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番外編
旧い日と新しい日に
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冬の夜ともなれば、大抵の者達は寒さから逃れる為に早くに休む物だ。その為に、冬の夜はしんと静かなのだが、今日のこの日ばかりは違う。
大きな神社の周りには篝火が焚かれ、夜遅くだと云うのに、そこを訪れる人の足が絶える事は無い。
「あ、鳴り始めた」
台所に立つ瑞樹は、微かに聴こえて来たそれに耳をピクピクと動かしながら、菜箸を持つ手を動かした。
「瑞樹、何か手伝う事は」
「もう出来るから! 大根ありがとな」
背後から掛かる声に振り返らず、瑞樹はジュワジュワと音を立てている鍋から、カラリと揚がった海老の天麩羅を取り出した。
今日は大晦日だ。
先程から聴こえる音は破魔の鐘の音。それは、この一年で溜まった邪気を祓うとされている。
それを聴きながら、年越し蕎麦を食べるのが毎年の楽しみである。勤務が入る時はそうもいかないが、休みの時は、必ずこう過ごすと決めたし、そう過ごして来た。
「お待たせ! あったかいのも良いけど、あったかい部屋で食べる冷たい蕎麦も美味いよな!」
そう言いながら、瑞樹は卓袱台に笊に盛った蕎麦と天麩羅の乗った皿を並べて行く。そこには既に優士に頼んでいた大根おろしが入った丼があった。
「…って、どんだけ…」
「たっぷりの大根おろしで食べたいと言っただろう」
「…言った…けど…」
確かに、瑞樹は言った。熱々の天麩羅に、冷たい大根おろしをたっぷりと乗せて食べると美味しいと。蕎麦汁に入れても美味しいから、たっぷりおろしてくれと、自分の肘ほどの長さに切った大根を渡した。だからと言って、それを丸々おろせと言った訳では無い。
物には限度と云う物があるのだ。
現に優士がおろした大根おろしは、ふわふわとしておらず、ぎゅうぎゅうに固められていて、水分と云う物を感じられなかった。遠く離れた場所から見れば、白米に見えるかも知れない。
「…うん、いいや…ありがと…お疲れ」
瑞樹は軽く首を振って、改めて礼を言った。
(喧嘩して年越しなんてしたくないし…多分、優士は俺を喜ばせる為にしたんだろうし)
苦笑混じりに言えば、喜ばせようとしたであろう当人は『ああ』と、相変わらずの塩な声で返事をした。知らぬ者が見れば、何だその態度はと思うだろう。だが、瑞樹はその塩の眉尻が微妙に下がっているのに気が付いていたし、やはり僅かではあるが、頬に赤みが差している事に気付いていた。
(…可愛い…)
じっと、蕎麦と天麩羅に視線を落とす優士にそんな事を思いながら瑞樹は口を開く。
「今年もお疲れ様。ほら、食べようぜ」
遠くから聴こえる鐘の音を聞きながら、二人は箸を指に挟み『戴きます』と頭を下げた。
熱い天麩羅に乗せた冷たい大根おろしが美味い。ぎゅうぎゅうに固められた大根おろしだが、蕎麦汁に潜らせてから天麩羅に乗せれば、丁度良い感じになった。
「うん、美味しかった。後はつまみにしよう」
蕎麦を片付けて天麩羅だけになり、これを肴に酒を呑もうと瑞樹が腰を浮かせ、台所へと向かおうとした時、海老の尻尾と格闘していた優士が口を開いた。
「少しだけにしろ」
「え?」
「今日は、姫初めだ」
「は? …はああああっ!?」
何時もと変わらず、塩な声と表情で言われた事に一瞬理解が遅れたが、それを理解した途端、瑞樹は顔を赤く染め声を張り上げた。
「んなっ、んなっ!?」
(ひ、姫初めってっ! 日付け変わったばかりだし、初夢もまだなのにっ!?)
目を剥いて、言葉にならない声を出す瑞樹を見上げながら、優士は軽く首を傾げる。
「そんなに驚く事か? ああ、雰囲気か? それがあっても無くても、結局勃起するだろう?」
「言い方ーっ!!」
確かにそうだけど。いざ褥にとなれば、確かにそうだが、もう少し言い方と云う物を学んで欲しいと瑞樹は切に願う。
(来年、いや、もう今年か…は、優士の物言いがマシになりますように!)
「で?」
「…軽く呑む…」
首を傾げたままの優士に、瑞樹は少しだけ唇を尖らせて、そう答えた。
「ああ。今年も宜しく」
その答えに、優士はふわりと目を細めて笑う。それまでの塩分塗れの表情から一転して、甘い金平糖を思わせる様な表情に、瑞樹は『うっ』と息を飲む。
(本当に、優士は可愛くてずるい…)
「…お、ぉ…宜しく」
(…なんて言ってやらないけど)
唇を尖らせて、赤い顔をしたまま台所へと行く瑞樹の背中を見ながら、優士もまた赤く染まった顔を片手で隠していた事は、きっと本人しか知らない。
大きな神社の周りには篝火が焚かれ、夜遅くだと云うのに、そこを訪れる人の足が絶える事は無い。
「あ、鳴り始めた」
台所に立つ瑞樹は、微かに聴こえて来たそれに耳をピクピクと動かしながら、菜箸を持つ手を動かした。
「瑞樹、何か手伝う事は」
「もう出来るから! 大根ありがとな」
背後から掛かる声に振り返らず、瑞樹はジュワジュワと音を立てている鍋から、カラリと揚がった海老の天麩羅を取り出した。
今日は大晦日だ。
先程から聴こえる音は破魔の鐘の音。それは、この一年で溜まった邪気を祓うとされている。
それを聴きながら、年越し蕎麦を食べるのが毎年の楽しみである。勤務が入る時はそうもいかないが、休みの時は、必ずこう過ごすと決めたし、そう過ごして来た。
「お待たせ! あったかいのも良いけど、あったかい部屋で食べる冷たい蕎麦も美味いよな!」
そう言いながら、瑞樹は卓袱台に笊に盛った蕎麦と天麩羅の乗った皿を並べて行く。そこには既に優士に頼んでいた大根おろしが入った丼があった。
「…って、どんだけ…」
「たっぷりの大根おろしで食べたいと言っただろう」
「…言った…けど…」
確かに、瑞樹は言った。熱々の天麩羅に、冷たい大根おろしをたっぷりと乗せて食べると美味しいと。蕎麦汁に入れても美味しいから、たっぷりおろしてくれと、自分の肘ほどの長さに切った大根を渡した。だからと言って、それを丸々おろせと言った訳では無い。
物には限度と云う物があるのだ。
現に優士がおろした大根おろしは、ふわふわとしておらず、ぎゅうぎゅうに固められていて、水分と云う物を感じられなかった。遠く離れた場所から見れば、白米に見えるかも知れない。
「…うん、いいや…ありがと…お疲れ」
瑞樹は軽く首を振って、改めて礼を言った。
(喧嘩して年越しなんてしたくないし…多分、優士は俺を喜ばせる為にしたんだろうし)
苦笑混じりに言えば、喜ばせようとしたであろう当人は『ああ』と、相変わらずの塩な声で返事をした。知らぬ者が見れば、何だその態度はと思うだろう。だが、瑞樹はその塩の眉尻が微妙に下がっているのに気が付いていたし、やはり僅かではあるが、頬に赤みが差している事に気付いていた。
(…可愛い…)
じっと、蕎麦と天麩羅に視線を落とす優士にそんな事を思いながら瑞樹は口を開く。
「今年もお疲れ様。ほら、食べようぜ」
遠くから聴こえる鐘の音を聞きながら、二人は箸を指に挟み『戴きます』と頭を下げた。
熱い天麩羅に乗せた冷たい大根おろしが美味い。ぎゅうぎゅうに固められた大根おろしだが、蕎麦汁に潜らせてから天麩羅に乗せれば、丁度良い感じになった。
「うん、美味しかった。後はつまみにしよう」
蕎麦を片付けて天麩羅だけになり、これを肴に酒を呑もうと瑞樹が腰を浮かせ、台所へと向かおうとした時、海老の尻尾と格闘していた優士が口を開いた。
「少しだけにしろ」
「え?」
「今日は、姫初めだ」
「は? …はああああっ!?」
何時もと変わらず、塩な声と表情で言われた事に一瞬理解が遅れたが、それを理解した途端、瑞樹は顔を赤く染め声を張り上げた。
「んなっ、んなっ!?」
(ひ、姫初めってっ! 日付け変わったばかりだし、初夢もまだなのにっ!?)
目を剥いて、言葉にならない声を出す瑞樹を見上げながら、優士は軽く首を傾げる。
「そんなに驚く事か? ああ、雰囲気か? それがあっても無くても、結局勃起するだろう?」
「言い方ーっ!!」
確かにそうだけど。いざ褥にとなれば、確かにそうだが、もう少し言い方と云う物を学んで欲しいと瑞樹は切に願う。
(来年、いや、もう今年か…は、優士の物言いがマシになりますように!)
「で?」
「…軽く呑む…」
首を傾げたままの優士に、瑞樹は少しだけ唇を尖らせて、そう答えた。
「ああ。今年も宜しく」
その答えに、優士はふわりと目を細めて笑う。それまでの塩分塗れの表情から一転して、甘い金平糖を思わせる様な表情に、瑞樹は『うっ』と息を飲む。
(本当に、優士は可愛くてずるい…)
「…お、ぉ…宜しく」
(…なんて言ってやらないけど)
唇を尖らせて、赤い顔をしたまま台所へと行く瑞樹の背中を見ながら、優士もまた赤く染まった顔を片手で隠していた事は、きっと本人しか知らない。
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