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49 やることが多すぎて、何もできない――捜査が。
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ロマネスクから『セブンオークス』の株の「買い」オーダーが入った。
まさか「嫌だ」とも言えない。
トレーダーのライアンに伝える。今日中に買えるだろう。
ただの普通の株の売買に過ぎない。
まさか叔父に「防衛した方がいいですよ」と言うわけにもいかない。
くそ!
「幼稚だな」テレビのスクリーンを見ていたアダムが言った。
見ると、北米のニュースだった。
指名手配中だったある犯罪組織の男が、大量にプリペイドカードを購入するところを監視カメラがとらえた。
男が数十枚のプリペイドカードを数十冊の本のページに挿んで、サンクトペテルブルクのある住所に送るため、宅配業者に頼んだところを現行犯逮捕した。
現場映像が映し出されている。
「FBIと歳入庁だってよ」
トニーのチームだ。
「けっこうお子様みたいな手を使うんだな」アダムが笑っている。
だがそれは、電子送金を察知されるケースが増えているからだ。
犯罪組織は却って原始的な素朴な手段を使って、当局の目をくらまそうとする。
トニーたちに比べると、こっちは何の成果も上がっていないように思える。
ダレルが言っていた通り、ロニーの事故の件を徹底的に調べてロマネスクの有罪を立証してやりたい。
だがそれは、歳入庁捜査局の捜査範囲ではない。
同僚を殺されたかもしれないというのに――
この会社生活、続けなきゃならないのか。
やることが多すぎて、何もできない――捜査が。
場が開いてからずっと着けっ放しだったヘッドセットをはずした。
アメリカの大統領が選挙で再選された。
そのせいで、売りたくなった客からの電話を捌くのに、朝から忙しかった。
更に米国債を買いたいという客までいて、債券部の担当者に繋ぎたかったが、現先とレポ(今売って将来買い戻す取引)で手一杯だ、と一蹴された。
他にもやらなきゃいけないことが山ほどあった。
この会社でやることは全て期限があるのだ。
業績評価の期限が迫っていた。
あれから『360度評価』の依頼は更に増えて、合計四十三人になっていた。
上席者からの依頼だと、質問の数が百近かったりするから恐怖だ。
やらないで期限になってしまうと、「消極的拒否」と判断され、
「なんで自分のをやってくれなかったのか」と思われる。
丁寧な上司だとわざわざ「手書きでいいから、ほしい」などと訊きに来たりする――
と、イーサンから散々脅された。
週末やっても、夜やっても、間に合いそうにない。
株の売買をする合間に、一つのスクリーンを評価画面専門に開いておいた。
今また一つ依頼が届いて、合計四十四という数字に変った。
見ると、ハルについての『360度評価』を彼女の上司が送ってきていた。
ハルは会社の中では下から二番目の職位、アナリストだ。
質問事項も少なかった。
普段の仕事ぶりはあまり知らないが……、
たぶん、あのまんまなのだろうと思い、いい点をつけて返した。
次に、エディの『360度』を気合を入れてやり始めた。
その時、この間の接待の経費精算が頭に浮かんだ。
あれもやらないと自分の、即ち捜査局のカードから引き落とされてしまう。
パメラが事前申請した経費のページを立ち上げた。
数字や人数、コストセンターを確認して行く。
そこまでは簡単だった。が、その次で止まってしまった。
「レシートを先にスキャンするんだよ」アダムが言った。
どこで?
はるかかなたの、壁際の、コピー&ファクス機コーナーを指した。
いつも何人かが列をつくっている。
三十メートルほど向こうまで、行ってこなくてはならない。
行く手を遮る椅子の脚に引っ掛からないように走った。
時たま突然、椅子ごと移動する奴がいるから、危ない。
時計を見ながらイライラと列の後ろで待っていると、やっと順番が来た。
クレジットカードのレシートを手に、スキャンPDFの操作パネルを見つめた。
どうやるのだ、これは。尚もじっと見ていると、
「それ、まずA4の紙に貼ってこないとできないわよ」と後ろから言われた。
ジョルジオのアシスタントだった。
礼を言って、パメラの席に直行した。
「こーいうものは、丸ごと私に投げてくれていいのよ、アラン」ニコニコする。
「何かする前に、そうしてね」
ほっとした。と同時に、何か前に彼女に言われたことを、まだ実行していないような気がする……思い出せない。
後ろから「アラン、電話!」と呼ばれたので、席まで飛んで戻った。
その電話が終わると、後ろにパメラが立っていた。
「あのね、アランが自分のページ開いていると、私アクセスできないの」
業績評価のスクリーンに一緒に出しておいた、経費精算のページを出した。
「あ、でも、今ちょうど出てるなら、ここでやっちゃうね」
パメラがホークの後ろから、ぐいっとキーボードに手を伸ばした。
スキャンしたレシートを添付して、本部長のジェイミーに送るだけなのだ。
ジェイミーになってはいるが、実際はエディが全部チェックする。
肩に柔らかい物が当たっている。パメラの何かのような気がする。
「はい、できた」
「ありがとう」経費精算を閉じて、業績評価に戻った。
すると画面が白くなっていた。
中央にメッセージがある。“時間切れです”
「ああそれ、セーブしておかなかったのか」
恐怖に顔をゆがめてイーサンの方を向いた。
「時間切れだろ。こまめにセーブしないと。厳しいよな」
「アアアアア……」ホークの悲鳴に、事業法人チームが全員こっちを見た。
椅子から身体が半分落ちた。
席をはずしていた間に、エディの『360度』評価ページが消えた。
七十問中四十九問終わっていたはずが、全部消えた。
「大量誤発注でもしたのかと思うじゃねえか」ちょうど後ろを通ったルパートの声がした。
まさか「嫌だ」とも言えない。
トレーダーのライアンに伝える。今日中に買えるだろう。
ただの普通の株の売買に過ぎない。
まさか叔父に「防衛した方がいいですよ」と言うわけにもいかない。
くそ!
「幼稚だな」テレビのスクリーンを見ていたアダムが言った。
見ると、北米のニュースだった。
指名手配中だったある犯罪組織の男が、大量にプリペイドカードを購入するところを監視カメラがとらえた。
男が数十枚のプリペイドカードを数十冊の本のページに挿んで、サンクトペテルブルクのある住所に送るため、宅配業者に頼んだところを現行犯逮捕した。
現場映像が映し出されている。
「FBIと歳入庁だってよ」
トニーのチームだ。
「けっこうお子様みたいな手を使うんだな」アダムが笑っている。
だがそれは、電子送金を察知されるケースが増えているからだ。
犯罪組織は却って原始的な素朴な手段を使って、当局の目をくらまそうとする。
トニーたちに比べると、こっちは何の成果も上がっていないように思える。
ダレルが言っていた通り、ロニーの事故の件を徹底的に調べてロマネスクの有罪を立証してやりたい。
だがそれは、歳入庁捜査局の捜査範囲ではない。
同僚を殺されたかもしれないというのに――
この会社生活、続けなきゃならないのか。
やることが多すぎて、何もできない――捜査が。
場が開いてからずっと着けっ放しだったヘッドセットをはずした。
アメリカの大統領が選挙で再選された。
そのせいで、売りたくなった客からの電話を捌くのに、朝から忙しかった。
更に米国債を買いたいという客までいて、債券部の担当者に繋ぎたかったが、現先とレポ(今売って将来買い戻す取引)で手一杯だ、と一蹴された。
他にもやらなきゃいけないことが山ほどあった。
この会社でやることは全て期限があるのだ。
業績評価の期限が迫っていた。
あれから『360度評価』の依頼は更に増えて、合計四十三人になっていた。
上席者からの依頼だと、質問の数が百近かったりするから恐怖だ。
やらないで期限になってしまうと、「消極的拒否」と判断され、
「なんで自分のをやってくれなかったのか」と思われる。
丁寧な上司だとわざわざ「手書きでいいから、ほしい」などと訊きに来たりする――
と、イーサンから散々脅された。
週末やっても、夜やっても、間に合いそうにない。
株の売買をする合間に、一つのスクリーンを評価画面専門に開いておいた。
今また一つ依頼が届いて、合計四十四という数字に変った。
見ると、ハルについての『360度評価』を彼女の上司が送ってきていた。
ハルは会社の中では下から二番目の職位、アナリストだ。
質問事項も少なかった。
普段の仕事ぶりはあまり知らないが……、
たぶん、あのまんまなのだろうと思い、いい点をつけて返した。
次に、エディの『360度』を気合を入れてやり始めた。
その時、この間の接待の経費精算が頭に浮かんだ。
あれもやらないと自分の、即ち捜査局のカードから引き落とされてしまう。
パメラが事前申請した経費のページを立ち上げた。
数字や人数、コストセンターを確認して行く。
そこまでは簡単だった。が、その次で止まってしまった。
「レシートを先にスキャンするんだよ」アダムが言った。
どこで?
はるかかなたの、壁際の、コピー&ファクス機コーナーを指した。
いつも何人かが列をつくっている。
三十メートルほど向こうまで、行ってこなくてはならない。
行く手を遮る椅子の脚に引っ掛からないように走った。
時たま突然、椅子ごと移動する奴がいるから、危ない。
時計を見ながらイライラと列の後ろで待っていると、やっと順番が来た。
クレジットカードのレシートを手に、スキャンPDFの操作パネルを見つめた。
どうやるのだ、これは。尚もじっと見ていると、
「それ、まずA4の紙に貼ってこないとできないわよ」と後ろから言われた。
ジョルジオのアシスタントだった。
礼を言って、パメラの席に直行した。
「こーいうものは、丸ごと私に投げてくれていいのよ、アラン」ニコニコする。
「何かする前に、そうしてね」
ほっとした。と同時に、何か前に彼女に言われたことを、まだ実行していないような気がする……思い出せない。
後ろから「アラン、電話!」と呼ばれたので、席まで飛んで戻った。
その電話が終わると、後ろにパメラが立っていた。
「あのね、アランが自分のページ開いていると、私アクセスできないの」
業績評価のスクリーンに一緒に出しておいた、経費精算のページを出した。
「あ、でも、今ちょうど出てるなら、ここでやっちゃうね」
パメラがホークの後ろから、ぐいっとキーボードに手を伸ばした。
スキャンしたレシートを添付して、本部長のジェイミーに送るだけなのだ。
ジェイミーになってはいるが、実際はエディが全部チェックする。
肩に柔らかい物が当たっている。パメラの何かのような気がする。
「はい、できた」
「ありがとう」経費精算を閉じて、業績評価に戻った。
すると画面が白くなっていた。
中央にメッセージがある。“時間切れです”
「ああそれ、セーブしておかなかったのか」
恐怖に顔をゆがめてイーサンの方を向いた。
「時間切れだろ。こまめにセーブしないと。厳しいよな」
「アアアアア……」ホークの悲鳴に、事業法人チームが全員こっちを見た。
椅子から身体が半分落ちた。
席をはずしていた間に、エディの『360度』評価ページが消えた。
七十問中四十九問終わっていたはずが、全部消えた。
「大量誤発注でもしたのかと思うじゃねえか」ちょうど後ろを通ったルパートの声がした。
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