上 下
19 / 84

第十九話 私の願いが叶う時

しおりを挟む
『グガア‼︎ ガアツ‼︎ グガアア‼︎』
「くぅにゃあーっ!」

 右腕、左腕、右腕……何度も振り回される熊の剛腕を必死に避け続ける。
 動きは大体分かってきた。熊の後ろ足は地面に着いたままだ。
 主な攻撃方法は四足歩行状態からの突進、前足による振り払いと振り下ろしだ。
 攻撃時に首を振り回し、身体を振り回してくるけど、重要なのは正面に立たない事だ。
 単純な速さと力は熊の方が上だけど、狡賢さと目は私の方が勝っている。
 焦らずにチャンスを待てば、飛び乗るチャンスは必ずやってくる。

(くぅっ、時間がないのに!)

 だけど、初撃で警戒したのか、熊は小さく素早く動いて守りを固めている。
 早く目玉を潰したいのに、その両目が私を見逃さないように追ってくる。

(駄目だ、背後から飛び乗れない。だったら!)

 一晩中、熊とダンスするつもりはない。有紗の時はこれで殺された。
 死にたくないなら、相手の予想を上回る動きをするしかない。

「ツゥっ!」

 右腕の振り払いを後ろに短く跳んで回避すると、左手のランプを顔を狙って素早く投げつけた。

 ガァシャン‼︎

『グオツ⁉︎』

 ランプが熊の顔面に命中した。ランプに怯んで、熊が私から目を背けた。
 チャンスは自分で作るものだ。動くなら今しかない!
「フゥッ!」と短く気合いを入れて熊に接近、そのまま右手の一突きで左目を狙った。

『グガアアアアアッッ‼︎』

 ——ドゴォン‼︎

「ごぉ……はぁぁつ‼︎」

 だけど、短剣が突き刺さる前に私の右腹に熊の剛腕がめり込んだ。
 肺から強制的に空気が吐き出され、意識と一緒に身体が吹き飛ばされた。

「ぐどぁ……くぬぁぁ……」

 そして、一秒も経たずに地面に身体が打ち付けられた。
 大地を二メートルほど滑り削って、やっと身体が停止した。

「ごぼぉごほぉ! あゔゔゔっっ!」

 激しく咳き込むと、痛む左手を地面に着けて身体を起こした。
 頭が凄くクラクラする。だけど、思ったよりもダメージは少ない。

「っぅぅ……」

 痛いけど腹から血は出てない。多分、軽めの熊張り手を喰らっただけだ。
 骨は折れているかもしれないけど、まだ終わりじゃない。
 まだ動ける! まだ戦える! まだ諦めるのは早い!

「く、熊鍋にしてやる!」

 フラフラ立ち上がると、力が上手く入らない右手の短剣を熊に向けた。
 長時間の正座で痺れたみたいに、両足がガクガク震えて変だ。
 それでもやる事は一つだ。それだけは変わらない。
 コイツを倒して、ペトラをお母さんの所に連れて帰る。

「熊鍋ええええ‼︎」
『グガアアアアアッッ‼︎』

 熊鍋に向かって叫ぶと、鍋も叫んで突っ込んできた。
 一撃必殺の目玉狙いは変わらない。小細工は捨てて全身全霊の一撃に懸ける。
 両手で短剣の柄を握り締めて、切っ先を熊の顔に向けて、身体の左腹の位置に構えた。

「すーぅ……はぁぁ……」

 日本人なら神風だ。ぶつかり合いで負ける方は決まっている。
 この産まれたての子鹿足だと上手く躱せない。だったらこのまま激突するしかない。
 全身強打と引き換えに左目を貰う。

「うわああああ‼︎」

 迫り来る熊の恐怖を大声で叫び消し、構えた短剣を突き出した。

 ——ズボォ‼︎
 ——ドゴォン‼︎

「がはああああ……‼︎」

 二つの力と二つの身体が激突した。
 意識は飛ばなかった。飛んだのは身体だけだ。身体が真上に撥ね飛ばされた。
 地上三メートルの空中で時間が静止している。仰向けの体勢でキラキラ輝く星空が見える。

「うぐっっ」

 でも、静止した時間が動き出すと、地上への落下を開始した。
 身体に感じるのは落下の感覚と、すぐに訪れた地面との激突だった。

「がはあッ‼︎」

 背中から地面に落ちた。やっぱり痛みは感じない。
 もしかして、私って超人と思う前に……

「くぅぅぅ……ぅぅぅ‼︎」

 私の勘違いを身体が教えてくれた。腹と背中に強烈な痛みが広がっていく。
 これが股間を蹴られた男子の痛みだと言われたら、もう二度と蹴らない。

『グガアアアツツー‼︎ ガアアアアツツー‼︎』

 そして、痛みと引き換えに目的のものを奪い取った。私の手に短剣はない。熊の左目にぶち込んでやった。
 叫び声の方を頑張って向くと、熊が頭を振り回して、短剣を左目から抜こうと暴れていた。
 例え抜けたとしても、もう左目は使えない。これで逃げてくれるなら大助かりだ。

『フガァッ、フガァッ!』

 でも、そのつもりはないらしい。抜くのを諦めて、私の方を向くと残った右目で睨んでいる。
 つまりは絶体絶命だ。遭遇した時から変わらない絶体絶命だ。

(くぅぅ、も、もう走れないのに。倒さないといけないのに……)

 何とか立ち上がったけど、もうフラフラガクガク限界だ。
 身体が痛い助けてと悲鳴を上げている。一歩歩くだけで死にそうだ。
 武器無しの素手で右目を潰して撃退するなんて絶対無理だ。

「ハァハァ、ハァハァ、くぅっ!」

 だけど、泣き声言っても助からない。誰も助けてくれない。
 今日死ぬのは一度で充分だ。今日殺されるのは一度で充分だ。
 生き返った私に凄い力が宿っているのなら、今欲しい。
 戦う力をアイツを倒せる力が今欲しい。
 巨乳になれなくてもいい。戦う力が欲しい!

 パアアアアッッ‼︎

「えっ、嘘……?」

 私の願いが神様に届いたのか、突然左胸が光り始めた。
 周囲を明るく照らして、その白い光に熊が『グガァ……!』と怯んでいる。
 服と一緒に左胸がグググッと押し上げられていく。
 巨乳は私が望んでいたものだけど、今必要なのはこれじゃない。

 パァン!

「あゔっ!」

 巨乳になり過ぎて着ている白シャツのボタンが二個弾け飛んだ。

『グオオオオツツ‼︎』

 だけど、時間切れらしい。
 左胸だけ超巨乳(Dカップ)になれそうだったのに熊が向かってきた。
 このまま凶悪な爪で殴り殺されるだけの運命が待っている。

「へぇっ?」

 ……そう思っていたのに、ズポッと左胸から黒い棒が飛び出した。
 
「何、これ……?」

 死ぬ前に夢が叶ったと思ったのに、よく見たら左胸はペタンコのままだ。
 左胸の服を押し上げて、空中に飛び出したのは黒い柄の包丁だった。
 この宙に浮かぶ包丁には見覚えがある。古料理部秘蔵の柳刃包丁・通称『敏朗としろう』だ。
 有紗が私の左胸に突き刺して、私を殺した包丁だ。
 私の夢も希望も巨乳も全て、またこの包丁に奪われた。

(——じゃないよ‼︎)

 一ミリも膨らんでいない胸にショックを受けている場合じゃない。
 夢よりも胸よりも命の方が大事に決まっている。
 宙に浮かぶ包丁の黒い柄を急いで掴んだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

深川 花街たつみ屋のお料理番

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:111

[完結]7回も人生やってたら無双になるって

恋愛 / 完結 24h.ポイント:454pt お気に入り:108

広くて狭いQの上で

ミステリー / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:0

ここは猫町3番地の5 ~不穏な習い事~

ミステリー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:32

学費払ったけど卒論の添削されなかった件について

エッセイ・ノンフィクション / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

処理中です...