寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

文字の大きさ
68 / 125
僕から君へ

贈り物【九】※

しおりを挟む
 線香の匂いと、リィンとした高く澄んだ音が室内に響く。
 雪緒ゆきおに案内されて二人が来たのは仏間だった。
 線香の煙が漂う先には、綺麗と云うよりは可愛らしい容姿の女性が描かれた肖像画がある。
 ふわふわとくるくるとした髪に、黒目がちな大き目の瞳。向日葵を背景に日傘を差し、穏やかに微笑んでいる。
 それが、杜川に脅迫、もとい、紹介されて出逢った高梨の亡き妻、鞠子まりこだ。
 意外だな、と二人は思った。
 こんな可愛らしい人が、あの不愛想な高梨と結婚していたのか、と。
 利害の一致から結婚をしたとの話だったが、本当なのだろうかと。
 こんなに可愛らしく大人しそうな人が?
 と、二人は思ったが、それは鞠子を知らないからだ。
 馬鹿正直に高梨が津山との関係を明かした時に『あらあら。そう云うお相手がいらして良かったですわ。実は本当に不能なのかしらと心配に思っていた処でしたの』と、コロコロと笑って高梨に頭を抱えさせた事等、二人は知らない。

「奥様。ご紹介致しますね。新しい御友人の橘瑞樹みずき様と楠優士ゆうじ様です」

「え」

「あ」

 仏壇の前で手を合わせてにこやかに笑う雪緒に、瑞樹と優士は声をあげた。

「ああ、申し訳ございません。未だお返事を戴いていませんでしたね。…僕とえにしを結ぶのはお嫌でしょうか?」

 僅かに寂しそうに目を伏せて、首を軽く傾げる雪緒に、否と言えようか?
 さては意外と押しが強いな? と、思いながらも二人は『喜んで』と返事を返したのだった。

「ありがとうございます。では、これからは瑞樹様、優士様とお呼びさせて戴きますね。そうです! お二人に是非お見せしたい物があるのです」

 仏間から出て行こうとする雪緒を優士が慌てて止めた。

「俺達も、線香を上げても?」

「はい、是非! 奥様もお喜びになります!」

 朗らかに笑う雪緒に、優士は軽く肩を竦め、瑞樹は釣られてへにゃりと笑ってから、鞠子に線香を上げて手を合わせた。

 ◇

 連れて来られたのは雪緒の部屋で、飾り気の無い整然とした物だった。

「こちらです」

 そんな部屋の一角にある箪笥の上から、雪緒がそれを手に取り二人に見せた。
 豆電球が灯る部屋で、開け放たれた障子から差し込む月の光がやけに白く輝いて見えた。
 雪緒が両手で包み込む様に持つ物は、青い箱だった。空の様な青。そこには、何処か歪な形の金色の星が散りばめられていた。決して綺麗だとは言い難い物だ。だが、何故か目が離せない、そんな気がした。
 それに。
 その箱は、何処か温かくて。ぽかぽかとした物が、心の奥に沁みて来ていて。

「僕がこちらに来た時に、奥様から戴いた物なのです。チョコ…ちょこれいとの入っていた箱なのですけど、初めてのお味に感動していましたら、奥様がこれを下さったのです。僕の宝物なのです。…一度壊れてしまったのですけど、ゆかり様が直して下さいました。それから、こちらのお星様が剥がれる度、お空の青が褪せて来る度に、紫様が直して下さるのです…僕の…大切な宝物なのです…」

 そっと箱の上蓋を撫でながら笑う雪緒は、あどけない少年の様に見えた。
 雪緒が高梨家に来てから、ゆうに十年を超えている。その間、ずっとこの箱はここにあった。雪緒と共に。雪緒の想いと共に。いや、雪緒達の想いと共に。大切な大切な想いが宿る箱。知らぬ物が見れば、それはただの草臥れた箱なのだろうが。雪緒には、いや、高梨にとっても、これは掛け替えの無い物なのだ。二人の想いが詰まった物なのだ。

「あ、の、触っても…?」

 恐る恐ると瑞樹が聞けば、雪緒は『ええ、どうぞ』と、箱を両掌へと乗せて二人の前へと差し出した。 
 そっと蓋を撫でれば、何故か胸がぽかぽかとした。

「…何かぽかぽかする…」

 瑞樹が目を細め、頬を綻ばせれば、優士も僅かに目を細めて『ああ…』と頷いた。

「それは良かったです。せい様はこの箱の事を"ぽかぽかの箱"とお呼びしているのですよ。そんな星様を見る度に、僕もぽかぽかとしてしまうのです。星様は本当に、太陽の様に明るいお方ですから、ぽかぽかしてしまうのも仕方がありませんよね」

 いや。
 と、二人は内心で激しく首を横に振った。
 雪緒に星はどの様に見えているのだろうか?
 少なくとも、星はぽかぽかの太陽じゃない、ギラギラとした真夏の太陽だ。

「…あ、の…雪緒さんは…強さとは何だと思いますか…?」

 箱に触れていた手を離し、瑞樹が襟巻きをきゅっと握りながら、目の前に立つ雪緒を見た。
 箱に触れていた手を離して、優士が隣に立つ瑞樹の横顔を見る。
 その横顔は、その瞳は、何処か不安そうに揺れていた。

「…強さ、ですか…? うぅん…紫様も何故か強いとか口にされていましたが…」

 人差し指を顎にあてて、軽く首を捻ってから、雪緒はぽつぽつと語り出した。

「…こちらに来てから、僕は本当に沢山の物を戴きましたし、沢山の事を覚えました…笑う事も、怒る事も、泣く事も、拗ねる事も…本当に、沢山…。底の減っていない草履ですとか、裾や袖の切れていないお着物、穴の空いていない真っ白な足袋、穴の空いていない毛布や、綿のはみ出ていないお布団に感動をしたりもしました。雨漏りや隙間風の無いお部屋ですとか、温かいお風呂にお食事、冷たい甘味の贅沢、罅やあかぎれの無い手指、お買い物に出まして、お妙さんと、出来立てのコロッケを嗜むと云う贅沢…」

 お願い、止めてと二人は思ったが、口を出すのは憚られたので、ぐっと堪えて、口をきつく結んだ。

「…それらも、やはり僕の大切な想い出で、宝物なのです。そうした物は、失くしてはいけない物なのだと僕は思います。それを失くしたくない、失くさない心。…それが、強さなのだと僕は思います。…ああ…そうですね…僕は、嘘は吐きたくは無いと思っています。それは、僕自身に対しても。それはとても辛く悲しい物ですから…」

 ふっと、視線を下に落とした雪緒は、ここに来る前の事を思い出しているのだろうか?
 自分の心を騙していた頃の事を?
 きつい折檻を躾と誤魔化していた頃の事を?

「…雪緒さん…」

 痛ましげな瑞樹の呼び掛けに、雪緒が静かに目を閉じて軽く頭を振る。
 そして、その目を開いた雪緒は、ただ、穏やかに微笑んでいた。

「…瑞樹様。瑞樹様の記憶の中で、瑞樹様のお母様は笑顔でいらっしゃいますか?」

「え?」

 雪緒の問いに、瑞樹の身体が強張る。
 そんな瑞樹の様子に、優士が軽く雪緒を睨んだ。
 しかし、雪緒は穏やかな笑顔を浮かべたままだ。

「…もう顔もはっきりとは思い出せないのですが、僕の記憶の中で、僕の亡き両親は何時も笑顔でいます。思い出すのは笑顔の両親だけです。瑞樹様のお母様は、瑞樹様を守って下さったのです。瑞樹様にはお辛い事でしたでしょうけれど…どうか、思い出すのは、記憶に残すのは、笑顔のお母様にしましょう? そうしましたら、ほら、ここがぽかぽかとして来ますから」

 胸に右手をあてて、雪緒が何もかもを包み込む様に笑う。それは空から降る雪の様にふわふわと。けれど、それは冷たくは無い。温もりのある真白ましろの雪だ。穢れの無い、穢され様の無い、真白の雪だ。
 その雪が、瑞樹の胸の中に降り、ゆっくりとゆっくりと重なってゆく。

 ぽたりと、首に巻いている襟巻きに雫が落ちた。
 ぽたりぽたりと、それが広がって行く。

「……………母さん……………」

 何時だって母の事を思い出すのは、あの夏の日。
 苦しんで苦しんで逝った母の姿。
 だけど。
 母を思う度に苦しむのは。
 そんな風に何度も何度も苦しめられているのは。
 瑞樹では無くて、瑞樹の母だ。
 父が言っていたではないか。
 母は立派だったと。
 そんな母を何度も何度も苦しめているのは誰だ?

「…今直ぐにとは言いません。何時か、夢で笑顔のお母様と出逢えます様に、僕も祈っています」

「…は、い…」

 はらはらと頬に流れる涙を瑞樹が袖で拭う。

「…ああ、そうです! お二人に夢はありますか?」

 先程までの静かな声とは一転して、明るい声を出す雪緒に二人は目を瞬かせる。
 しんみりとしてしまった空気を変えようと云うのだろうか。

「夢があるのは素晴らしいですよ」

 朗らかに笑う雪緒だが、その頬は僅かに色付いていた。高梨が居れば、間違い無く、確実に雪緒を止めただろう。その高梨は、中々戻って来ない三人の様子を見に行こうと、座布団から腰を浮かせた処だった。

「僕の夢はですね、将来足腰の弱りました紫様のおむつを替える事なのです!」

 ―――――――――――――――…何て…?

「鍛えてらっしゃいます紫様ですから、その様な事は無いと思うのですが…ですが、万が一と云う事もありますからね」
 
 時を止めてしまった二人に気付かずに、雪緒は夢を見る様に頬に片手をあててつらつらと話して行く。

「紫様のおむつの交換が本当に今から楽しみで仕方が無いのです。紙おむつの新作が出ます度に購入していまして、紫様に見つかりません様にと、仏間の押し入れに隠してあるのですが、そろそろはちきれそうです。本当に、その時はどの様な可愛らしいお姿を見せて下さるのか…ああ、気が付いていましたか? 紫様の謝りますお姿は本当に可愛らしくて…」

「…雪緒…」

 それは、低い低い、本当に地の底から響く様な声だった。
 開け放たれたままの障子の向こうを見れば、廊下に両手と両膝を付いた高梨が、思い切り項垂れていた。

「あ、や…っ…!」

「紫様、どうされました? 何処かお加減でも?」

 まずい、ヤバい、話を聞かれたと瑞樹は思ったが、雪緒はそうは思わなかった様で、青い箱を手にしたまま、高梨の傍へと近付いて行く。

「…………おむつ…しているんですか…?」

 それは、優士なりの冗談だったのだが。

「帰れ―――――――――――――――――っ!!」

 しかし、そんな塩な冗談に笑える筈も無く、高梨は顔を赤くして、それはそれは力の限りに叫んだのだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)

藤吉めぐみ
BL
匠が勤める建築デザイン事務所には、洗練された見た目と完璧な仕事で社員誰もが憧れる一流デザイナーの克彦がいる。しかしとにかく仕事に厳しい姿に、陰で『鬼上司』と呼ばれていた。 そんな克彦が家に帰ると甘く変わることを知っているのは、同棲している恋人の匠だけだった。 けれどこの関係の始まりはお互いに惹かれ合って始めたものではない。 始めは甘やかされることが嬉しかったが、次第に自分の気持ちも克彦の気持ちも分からなくなり、この関係に不安を感じるようになる匠だが――

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

【完結】ベイビーダーリン ~スパダリ俳優は、僕の前でだけ赤ちゃん返りする~

粗々木くうね
BL
「……おやすみ。僕の、かわいいレン」 人気俳優の朝比奈(あさひな)レンは、幼馴染で恋人の小鳥遊 椋(たかなし むく) の前でだけ赤ちゃんに戻る。 癒しと愛で満たす、ふたりだけの夜のルーティン。 ※本作品に出てくる心の病気の表現は、想像上のものです。ご了承ください。 小鳥遊 椋(たかなし むく) ・5月25日生まれ 24歳 ・短期大学卒業後、保育士に。天職と感じていたが、レンのために仕事を辞めた。現在はレンの所属する芸能事務所の託児所で働きながらレンを支える。 ・身長168cm ・髪型:エアリーなミディアムショート+やわらかミルクティーブラウンカラー ・目元:たれ目+感情が顔に出やすい ・雰囲気:柔らかくて包み込むけど、芯があって相手をちゃんと見守れる 朝比奈レン(あさひな れん) ・11月2日生まれ 24歳 ・シングルマザーの母親に育てられて、将来は母を楽させたいと思っていた。 母に迷惑かけたくなくて無意識のうちに大人びた子に。 ・高校在籍時モデルとしてスカウトされ、母のためにも受けることに→芸能界デビュー ・俳優として転身し、どんな役も消化する「カメレオン俳優」に。注目の若手俳優。 ・身長180cm ・猫や犬など動物好き ・髪型:黒髪の短髪 ・目元:切れ長の目元 ・雰囲気:硬派。口数は少ないが真面目で礼儀正しい。 ・母の力になりたいと身の回りの家事はできる。

早く惚れてよ、怖がりナツ

ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。 このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。 そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。 一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて… 那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。 ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩 《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

黒に染まる

曙なつき
BL
“ライシャ事変”に巻き込まれ、命を落としたとされる美貌の前神官長のルーディス。 その親友の騎士団長ヴェルディは、彼の死後、長い間その死に囚われていた。 事変から一年後、神殿前に、一人の赤子が捨てられていた。 不吉な黒髪に黒い瞳の少年は、ルースと名付けられ、見習い神官として育てられることになった。 ※疫病が流行るシーンがあります。時節柄、トラウマがある方はご注意ください。

仮面の王子と優雅な従者

emanon
BL
国土は小さいながらも豊かな国、ライデン王国。 平和なこの国の第一王子は、人前に出る時は必ず仮面を付けている。 おまけに病弱で無能、醜男と専らの噂だ。 しかしそれは世を忍ぶ仮の姿だった──。 これは仮面の王子とその従者が暗躍する物語。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

処理中です...