色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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【四】

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「愛…」

 と、呟いた僕の手が止まり、ぽぽぽっと顔に熱が集まって来ました。
 熱いです。
 鏡を見なくても解ります。
 間違いなく、耳も首も真っ赤になっている筈です。

「これはいけませんね。冷たいお茶を飲んで、落ち着きましょう」

 万年筆の先に蓋をして、原稿用紙の上に置いて僕は立ち上がり、台所へと向かいました。
 やかんにお水を入れて火に掛けて、窓を開けます。火を使いますから、換気をしませんとね。
 開けた先には、しとしととした雨に濡れながらも、色鮮やかな紫陽花が見えます。
 自叙伝を書き始めた当初は、まだ梅雨の走りでしたのに、気が付けば、梅雨明けも間近です。
 
「…早いものですね…」

 あれ程に、一日が過ぎるのが嫌でしたのに。
 不思議と今は、それ程嫌ではありません。
 瑞樹みずき様や優士ゆうじ様に、気持ちを吐露したからでしょうか?
 それとも、自叙伝を書き出したからでしょうか?

「…解りませんが…」

 何時までも、情けないままでは居たくありませんものね。
 何時か、旦那様にお逢いする時には、胸を張ってお逢いしたいですしね。

『頑張ったな』

 と、頭を撫でて欲しいですし、鼻も摘んで欲しいです。
 雨で白く烟る紫陽花を見ていましたら、下の方にある葉が、かさりと小さく揺れました。

「おや?」

 雨で溜まった雫が落ちたのでしょうか?
 それとも、雨蛙?
 軽く首を傾げた僕の耳に、しゅんしゅんとした音が聞こえて来ます。
 その音に、葉の揺れの事は頭から消えてしまいました。
 火を止めまして、急須へと注ぎ、冷凍庫から氷を取り出します。

「濃い目にしてありますからね」

 氷が溶けて薄まれば、程良い感じになる筈です。
 湯呑みに氷を入れて、急須を傾けましたら、ぱきんぱきんと氷が音を立てます。
 ゆっくりと急がずに、熱いお茶を注いでゆきます。
 梅雨が明けましたら、夏が来ますね。
 その頃には、常時飲めます様に麦茶を用意しなければなりませんね。
 
「ああ、風鈴も用意しませんと」

 季節の変わり目には、やらなければならない事が沢山ありますね。
 くすりと笑いながら、僕は台所の窓を閉めました。

 ◇

 それは、僕が待ちに待った瞬間でした。
 旦那様の手が、僕のおちんちんに触れて下さる。

(大人ですからと、ペニスと言っていましたが、やはり、僕はこちらの方が言いやすいですね)

 そう思えば、旦那様の胸に背中を預けて、だらしがなく脚を広げるのも、どうと云う事はありません。
 いえ、あります。
 目茶苦茶あります。
 恥ずかしくて恥ずかしくて顔は真っ赤になりましたし、ふとした瞬間に、その顔を見られでもしたら、顔から血を噴くかも知れませんと思い、下を向けば、そこには僕のおちんちんを触る旦那様の手がありまして、やはり、僕は顔を真っ赤にしてしまうのです。

『あ、ぅ…』

 と、これまでに聞いた事の無い、僕の声も恥ずかしくて。

『声を抑えなくて良い…聞かせてくれ』

 と、耳元で低く優しい声で囁かれて、もう、僕の頭の中も真っ赤に染まってしまっています。
 声を抑えるなと言われましても、そんな声を出す自分が信じられなくて、どうしようもなく恥ずかしくて。
 頭では、理解していました。
 いえ、理解しているつもりでした。
 今、旦那様の手を湿らせている物が、僕が性的快感を覚えている為に放出されている物だと云う事も。
 ぬちゃぬちゃと、ぐちゅぐちゅとした、粘着質な音を出すのも、そのせいだと理解はしています。
 してはいますが、感情が追い付きません。
 ずんと重い下半身も、全身が痺れる様な感覚も、そのせいだと理解はしているのです。
 ですが、どうにも羞恥心がまさってしまうのです。

『…雪緒ゆきお…』

 と、熱く甘やかな声で耳元でこいねがわれましても、その期待に添える事は出来ませんでした。
 今まで、それは就寝中に起きていた事でした。
 眠りから目覚めたら、起きていた事でした。
 それが、今は目覚めている時に。
 ずっと願っていた、旦那様の手で行われているのです。
 夢にまで見た、旦那様の手で。
 ですが、理解はしていても、実際に体験してしまいますと、もう、本当に恥ずかしくてどうしようもなくて。
 僕は、何と云う事を旦那様にお願いしていたのでしょうか? と、自責の念に苛まれてもいまして。

『声を聞かせてくれ』

 ですのに、僕の混乱等知る由もない旦那様は、その様な無体な事を仰います。
 僕は、混乱に混乱を極めていたのだと思います。
 この様な、恥ずかしく情けない声を聞かせる訳には行きません。
 混乱した頭で出した答えは。

『ふえぇ~…ふえぇ~…』

 と、僕が驚いた時等に発している声を出す事でした。
 こちらでしたら、耳に馴染みのある声ですし、あの様な聞いた事も無い声よりは恥ずかしくないと思ったのです。
 ですが、それまで僕と同じ様に早鐘を打っていた旦那様の胸が、すんと静かになりまして、ついでと言わんばかりに、僕のおちんちんを弄っていた手が、ぴたりと止まってしまったのです。
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