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十二夜 貨殖聚斂(かしょくしゅうれん)の李(り)
十二夜 貨殖聚斂の李 7
しおりを挟む「――虞氏……」
索冥は、白く眩いばかりの寝台に眠る舜を見つめ、囁くほどの声で、その呼称を呼びかけた。
だが、もちろん返事はない。
幼子は、スースーと気持ち良さそうに寝息を立てて、眠っている。選ばれた者しか入ることのできない、この蛟龍宮で。
「本当にもう……何処にもいないのか……?」
索冥が長く守護して来た、それはもう立派な帝だったのだ。
姓は姚、名は重華――。果てしなく広く優しい心を持ち、その徳の高さに、彼がいるところには、どこからともなくすぐに人が集まった。それこそ、村があっと言う間に街になり、全てが栄えて富むように。
継母に酷い仕打ちを受け、何度も命を落としそうになりながらも、決して人を怨むことをせず、最後まで親孝行であり続け、彼の周りの人々は、自然に豊かな心を持った。
そんな帝を守護できることを、索冥は何よりも誇りに思っていたのだ。
それが……。
目醒めてみれば、その守護帝の姿は何処にもなく、目の前にいるのは、この、少し――かなり大雑把な子供だけ――。
「何故、こんな子供に禅譲を……」
通常、彼らの守護帝は《不死》もしくは《長命》と呼ばれる存在である。それ故、眠りに就くことはあっても、存在自体が消えることは無きに等しい。
長い生の中、守護帝が眠れば、彼らも同じように眠りに就く。
そして、索冥は五年前に覚醒した。
恐らく、今、気持ち良さそうに寝息を立てている幼子の歳も、そんなものに違いない。
つまり、去りし日の守護帝、姚重華は長命を絶ち、この子供に地位を譲ったのだ。
自らの血縁に世襲させる訳でもなく、無論、自らがそのまま生き続けるわけでもなく、有徳の人物に地位を渡す――禅譲――それをするからには、それなりの理由があったはずである。
だが、この子供――今はまだほんの幼子としか思えない子供に、あのひたすら仁に厚く、労を惜しまない帝が、永遠にも等しい地位を渡す理由とは……。
確かに『気』だけは底無しの感が読みとれる。それでも、君主の器であるか、と問われれば……。
もちろん、この幼子を、あの聖人としか呼べない、尊い帝と一緒にしてはいけないことは判っている。
何より 聳弧や炎駒、黄麟、角端の守護帝にしても、尊い聖人か、と問われれば、うなずくことなどできないのだから――。それは、さっき当人たちが零していた愚痴でも明らかだろう。
その中、索冥の守護帝、姚重華だけは、誰もに自慢して回れるほどの、立派で徳の高い人物だったのだ。
「虞氏……」
索冥はもう一度名前を呼び、古の記憶に思いを馳せた。
初めの――この世に生を受けたのがいつだったかは忘れてしまったが、姚重華はまさしく初めに出会った守護帝であり、忘れることなど出来ない存在である。
他の者たちも、愚痴は零せど、ずっと同じ守護帝を見守っている。眠っても、眠りから醒めても、気付けばすぐに気配を辿り、守護帝の元へと駆け走る。
それが、こんな禅譲などということが起こるなど……。
信じろ、と言われても、受け入れろ、と言われても、すぐにそう出来るものではなかった。
幼子はたっぷりと睡眠を取り、何処にいても物怖じせずにいるであろうと思わせる適応力で、親元を離れているというのに、不安げにするでもなく過ごしていた。
眠る前に聳弧にもらった李を睨み、懸命にその用途を考えている。
だが、すぐに飽きてしまったのか、それとも諦めてしまったのか、ただ静かなだけの白い殿内を見渡し、
「何の匂いもしない」
と、口を開いた。
匂いで判断するなど、犬のようでもあるのだが、五感も六感も優れているに越したことはない。
「此処には誰もいないし、何もない。俺たちはメシも食わないし、眠りもしない。眠る時が来るとしたら、それは――」
索冥は言いかけ、言葉を止めた。
別に、この幼い子供に言う必要もない。
外界の生き物たちとは違う自分たちは、生命を持って生まれたものを、動物であれ、植物であれ、食することは無いし、生命を踏むこともせずに済むよう、この蓬莱山には生命無き白いものしか存在しない。春に芽吹く草木もない。
「じゃあ、ここで何してるの?」
その舜の問いに、
「え……?」
索冥は思わず、言葉に詰まった。
何をしてる、と言われても……。
――おまえみたいな奴の代わりに、仁を尽くしてるんだよ。
「仁、義、礼、智、信を尽くすために、ここにいるんだ」
仁の心は人の心、慈悲の心は徳を生み出す。
義は道であり、生と共になくば、生を捨てて義を取るなり。
礼は品行であり、節度であり、理である。
智は区別であり、明白であり、心を明らかにする道である。
信は誠の信頼であり、民信を欺くことなき繋がりである。
「ふーん」
――絶対、解ってないな、こいつ。
虞氏なら……。
あの方なら……。
どうしても、初めの守護帝と比べてしまう。まだ年端も行かぬ子供だと言うのに。
あの方が、余りにも立派な方だっただけに……。
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