色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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【後編】

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「…はい。ええ、今年も伊達巻きをありがとうございます。え? ええ、それは勿論ですよ、はい」

 もう一度、ありがとうございますと伝えて、僕は受話器を置きました。
 お電話のお相手は、みくちゃん樣です。
 伊達巻きの他にも、里で作られました白菜や葱、大根等等、旬のお野菜も戴きました。
 時の流れとは目まぐるしいだけでは無く、様々な変化を齎して下さいます。
 お荷物を運んで下さる業種は昔からありましたけど、今は生鮮物も、ある程度は運んで下さるのですよね。今の時期、冬季限定なのですけれども。お蔭でこうして、みくちゃん樣の伊達巻きを、今年も戴く事が出来ます。

「ふう…」

 置いた受話器を見詰めて、僕は小さく息を吐きました。遠く離れた、親しい方の声を聴けるのは嬉しいです。嬉しいのですが…それが途切れた時の、この感じ…静寂感と云うのでしょうか? どうにも侘しい物ですね。
 自然と下がる眉に苦笑を零して、僕は立ち上がります。

「早速、旦那様達に召し上がって戴きましょうね」

 両親には、初のみくちゃん樣の伊達巻きですから、きっと喜ぶ事でしょう。あまりの美味しさに、飛び上がるかも知れませんね。
 
「…旦那様の伊達巻きも好きですけれどね」

 僕の為に、職場の厨房をお借りしてとは、本当に何をしているのでしょうね、旦那様は。
 ですが、その様な旦那様ですから、周りの方々に好かれるのでしょうね。
 怒りん坊さんで、不器用さんですけれど、その懐は深くて広いのです。とてもぽかぽかと優しいのです。

「ひゃ…」

 伊達巻きを手に、お茶の間から台所へと移動しましたら、ひやりとした空気が身を刺しました。
 お茶の間にはストーブがあり、やかんがしゅんしゅんと音を立てていましたが、台所は冬の空気でひんやりとしています。

「冬ですから、仕方が無いのですけれど…今日はまた一段と冷えますね…夕餉はお鍋にしましょうか…」

 切りました伊達巻きを二枚のお皿に盛り、お盆に乗せて仏間へと向かいます。
 お茶の間から廊下へと出れば、そこは台所よりもひんやりとした空気が感じられました。

「ああ…朝は晴れていましたのに…」

 廊下の窓から外を見れば、どんよりと薄暗い雲が空を覆っていました。雨が降ればこの寒さですから、雪になるでしょうね。

「…雪…」

 ぽつりと呟いて、僕は小さく笑います。
 雪は、一人になりました今も、もう怖くはありません。
 だって、それは沢山の縁を結ぶ緒なのですから。
 奥様が仰って下さった様に、僕の両親がその想いを籠めて名付けて下さったのかは、解りませんが…そうであって欲しいと思います。
 こちらに来るまでに、色々な縁がありました。
 どれも、長く続く物ではありませんでしたが。
 ですが、今、僕がここに居る、この縁は。
 旦那様が掴み取って下さった、この縁だけは。
 決して切れない、大切な大切な縁です。
 この先も、解ける事の無い、結び続けて行く縁です。

「…ああ」

 少しだけ開けていた仏間の障子を開けましたら、そこには小さな机があります。お仏壇の前に、僕が置きました。見た事も無いお客様の為に用意した物です。時々から、毎日になりましてから、用意しました。そこに、お客様用のお食事をお出ししているのですが、今日も、綺麗に召し上がって戴けた様です。
 廊下が台所よりも寒いのも、こちらの障子を少しだけ開けていたのも、そのせいです。廊下から縁側へと繋がる戸を、こちらと同じく、少々開けているのです。物怪ですから、それは必要無いのかも知れませんが、何となく、です。

「ふふ。こちらは勿論ですが、仏膳の品も消えていますね。伊達巻きをみくちゃん樣から戴きましたので、どうぞ。とても美味しいのですよ」

 机の上にあります空のお皿をお盆へと移し、代わりに伊達巻きの乗ったお皿を一つ置きます。もう一つは旦那様達へ。
 りぃんとおりんの澄んだ音に耳を傾けた後に、何気なく視線を遣ったそこで目が止まりました。

「…結局、使う機会が無かったのですよね…」

 そこは、押し入れです。
 僕の秘蔵の品々が収められています。

「鍛えていましたからね…」

 ほう…と、溜め息が零れます。
 
「おしめに尿瓶におまる…まあ、これから先、僕が使うかも知れませんしね」
 
 日蝕の時もそうでしたけれど、それ程にお嫌でしたのでしょうか? 

「僕は、嫌ではありませんのに…」

 …それ程の長い時間を共に過ごしましょう。との意思表示でしたのですけれど、伝わってませんでしたかね?

「…まあ…伝わって無かったとしても、長い時間を過ごしましたけれど」

 ふふ、と小さく笑い、仏壇へと視線を戻します。
 並ぶ奥様の肖像画と、旦那様の遺影に僕は微笑みを向けます。

「今年は言えませんけれど、来年は新年のご挨拶をさせて下さいね」

 どれだけ辛い事や悲しい事があっても、時は進みます。
 それは、楽しい事や、嬉しい事があっても同じです。
 
「…僕は、まだまだ沢山の思い出を作って行きますね。抱え切れない程の思い出を」

 悲しい事や辛い事ばかりを振り返らずに、新しい思い出を作って行きましょう。
 あの時、あの頃の方が良かっただなんて、思っていたくはありませんものね。
 その様な生き方を、旦那様が喜ぶ筈もありませんしね。

「日記も書いていますから、忘れませんよ」

 そうなのです。
 実は、自叙伝を書き始めると同時に、日記も書いていたのです。
 その日、その日の他愛もない事ですが、これらも何時かは懐かしい思い出になる筈です。

「…さて。流石に冷えて来ましたね。お鍋の支度をしましょうか」

『下を見ろ!』

「ふえっ!?」

 立ち上がろうと腰を上げましたら、突然、旦那様の声が聞こえました。

「えっ、えっ、旦那様!?」

 腰を浮かせたままで、僕はきょろきょろと周囲を見渡します。
 今のは間違い無く、旦那様の声でした。
 深く優しく力強い、旦那様の声でした。

「…下とは…」

 空耳だとしても、あの様にはっきりと聴こえる物なのでしょうか?
 そう思いながら、下方へと視線を向けます。

「え」

 伊達巻きが浮いていました。

「…え?」

 伊達巻きが浮いています。
 
「え、と…?」

 ぱちぱちと瞬きを繰り返しましても、僕の視線の先にある伊達巻きが、お皿から浮き上がっているのが見えます。
 
「あ」

 いえ、浮いているだけではありませんね。端から少しづつ伊達巻きが欠けてゆきます。
 ゆらゆらと小刻みに揺れる伊達巻きを見て、僕は気が付きました。

「…これは…食されて…?」

 じっ、と見詰める先で、伊達巻きは小さくなって行き、やがて消えました。と思いましたら、また伊達巻きが浮き上がりました。そして、今度は凄まじい速さで、みるみると小さくなって行きます。

「…ふふっ! お気に召しましたか? 美味しいでしょう? みくちゃん樣の伊達巻きです。毎年のお楽しみなのですよ」

 姿は見えませんが、そこに何方かが居るのは確かです。

「…触っても大丈夫でしょうか? お嫌ではありませんか?」

 問い掛けてもお返事はありません。
 ただ、三切れ乗せていた伊達巻きの、三切れ目が、また浮かび上がりました。

「…お食事の最中に触れるのは…ご法度ですよね…?」

 うぅん…どうしましょうか?

「…以前から、こうしてお食事をされていたのですか? 足りていますか? 今はもう寒いですから、温かい物が欲しくはありませんか? お腹の中を、ぽかぽかにしたくはありませんか? お腹がぽかぽかになりましたら、良く眠れて良い夢も見られますよ?」

 姿の見えないお客様に、僕は語り掛けます。

「僕と一緒に夕餉は如何ですか? あ、夕餉だけではなく、朝餉も…お一人で食べるよりも美味しいですよ?」

 語り掛けている間に、伊達巻きが乗っていたお皿は空になってしまいました。
 姿が見えませんから、お食事を終えた今も、そこに居らっしゃるのかは解りません。

「…お一人は寂しくないですか? お嫌でなければ、僕と一緒に思い出を作って戴けませんか? 言葉を返して戴けなくても構いません。僕のお話を聞いて戴けませんか? 耳を傾けて戴けるだけで構いません。勿論、お食事をしながらで構いませんよ?」

 ですが、居て下さると信じて、僕は言葉を紡ぎます。
 先程の、旦那様の声は。
 あの声は。
 きっと、僕への贈り物なのです。
 前を。
 先を。
 未来を。
 これまでの思いを。
 これまでの想いを。
 これからの思いも。
 これからの想いも。
 それら総てを抱えて、先へ進むと決めた僕への、旦那様からの贈り物なのです。
 今、ここにある縁を結べとの、旦那様からの手向け…はなむけなのです。

「…僕は…寂しいです…。食事を共にして下さる方が居ましたら、その寂しさも嬉しさに変わると思うのです…」

 そっと、右手を空になったお皿へと伸ばします。掌を向けて。
 どうか、この手を取って下さいと祈りながら。

「…あ…」

 ぽふんとした感触と、ほわりとした温もりが掌に感じられました。

「…ありがとうございます」

 小さいですが、確かな温もりを感じます。
 お手玉と同じぐらいの大きさでしょうか?

「お姿は見せては戴けませんか? 間違って潰してしまいましたら大変です…あ、お嫌でしたらこのま…」

 このままで。
 そう言おうとしましたら、お客様が小さく震えました。

「…ああ…」

 掌に伝わる振動が治まり、そこに現れた姿に僕は目を細めました。

「…あやかし…さん、だったのですね」

 掌に乗るお客様は、漆黒の毛を纏った、赤い瞳の楕円の形をした妖でした。

「僕のお友達にも、貴方と同じ方々が居ますよ」

 小さな小さなお手玉の様な、毛糸の塊の様な妖です。
 ですが、大切な生命です。
 怖がらせない様に、僕はそっと微笑みます。

「先程の伊達巻きも、そのお友達が作って下さった物なのです。まだありますから、お代わりは如何ですか?」

「ア゙」

 短い言葉ですが、ぽふりと頷いた様に見えましたので、僕はそれを了承と受け取りました。

「はい。では、こちらは冷えますから、暖かいお部屋に移動しましょうね」

 そっと、中腰だった姿勢から立ち上がり、仏壇へと頭を下げてから仏間を出ます。

「…あ…何時の間に…」

 廊下へと出ましたら、窓の向こうに白く舞う物が見えました。
 静かに静かに、それは舞っています。
 それは、沢山の緒です。
 縁を結ぶ緒です。

「…ああ、そうです。貴方にお名前を付けても宜しいでしょうか? あ、僕は雪緒ゆきおです。こちらの雪に、縁を結ぶ緒と書きます」

「ア゙、ァ゙」

 掌の上でもぞもぞと動くのがくすぐったくて、また可愛らしくて、僕の頬が緩みます。

「ありがとうございます。では、僭越ながら、お名前を付けさせて戴きますね…この縁が続きます様に…」

 雪は静かに降り続けます。
 しんしんと。
 しんしんと、深々と。
 沢山の縁が。
 結ばれ様とします縁が、深々と降り続けます。

「…そうですね…貴方のお名前は…――――――――」

 深々と降る白い縁に祈りながら、僕はそのお名前を付けました。
 まだ真っ白な縁ですが、これから様々な色が付いて行く事でしょう。
 そして、それは色褪せる事無く続いて行く事でしょう。
 
「これから、宜しくお願い致しますね、ゆい様」

 色褪せない思い出を。
 色褪せない幸福を。
 共に紡いでゆきましょうね。
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