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十五夜 穆王八駿(ぼくおうはっしゅん)の因

十五夜 穆王八駿の因 7

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「何でオレが『草食系女子』と『草食系男子』のメッセンジャーにならなきゃならないんだよっ」
 奇峰の最高峰を出て、黄帝の姿が見えなくなると、舜は早速のように悪態づいた。
 取り敢えず、また自分の見合い話でないことにはホッとしていたが(何しろ、黄帝の持って来る見合い話は、『ふろく』に子作りが付いて来る)、他人の縁結びというのも、気が乗らない。
 行ったら、もうくっついていて、めでたしめでたし、ということになっていないだろうか、と期待をしながら足を向けたのだが……。
 バスと鉄道、徒歩を繰り返して辿り着いたその山には、黄帝の知り合いがいるらしき気配や、怪しい結界のようなものは何もなかった。
 道の途中は、中国国境の町からラオスを経由して、バンコクまで高速道路を造るために、森は広く切り開かれ、何だか痛々しい感じのする風景だったが、山に入るとさすがにそこは草木が茂り、足元には落ち葉が敷き詰められ、漏れ入る光と影が美しい世界を生み出していた。
 熱帯雨林特有の豊かな緑や、野鳥の羽ばたき、昆虫たちの気配……。
 そんな中、漂って来たのが、あの腐臭であり、醜く巨大な寄生植物だったのである。
 すでに枯れて腐り果てているものは臭わなかったが、赤く毒々しく咲き誇る花からは、肉が腐ったような異臭がしていた。
「普通、逆だろ? 朽ちて腐った方が臭って、咲いてる方はいい匂いがするもんじゃないのか?」
 眉間にしわを寄せながら、巨大な肉厚の花を覗き込んで、舜は言った。そして、しばらく興味深そうに眺めた後、それにも飽きたように、
「喉が渇いたなぁ……」
 と言って、ミツバカズラの木々の向こうに見える、池とも沼とも言える小さな水辺に向かったのだ。
 そこには、蓮の花が白や薄紅の花びらを広げ、清清しい装いで、群生していた。
 その中、舜は、咲き終えて散った、蓮の花の実に手を伸ばしたのである。
 蓮実れんじつ――蓮の花びらが散った後に、蜂の巣のような形で残るその果実は、この中国では滋養強壮の生薬であるのだ。町中でも珍しくなく売られ、薬効には『口の渇きを和らげる』効果もあるというが、それが吸血鬼にも効くか、と言われれば……。
 それでも舜は、池の上の蓮実に手を伸ばし、捥ぎ取って口の中へと運んだのである。
 それは、彼らの一族を知る者なら、奇異な光景でもあっただろう。
 こんな風に、彼らが鮮血以外の糧を求め、次から次に咀嚼して喉に通してしまうなど、通常ならあり得ないことだったのだから。
 第一、舜の場合、共にいるデューイが作り出す《朱珠の実》をいつでも食べることが出来るのだから、わざわざ蓮実を食べる必要もない。
「舜! もうダメだって、食べちゃ!」
 普通でない舜の行為に、デューイは鼓膜を強く震わせた。
 だが、舜はまるで聞こえていないかのように、また次の蓮実へと池の縁から手を伸ばす。
「舜! それはきっと悪いモノなんだ」
 灰の体で、舜の手を覆って止めようとするが、そんなことでは舜の力の障害にはならない。加えて、デューイが手と蓮実を灰で包んでも、それに構わず食べようとする。
 蓮の実は、まだ青いものは生でそのまま中の白い種を食べることも出来るが、何事にも限度というモノがある。
 ――この舜は、おかしい。
 デューイは胸が詰まるような焦りを感じた。
「聞こえないのか? 舜! 舜……っ!」


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