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第二章 幽霊少女ミリィ
第四十五話 夜明けの笑顔
しおりを挟む無事に魔物を倒し、これで事件は収束した。再び戻ってきたゼラは、ミナヅキから事の次第を詳しく説明された。
「そうですか……ヴィンフリート様は、あの魔物に……」
ゼラはしんみりとした表情で、魔物の亡骸を見つめる。
「流石に大団円とは言い難いですが、これも致し方ないでしょう。被害が町の中心にまで及ばなかったのが、せめてもの救いです」
「まぁ、今はそう思うしかないよなぁ……」
ミナヅキは言いにくそうにしながらも頷く。他の面々も複雑そうな表情を浮かべており、同じような気持ちを抱いていることが見て取れた。
「私はこれから、町の方々に今回の顛末を話します。その際に、ミナヅキ殿とアヤメ殿に対する疑惑は、全てヴィンフリート様が抱いておられた勝手な誤解だったと伝えましょう」
「それはありがたいですけど、良いんですか? また反感買われますよ?」
ミナヅキが尋ねると、ゼラはしっかりと顔を上げて強い笑みを浮かべる。
「そもそもこの事態を巻き起こしたのは、ヴィンフリート様の暴走が原因です。ご本人がもうおられない以上、私たちが尻拭いをするしかありません」
「……そうですか」
ゼラはとっくに腹を括っている。ならば自分もそれに応えるしかない。ミナヅキはそう思った。
そしてゼラは、再び颯爽と中心街へと戻っていく。それを見送ったところで、モーゼスが改めてミナヅキたちに頭を下げた。
「ミナヅキ殿、アヤメ殿。此度の件、心より深く感謝申し上げます」
丁寧にお辞儀をするモーゼスに、ミナヅキとアヤメは驚きの表情を見せる。しかし二人は、すぐに小さな笑みを浮かべ出した。
「俺たちはただ、やりたいようにやっただけですから」
「えぇ。そこまで言われるほどではありませんよ」
気にしないでください――そう告げるミナヅキたちに、モーゼスは小刻みに首を左右に振る。
「とんでもございません。元執事として、御二方には感謝してもしきれない気持ちでいっぱいなのです。お嬢様の長年の願いが、ようやく果たされようとしているのですからな」
モーゼスは懐かしむようにゆっくりと笑い、そしてミリィに向き直る。
「ミリィお嬢様、改めまして、ご無沙汰しております」
「えぇ、こちらこそ。モーゼスも元気そうでなによりだわ」
ミリィは大人びた表情で笑みを浮かべる。その姿や口振りは、本当の立派な貴族のお嬢様のようにミナヅキは見えた。
「爺やにはこの十年間、随分と苦労を掛けてしまいました。わたしのこともずっと見守ってくださって、本当に感謝しています」
「お嬢様……」
丁寧にお辞儀をするミリィに、モーゼスは涙ぐむ。感動的なシーンであることはミナヅキとアヤメもよく分かるのだが、如何せんミリィの見た目が五歳の子供であるが故に、どうにも違和感を拭えないのだった。
(まぁ、流石にそれを口に出して言っちまうのは、無粋にも程があるよな)
ミナヅキがひっそり苦笑していると、ミリィがファイアーウルフのほうに目を向けていた。
「あなたも元気そうで良かった。とてもたくましくなったのね」
「えぇ。この子もお嬢様に助けられたことを、とても感謝していますよ」
モーゼスがそう言うと、ミナヅキの中に疑問が浮かんだ。
「ミリィがファイアーウルフを助けたって?」
「そうだよ。まだおにーさんたちには、話してなかったっけ」
「……一気に口調が戻ったな」
「別にそこは良いじゃん」
サラッとミリィが言いながら笑いかけると、ミナヅキも確かにの意味を込めて、軽くため息をついた。。
嬉しそうに尻尾を振るファイアーウルフを見ながら、ミリィが語り出す。
「あれは確か……雨が降っていた日だったかな」
幽霊となったミリィが、当てもなく町中を彷徨っていた。誰も来ないような路地裏に行くと、積み重ねられたガラクタの山の中で、ひっそりと身を丸くしている小さな獣の子供がいた。
それは魔物で、とても衰弱しているのだとミリィは判断した。
助けてあげたいけれど、幽霊である自分の言うことを聞いてくれる人間などいるハズもない。そう思っていた時、たまたま一人の男性が通りかかった。
なんとその男性こそがモーゼスであり、困っているミリィの様子に気づき、声をかけたのだった。
「私は驚きました。亡くなられたハズのお嬢様が、目の前にいたのですから」
「でも、あの時は本当に助かったよ。雨で人気もないから、てっきり誰も来ないと思ってたもん」
ミリィが笑いながら言うと、モーゼスは照れくさそうな表情をする。
「どうにも不思議な気持ちに駆られましてな。その場所へ行けと、誰かが私を導いたような気がしました。もしかしたら、神が私をお嬢様に会わせてくれたのかもしれないと、今でもそんな気がしてなりません」
そしてモーゼスは、衰弱しているファイアーウルフを助けた。ミリィの願いでもあったが、なにより放っておくことができなかった。
――魔物とはいえ大切な命。苦しんでいる姿を放ってはおけません。
そう言いながら、モーゼスはファイアーウルフを抱えて、自宅へ連れ帰った。
「フフッ、ミナヅキってば、モーゼスさんと同じこと言ってたのね」
「……そうだったか?」
「うん」
楽しそうに笑いかけるアヤメに、ミナヅキは戸惑いながら首を傾げる。その姿に微笑ましさを感じつつ、モーゼスは話を続ける。
「それからこの子は看病の末、元気になり、やがて私の元に居座りました。ミリィお嬢様とも、再び交流が始まったキッカケにもなりましたね」
ファイアーウルフの子供が路地裏にいた理由は、未だ不明のままであった。
行商に飼われていたファイアーウルフが、町でパートナーを見つけ、子を成すことも珍しくない。そして、そのまま認知せずに置いていくことも。
町中に魔物の野良が紛れ込むことはそうそうないため、その可能性が高いとモーゼスは思っていた。もっとも証拠もなく、ましてやヴィンフリート率いるギルドの方針的に、調査してもらえる見込みは限りなく薄かった。
仕方がないのでモーゼスは、そのままファイアーウルフの面倒を見ることに決めたのである。
「なるほどねぇ、二人にとってコイツは、それだけ特別な存在ってワケだ」
ミナヅキはファイアーウルフの頭を撫でながら言う。
「そういや、ヴィンフリートのオッサンは、このことを全く?」
「えぇ、最後まであの方は、私が外から魔物を連れ込んだはみ出し者だと、心から思い込んでましたよ。私の口から、一応全てお話しはしたのですがね」
「信じようとすらしなかったってことか……」
モーゼスの言葉に反応しつつ、ミナヅキは哀れみを込めた視線で、再び魔物の亡骸のほうを向いた。
「なんつーか……色々と救いようがない感じだったんだな、あのオッサンは」
ミナヅキの言葉に反論する声は出てこない。皆、答え辛そうに視線を逸らしたり俯いたりするばかりであった。
それが一体何を意味しているのかは、もはや語るまでもない。
「最後にミリィの前に飛び出したあの行動。あれだけ見れば、身を挺して娘を守ろうとする父親の姿に、思えなくもなかったんだがな」
「……もしそうだとしたら、もっと早くそーゆー姿を見てみたかったけどね」
悩ましげに話すミナヅキに、ミリィが呆れ果てた表情でため息をつく。
「あのオジサンってば一体何を勘違いしたのか……わたしが幽霊になって、この家に憑りついたって思い込んでたし。ホント失礼しちゃう!」
手を腰に当てながら憤慨するミリィ。それに対してモーゼスも、同意を示す頷きを見せた。
「しかしながら、それは我々にとっても好都合ではありました。ヴィンフリートの真実は、お嬢様から話には聞いておりました故、不躾ながらこれを利用しない手はないと思いました」
そしてモーゼスの読みどおり、ヴィンフリートはミリィの屋敷を守ろうと躍起になり始めた。おかげでミリィの未練を晴らす手がかりが消える恐れが、ひとまずは消えた形にもなった。
いつか、誰かが手掛かりを見つけてくれることを信じて、モーゼスとミリィはずっと待っていた。
長い年月が過ぎる間に、段々と期待度が薄れていくことを感じながら。
「そして遂に、ミナヅキ殿とアヤメ殿が来てくださいました。ここまで待ってきたかいがあったというモノです」
「それはなによりっスね」
ミナヅキがニカッと笑い、アヤメもミリィと顔を見合わせ笑みを浮かべる。そんな三人の姿に、モーゼスはどこか満足そうに目を閉じた。
「さて……私の話は、これでお終いといたしましょう」
そう言いながらモーゼスは、ファイアーウルフとスライムに手招きし、二匹を連れて歩き出す。
「ミナヅキ殿、アヤメ殿。あとはよろしくお願いいたします」
モーゼスはそう言い残して去っていく。ミナヅキとアヤメ、そしてミリィは、丘を降りてゆく彼の姿を、黙って見送るのだった。
◇ ◇ ◇
ミナヅキとアヤメはミリィとともに、屋敷の中を歩いていた。
特に会話もなく、ただ単にブラブラと散策するだけ。既にくまなく見て歩いているだけあって、特に目新しさもない。
しかしながら、とても不思議な気分ではあった。
最初に来た時は暗くて怖いだけだった廊下が、今はただ、どうにも言えない儚さを感じる。部屋の一つ一つが、真っ暗なのにどこか暖かみを感じる。
そして三人が最後に入った部屋は――ミリィの部屋だった。
「ミリィとは、実質ここで初めて会ったのよね」
アヤメが苦笑すると、ミリィもイタズラっぽく舌をチロッと出す。
「だーっておねーさんたちが信用できなかったんだもーん」
「子供かよ」
すかさずツッコミを入れるミナヅキに、ミリィは目を細めながら見上げる。
「うん、子供だよ? ミリィは五歳の幼女だもんっ」
「そりゃ見た目だけの話だろ。今更子供ぶるんじゃないよ、ったく……」
口調こそうんざりとした様子であったが、ミナヅキの表情はどこか呆れたような笑みを浮かべていた。
まるで、はしゃいでいる娘を見守る父親のような姿――アヤメは見ていてそんなふうに思っていた。
「ミナヅキ、そろそろ――」
「あぁ」
アヤメの呼びかけにミナヅキは頷き、アイテムボックスからそれを取り出す。
そしてそれを、ミリィに向かって差し出しながら――
『ミリィ! 十年越しの、お誕生日おめでとう!』
ミナヅキとアヤメは、明るく声を揃えて言った。
その瞬間、ミリィは驚きの表情を浮かべ、そして涙を浮かべながら笑う。
「ありがとう……本当に持ってきてくれたんだね!」
ミリィはミナヅキの手から受け取った。モーゼスが数日かけて完成させた、誕生日プレゼントであるペンダントを。
「ねぇ、付けてみてもいい?」
「勿論さ。あ、でも……」
ミナヅキが笑顔で頷いた瞬間、はたと気づいたことがあった。しかし――
「付けたよー。ねぇねぇ、似合う?」
半透明のミリィは、普通にペンダントを首から下げていた。その姿を見て、思わずミナヅキはボソッと呟いてしまう。
「……幽霊でもちゃんと付けられるんだな」
「アンタねぇ、今それを言うのは野暮ってモノでしょ!」
「いてっ」
アヤメから拳をコツンと軽く叩かれ、ミナヅキは頭をさする。そんな二人のやり取りに、ミリィは思い出したことがあった。
「そう言えば……あの母親とヴィンフリートのオジサンも、確かそんな感じでやってたなぁ。逆におとーさんとは、そんなふうにしてたことなかったかも……」
「え、そうなのか?」
問いかけるミナヅキに、ミリィはコクリと頷く。
「思い返してみると、あの母親も母親で、オジサンとの関係を、最初からあまり隠そうとしてなかったかもしれないや。案外どこかで、わたしの本当の父親はヴィンフリートのオジサンなんだよって、紹介しようとしていたのかもしれないね」
「……あり得ないとは、言い切れないな」
「そうねぇ」
下手をしたら、まさにその五歳の誕生日に明かす予定だったかもしれない。クリストファーが事前に気づいたから、その事態が避けられたとしたら――
「ある意味、親父さんが動き出して良かったのかもしれないな」
「うん。わたしもそんな気がする」
少し陰りのある笑みでミリィが頷く。そこにアヤメが、頭の中に浮かべていた考えを口に出した。
「娘であるミリィに、ショックな話を聞かせたくないっていう、父親としての気持ちもあったんじゃないかしらね」
「それはあり得るかもな」
もしかしたら意識すらせずに、そうしていたのかもしれない。なんとなくミナヅキはそう思った。
親だから、子供だから――そんな理由で成り立つ親子絡みの問題は多い。
今はまだよく分からないが、いずれは自分たちも気がついたら――そんなことを考えながら、ミナヅキは東側の窓のほうへ向かう。
「ミリィの親父さんが、裏切られたショックで自ら命を絶ったって聞いたけど、致し方ない部分はあったような気がするんだよな」
薄っすらと明るくなってきた東の空を見ながら、ミナヅキは言った。
「ヴィンフリートのオッサンも、そしてミリィの母親も、結局は自分のことしか考えていなかったんだ。そんな二人の本性を知って裏切られたんなら、むしろ絶望するなってほうが無理な話だと、俺は思うんだ」
「そうね」
アヤメは腕を組み、軽く空を仰ぐ。
「ヴィンフリートさんは自分の立場と欲望を選び、ミリィのお母さんは母親よりも女を選んだ。クリストファーさんにも、仕事の忙しさを優先させたという落ち度はあったかもしれないけど、他二人に比べれば幾分マシだと思うわ」
「うん……わたしもおにーさんたちの言うとおりだと思う」
胸元のペンダントをいじりながら、ミリィは同意する。
「人間はそこまで強い生き物じゃない。わたしだって、おとーさんが死んじゃったって聞いて、そのショックで階段を踏み外して、幽霊になっちゃったんだし」
「確かにそうだな――ん?」
ミナヅキはミリィの体に異変が生じているのに気づいた。透けている体が粒子と化して、空気中に散布し始めているのだ。
もうすぐ夜明け。東の空から太陽が昇ろうとしている。
ミリィの体がどんどん薄くなる。粒子の量がますます増えていく。それが何を意味しているのか、ミナヅキもアヤメも、そしてミリィ自身も理解できていた。
「……いよいよお別れ、みたいだな」
「うん。そうみたい」
ミナヅキも、そしてミリィも、どこかぎこちない物言いとなる。アヤメは体を震わせ、目に涙を溜めていた。
「ミリィ、あなた……これで、本当に……」
途切れ途切れになりながらも、アヤメはミリィに何かを問いかけようとする。ミリィはニコッと笑い、そしてハッキリと告げた。
「ありがとう。最高に嬉しい誕生日プレゼントだったよ♪」
ミリィが言い切ると同時に、アヤメは涙目のまま顔を上げる。
もうその場には、誰もいなかった。今さっきまでいたハズのミリィの姿は、どこにも見当たらなかった。
「ミリィ……う、うぅっ!」
再び俯き、こらえきれずに涙を零すアヤメ。ミナヅキはポフッとアヤメの頭に手のひらを乗せつつ、雲が消えた夜明けの空を見上げた。
「きっと、会えるよな、アイツ。ずっと大好きだった親父さんによ」
「うん……うんっ!」
少女が念願の再会を果たし、更なる笑顔を浮かべていることを信じながら、アヤメは強く頷いた。
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