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因果応報、春の祟り

これ桑と梓あれば必ず恭敬す、私の故郷はあなたも故郷。

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 真面目なのかアホなのかわからぬやりとりを経て、士匄しかい趙武ちょうぶは問題の山に踏みいった。土の臭いが充満し、漂っている。ざわざわとした空気、メキリメキリという微かな音と、お、お、という響きが地から伝わり、趙武は内心震えた。

 士匄といえば、迷い無く歩いて行く。ふもとでは上流の川が下流で氾濫したかのような泥のあとが山腹から残され、押し出された木々や石がやはり泥まみれに転がっていた。ひとつのゆうを押し流し潰すに充分なものであった。それを尻目に士匄は山肌見えぬ木々の中へ押し入り登っているのである。片手で邪魔な枝を押しのけながら、片手には箱を持っていた。後ろを必死に追いかける趙武が思わず声をかけた。疑問もあったが、不安もあった。

「その箱はなんですか?」

はくの挿し木だ。苗木だと重かろうが」

 バカにしたように言う士匄に趙武は苦い顔を隠さなかった。

「柏は今知りました、確かに苗木は重いしかさばりますが……。そうではなくて、何故お持ちなのですか」

 厄を避けるならこれがあるでしょう、と趙武が手の中の枝を振った。前述したが、日本のカシワではなく、ヒノキの一種である。鈴なりについた小さな葉が揺れた。士匄は小さくため息をついた。めんどくせえ、という態度を隠さない、極めて失礼な態度である。鈍い、と口に出しかけて飲み込んだ。他の者――たとえば欒黶らんえん荀偃じゅんえんである――が同じ事を言えば、士匄は顕示欲のまますらすらと説明したであろう。士匄は趙武をそれなりに認めており、ゆえに説明を失念するのである。

「この山神さんしんは祀ればおとなしくなる、はずだ。贄を貰っているのだ、あとは儀を行えば良い。略式のやしろを作るが早かろう」

 趙武が士匄の言葉を深く噛みしめるように聞き、考えた後、口を開いた。

范叔はんしゅくは今回の祟る山神を、たいへんしつこくご面倒な女性と同じとおっしゃってました。えっと。その女性は贈り物と儀礼で引き下がっていた、ということでしょうか」

 真顔で必死に言う趙武に他意はない。士匄は、おまえ、と思わず呻いた。

「いい加減、その話題を忘れろ。女はあれだ、なんとかなった、同じだ! 同じ」

 士匄の言葉に趙武はあまり納得していないようであった。そして、趙武の指摘は鋭い。しつこい地雷女と切れるまで、士匄は苦労した。その女は他家のものではなく、自家のはしためという程度であったが、追い払っても気づけば這い寄っており何もいりません尽くしますという言葉でまとわりつき士匄の情を乞うた。あれに似たこの山神が目論見通り離れるとは限らぬ。士匄は珍しく、自信を少し失いかけたが、持ち前の我の強さで気を持ち直す。そのような士匄の心中知らず、そんなものですか、と趙武は感心するように言った。趙武は本当に女性との経験が浅く、機微が全く分からない。

 獣さえ通らぬような木々の隙間を士匄が進んでいく。趙武も土を踏みしめながら続く。よくわかるものだ、と趙武はもはや思わなかった。きっと、不祥が導いているのであろう。実際、士匄の体からは凶の卦がにおいたつようであった。

「あっちだ」

 うるしの木々を抜け、葉を払いのけて士匄は指でさししめす。趙武が頷き、共に歩き出そうとした瞬間、士匄は前屈みになり止まった。うっわ、やべ。士匄は脂汗をかきながら唾を飲み込みやりすごそうとする。

「え、范叔?」

 慌てた趙武が肩を掴んで揺さぶった。これが決定打となり、士匄はうずくまって盛大に嘔吐した。わあ、と趙武が驚いた声をあげた。

「……おま、え。趙孟ちょうもう……。あとで泣かす」

「心配して声をかけた人間に言う言葉ですか」

「お前が! 揺さぶらねば! 我慢……。っおえぇっ」

 再び嘔吐し、吐瀉物をぶちまける士匄の背を、趙武が優しく撫でた。竹に入った水と麻の布をさしだしてくる。士匄は黙って受け取ると、口をそそいで汚れを拭いた。

「そちらは差し上げます。体調がよろしくないのであれば、休憩なされますか。もしくは、戻られますか」

 士匄は気づかう手を払いのけると立ち上がって首を振った。

「気にするな、当てられすぎただけだ。近くなっている証拠だ、少し油断した。近い。しかし、山頂にはまだ遠い。山頂は元々の正式の祀りを、今もある麓の一邑がしているであろう。つまり、消えた邑の祭祀が近いということだ。ち、どんなお粗末な祀りかたをしたかしらぬが、迷惑な話だ」

「まあ、迷惑といえば迷惑ですが」

 士匄の言葉に趙武は肩をすくめた。確かにこの山神は迷惑であるが、ここまでになったのは士匄が素衣素冠そいそかんの男を問答無用に贄にしたからである。その行いが非道だったのではないか、という思いが今も否めない。

「ったく迷惑だ。己の地だと主張するから貰い受けてやると贄にしてやったのだ! それをじめじめと祟り祀れと訴える。儀に則ってやったのに足らぬというは強欲というもの。くそ」

 舌打ちしながらざくざくと歩き出す士匄に迷いも無ければ反省もなく、まず悪いとも思っていない。趙武はもう一度肩をすくめながら、共に歩き出した。

 たどり着いたその場所は、漆の林の中にひっそりとあった。木々はその場を不自然なほど避けるように立っている。石を重ね土を塗り固めた小さな土壁が柏を囲っていた。その柏は折れており、傷ついていたが、それは問題ではない。周囲の空気は重く、山は鳴り響き、呼応したように木々がパキンパキンと音を立てていた。

 趙武が半歩後ずさり

「え」

 と小さく呟く。顔は蒼白であった。士匄は、不祥でどす黒い顔をしたまま、眉をしかめ、

「くそ」

 と吐き捨てる。

「あ、范武子はんぶしも知らぬ何かがあったのではないでしょうか? こんな、ありえないです、こんな山中で」

 趙武が柏を持ったまま、士匄にすがりついて叫んだ。

「……うるさい趙孟ちょうもう! 黙れ、腕を離せ! ああ、分かった、そりゃあ祀りがおかしいことになる! !」

 山川が人の祖霊であることなどありえぬ。そして、祖霊を廟でもないのに祀ることもない。

「最初の邑が祖をここに祀って山神と同じにしたか、そもそも間違えたのかは知らん。ここの山神は祖として祀られたいわけだ」

 儀礼が違うという以前の話である。山川の神は人が乞えば返してくれる、人なつっこい神である。天や地に比べればまだ人間的と言えるが――人間ではない。人間の思考などわからぬ。なぜ人間が山川の恵を乞い願うのか、わからぬ存在である。現代でも天災に『やめてくれ』と言っても意味が無いと同じ、いわゆる言葉が通じない、というものである。それをお前は我らと同じ存在だと祀っていたのだ。士匄は歯ぎしりをしたあと、

「そんなこと、できるか!」

 と、叫んだ。できるか、という声が響き渡った瞬間、ずう、ずううという音が響き渡り、ご、ご、と地が揺れた。
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