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48 くれぐれも深入りしないこと

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 午後、レイチェルから例の調査を依頼した調査会社の名前と、担当者の電話番号がメールされてきた。

「くれぐれも深入りしないこと」と注意書きが添えられていた。

 担当者の名前を見て、どこかで見覚えのある名前のような気がした。

 名刺ホルダーを開いて前に会っていないかチェックしたが、見つからなかった。

 電話をして六時過ぎに会いたいとアポを取った。

 電話に出た受付らしき女性にはレイチェルの部下を名乗った。

 オフィスから歩ける距離だったので車は置いて行った。

 審査部はその調査会社を使って、取引先の登記書類、会計・税務関連記録などを収集する。

 実際に社屋のある住所まで行って、実在している会社かどうか確認するときも使っている。

 調査会社のビルはシティの基準からするとかなり古かった。

 一階の厳重なドアで目的の相手のベルを押すタイプの入り口だ。

 相手が入室許可のボタンを押さないとドアが開かない。

 古いアパートメントと同じだ。

 一階のインターホンで許可をもらい、エレベーターで三階に上がった。

 受付の女性に来意を告げると、すぐ応接室の一つに案内された。

 廊下を通る時、使用中の応接室のドアの向こうから話し声が漏れ聞こえた。

 通された応接室は漆喰の壁で、ドアが閉まると廊下から自分の姿を見られることがない。

 普通は作法通り、ドアが開いた時すぐ相手から見える場所に立つ。

 この時は、わざとドアのすぐ近くに、内側に開くドアで姿が見えない位置に立った。

 ノックの音のあとドアが開いた。

 男が顔を出すや否や、ホークは彼の腕をぐいっと掴んで中に引き入れた。

 ドアを静かに閉める。

「えっ?」

 びっくりして見上げる目が鼠に似ている。

 背の低い相手に覆いかぶさるように腕を突っ張り、ドアを開けられないようにした。

「審査部のクリスじゃなくて悪かったな、ダレルさん」

 彼は心底驚いたようだった。

「な、なんで、君が……」

「身分を偽るのはお互い様だろう」

「君、あの時は……」

「誰に言われておれを調査していたんだ」

「そ、それは……」

「何が、モデル・エージェンシーだ」

 ダレルはホークの腕の下で、曲がったネクタイを直した。

「守秘義務があって、言えない」

「LB証券の者か」黙秘する。

「シティの人間だろう」

「言わないよ」

「お願い、おしえて、ダレルさん」

「気持ち悪いな」

「あんたに襲われたって、叫んでいい?」ホークはネクタイを弛め、シャツのボタンをはずす素振りをした。

「誰が信じるか」ダレルは舌打ちした。

「依頼人の名前は言えない。調べたのは君の身元だ。

 よくある娘の結婚相手の身元調査みたいなものさ」

「おれは誰とも結婚する予定ないぞ」

「君が思っていなくても、先方はそう考えているのかもしれないじゃないか。この手の話は多いんだ」

 座れよ、とダレルはソファの方へ動いた。

 高級とは言えない、白い合成皮革素材のソファだ。

「嘘付け。シティの人間がそんな暇なことするか」

「するさ。本業のついでのこういう仕事も結構需要があるんだ。

 まあ、由緒正しい家柄だと、いろいろな」

 それにしても馬鹿力だな……と、さっきホークが掴んだ二の腕を摩る。

「どういう鍛え方しているんだ? その性格と腕力について書き加えておくんだった」

 ホークは渋々ダレルの正面に座った。

「性格が、なんだって?」

「睨むなよ。怖い顔だな」

 カルロに頼んでこの事務所のサーバーをハッキングすれば、ホークの調査を頼んだ依頼人などすぐわかる。

 しかし、捜査範囲ではないからやってくれない。

「で、御用件は?」

 ダレルは猫の手の届かない所で安堵している鼠のような顔になった。

「ロニー・フィッシャーの事故の件だ」

「サンクトペテルブルクのか」

 ホークは頷く。

「あんたが向こうの警察で聞いたことを、もう一度聞きたい」

「全部報告書に書いたよ。でもなんで君がそれを」

「おれの前任者なんだよ、ロニーは」

「そうか……」

 いつの間にか鼠っぽさがなくなり、狡猾な高利貸しのような顔つきだ。

 金を借りに来た食い詰め者を見るような目をする。

「ひょっとして、怖くなったのか」

 目を伏せて、何と答えるか考えた。

「LB証券は、誰かが彼を殺したと思っているんだ」

「ははーん。後任なら、君も誰のことか見当はつくだろう? 

 某社と言っておこうか。でも、証拠がないんだ。

 サンクトペテルブルクでも見つからなかった」

「警察もグルなのか」

「まさか。警察は事故だと信じているよ。だから捜査しないんだ」

「せめて、何をやったからロニーがそんな目に遭ったのか、理由くらいわからないのか」

「それがわかれば立派な証拠になるじゃないか。犯人だってばれてしまう。

 だから、どこにもそんな証拠はないって」

 ホークは眉根を寄せて、目を逸らせた。

「何かきっかけがあるはずだ。向こうだって理由もなしに、ロニーの命を奪うことはしないだろう」

「そう言われてもねえ。彼はやっこさんに大損させたこともないし、

 マーケットがどん底の状態でも、そこそこ稼いでいたっていうじゃないか。

 恨まれるようなことは、何もしてないと思うよ」

「もしかして、トマシュの愛人に手を出したとか?」

「いんや、ないね。ロニーは確か、スタッフの一人といい仲だったろう」

 なんなら報告書のコピーをやろう、とダレルは誰かに電話をした。

 まもなく受付にいた女性が薄いファイルを持ってきた。

 コピーを綴じたものだった。

 ホークは礼を言って、ファイルをパラパラとめくった。

 奴らにどこまで知られたんだ、ロニー? 

 自分が捜査官だとばれたのか? 

 それとも単に、不正を告発する危険があると思われただけか?

「聞かせてくれないか。サンクトペテルブルクであったことを」

「まあ……何とも捜査しにくい場所だったよ。地元民に言葉も通じないしね。

 こっちは書いてある字が読めない。ロニーが乗ったタクシーの運転手はまだ入院していたし、

 トレーラーの運転手は罰金が払えなくて、交通刑務所入りしていたしね」

「じゃあ、そいつが睡眠薬を盛られたせいで居眠りしたとか、

 検分されてはいなかったのか」

「されてない。今一どういう状況だったのか、はっきりしない。

 思うに警察は、事故を疑う余地がないと見て、何も捜査しなかったのさ」

「普通なら刑務所まで行って、そいつを尋問するだろう」

「刑事みたいなことを言うんだな」ダレルの目がきらりと光った。

 ホークは目を逸らした。

「ロマネスクが寄こすはずだった、迎えの車の運転手は?」

 ダレルは首を振った。

「その件については誰も調べていないよ。ロマネスク側の協力が必要だからな」

 協力はされなかった――とエディが言っていた。

「あんたはロニーを直接知っていたかい?」

「いいや。でもLB証券にある彼のデータは読ませてもらったよ。

 けど、ロニー・フィッシャーの過去とあの事故の繋がりは、まずないな――あんたがその点を訊きたいなら」

 ダレルは知る由もないが、そのデータ自体が偽装なのだ。

「じゃあ、警察で聞いたことは?」

 ダレルは首を振った。

「事故処理したとの一点張りだ。

 唯一見ることができたトレーラーの運転手のスケジュール表によると、

 居眠りが出るような過密スケジュールではなかった」

「だらしのない警察だな」ダレルが面白そうに見ている。

「あんたはどう思う? ロニーは事故だったと思うかい」

 鼠の顔が、にんまりと笑った。

「思ってないよ。君と一緒に捜査できたら、きっと証拠も掴めるような気がするね」

 ホークが知りたいのは、運転手が薬を盛られたかどうかではない。

 ロニーがどこまで敵に知られていたかだ。

 ホークはファイルを閉じた。

「そういえば、おれの調査報告書には、なんて書いたんだ」

 ダレルはまた、猫から逃げ回る鼠のような顔になった。

「教えられないね」

「言わないと、腕を折るぞ」ホークは立ち上がった。

 ダレルはギョッとして身構える。

「冗談よせよ」

「性格は? こらえ性がなく、思い通りにならないとすぐキレる?」

「そ、そんなこと書いてないよ」

「じゃあ、そう書けよ。もうキレそうだ」

「た、頼むよ君」ダレルは立ち上がって、部屋の隅まで逃げた。

「わかるだろう、守秘義務って」

 ホークはファイルを掲げた。

「今日のところはこれに免じてやるよ」ダレルがほっと息をついた。

「だが、全然気に入らない。次に会ったら話してもらうからな」



 会社に戻ったのは七時半過ぎだった。

 駐車場に降りると、もう大半の車がなかった。

 この駐車場は、出勤する時間が早い順にエレベーターの近くから埋まっていく。

 エレベーターから一番近い場所にエディの銀色のポルシェがある。

 エディが運転席に座っている。

 既にシートベルトを締めていた彼は、車を発進させた。

 ホークの横を通り過ぎる時、窓が下がった。

「まだいたのか」

「あんたの言うとおりだった」エディは眉を少し上げた。

「ロニーは事故だったんだな」

「そう言ったろう」うっすらと微笑を浮かべ、次いで物問いた気な目を向けた。

「おまえ、気にしていたのか」

 ホークは少し身をかがめて、顔を車の窓の高さに近づけた。

「何を?」

「事故じゃないんじゃないかと思っていたのか?」

「ああ」

「どうして?」

「皆が言う通り、偶然が多すぎるからだよ」

「事故じゃなかったら、どうするつもりだったんだ?」

 ホークはふっと笑った。

「とりあえず、退職届を出すよ。怖くてやってられない」

 エディはニッと笑った。

「事故だったんだ。だからそれはなしだ」

 窓が閉まり、エディは車を出した。
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