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番外編
雪の後・前編
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「嘘だろ…」
瑞樹はそれだけを口にして、呆然と固まってしまった。
時は、朝の六時頃。
場所は高梨家の茶の間だ。
「ああ、おはようございます、瑞樹様、優士様」
そこに居るとは思わなかった人物が、お茶を飲む手を止めて、茶の間の入口に立つ二人に穏やかな笑顔を向けた。
「おはようございます、雪緖さん」
固まる瑞樹の代わりに挨拶を返したのは優士だ。
「あっ、おはようございます。…あ、の…寝たんですか…?」
後れて瑞樹が挨拶を返し、驚いた理由を聞いた。
昨夜は積もった雪にはしゃいだ星がかまくらを作り、そこで、思いがけない晩餐を楽しんだ。
瑞樹達は片付けもそこそこに、雪緖が用意してくれた布団へと潜り込み、睡眠を貪った。しかし、きっちりと片付けをしたであろう雪緖は、日付けが変わっても直ぐには眠りに就けなかった筈だ。
その筈なのに、何故、この茶の間はふんわりとした暖かさに包まれているのか。
その、柔らかな熱を出しているストーブの上には、コトコトと音を立てた土鍋が乗っているのか。
「ええ、ぐっすりと眠りましたよ。今、朝餉を用意しますので、どうぞ座って下さい」
(化け物か)
瑞樹と優士は、泊めて貰ったお礼に朝食を作ろうと思い、ここへ来たのだ。
それなのに。
未だ安眠の中と思っていた雪緖が既に起きていて、朝食の用意をしているとは思わなかった。
雨戸が閉まっていたから、油断した。雨戸が閉まっていたのは、眠っている自分達を気遣っての事だったのか。
「瑞樹、座ろう」
「お、おお…」
優士が先に茶の間へと足を踏み入れ、卓袱台周りに用意されていた座布団へと腰を下ろす。
(…そうだよな…。ここで遠慮なんかしたら、雪緖さんに、更に気を遣わせてしまう)
そう思った瑞樹は、素直に優士の隣へと腰を下ろした。
コトコトコトコトと土鍋が音を立てて、小さな吹き出し口から、白い煙が立ち上って行く。ゆらゆらとふわふわと。
(…静かだな…いや…)
トントンと、茶の間の先にある台所から、何かを刻む音が聞こえる。何処か懐かしい、何時まででも聞いていたい、そんな音だ。
「お待たせしました」
(早っ!!)
その音が止まり、ややして雪緖が盆を持って現れた。
目を丸くする瑞樹の前に、盆に乗っていた物が並べられて行く。
細かく刻まれた青葱が浮かぶしじみの味噌汁に、大根おろしを添えた出汁巻き玉子、梅干し、ほうれん草のお浸し。
そして、木製の匙と箸。
盆には空の器と、お玉が残された。
それを手に、雪緖はストーブの前へと移動して、土鍋の蓋を開けた。
ぶわりと白い湯気が溢れる様に上り、茶の間の天井へと上がって行く。
それに慌てる事なく、雪緖は土鍋の中身を器へとよそっていった。
「はい、どうぞ」
ことりと置かれたのは、真っ白な粥だ。
「え、あの雪緖さんは?」
卓袱台の上に並べられた品々は二人分しか、ない。
疑問に思い、瑞樹が尋ねれば、雪緒は何の迷いも無い微笑みを浮かべる。
「僕は紫様が起きてから戴きますので。さあ、温かい内にどうぞ」
そう言われてしまえば、手を付けるしかなくて、瑞樹と優士は木製の匙を使い、粥を口へと運んだ。
「…あ…大根の味がします…少し辛みがあって美味しい…」
優士の素直な言葉に、雪緒の口元が綻ぶ。
「はい。大根おろしで煮込みましたので。お口に合いましたら嬉しいです」
(何時に起きたんだっ!?)
何処か照れ臭そうに笑う雪緒に、瑞樹は口の中にある粥を噴き出しそうになったが、何とか堪えた。が、その熱さに『あふあふあふっ!!』と謎の奇声を発し、雪緒が慌てて冷えた麦茶を用意し、優士には塩な目で見られる事になった。
(何で、優士は平気なんだよ!?)
舌先をコップの中へと挿し込み、冷やしながら優士を見れば、小さな声で『当たり前だろう』と言われた。
(あ…)
そうだったと、瑞樹はそこで思い出した。
高梨家に来るまでの雪緒の生活を。
幼い頃から高梨に出逢うまでの、酷い仕打ちを。
瑞樹達には短いと思われる睡眠時間でも、雪緒にとっては十分な時間なのだ。
それは、雪緒の当たり前の事なのだと。
幸せも不幸も、他の誰と比べる物ではない。
その当時の事を不幸だと言えば、雪緒は哀しむのだろう。
それがあったから、高梨に出逢えた。
それがあったから、今の自分が居ると。
無駄な時間など無いのだと、懐かしそうに、柔らかく愛おしそうに雪緒は微笑んだ。
その雪緒の想いを否定したくはない。
そんな雪緒に出逢えた奇跡を否定したくない。
「瑞樹様? 火傷してしまいましたか?」
そんな想いを顔に出さない様にするのは、瑞樹には難しく、自然と俯けば心配そうな雪緒の声が耳に届いた。
「せっかちなこいつが悪いだけで、雪緒さんが気にする必要はありません。あ、お粥のお代わり良いですか?」
しかし、瑞樹が顔を上げて返事をするより早く優士が答え、図々しくもお代わりを要求した。
(おおおおおいっ!?)
だが、それはそれで正解だったのだろう。瑞樹の表情を見れば、雪緒はその気持ちに気付いてしまったかも知れない。それは、瑞樹の本意ではないし、優士も望まない。今、雪緒の目に映るのは、優士にないがしろにされて、目を瞠る瑞樹の顔だ。
(何を言うんだ、こいつは!? そんな言い方されたら、俺が意地汚いみたいじゃないか!)
恨みがましい、瑞樹の視線を至近距離で受けながらも、平然とした表情を崩さない優士。
何とも対照的な二人だと、雪緒は微笑ましく思いながら、優士から空の器を受け取り、お代わりをよそうべく立ち上がった。
それと同時に、ガタガタとした音が廊下から聞こえて来た。
「ああ、紫様が起きた様ですね」
ストーブの上から土鍋を下ろしながら、雪緒が目を細めて微笑む。
雪緒の言う通り、ガタガタとした音は徐々に近付いて来て、それが止んだと思えば。
「おはよう。何だ、二人共早いな。ん? 星達は未だ寝ているのか? 飯の匂いがするのに珍しいな」
全ての雨戸を開け終えた高梨が、茶の間へと現れた。
「星様と月兎様でしたら、五時頃にお帰りになりましたよ。ご自宅のお庭にも、かまくらをお作りになられると仰っていました」
ことりと、優士の前に粥をよそった器を置きながら、雪緒がくすくすと笑いながら答えた。
瑞樹達は客間に、星達は仏間に布団を用意されたから、あの兄弟が居ない事に気付かなかった。確かに星達が居れば、この匂いで起きて来ない等、有り得ない。
それにしても、五時前とは。
(ばっ…!!)
化け物かと声をあげそうになった時、ぴくりと優士の肩が動くのが見えて、瑞樹は慌ててその言葉を飲み込んだ。
(怖いんだけど…)
「化け物か、あいつは。何処からそんな力が出て来るんだか。ああ、飯は未だ良い。熱い茶をくれ」
だが、せっかく飲み込んだその言葉を、高梨はあっさりと口にした。
(ひえっ!?)
星は、元妖だ。
幾ら事実とは云え、それを口にするのは憚られる。
だからこそ、優士は肩を揺らす事で瑞樹を止めた。
それなのに、瑞樹達よりも星の事を知って居る高梨がそれを口にするとは。
信じられない思いで、瑞樹は卓袱台を挟んで正面へと腰を下ろした高梨を見た。
「酷いですよ、紫様。星様が雪掻きをして下さったから、僕達はこうしてゆっくりと過ごせるのですよ?」
それは、雪緒も同じだったのだろうか。
高梨の背後に静かに腰を下ろした雪緒が、笑顔ではあるが窘める様に告げた。
「あ、いや…化け物と云うのは喩えで…」
何故か背後から漂って来る冷気に、高梨は振り向けず、額に汗を浮かべて弁明する。
元妖であろうと、星は雪緒の親友なのだ。
その星を、例え冗談とは云え"化け物"等と言われてしまえば、流石の雪緒も黙っては居られないのだろう。
雪緒の笑顔は、何時も穏やかで静かで優しく温かく、見る者の心を落ち着かせてくれる物だ。
が、今は。
(…怖い…怖すぎる…優士より怖い…)
瑞樹は小刻みに震える手でコップを持ち俯き、再びそこへ舌を挿し込み、雪緒を視界に入れない様にした。
そんな瑞樹の隣に座る優士は、何時も通りに塩な表情でお代わりの粥に匙を落としているが、微妙にその匙が震えている事には、誰も気付かなかった。
瑞樹はそれだけを口にして、呆然と固まってしまった。
時は、朝の六時頃。
場所は高梨家の茶の間だ。
「ああ、おはようございます、瑞樹様、優士様」
そこに居るとは思わなかった人物が、お茶を飲む手を止めて、茶の間の入口に立つ二人に穏やかな笑顔を向けた。
「おはようございます、雪緖さん」
固まる瑞樹の代わりに挨拶を返したのは優士だ。
「あっ、おはようございます。…あ、の…寝たんですか…?」
後れて瑞樹が挨拶を返し、驚いた理由を聞いた。
昨夜は積もった雪にはしゃいだ星がかまくらを作り、そこで、思いがけない晩餐を楽しんだ。
瑞樹達は片付けもそこそこに、雪緖が用意してくれた布団へと潜り込み、睡眠を貪った。しかし、きっちりと片付けをしたであろう雪緖は、日付けが変わっても直ぐには眠りに就けなかった筈だ。
その筈なのに、何故、この茶の間はふんわりとした暖かさに包まれているのか。
その、柔らかな熱を出しているストーブの上には、コトコトと音を立てた土鍋が乗っているのか。
「ええ、ぐっすりと眠りましたよ。今、朝餉を用意しますので、どうぞ座って下さい」
(化け物か)
瑞樹と優士は、泊めて貰ったお礼に朝食を作ろうと思い、ここへ来たのだ。
それなのに。
未だ安眠の中と思っていた雪緖が既に起きていて、朝食の用意をしているとは思わなかった。
雨戸が閉まっていたから、油断した。雨戸が閉まっていたのは、眠っている自分達を気遣っての事だったのか。
「瑞樹、座ろう」
「お、おお…」
優士が先に茶の間へと足を踏み入れ、卓袱台周りに用意されていた座布団へと腰を下ろす。
(…そうだよな…。ここで遠慮なんかしたら、雪緖さんに、更に気を遣わせてしまう)
そう思った瑞樹は、素直に優士の隣へと腰を下ろした。
コトコトコトコトと土鍋が音を立てて、小さな吹き出し口から、白い煙が立ち上って行く。ゆらゆらとふわふわと。
(…静かだな…いや…)
トントンと、茶の間の先にある台所から、何かを刻む音が聞こえる。何処か懐かしい、何時まででも聞いていたい、そんな音だ。
「お待たせしました」
(早っ!!)
その音が止まり、ややして雪緖が盆を持って現れた。
目を丸くする瑞樹の前に、盆に乗っていた物が並べられて行く。
細かく刻まれた青葱が浮かぶしじみの味噌汁に、大根おろしを添えた出汁巻き玉子、梅干し、ほうれん草のお浸し。
そして、木製の匙と箸。
盆には空の器と、お玉が残された。
それを手に、雪緖はストーブの前へと移動して、土鍋の蓋を開けた。
ぶわりと白い湯気が溢れる様に上り、茶の間の天井へと上がって行く。
それに慌てる事なく、雪緖は土鍋の中身を器へとよそっていった。
「はい、どうぞ」
ことりと置かれたのは、真っ白な粥だ。
「え、あの雪緖さんは?」
卓袱台の上に並べられた品々は二人分しか、ない。
疑問に思い、瑞樹が尋ねれば、雪緒は何の迷いも無い微笑みを浮かべる。
「僕は紫様が起きてから戴きますので。さあ、温かい内にどうぞ」
そう言われてしまえば、手を付けるしかなくて、瑞樹と優士は木製の匙を使い、粥を口へと運んだ。
「…あ…大根の味がします…少し辛みがあって美味しい…」
優士の素直な言葉に、雪緒の口元が綻ぶ。
「はい。大根おろしで煮込みましたので。お口に合いましたら嬉しいです」
(何時に起きたんだっ!?)
何処か照れ臭そうに笑う雪緒に、瑞樹は口の中にある粥を噴き出しそうになったが、何とか堪えた。が、その熱さに『あふあふあふっ!!』と謎の奇声を発し、雪緒が慌てて冷えた麦茶を用意し、優士には塩な目で見られる事になった。
(何で、優士は平気なんだよ!?)
舌先をコップの中へと挿し込み、冷やしながら優士を見れば、小さな声で『当たり前だろう』と言われた。
(あ…)
そうだったと、瑞樹はそこで思い出した。
高梨家に来るまでの雪緒の生活を。
幼い頃から高梨に出逢うまでの、酷い仕打ちを。
瑞樹達には短いと思われる睡眠時間でも、雪緒にとっては十分な時間なのだ。
それは、雪緒の当たり前の事なのだと。
幸せも不幸も、他の誰と比べる物ではない。
その当時の事を不幸だと言えば、雪緒は哀しむのだろう。
それがあったから、高梨に出逢えた。
それがあったから、今の自分が居ると。
無駄な時間など無いのだと、懐かしそうに、柔らかく愛おしそうに雪緒は微笑んだ。
その雪緒の想いを否定したくはない。
そんな雪緒に出逢えた奇跡を否定したくない。
「瑞樹様? 火傷してしまいましたか?」
そんな想いを顔に出さない様にするのは、瑞樹には難しく、自然と俯けば心配そうな雪緒の声が耳に届いた。
「せっかちなこいつが悪いだけで、雪緒さんが気にする必要はありません。あ、お粥のお代わり良いですか?」
しかし、瑞樹が顔を上げて返事をするより早く優士が答え、図々しくもお代わりを要求した。
(おおおおおいっ!?)
だが、それはそれで正解だったのだろう。瑞樹の表情を見れば、雪緒はその気持ちに気付いてしまったかも知れない。それは、瑞樹の本意ではないし、優士も望まない。今、雪緒の目に映るのは、優士にないがしろにされて、目を瞠る瑞樹の顔だ。
(何を言うんだ、こいつは!? そんな言い方されたら、俺が意地汚いみたいじゃないか!)
恨みがましい、瑞樹の視線を至近距離で受けながらも、平然とした表情を崩さない優士。
何とも対照的な二人だと、雪緒は微笑ましく思いながら、優士から空の器を受け取り、お代わりをよそうべく立ち上がった。
それと同時に、ガタガタとした音が廊下から聞こえて来た。
「ああ、紫様が起きた様ですね」
ストーブの上から土鍋を下ろしながら、雪緒が目を細めて微笑む。
雪緒の言う通り、ガタガタとした音は徐々に近付いて来て、それが止んだと思えば。
「おはよう。何だ、二人共早いな。ん? 星達は未だ寝ているのか? 飯の匂いがするのに珍しいな」
全ての雨戸を開け終えた高梨が、茶の間へと現れた。
「星様と月兎様でしたら、五時頃にお帰りになりましたよ。ご自宅のお庭にも、かまくらをお作りになられると仰っていました」
ことりと、優士の前に粥をよそった器を置きながら、雪緒がくすくすと笑いながら答えた。
瑞樹達は客間に、星達は仏間に布団を用意されたから、あの兄弟が居ない事に気付かなかった。確かに星達が居れば、この匂いで起きて来ない等、有り得ない。
それにしても、五時前とは。
(ばっ…!!)
化け物かと声をあげそうになった時、ぴくりと優士の肩が動くのが見えて、瑞樹は慌ててその言葉を飲み込んだ。
(怖いんだけど…)
「化け物か、あいつは。何処からそんな力が出て来るんだか。ああ、飯は未だ良い。熱い茶をくれ」
だが、せっかく飲み込んだその言葉を、高梨はあっさりと口にした。
(ひえっ!?)
星は、元妖だ。
幾ら事実とは云え、それを口にするのは憚られる。
だからこそ、優士は肩を揺らす事で瑞樹を止めた。
それなのに、瑞樹達よりも星の事を知って居る高梨がそれを口にするとは。
信じられない思いで、瑞樹は卓袱台を挟んで正面へと腰を下ろした高梨を見た。
「酷いですよ、紫様。星様が雪掻きをして下さったから、僕達はこうしてゆっくりと過ごせるのですよ?」
それは、雪緒も同じだったのだろうか。
高梨の背後に静かに腰を下ろした雪緒が、笑顔ではあるが窘める様に告げた。
「あ、いや…化け物と云うのは喩えで…」
何故か背後から漂って来る冷気に、高梨は振り向けず、額に汗を浮かべて弁明する。
元妖であろうと、星は雪緒の親友なのだ。
その星を、例え冗談とは云え"化け物"等と言われてしまえば、流石の雪緒も黙っては居られないのだろう。
雪緒の笑顔は、何時も穏やかで静かで優しく温かく、見る者の心を落ち着かせてくれる物だ。
が、今は。
(…怖い…怖すぎる…優士より怖い…)
瑞樹は小刻みに震える手でコップを持ち俯き、再びそこへ舌を挿し込み、雪緒を視界に入れない様にした。
そんな瑞樹の隣に座る優士は、何時も通りに塩な表情でお代わりの粥に匙を落としているが、微妙にその匙が震えている事には、誰も気付かなかった。
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