
 仏膳に供えた品は、一口の大きさに櫛切りにしました西瓜です。八切れありましたその数が減って、五切れになっていました。

「…うぅん…昨日は、おはぎが二つ消えていたのですよね…」

 これは、物の怪の悪戯なのでしょうか?
 先日…いえ、梅雨が明ける前でしたか、明けた後からだったでしょうか?
 時々、こうしてお仏壇に供えた品が消える様になったのですが、最近は毎日ですね。

「…まあ、僕としては助かりますが…っと」

 ぽろりと本音が零れてしまい、慌てて片手で口を塞ぎます。
 旦那様に聞かれていませんよね?
 夏場は、やはり食が細くなるのですよね。
 気を付けては居るのですが、これが中々で。
 涼しくなりましたら、たくさん食べますので、見逃して下さいね?
 
「さて…夕餉はこちらの西瓜と…お蕎麦にしましょうか」

 ◇

 旦那様との初めての翌日。
 僕は普段よりも早くに目が覚めたのですよね。
 それも、旦那様の腕の中で。
 旦那様が行為の後に、精も根も尽き果ててしまいました僕の身体を清めて下さったのですが、僕はその最中に眠ってしまったのです。
 受け入れる側の負担が大きいと旦那様は確かに仰っていましたし、普段は使わない筋肉を使ったので、辛くはありました。
 ですが、そのまま旦那様の腕の中に居るのが恥ずかしくて、這いながらお布団から出たのです。
 お蔭で、旦那様に不安な思いをさせてしまったのですが、もう時効ですよね?
 怪我の功名と云う訳ではないのですが、同衾した翌日は、旦那様のお勤め先に行ける事になったのですよね。
 ただ、何故か天野様に『砂を吐く』と言われてしまったのだと、旦那様が仰っていましたね。後に意味を知り、僕は、やはり赤くなってしまったのですけれど。
 旦那様の同僚の方々には、本当に良くして戴きました。幼い頃の僕を知っている方々が殆どでしたので『大きくなったな!』等と感嘆していましたね。
 同性婚が認められた七夕の時には、沢山の短冊にお祝いのお言葉を戴きました。
 保養地に行きました時も、歓迎して戴きましたね。
 旦那様を始め、任務中の皆様はとても凛々しく、勇ましくありました。その様なお姿を拝見出来ましたのは、えみちゃん様のお蔭ですね。
 ああ、幼い頃に見ては居ますが、その頃の僕はあまり感情が動かなかった物ですから、意識していなかったのです。日蝕の時は、それに構う余裕等ありませんでしたし、直ぐに、掃除用具入れの中に入れられてしまいましたからね。あの時の不安と恐怖ともどかしさは、今でもはっきりと思い出せます。
 旦那様を喪うかも知れないと云う、恐怖。
 目と鼻の先に居ますのに、何も出来ない、もどかしさ。
 ただ、ただ待つ事しか出来なくて。
 あの時、星様が止めて下さらなかったら、僕は後先考えずに飛び出していたでしょうね。
 そうならなくて、本当に良かったと思います。
 そうならずに済んだから、こうして沢山の思い出を、想いを抱えて居られるのですから。
 溢れる程の想いを。
 抱え切れない程の想いを。
 様々な事がありました。
 様々な出逢いや別れ。
 嬉しい事や悲しい事。
 楽しい事や辛い事。
 どれも、総て大切な思い出です。
 ぽかぽかときらきらと、それは僕の胸にあります。
 どれも、僕を象る物です。
 どれ一つも失くしたくありませんし、これからも増やして行きたいです。
 前を、先を向いて行きましょう。
 しっかりと、地に足を付けて歩いて行きましょう。
 何時か、笑顔で胸を張って大切な方々に、旦那様に逢えます様に。
 時には躓く事もあるでしょう。ですが、それで良いのです。
 僕は、一人ではないのですから。
 こんな僕を、支えて下さる方々が居るのですから。
 僕は、本当に沢山の幸運に恵まれたのだと思います。
 あの日、天野様に助けられなければ。
 あの日、あの村に来たのが、旦那様が率いる隊では無かったのなら。
 本当に、巡り合わせとは不思議な物です。
 それこそ、奥様が仰って下さった様に。
 空から降る雪の様に、沢山の縁が舞い降りているのでしょう。
 その縁を結び、繋いで行く事。
 中には切れてしまい、そのままの縁もあるのでしょう。
 本当に、僕は運が良かったのです。
 自ら切ろうとした事もありました。
 今度こそ、切れるだろうと云う事もありました。
 けれど、その度に、旦那様が結び直して下さったのです。
 僕は、本当に幸せ者です。
 もう、これ以上の幸せは必要ありません。
 ですから、僕は祈ります。
 この幸せが。
 この幸運が。
 必要な方々の元に降り注ぎます様にと。
 色褪せない想いが、幸福を導いて下さいます様にと。
 どうか、この幸福が、色褪せぬ様に降り注ぎます様にと。

 高梨(旧 里山) 雪緒。
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