色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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【五】

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『ふぇ…?』

 と、僕は疑問の声を上げました。
 この様な状態で止められてしまうのは、非常に苦しいです。
 ぱんぱんに張り詰めているこれは、あと少しで解放出来ると訴えています。
 涙が浮かぶ目で顔を動かして、旦那様を見上げれば『ぐっ…!』と悩ましく眉根を寄せます。
 額に浮かぶのは汗でしょうか?
 それとも、天井から落ちて来た雫でしょうか?

『…だ、んなさま…?』

 と、力の入らない腕を動かして、額に張り付く前髪に触れれば、細く鋭い目を更に細めて何処か困った様に笑います。

『…いや…これも慣れだ…』

『な、れ?』

 聞き返すより早くに、旦那様の手の動きが再開されて、僕は、ただ、その波に翻弄され飲みこまれるだけでした。

『だ、めです…っ…! お小水が出ます…っ…!』

 と、口走った気がします。
 実際に出る物は違いますが、それを言葉にするのが、やはり恥ずかしかったのです。
 それに、旦那様の手を汚してしまうのが忍びなくて。
 それですのに、旦那様の手は止まる事は無くて。
 親指で鈴口をぐっと押された僕は、一際情けない声を上げて、それを吐き出したのです。
 どっどっどっと、騒がしい心臓を弛緩しきった身体で整えます。
 それが落ち着いて来ましたら、旦那様の手に粗相をしてしまったと云う現実が押し寄せて来まして、本当に僕は何と云う事をお願いしてしまったのでしょう? と、途方も無い後悔が襲って来ました。
 頭では、理解していたのです。
 旦那様の手に付着している物は、僕の欲の塊ですと。
 日々の時々の目覚めで、僕の下着に付着している物ですと。
 男子たるもの、定期的にそれを放出するのは当たり前の事ですと。

『…ふぇ…』

 それでも、やはり、恥ずかしさや申し訳なさから、僕は泣いてしまいました。
 情けない声で泣き出した僕の頭を、旦那様は撫でます。ゆっくりゆっくりと優しく撫でてくれます。
 そのまま手を引かれ、旦那様のお部屋に行き、同じお布団に横になりました。
 旦那様は片手を僕の身体に回し、もう片方の手では、やはり頭を撫でて下さいます。
 幾度も幾度も『悪い事ではない』と、頭を撫で、時に背中を擦りながら、僕が眠りに落ちるまで。
 そして、普段より早くに目が覚めた僕は、そぉっと、お布団から抜け出して、朝餉とお弁当を用意し、書き置きを残してお屋敷を飛び出したのです。
 恥ずかしくて情けなくて、旦那様に合わせる顔がありませんでした。
 時間が欲しかったのです。
 旦那様にご心配を掛けてしまうのは、心苦しいのですが、それでも、居ても立っても居られなかったのです。
 時間が経ちましても、やはり、どの様な顔をすれば良いのか解らなかった僕は、土下座をする事にしました。
 困った時の神頼みではなく、困った時の土下座頼みです。
 自分でも何を言っているのか、解りませんね。
 ともかく、まだ冷静では無かったのでしょう。
 昨日から今日に掛けての失礼を詫びます僕に、旦那様は『ゆっくりで良い』と言い、ちょこれいとを贈って下さいました。
 そして、僕のあの声を『聞きたかった』と、何処か照れた様に仰ったのです。
 
 おや?

 と、僕は内心で首を傾げます。
 まさかとは思いますが、あの『ふぇ~』をその声だと勘違いさせてしまいましたか?
 いえ、確かに、あの鼻に掛かった様な甘い声は、恥ずかしくて恥ずかしくて堪らないので、旦那様がそれ(ふぇ~)で良いのなら問題は無いのですが。
 で、す、が!
 こう、素直に喜べないのは何故なのでしょう?
 と、もやもやとします僕に、旦那様は信じられない事を聞いて来ました。

 夢精の頻度はどれぐらいだ? と。

 質問の意図を計りかねて首を傾げましたら、卓袱台を挟んで向かいに座ります旦那様が、身を乗り出して僕の耳元で囁きます。

『これからは、定期的にしよう。何事も慣れだ。慣れるには経験が必要だ』

『…ふぇ…』

 身を乗り出したまま、悪戯っぽく笑う旦那様の姿に、僕は改めて、旦那様は意地悪ですと思ったのです。

 ◇

「…ですが、今、思いますれば…旦那様は、ご自身に言い聞かせて居た様な気がしますね…?」

 万年筆を持つ手を止めて、僕は顔を上げて天井を仰ぎます。
 悪戯っぽい笑みでしたが、その瞳も声もとても真剣な物でした。
 姿勢を正した後で、今の僕と同じ様に天井に視線を向けて、腕を組んで小さく何やら呟いていましたが…はて…?
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