色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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【二】

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 どれ程掛かったのかは解りませんが、戸を叩く音にはっとして、僕は重い身体を起こして玄関へと向かいました。

『お粥にするにはお米の量が多かったから、半分はおにぎりにしたよ。空いたお皿は、玄関前に置いといてくれたら良いからね』
 
 お隣の奥様が、玄関の式台に土鍋とおにぎりが六つ並んだお皿を置いて『早く良くなるといいね』と、帰って行きました。
 お粥の入った土鍋は重そうで持てそうになかったので、お茶の間にあります食器棚から、お茶碗を二つ取り、台所からお玉と布巾を持って、また玄関へと向かいます。布巾を使い、土鍋の蓋を開けましたら、ふわっとした湯気が出まして、一瞬何も見えなくなりました。ぱちぱちと瞬きを繰り返して、お鍋を見ましたら、梅干しと葱が入っているのが見えました。お米しか入れていないのに、不思議です。と、僕は首を傾げました。でも、直ぐにお茶碗にお粥をよそいます。こちらを食べれば、両親が元気になる筈ですからねと。よそった処で、お盆が必要だと気付き、また台所へ。
 台所へ行った処で、匙も必要だと気付きました。この頃は、家事に慣れていませんでしたので、要領が悪かったのです。
 それを寝室へ持って行き、声を掛けましたら、母に小さい声で『ありがとう。移るといけないから、向こうへ』と言われましたので、僕は寝室を後にして、また玄関へと向かいます。土鍋は、まだ重かったので、おにぎりの乗ったお皿だけを手に、お茶の間へと戻りました。卓袱台の上に置きましたおにぎりを手に取りますが、あまり食欲がありません。食べ掛けで残してしまうのは、気が引けましたが、頭もやはり痛みますので、早過ぎる時間ではありますが、僕は眠る事にしました。ぐっすりと眠れば、頭痛も治まる筈ですと、当時の僕は思っていました。
 何時もは寝室で両親と三人で眠るのですが、父が寝込んだ日から『雪緒は、ここで』と、お茶の間で眠る事になったのです。ですので、お茶の間の隅に畳んでおいたお布団を広げて、だらしがないですが、浴衣に着替える気力が無かったので、着物のままでお布団を被りました。
 ですが、頭痛と酷い寒さで眠る事が出来ません。お布団をきつく引き寄せても、身体は震えるばかりです。怒られると思いながらも、僕は震える身体で自分のお布団から抜け出して、寝室の襖を開けて、中へと忍び込みました。襖に近い、母が眠る布団の中へと、もぞもぞと入り込みます。苦しそうな呼吸の中から『駄目』と言う声が聞こえた様な気がしましたが、母の身体は熱過ぎるぐらいに熱くて。寒かった僕は、母の身体にしがみつく様にして目を閉じました。
 
 ここで、夢の中の僕の意識は、一旦途絶えます。

 頭痛が消えて、目を開けた先にありましたのは、見知らぬ年配の女性の泣き顔でした。
 目覚めた僕が居たのは、町の診療所でした。
 僕が、こちらへ運ばれてから七日が経っている事、肺炎を起こしていた両親が、既におこつになっている事、僕も肺炎を起こしかけていた事を説明されましたが、幼い僕には理解が及ぶ筈もなくて。
 両親は? と、尋ねる僕に、年配の女性…父方の祖母が泣き崩れました。
 何故、こうなる前に頼ってくれなかったのか。
 こんな小さい子を残して。
 そう、泣きながら祖母が憤っていましたら、医師と祖父が慌てた様子で部屋へと入って来ました。
 父の面影を持ちます祖父が、もう安心だと僕の頭を撫でてくれましたが、やはり、幼い僕には状況が把握出来ませんでした。
 祖父の後ろで、医師が『薬ではなくて、診察を受けていてくれたら…』と、悔しそうに唇を噛む姿がやけに印象に残りました。
 その言葉の意味も、幼い僕には飲み込めませんでした。
 ですが…今でしたら、何故、お薬だけでしたのか解ります。
 診察にもお薬にも、お金が掛かります。

『診察を受けたら、お薬の分のお金が無くなる』

 恐らく、そう考えたのだと思います。ですから、診察とお薬を天秤に掛けて、傾いたお薬を選んだのでしょう。
 どうしてと、泣き崩れる祖母の背中を撫でながら、祖父がぽつりぽつりと語ります。
 僕達が寝込んで居た時に、高利貸しの方が来たそうです。
 ドンドンと、それは激しく玄関の戸を叩いていて、お隣の奥様が『具合が悪くて休んでいるから帰って』と言っても『こちとら、これが仕事なんだ』と、聞く耳持たずで、僕達のお家に上がり込んだと。
 はい、鍵を掛けるのを僕は忘れていたのですね。
 そして、高利貸しの方とお隣の奥様が、尋常ではない様子で寝込む僕達を見て、慌てて診療所へと走ったそうです。
 お隣の奥様が『男のあんたの方が足が早いだろう!』と、高利貸しの方を怒鳴りつけたとも聞きました。
 それから、悪いと思いながらも、お家にあります連絡帳を調べたそうです。
 そこに記されていた父方の実家へと、町役場を通じて、連絡を入れてくれたそうです。
 ああ、当時は電話は高価な物で、あまり普及していなかったのです。ですので、火急の時には役場へ行き、連絡を取りたい方が居ます地域の役場へと電話をして戴き、そちらの役場の方が相手方を訪ね、用件を伝えると云うのが一般的でした。
 その時に来ました高利貸しの方には、祖父が必要な分の金額を手元に残し、支払って下さったそうです。
 とは言いましても、全額ではありませんし、高利貸しも、その方お一人ではありません。
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