色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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【七】

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 お部屋の出入口にて、瑞樹みずき様が脇に風呂敷包みを抱え、こちらを…いえ、優士ゆうじ様を指差しています。
 肩が激しく上下していますのは、もしかして、こちらを出る時と同じく、走って来たからなのでしょうか? そう言えば、直ぐに戻りますと仰っていました様な気がしますね?

「お前は、この状況を見て物を言っているのか?」

 その様な瑞樹様に、優士様は正座を崩し胡坐を掻きまして、胸の前で腕を組みます。
 基本的に無表情な優士様ですから、そのお姿は赤子を始め、数多あまたの方々を震え上がらせると思うのですが、瑞樹様は震え上がる事等なく、お声を張り上げます。

「はあっ!? 何、ふんぞり返って偉そうにしてるんだっ!? 雪緒ゆきおさんの前でっ!!」

 ああああ…何と云う事でしょう?
 僕が泣いていたせいで、途方も無い誤解が生じてしまった様です。ここは、しっかりと瑞樹様の誤解を解かねばなりません。後々の禍根になってしまいましたら大変です。

「あっ、あああのっ、僕は勝手に泣いていましただけで、優士様は関係無いのですよ?」

 両手を胸の高さまで上げまして、瑞樹様に身体を向けまして、僕は、はたはたと振ります。
 しかし、瑞樹様は目を据わらせ、人差し指を優士様へと向けたままで、こちらへと歩いて来ました。

「優士なんか庇わなくて良いです! 俺が居ない間に何があったんですか!? 俺が雪緒さんの代わりに、こいつ殴ります!」

「ふえっ!?」

 何故、そうなるのですかっ!?

「…お前な…」

 優士様が呆れた様なお声と溜め息を吐き出しまして、片手で額を押さえましたが、それは逆効果の様な気が致します。

「何だ、その態度は!」

 やはりですかっ!?

「ああ、暴力はいけません! 本当の本当に、優士様の所為せいではないのです。どちらかと言いますと、優士様は僕の背中を押して下さったのです。ですから、落ち着いて下さい、ね? ああ、息を切らせてますね、お茶を…」

 僕の左隣に立ちました瑞樹様に向かい、僕はまた、はたはたと両手をはためかせます。

「この馬鹿に、そんな気遣いは不要です」

「おまっ!」

 しかし、優士様は、憤る瑞樹様を更に煽る様な事を言葉にされるではないですか。
 ああああ、どうしましょう!?

「後で、幾らでも殴られてやっても良いから、瑞樹、今は早くそれを渡せ」

 あわあわと慌てます僕とは対象的に、優士様は落ち着いた様子で、くいっと顎を上へと上げました。

「…お前なぁ…」

 そうしましたら、瑞樹様はがくりと両肩を落としまして、そのまま僕の隣へと腰を下ろしました。
 凄いです。
 長年のお付き合いと言いますか、これがおしどり夫夫ふうふと云う物なのでしょうか? 言葉は悪いですが、扱いに長けてると言いますか…熱し易い瑞樹様に、その瑞樹様を冷ます優士様…本当に、お似合いのお二人ですね。

「…ふふ…っ…」

 その様な事を考えていましたら、自然と声を出して笑っていました。

「え?」

「雪緒さん?」

 お二人の不思議そうなお声に、僕は慌てて片手で口を押さえました。

「ああ、申し訳ございません。お二人の仲が宜しくて…微笑ましくて、つい…」

 喧嘩される程、仲が良いと言いますものね。
 くすくすと笑って居ましたら、瑞樹様と優士様がじっとこちらを見て居る事に気付きました。

「あ、失礼でしたよね? 申し訳ござ…」

「いえ」

 頭を下げようとする僕を、優士様が片手を上げて制します。

「久し振りの笑顔が嬉しいから、気にしないで下さい」

 続けて瑞樹様が眉を下げて、それはそれは嬉しそうに笑いました。

「あ…」

 …そうです…。
 僕は、今、笑ったのです。
 自然と気負う事なく。
 未だ、乾かない涙を浮かべながら。

「……ああ…本当に…自然と零れる笑みは…嬉しい物です、ね…」

 右手を動かして指先で頬に触れれば、そこはしっとりと濡れています。
 更に動かして、目尻に浮かぶ涙を掬います。
 随分と可笑しな笑みでしたのでしょう。
 ですが、優士様も瑞樹様も、そうは仰いませんでした。
 嬉しいのだと、瑞樹様は微笑まれました。
 優士様もお言葉には致しませんが、僅かに細められた瞳が、瑞樹様と同じお気持ちですと物語っています。
 涙を拭った手を下ろして、胸へとあてます。
 とくんとくんとした心音に、小さく口元を緩めます。
 お二人の笑みに、心がぽかぽかとしています。
 無理の無い…偽りの無い笑みは、こんなにも心を温かくして下さるのですね。
 それですのに、僕はこれまで何て情けない笑顔を見せていたのでしょう?
 こんなにも、僕の事を思い遣って下さる方々に、何て失礼な事をしていたのでしょう?
 
「…僕は…本当に、皆様にご心配をお掛けしていたのですね…」

 改めて、自戒を籠めた呟きを発しましたら。

「気にしないで下さい。心配するのも、友達として当たり前の事だから! な、優士!」

 とても眩しい笑顔を、瑞樹様が返して下さいます。

「瑞樹、それ」  

 その笑顔に優士様は軽く目を細めた後で、先程から気になっていました風呂敷包みへと、その視線を移しました。

「あ、うん。雪緒さん、これを」

 そうしますれば、瑞樹様がすいっと、ご自身のお膝の上にありました風呂敷包みを、僕の前へと差し出し解いてゆきます。

「はい?」

 するすると解かれた風呂敷包みの中に在りましたのは、漆塗りがされました木枠に、透明な硝子が嵌められました容れ物でした。

「…こちらは…? お人形さんを飾る容れ物でしょうか?」

 僕には無縁の物ですよね? と、軽く首を傾げます。

「うん。瑠璃子るりこ先輩から貰って来ました」

 そんな僕に、瑞樹様は軽く肩を竦めて苦笑しました。

「瑠璃子様から…ですか…?」

 益々訳が解りませんし、こちらから瑠璃子様のお屋敷まで、片道三十分は掛かる筈です。

「ふえ…」

 僕は思わず、可笑しな声を出してしまいました。仕方が無いと思います。流石に、瑞樹様が飛び出してから、一時間も経過はしていない筈ですから。一体、どれだけの速さで走ったのでしょうか?

「…その宝物…剥き出しのままで置いておくより、このケースの中で保管した方が良いと思います。完全にとはいかないですが、劣化を抑えられるかと」

「え…」

 優士様のお言葉に、僕は脇に置きました宝の箱を見ます。
 色褪せて、処々糊が剥がれています、宝の箱を。

「お通夜の時に、瑠璃子先輩が箱を見て気にしていたんです…『余計なお世話だと思うけど…』って、瑠璃子先輩が持っているこれを渡したいって言っていて、でも、中々機会が掴めなくて…」

 申し訳なさそうに笑う瑞樹様の言葉を、優士様が継ぎます。

「新たに購入した物では、ないです。余っている物だと、瑠璃子先輩は言っていました」

「…ああ…」

 とくんとくんと温かな心音が、胸にあてた指先から掌へ、そして全身にへと響き渡ります。
 本当に、僕は何て温かい方達に囲まれて居るのでしょうか?
 
「…果報者ですね、僕は本当に…。瑠璃子様には、直接お会いしてお礼をしなければいけませんね」

 しっかりと、今の僕を…情けなくも弱い僕を見て戴きましょう。きっと、ご心配は掛けますと思いますが…ですが、安心もして戴けると思うのです。

「うん! 瑠璃子先輩、喜びますよ!」

「雪緒さん、箱の修復お手伝いしますか?」

「…いいえ…」

 優士様のお言葉に、僕は小さく微笑みながら、ゆっくりと首を横に振りました。
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