寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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番外編

雪の後・後編

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「また遊びにいらして下さいね」

「はい、ありがとうございました」

 にこにこと微笑む雪緖ゆきおに、瑞樹みずき優士ゆうじは二人共内心で冷や汗を掻きながら、頭を下げた。

 普段大人しい人が怒ると怖い。

 そんな言葉を実感する日が来るとは思わなかった。
 いや、以前にも雪緒が怒る姿を見た事はある。初めて高梨家を訪れた時だ。だが、あれは怒ると言うよりは、拗ねていたと言った方が正解なのだろう。

「ああ、そこまで送って行くから、お前は中に入っていろ」

 雪緒の何とも冷たい笑顔から逃れる為なのかは知らないが、高梨が片手を振りながらそう告げた。

(え…そんな事したら、余計に雪緒さん怒るんじゃ…)

 ハラハラとする瑞樹の思い等知らぬ様に、雪緒は軽く肩を竦めてから『お気を付けて』と笑顔で瑞樹達を送り出した。

「変な空気にして済まなかったな。気を付けて帰れよ」

「あ、はい…あの…」

 門扉まで来た処で高梨にそう言われて、瑞樹がちらりと玄関へと視線を向けた。

「ああ、気にするな。雪緖なら、今頃一人になって落ち込んでいる筈だ」

「は?」

 軽く肩を揺らして苦笑する高梨に、瑞樹だけでなく、優士も疑問の声を上げた。

(…怒っている、の間違いじゃ?)

「…せいの為に怒り、今は、俺に対して怒った事で、自分を責めている筈だ」

「え…」

 高梨の言葉は、瑞樹達の想定外の物で、瑞樹はパチパチと瞬きを繰り返し、優士は続きを促す様に高梨を見た。

「部下であるお前達の前で、俺に恥を掻かせる真似をしてしまったと、思っているだろうな」

 そんな二人に、高梨は首の後ろを片手で押さえながら玄関へと顔を向けた。

「ええ…」

 高梨の返答に、瑞樹は目を丸くしてしまう。
 雪緖の怒りは正当な物だと思う。
 それなのに、そんな事を思うのか。
 だが、あの気遣いの鬼とも言える雪緖ならば、有り得ない事では、無い。

「…大丈夫なんですか…?」

 瑞樹と同じ結論に達したのだろう優士が、塩な表情のままであるが、気遣わしい声を出し、玄関へと、その先の茶の間に居るであろう雪緖へと視線を向けた。

「ああ、問題無い。星のお陰で、雪掻きの必要は無くなったからな。ゆっくりと雪緖を宥めるさ」

 雪緖を心配する二人に、高梨は何処か嬉しそうに目を細めて笑った。

「…隊長…楽しんでませんか…?」

 良い笑顔を見せる高梨に、瑞樹が上目遣いで聞けば。

「まあな。雪緖があんな風に怒ってくれるのは嬉しいからな。星が羨ましいぐらいだ」

 高梨は益々笑みを深めて、青い空を仰いだ。

 ◇

「ああ~っ! つっかれたーっ!!」

 そんな声を上げて、予め敷いておいた寝室の布団へと瑞樹は腹から飛び付いた。

「髪を拭け髪を」

 そんな瑞樹に、優士は呆れながら声をかけた。
 高梨と別れて自宅へと帰った二人は、スコップを手にして直ぐ様雪掻きを始めた。
 自宅周りが終わった後、二人は特に打ち合わせ等をした訳では無いが、近所の雪掻きにも手を出した。街の外れだけあり、住む者は少ない。また、この辺りに住む者は、歳を重ねた者が殆どだ。そのせいで、雪掻きはしたのだろうが、玄関前や、門扉前までで済ませる者が殆どだった。瑞樹と優士は、それらに片っ端から手を付けて、昼過ぎには見事な動線を作り上げた。
 お陰で、茶の間にある卓袱台の上には、雪掻きのお礼にと貰った品々が所狭しと置かれてあった。
 雪掻きを終えて帰宅し、風呂を沸かす合間に、お礼にと貰ったおにぎりや煮物を食べた。
 そして二人で風呂に入り、風邪を引かぬ様にと、冷え切る前に汗を流した。
 それなのに。

「濡れた髪のままでいたら、汗を流した意味がないだろう」

「…ごもっとも…」

 布団の上で胡座をかき、瑞樹は優士に髪を拭われながらモゴモゴと返事をした。
 優士の声は、相変わらずの塩だ。
 だが、一房ずつ瑞樹の髪を取り、手拭いでポンポンと叩く様にして、髪の水気を取って行くその手付きは、何処までも優しい。
 背後に居る為、その表情は瑞樹には見えない。
 だが、この手と同じく優しい顔をしているのだろう。
 だから、瑞樹はそっと瞳を閉じて、口元を綻ばせて、雪掻きをしている間に思い出した事を口にする。

「昔もさ、雪掻きしたよな」

「ああ」

 懐かしい声で語る瑞樹に、優士は僅かに塩な声を緩めて返事をした。
 朱雀になると、そう決めた後の事だ。
 これも鍛錬だと、雪が積もった時は二人で率先して雪掻きをしていた。まだ子供だった為、親達は心配そうにしていたが。

「何時だったかは忘れたけどさ、雪掻きでお前、屋根から落ちて来た雪に埋もれた事があったよな」

「え…」

 その言葉に、瑞樹の髪を拭いていた優士の手が止まった。
 優士の事だから『そんな覚えていなくても良い事を』と思ったに違いないと検討をつけた瑞樹は、目を細めて言葉を続ける。

「軽い雪で良かったな。固まってたりしたら、大変な事になってたもんな」

「…覚えて…いる…のか…?」

「え?」

 優士のその声は震えていて、また、するりと髪から手拭いが逃げる感触がして、瑞樹は不思議に思い、顔を動かした。

「…優士?」

 優士は、顔を僅かに伏せ、震える手で口元を押さえていた。

「…それは…確かに…あった…だが…」

「優士!?」

 優士のただならぬ様子に、瑞樹は身体ごと向き直る。僅かに下を向く優士の睫毛が濡れていた。

(優士が泣いてる!?)

 それは、まさに青天の霹靂と言って良いだろう。
 優士の泣く姿等、恐らく瑞樹は初めて見たのだから。

「…それは…おばさんが…日蝕のあった…あの年の冬の事だ…お前が…」

「あ…」

 顔を上げた優士の目から、涙が落ちた。
 母を目の前で亡くした、あの日蝕の日。
 心が行方不明だった日々。
 それが、帰って来るまでの日々の事を、瑞樹は殆ど覚えていなかった。
 覚えていなかった筈だ。
 覚醒の切っ掛けになった、あの時まで。

「…嬉しい…」

「え?」

 涙を流しながらも、嬉しそうに小さく笑った優士に、瑞樹は目を瞬かせた。

「…あの頃の僕が…お前の中に居た…それが…嬉しい…」

「…優士…」

 涙を流しながら嬉しいと、曇り無く笑う優士に瑞樹の鼓動が跳ね上がる。
 その事を思い出したのは、たまたまなのに。
 屋根から雪がバササッと滑り落ちるのを目撃して、何時だったかも見た気がするなと思った。そして、ふと雪に埋もれた優士の姿が浮かんだ。それだけだ。
 それだけなのに。
 それを嬉しいと、優士は涙を流しながら笑う。
 とても幸せそうに、笑う。
 ただ、たまたま思い出した。それだけの事を。
 それだけの事だが、それだけではないのだろう。
 優士に取ってあの日々は、あの時間は、瑞樹には夢を見ている様な時間でも、確かに存在した時間なのだから。

 どれだけ優士を心配させて来たのだろう。
 どれだけ優士を不安にさせて来たのだろう。
 それは、勿論、優士だけでなく、父や、優士の両親、周りに居てくれた人達にも言える事だが。

「…ありがとう」

 ぽとりと、また優士の目から涙が落ちた。
 その涙が、その笑顔がとても綺麗で。
 
(お礼なんて…それは俺が…)

 だが、そんな野暮な言葉より。
 今は、そんな優士の涙を止めたくて。
 そんな綺麗な涙を流す優士が愛おしくて。
 
「…泣くなよ…」

 格好つけた言葉なんて、やはり出て来なくて歯噛みをするが。
 そっと優士の頬に手を伸ばし、流れる涙を拭う。
 無色透明なそれに、色等ある筈も無い。
 そんな事は解っているし、知っている。
 それでも、瑞樹には、その涙に色を見た。
 様々な想いの色を見た。
 それは、桃や青や黄色、様々な色がある金平糖の様に。
 そっと顔を近付けて、濡れる頬に舌を這わせれば、優士の身体がぴくりと震えた。舐め取ったそれは、やはりしょっぱかった。

(…嬉しくて幸せな涙なんだ…それが塩みたくしょっぱい筈がない…だから…)

 これは、甘い涙だ。

「…瑞樹…?」

 くすりと笑った瑞樹の吐息が頬に掛かって、優士が擽ったそうに身体を揺らすが、瑞樹はその肩に手を置いて引き寄せ、涙で濡れた唇に自分の唇を重ねた。

 ◇

「…ん…っ…あ…」

 ぽとり、ぽとりと優士の汗が瑞樹の身体に落ちて来る。
 互いの指を絡ませ、繋いだ手が熱い。
 
「んっ…ゆ、じ…」

 己の上で背を逸し、胸を突き出し、腰を振り快楽に染まる優士の姿は妖艶だ。
 瑞樹はぎゅっと指先に力を籠めて、繋いだ手が離れぬ様にする。
 雪掻きで、明日は間違いなく筋肉痛になるであろう事は予測していた。
 だが、そこに違う疲れが追加されるだろう。
 
(…枕は…次の休みにしよう…) 

 目元を赤く染め、熱く甘い吐息を吐く優士を見上げながら、瑞樹は目を細め口元を緩めた。
 今は、甘く気怠い疲れを、二人で味わおう。
 二人は、ただ甘い熱に溶かされて行った。
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