色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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【六】

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 肩を軽く竦めて、優士ゆうじ様は言葉を紡ぎます。
 ゆっくりと、優しく。

「…話すのが辛いなら、話さなくて良いです…。雪緒ゆきおさんの辛さは、雪緒さんにしか解らない。が、俺達は少しでもそれを解りたいと思う。無理に笑わないで下さい。何も飾らないで下さい。取り繕うだなんて、思わないで下さい」

「…優士様…」

 じわりじわりと、そのお言葉が胸に沁みて来ます。
 優しいお声では有りますが、とても強い力が籠っている様に感じられました。

「…腰が辛くなって来たので座って良いですか?」

「あ、はい。ど、どうぞ…」

 その言葉に、優士様は『失礼をして』と、僕の正面へと腰を下ろします。
 流石に真正面から見据えられては、天井を向いたままで居る訳には行きませんから、僕は上げていた顔と腕を下へと下ろしました。
 膝の上に乗せて置きましたら、また雨で濡れるのかも知れませんので、宝の箱は、僕の右隣へとそっと置きます。

「…俺と瑞樹みずきは、雪緒さんには感謝をしてもしきれません。雪緒さんが居たから、瑞樹は過去を乗り越える事が出来ました。雪緒さんが教えてくれたから、瑞樹のお母さんの笑顔を思い出せました。結婚の報告も、笑顔の瑞樹のお母さんにする事が出来ました」

 優士様のお話に、僕はぱちぱちと瞬きを繰り返します。

「いえ? 僕は何も…」

 僕は、何もしていません。
 過去のお辛い経験を乗り越える事が出来ましたのは、瑞樹様のお力です。御本人に、その意志がなければ、それを成す事は出来ませんから。そして、優士様がお側に居たからだと思うのです。
 ですが、まだ喉が痛くて、それを言葉にする事は叶いませんでした。
 それですのに、解っていると云う様に、優士様がゆるゆると首を横に振ります。

「思い出すのは、笑顔が良い。思い出して貰うのも、笑顔が良い。そう、雪緒さんが言ってくれたから、瑞樹は討伐隊へ戻る事が出来たんです。誰よりも、何よりも、雪緒さんの言葉だったから」

 どくんと心臓が跳ねました。
 
 …ああ…確かに、そう話した事があったのかも知れません。
 随分と昔の事ですので、あやふやではございますが…思い出して戴くのも笑顔でと、僕は言いましたでしょうか…?
 けれど、それは奥様のお言葉があったからです。
 奥様が儚くなられます時に『笑って下さい』と、そう仰られましたから…。
 …不器用に笑おうとしました僕に、奥様は笑顔を贈って下さいましたね…。

「…高梨司令は、雪緒さんのなかで笑っていますか? 雪緒さんは、高梨司令に笑顔を贈っていますか?」

 懐かしいですと、小さく笑います僕に、優士様は更に語ります。
 それは、更に僕の心臓を跳ねさせました。
 
「…だ、んなさまは…」

 きゅっと握り込んだ右手を胸へとあてます。
 どくんどくんとした振動が伝わって来ます。
 
「…………あ…」

 胸に置きました拳に、ぽたりと雫が落ちました。
 優士様は、ただ真摯に静かに僕を見ています。
 
「………っ…」

 息が詰まります。
 僕の心に、あれ程在りました旦那様の笑顔が浮かばないのです。
 今、浮かびますのは、ただ、哀しそうに佇む旦那様のお姿だけです。

「…泣いて下さい。笑えるまで泣いて下さい。高梨司令に笑顔を贈れる様になるまで」

「…で、すが…」

 僕が泣きましたら、旦那様が心配してしまいます…。

「涙を我慢して、無理に笑う方が辛いです。今、司令が居たら、雪緒さんの鼻を摘んで、泣けと言う筈です。涙を流さないで笑うより、泣きながら笑ってくれた方が、俺達も嬉しいです」

 ………ああ…。

「…そうですね…」

 …旦那様は微睡まどろみます様に、逝きました。
 静かに、微笑みながら。
 僕は…泣いてはいけないと、お空を見ながら笑ったのです…。青い青いお空と、淡い淡い桃色の花弁を見ながら…。
 今、思いますれば…あの時には、旦那様はお眠りになられていたのですから…その様な事はしないで良かったのですね…。

「…僕は…」

 ぽたぽたと目から水が…いいえ、涙が溢れ、零れて行きます。

「…本当に…お馬鹿ちんさんです、ね…」

 ぽたぽたとぽたぽたと、次から次へと、涙は湧いて溢れて零れて行きます。
 …奥様は…身体を強張らせて、泣くのを我慢していました僕に、そうお願いする事で、僕の気を楽にさせようとして下さったのかも知れません。
 ですから、涙を浮かべながらも、笑おうとしました僕に微笑んで下さったのでしょう…。それは、恐らく『あらあら。出来の悪い弟を持つと、苦労しますわ』と、その様な感じだったのでしょうか? 肩を竦めて苦笑をして見せましても、その瞳の奥には、ぽかぽかとした柔らかな温かさが在るのでしょう。
 何処までも何処までも、慈しむ様な…。

「…この箱を…また…ぽかぽかとさせたい、です…。…僕が…消してしまった想い達を…もう一度…」

 傍らに置きました宝の箱に目を向けながら、僕は言いました。
 出来るのならば、胸に抱えたい処ではありますが、未だ僕の目からは涙が零れています。

「…雪緒さ…」

 視界の端に、優士様の手が見えました。

「あーっ!? お前っ、何、雪緒さんを泣かせてるんだっ!?」

 と、思いました瞬間に、それはそれはお元気過ぎる瑞樹様の、張りのあるお声がお部屋に響きます。

「…この馬鹿が」

 優士様の、呆れた様な低い…低過ぎますお声も。
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