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十九夜 白蛇天珠(しろえびてんじゅ)の帝王

十九夜 白蛇天珠の帝王 28

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「ごめんなさい、こんなところまで付き合わせて」
「いや、父御が持ち直されて良かった」
 自宅へと向かう車の中、有雪と花乃は安心したこともあって、色々な疲れがどっと出ていた。何しろ、昨日からほとんど眠っていないし、『捨て呪』やら『白蛇天珠』やら『九尾狐の呪』やら『帝王の謎』やら『花乃の父親の危篤』やら……諸々と非現実的なことが起こり過ぎたのだ。母親や教団の幹部連にすすめられるままに、病院を後にして、自宅で休むことにうなずいたのも、当然の成り行きであっただろう。
 食事や風呂もそこそこに、二人は崩れ落ちるようにして、花乃は自分の部屋のベッドに、有雪は客間で、あっと言う間に眠りについたのだった。
 やっとゆっくり眠れる――そう思っていたのだが――。
「ダメ――っ!」
 花乃はガバッと跳び起きると、クロゼットの中を引っかき回し、薄手のコットンストールとネックウォーマーを取り出した。そして、自分の首にストールを巻き、有雪の休む客間のほうに足を向ける。
 寝ている間に首を掻いたり、何かの拍子に首の金尾毛が切れてしまったら大変である。
 有雪もすっかり失念していたようで、
「有雪さん! 起きて、有雪さん!」
 と、花乃が部屋に入って揺さぶると、寝入りばなを起こされたことで、
「うーん……よせ、婆沙丸ばさらまる……。今寝入ったところなのじゃ……」
 と、寝ぼけた言葉を口にして――。
「首の輪が切れると困るのよ」
 本当は、困るどころでは済まないのだが、
「これを付けて寝て――。ホラ、起きて」
 と、ネックウォーマーを頭から被せる。
 少し乱れた長い髪の間から覗く端麗な面立ちが、どきりとするほど近くにあって、今更ながら鼓動が速まる。
 今は薄汚れた白装束も脱いで、花乃の父親の寝巻を着ているのだが、日常見慣れた格好になっただけに、余計に麗容が際立って見えたのかも知れない。
「……髪がバサバサ」
 ――シャンプーやボディソープの使い方を、ちゃんと教えてあげればよかった。こんなに長い髪なのに。
 有雪からは、そんなものを使った匂いはしなかった。
「花……姫……」
 また、寝言のようなものが聞こえたが、どんな言葉なのかまでは聞き取れなかった。
 知らない時代に来て、余程疲れたのだろう。目を醒ます様子はまるでなかった。
 もし、花乃の方が有雪の時代に行っていたのだとしたら、心細くて、その時代の生活を受け入れられなくて、泣いてばかりだったに違いない。
 ――元の世界に戻る方法も考えてあげないと……。
 寂しさに少し胸が痛んだが、知らない時代で泣きごと一つ言わない有雪のことを思うと、自分のことばかり言っていられないような気持だった。
 少し、自分が変わったような気もしていた。
 もちろん、今日も新堂猛のことを思い出しもしなかったことに、花乃は気付いてもいなかった。
 そして、父親の急性期が過ぎ、医者から「もう大丈夫」の声が聞けるまで、この東京に留まることにしたのだが……。
「そんなの無理! 私が信者さんたちの前で話をするなんて!」
 父、塚原の様子を見舞いに行った病院で、幹部の坂崎に打診され、花乃は即座に首を振った。
 定例の説法会の日が目前に迫っているのだが、塚原は当然、病院から出られないし、そこで、娘の花乃に白羽の矢が立ったのだった。
 これまで何度も塚原の説法を聞いてはいるが、とても同じように話が出来るはずもない。
「大丈夫です。台本を読み上げていただくだけでいいのですから――」
「絶対、無理! 坂崎さんが代わりにしてください!」
「僕が側についてるから――」
 そう言って花乃の前に現れたのは……。
「――猛さん? どうしてここに……?」


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