矢は的を射る

三冬月マヨ

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ギャル親父は壁になりたい

04.フ〇ブれ

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『ねーっ!! ねーっ! ねーっ…』と、頭の中でわんわんと矢田の声が響いて、俺は思わず額を押さえた。至近距離、耳の直ぐ傍で叫ばれたせいだ。

「大人だから惚けるのが上手いのか? 誰がどう見たって的場は変わった! 髪の毛は何時もボサボサだったのに、最近は寝癖の一つも無いし、何時も良い匂いがするし、服だってヨレてないし、靴だってピカピカだ! これでも変わってないって? 学校中、恋人が出来て世話を焼いて貰ってるって噂! 何で知らねーんだよ!?」

 いや、今、初めて聞いたんだが? そんな噂、流れてるのか? 本当に?
 髪に服装に靴? まあ、要は身だしなみか。
 そんなの。

 前世を思い出したからだ。

 親父ギャルとは言え、ギャルはギャル、女の子だったんだ。夏場の陽射しやアスファルトの照り返しで、すっかり黒くなったから、化粧はしてなかったが、最低限の身だしなみは整えていた。外では、だが。そのお蔭で、身だしなみに気を回す様になった。
 それに、今の俺は教師だ。身近に居る大人として、手本を見せるべきだと改めて思ったのだ。
 良い匂い? それは、前世で作業員の車に乗った時に、凄かったのを思い出したからだ。
 …加齢臭が。
 あの、鼻にガツンと来る匂いは強烈だった。窓を開けたくても、冬だったし、そんな事をしたら、気の良い作業員を傷付けるだろう? だから、仕事仲間と二人、息を殺して我慢した。今の俺は四十しじゅうを超えた親父だから、加齢臭があってもおかしくない。自分でその匂いに気付けないから解らないが、きっとある筈だ。だから、洗濯石鹸をその界隈で有名なヴァーバに変えたし、変に香水とか付けても、匂いが混じって逆効果だと思ったから、洗濯石鹼の匂いに近い、ボディーソープに変えたし、食器用洗剤だってそれに近い柑橘系のにした。顔、肌だって、荒れていたらやはりみっともないだろうから、化粧水に乳液を使う様になった。唇だって、やはり荒れていたら、と、リップクリームを塗る様になった。手も荒れていたらと、ハンドクリームを塗る様になったし、爪も伸び過ぎない内に切る様にした。
 服は洗濯して干す時に、パンパンと伸ばして叩く様にしただけだし、靴は、身だしなみは足元からって言うだろう? 新卒の時の頃を思い出して、手入れをする様になっただけだ。
 ただ、それだけなんだが…それが幻の恋人を生み出す事になるとは…。

「…事実は小説より奇なり、だな…」

「はあ?」

 ぽそりと零した俺の言葉に、矢田が不満気な声をあげた。

「ああ、いや、誤解だ。俺に恋人なんて居ない」

「じゃあ、何で的場は変わったんだ? 何か切っ掛けが無いと変われないだろ…俺みたいに…」

 最後の方に、ぽつりと紡がれた言葉は聞き取れなかった。が、確かに矢田の言う通りだ。人間、そう簡単に変われるものでは無い。前世を思い出さなければ、俺はあのまま、くたびれた親父のままだっただろう。とは言え、前世の記憶がと話した処で、胡乱な目で見られるのは想像がつくし、だからと言って、居もしない恋人の話に乗るのも、な。

「…切っ掛け、か…。耳に痛い小説を読んだから、かな?」

 そこで俺は左手は矢田の頭に乗せたまま、右手を拳にして顎にあて、神妙な顔を作った。

「は?」

 俺の手の下で、スッと矢田の頭が離れた。と、思ったら直ぐに戻って来た。
 何だ? ずっこけたのか? って、戻って来るのか? 面白い奴だな?

「…最近は、無料のweb小説も読んでいるんだが…そこに、親父…まあ、おっさんが酷い扱いをされてる話があってな…加齢臭がどうとか、髪にキューティクルが無いとか、顎髭がダサいとか、服にカビが生えてそうだとか、未洗濯で放置したパンツにきのこが…」

 …思い出したら、何か涙が出て来そうだ…『読ませてくれてありがとう』と、お星様をポチる俺だが、何もせずに逃げ出してしまった。

「っざけんなっ!!」

 全部言い終わる前に、矢田が俺の手の下から抜け出して、ベンチから立ち上がり、俺の背広の襟を両手で掴んで叫んだ。

「そんな事ねぇっ!! 的場はボサボサでヨレヨレだったが、不潔じゃなかったし、加齢臭だってしてねえっ!!」

「お、おう? ありがとうな、矢田は優しいな」

 あまりの矢田の勢いに、俺が目を丸くしたままでお礼を言えば。

「やっ、さしくなんか…本当の事だしっ…」

 と、襟から手を離してそっぽを向いてしまった。照れているのか、髪の合間から見える耳が赤い。

「いいや? 優しいよ。本当の事でも、そう言葉にするのは中々出来るものではないし、難しい物だ。…っと…そう言えば、矢田。お前、何であんなに怒っていたんだ?」

 うん、これがさっぱり解らん。

「…そっ…れは…その…け…っこんしたら学校辞めるかも…って噂もあった、から…」

 矢田は俺から顔を背けたまま、ぼそぼそと話す。

「は?」

「い、ままでここに居た先生…結婚したら…辞めてる、って…」

「…ああ…」

 俺はこれまでに辞めて行った教師の姿を思い出す。男性も居れば、女性も居る。

「職員寮は、独身者専用だからな。結婚すれば出て行く決まりになっている。が、ご覧の通り、こんな山の中じゃ、良い物件なんか無いし、あっても殆どが学校の物だ。だから、皆、辞めて行ったんだろう。街中に引っ越して通う人も居たが…大体、冬、雪が積もる時に皆、挫折していたなあ…っと。何だ? 矢田は俺が辞めるんじゃないかって心配してくれたのか?」

「ばっ! ちげーしっ!!」

 解り易く赤くした顔を向けて来て怒鳴る矢田に、俺は目元を緩めて笑う。

「はは、そうか。心配してくれたのか、やっぱり優しいよ、矢田は。まあ、俺は結婚はもう諦めているから安心しろ。弟みたいなお前に心配されるなんてなあ」

「お、とうと…?」

「あ、流石に歳が離れ過ぎているか? なら、甥でどうだ?」

「…お、い…?」

 そう呟いて、矢田は固まってしまった。
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