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第十九話 私の願いが叶う時

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『グガア‼︎ ガアツ‼︎ グガアア‼︎』
「くぅにゃあーっ!」

 右腕、左腕、右腕……何度も振り回される熊の剛腕を必死に避け続ける。
 動きは大体分かってきた。熊の後ろ足は地面に着いたままだ。
 主な攻撃方法は四足歩行状態からの突進、前足による振り払いと振り下ろしだ。
 攻撃時に首を振り回し、身体を振り回してくるけど、重要なのは正面に立たない事だ。
 単純な速さと力は熊の方が上だけど、狡賢さと目は私の方が勝っている。
 焦らずにチャンスを待てば、飛び乗るチャンスは必ずやってくる。

(くぅっ、時間がないのに!)

 だけど、初撃で警戒したのか、熊は小さく素早く動いて守りを固めている。
 早く目玉を潰したいのに、その両目が私を見逃さないように追ってくる。

(駄目だ、背後から飛び乗れない。だったら!)

 一晩中、熊とダンスするつもりはない。有紗の時はこれで殺された。
 死にたくないなら、相手の予想を上回る動きをするしかない。

「ツゥっ!」

 右腕の振り払いを後ろに短く跳んで回避すると、左手のランプを顔を狙って素早く投げつけた。

 ガァシャン‼︎

『グオツ⁉︎』

 ランプが熊の顔面に命中した。ランプに怯んで、熊が私から目を背けた。
 チャンスは自分で作るものだ。動くなら今しかない!
「フゥッ!」と短く気合いを入れて熊に接近、そのまま右手の一突きで左目を狙った。

『グガアアアアアッッ‼︎』

 ——ドゴォン‼︎

「ごぉ……はぁぁつ‼︎」

 だけど、短剣が突き刺さる前に私の右腹に熊の剛腕がめり込んだ。
 肺から強制的に空気が吐き出され、意識と一緒に身体が吹き飛ばされた。

「ぐどぁ……くぬぁぁ……」

 そして、一秒も経たずに地面に身体が打ち付けられた。
 大地を二メートルほど滑り削って、やっと身体が停止した。

「ごぼぉごほぉ! あゔゔゔっっ!」

 激しく咳き込むと、痛む左手を地面に着けて身体を起こした。
 頭が凄くクラクラする。だけど、思ったよりもダメージは少ない。

「っぅぅ……」

 痛いけど腹から血は出てない。多分、軽めの熊張り手を喰らっただけだ。
 骨は折れているかもしれないけど、まだ終わりじゃない。
 まだ動ける! まだ戦える! まだ諦めるのは早い!

「く、熊鍋にしてやる!」

 フラフラ立ち上がると、力が上手く入らない右手の短剣を熊に向けた。
 長時間の正座で痺れたみたいに、両足がガクガク震えて変だ。
 それでもやる事は一つだ。それだけは変わらない。
 コイツを倒して、ペトラをお母さんの所に連れて帰る。

「熊鍋ええええ‼︎」
『グガアアアアアッッ‼︎』

 熊鍋に向かって叫ぶと、鍋も叫んで突っ込んできた。
 一撃必殺の目玉狙いは変わらない。小細工は捨てて全身全霊の一撃に懸ける。
 両手で短剣の柄を握り締めて、切っ先を熊の顔に向けて、身体の左腹の位置に構えた。

「すーぅ……はぁぁ……」

 日本人なら神風だ。ぶつかり合いで負ける方は決まっている。
 この産まれたての子鹿足だと上手く躱せない。だったらこのまま激突するしかない。
 全身強打と引き換えに左目を貰う。

「うわああああ‼︎」

 迫り来る熊の恐怖を大声で叫び消し、構えた短剣を突き出した。

 ——ズボォ‼︎
 ——ドゴォン‼︎

「がはああああ……‼︎」

 二つの力と二つの身体が激突した。
 意識は飛ばなかった。飛んだのは身体だけだ。身体が真上に撥ね飛ばされた。
 地上三メートルの空中で時間が静止している。仰向けの体勢でキラキラ輝く星空が見える。

「うぐっっ」

 でも、静止した時間が動き出すと、地上への落下を開始した。
 身体に感じるのは落下の感覚と、すぐに訪れた地面との激突だった。

「がはあッ‼︎」

 背中から地面に落ちた。やっぱり痛みは感じない。
 もしかして、私って超人と思う前に……

「くぅぅぅ……ぅぅぅ‼︎」

 私の勘違いを身体が教えてくれた。腹と背中に強烈な痛みが広がっていく。
 これが股間を蹴られた男子の痛みだと言われたら、もう二度と蹴らない。

『グガアアアツツー‼︎ ガアアアアツツー‼︎』

 そして、痛みと引き換えに目的のものを奪い取った。私の手に短剣はない。熊の左目にぶち込んでやった。
 叫び声の方を頑張って向くと、熊が頭を振り回して、短剣を左目から抜こうと暴れていた。
 例え抜けたとしても、もう左目は使えない。これで逃げてくれるなら大助かりだ。

『フガァッ、フガァッ!』

 でも、そのつもりはないらしい。抜くのを諦めて、私の方を向くと残った右目で睨んでいる。
 つまりは絶体絶命だ。遭遇した時から変わらない絶体絶命だ。

(くぅぅ、も、もう走れないのに。倒さないといけないのに……)

 何とか立ち上がったけど、もうフラフラガクガク限界だ。
 身体が痛い助けてと悲鳴を上げている。一歩歩くだけで死にそうだ。
 武器無しの素手で右目を潰して撃退するなんて絶対無理だ。

「ハァハァ、ハァハァ、くぅっ!」

 だけど、泣き声言っても助からない。誰も助けてくれない。
 今日死ぬのは一度で充分だ。今日殺されるのは一度で充分だ。
 生き返った私に凄い力が宿っているのなら、今欲しい。
 戦う力をアイツを倒せる力が今欲しい。
 巨乳になれなくてもいい。戦う力が欲しい!

 パアアアアッッ‼︎

「えっ、嘘……?」

 私の願いが神様に届いたのか、突然左胸が光り始めた。
 周囲を明るく照らして、その白い光に熊が『グガァ……!』と怯んでいる。
 服と一緒に左胸がグググッと押し上げられていく。
 巨乳は私が望んでいたものだけど、今必要なのはこれじゃない。

 パァン!

「あゔっ!」

 巨乳になり過ぎて着ている白シャツのボタンが二個弾け飛んだ。

『グオオオオツツ‼︎』

 だけど、時間切れらしい。
 左胸だけ超巨乳(Dカップ)になれそうだったのに熊が向かってきた。
 このまま凶悪な爪で殴り殺されるだけの運命が待っている。

「へぇっ?」

 ……そう思っていたのに、ズポッと左胸から黒い棒が飛び出した。
 
「何、これ……?」

 死ぬ前に夢が叶ったと思ったのに、よく見たら左胸はペタンコのままだ。
 左胸の服を押し上げて、空中に飛び出したのは黒い柄の包丁だった。
 この宙に浮かぶ包丁には見覚えがある。古料理部秘蔵の柳刃包丁・通称『敏朗としろう』だ。
 有紗が私の左胸に突き刺して、私を殺した包丁だ。
 私の夢も希望も巨乳も全て、またこの包丁に奪われた。

(——じゃないよ‼︎)

 一ミリも膨らんでいない胸にショックを受けている場合じゃない。
 夢よりも胸よりも命の方が大事に決まっている。
 宙に浮かぶ包丁の黒い柄を急いで掴んだ。
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