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第12章
94 意志あるところに道は開ける
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翌日、凌遅からアポが取れたと報告された。約束の日は明日――奇しくも私の誕生日だった。たまたまという可能性もあるが、もし故意だとしたら嫌なことをしてくれる……。だが、そんな揺さぶりに大した意味はない。むしろ、彼との対話を通して道が開けるかも知れないと考えれば、打って付けの日だとすら思った。
当日は気合を入れねばならない。何か、意気が揚がるものはないか思案した結果、あるアイテムが頭を過ぎった。
「買いたいものがあるんですが」
私の申し出に、凌遅は「備品の中にないものなのか」と訊いてきた。あるかも知れないが実際に目で見て選びたいのだと伝えたところ、理解を示し、車を出してくれた。
向かったのはスクェア・エッダのアパレルショップだ。ツェペシュとの一件で迷惑をかけたことが気になっていたし、棚の陰に隠れていた時、目に入った服が印象に残っていた。季節が変わっているからもう取り扱いがないかも知れないと不安になったが、店の奥で無事発見できた。
パンツスーツタイプのブラックフォーマルだ。慶弔両用のクラシカルなデザインで、昔、母が授業参観に着て来たものに似ていた。それを纏った母が凛としていて、とてもカッコ良かったのを思い出したのだ。
フィッティングルームを借りて試着してみると、幸いにしてぴったりだった。
「思ったより、いい感じかも……」
鏡に映る自分に母の面影を見たことで、勇気を貰えた気がした。
せっかくなのでパンプスも新調し、万全の準備を整える。
「目当てのものは見つかったのか」
店の外で待機していた凌遅が声を掛けてきたので、私はうなずき、ショップの名前の入った紙袋を見せる。そして、中から取り出した小さな袋を彼の前に差し出した。
「何だ、それは」
「ハンドミストです。微香ですし、アルコール配合なので、消毒液代わりに使えるんじゃないかと思って。よかったらどうぞ」
「君からそんなものを受け取る謂れはないんだがな」
怪訝そうな凌遅に、私は購入の意図を明かす。
「以前、こちらの商品をいくつも台無しにしてしまいました。だから、いくらかでも償いたいと思って買ったんです」
「店に損害を出したのはツェペシュと俺だ」
凌遅は腑に落ちない様子でつぶやく。
「君には一切責任はないし、本部が対応済みのはずだから、こんなことをする必要は――」
「いいんです。私の気持ちの問題ですから」
私は凌遅の言葉を遮る。
「あと、今日付き合ってもらったことへの感謝の気持ちも少し、込めています。いらないなら自分で使うだけなんで、回収しますけど……」
それを聞いた凌遅は、「なるほど」と言って袋を受け取った。
「君は誠実なんだな、バーデン・バーデンの処女。ありがたく使わせてもらう」
彼が軽く目を細め、またもらしくない台詞を言うので少々動揺したが、悪い気はしなかった。
偏食の凌遅に“食事を奢る”というパターンはないため、私達はそのまま部屋に帰ることにした。明日に備えて気持ちを作っておく必要もある。
私はダイニングで読書をすることにした。本棚を見ていた時、『はじめてのおつかい』が目に入った。これも子供の頃に父が買ってくれたことのある絵本と同じものだ。私はそれを手に取る。パラパラとページをめくるうち、昔、主人公の女の子に自分を重ねて読んだ記憶が蘇ってきた。
ドキドキしながら小さな失敗と挑戦を繰り返して、最後には目的を果たす主人公の姿に、私は再度、自分を重ねる。
いよいよ明日だ。焦燥感が募り、身の置き所がない。自分で言い出したことなのに、おかしな話だと思う。だが、客観的に考えればやむを得ないことだと自分に言い聞かせ、私は読み終えた本の上に突っ伏した。
ふと聴覚が優位になり、それまで部屋の隅で聞こえていたパソコンの操作音が止んでいることに気付いた。凌遅はいつも通り動画の編集をしていたはずだが、今日はもう作業を終えたらしい。代わりに、さらさらとペンを走らせる音がし始める。
興味を引かれ、私は音のする方に顔を向けて目を開く。うつ伏せになった時、眼鏡を外しているのでまったく見えないが、彼がこちらを向いているのはわかった。
「……何ですか」
私が上体を起こし、眼鏡をかける間に、凌遅はこちらへやって来ていた。彼はすいと何かをテーブルの上に置き、キッチンへ向かった。
見れば、小さなカードが置かれていた。そっと手繰り寄せると、一輪の花を持つ女性のイラストが一筆書きのようなタッチで表現されていた。髪の長さや眼鏡などの特徴からして、モデルは私らしい。どうやら、さっき描いていたのはこれのようだ。カードの材質やインクなど、すべてにこだわりが感じられ、デザインもセレクトショップに並ぶレベルのクオリティでつい見入ってしまった。
裏返すと、美しい文字でメッセージが書かれていた。
“Where there's a will, there's a way.”
これは知っている。リンカーンが引用したことで有名になった西洋のことわざだ。
「このカード、私にですか」
キッチンに足を運び、凌遅に訊く。すると彼はフライパンで卵を揚げながら、「ああ。気が乗ったんで描いてみた。明日の君に向けてのエールだ」と答えた。
「ありがとう、ございます……」
予期せぬことで戸惑ったが、彼の気遣い自体は嬉しかったので、素直に感謝を伝えた。その直後、
「――この花って、ピンポンマムですか」
自分でも意図しない質問が口をついた。
「そうだ」
凌遅が肯定するのを聞いた私は、「あなたにとって、何か特別な意味を持つ花なんですか」と続けた。
「父の時も……この花をモチーフにしていましたよね」
自分は何故、こんなことを訊いているのだろう。
「特別な意味はない」
凌遅はコンロの火を止め、揚げたまごを皿に取りながら言った。
「ただ、頭に浮かびやすいんだ。描きやすいというのもあるが、単純に好きなんだと思う」
「そう、ですか。なるほど……」
唐突に的外れな質問をしてしまった。臨戦態勢に入って気が立っているせいかも知れない。
私はカードを携帯端末の上に乗せ、テーブルに置いた。
“意志あるところに道は開ける”――改めて考えると、今の私に一番必要な言葉だ。
明日、彼に会ったら、とにかく怯まず、話をしよう。こちらに非はない。堂々と向き合うんだ。正直なところ、とても、とても、恐ろしいけれど……。
当日は気合を入れねばならない。何か、意気が揚がるものはないか思案した結果、あるアイテムが頭を過ぎった。
「買いたいものがあるんですが」
私の申し出に、凌遅は「備品の中にないものなのか」と訊いてきた。あるかも知れないが実際に目で見て選びたいのだと伝えたところ、理解を示し、車を出してくれた。
向かったのはスクェア・エッダのアパレルショップだ。ツェペシュとの一件で迷惑をかけたことが気になっていたし、棚の陰に隠れていた時、目に入った服が印象に残っていた。季節が変わっているからもう取り扱いがないかも知れないと不安になったが、店の奥で無事発見できた。
パンツスーツタイプのブラックフォーマルだ。慶弔両用のクラシカルなデザインで、昔、母が授業参観に着て来たものに似ていた。それを纏った母が凛としていて、とてもカッコ良かったのを思い出したのだ。
フィッティングルームを借りて試着してみると、幸いにしてぴったりだった。
「思ったより、いい感じかも……」
鏡に映る自分に母の面影を見たことで、勇気を貰えた気がした。
せっかくなのでパンプスも新調し、万全の準備を整える。
「目当てのものは見つかったのか」
店の外で待機していた凌遅が声を掛けてきたので、私はうなずき、ショップの名前の入った紙袋を見せる。そして、中から取り出した小さな袋を彼の前に差し出した。
「何だ、それは」
「ハンドミストです。微香ですし、アルコール配合なので、消毒液代わりに使えるんじゃないかと思って。よかったらどうぞ」
「君からそんなものを受け取る謂れはないんだがな」
怪訝そうな凌遅に、私は購入の意図を明かす。
「以前、こちらの商品をいくつも台無しにしてしまいました。だから、いくらかでも償いたいと思って買ったんです」
「店に損害を出したのはツェペシュと俺だ」
凌遅は腑に落ちない様子でつぶやく。
「君には一切責任はないし、本部が対応済みのはずだから、こんなことをする必要は――」
「いいんです。私の気持ちの問題ですから」
私は凌遅の言葉を遮る。
「あと、今日付き合ってもらったことへの感謝の気持ちも少し、込めています。いらないなら自分で使うだけなんで、回収しますけど……」
それを聞いた凌遅は、「なるほど」と言って袋を受け取った。
「君は誠実なんだな、バーデン・バーデンの処女。ありがたく使わせてもらう」
彼が軽く目を細め、またもらしくない台詞を言うので少々動揺したが、悪い気はしなかった。
偏食の凌遅に“食事を奢る”というパターンはないため、私達はそのまま部屋に帰ることにした。明日に備えて気持ちを作っておく必要もある。
私はダイニングで読書をすることにした。本棚を見ていた時、『はじめてのおつかい』が目に入った。これも子供の頃に父が買ってくれたことのある絵本と同じものだ。私はそれを手に取る。パラパラとページをめくるうち、昔、主人公の女の子に自分を重ねて読んだ記憶が蘇ってきた。
ドキドキしながら小さな失敗と挑戦を繰り返して、最後には目的を果たす主人公の姿に、私は再度、自分を重ねる。
いよいよ明日だ。焦燥感が募り、身の置き所がない。自分で言い出したことなのに、おかしな話だと思う。だが、客観的に考えればやむを得ないことだと自分に言い聞かせ、私は読み終えた本の上に突っ伏した。
ふと聴覚が優位になり、それまで部屋の隅で聞こえていたパソコンの操作音が止んでいることに気付いた。凌遅はいつも通り動画の編集をしていたはずだが、今日はもう作業を終えたらしい。代わりに、さらさらとペンを走らせる音がし始める。
興味を引かれ、私は音のする方に顔を向けて目を開く。うつ伏せになった時、眼鏡を外しているのでまったく見えないが、彼がこちらを向いているのはわかった。
「……何ですか」
私が上体を起こし、眼鏡をかける間に、凌遅はこちらへやって来ていた。彼はすいと何かをテーブルの上に置き、キッチンへ向かった。
見れば、小さなカードが置かれていた。そっと手繰り寄せると、一輪の花を持つ女性のイラストが一筆書きのようなタッチで表現されていた。髪の長さや眼鏡などの特徴からして、モデルは私らしい。どうやら、さっき描いていたのはこれのようだ。カードの材質やインクなど、すべてにこだわりが感じられ、デザインもセレクトショップに並ぶレベルのクオリティでつい見入ってしまった。
裏返すと、美しい文字でメッセージが書かれていた。
“Where there's a will, there's a way.”
これは知っている。リンカーンが引用したことで有名になった西洋のことわざだ。
「このカード、私にですか」
キッチンに足を運び、凌遅に訊く。すると彼はフライパンで卵を揚げながら、「ああ。気が乗ったんで描いてみた。明日の君に向けてのエールだ」と答えた。
「ありがとう、ございます……」
予期せぬことで戸惑ったが、彼の気遣い自体は嬉しかったので、素直に感謝を伝えた。その直後、
「――この花って、ピンポンマムですか」
自分でも意図しない質問が口をついた。
「そうだ」
凌遅が肯定するのを聞いた私は、「あなたにとって、何か特別な意味を持つ花なんですか」と続けた。
「父の時も……この花をモチーフにしていましたよね」
自分は何故、こんなことを訊いているのだろう。
「特別な意味はない」
凌遅はコンロの火を止め、揚げたまごを皿に取りながら言った。
「ただ、頭に浮かびやすいんだ。描きやすいというのもあるが、単純に好きなんだと思う」
「そう、ですか。なるほど……」
唐突に的外れな質問をしてしまった。臨戦態勢に入って気が立っているせいかも知れない。
私はカードを携帯端末の上に乗せ、テーブルに置いた。
“意志あるところに道は開ける”――改めて考えると、今の私に一番必要な言葉だ。
明日、彼に会ったら、とにかく怯まず、話をしよう。こちらに非はない。堂々と向き合うんだ。正直なところ、とても、とても、恐ろしいけれど……。
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