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十夜 和氏(かし)の璧(へき)

十夜 和氏の璧 21

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 他所の町から嫁いできた娘が、嫁ぎ先の村に慣れることも出来ず、夫以外に頼れる者もないままに追い詰められ、殺された。――いや、穴に落ちた時には、まだ意識はあり、自分で横穴に入った訳だが、それでも、若飛の母親をその穴へと追い込んだのは、村人たちである。
 ――疫病を運んで来たのは、自分ではない。
 そんな真実を他人に解ってもらうことは、この時代では何よりも難しいことであっただろう。
「まるで、『和氏の璧』だな……」
 デューイがぽつりと呟いた。
 下和べんかは、山で見つけた石を、宝玉だと王に訴えて罰を受けたが、若飛の母親は――彼女もまた、真実を解ってもらえず、死に追い込まれた。
 真実はどうだったのか――それを他人に解ってもらうことは、難しい。
「あの、わたし、これからどうしたら……」
 何しろ、あの蛇の穴に投げ込まれて、蛇様の生贄として喰われたことになっているのだ。このまま村に戻っては、それこそ村に仇をなしに来た化け物扱いされてしまうかも知れない。
「万人に解ってもらえる人間なんかいないさ。――それでも、誰か一人くらい、真実を聞いてくれる人がいるだろう?」
 若飛の母に、逃がしてくれた夫がいたように……。
「――かあさんが……」
「なら、送ってやるよ」
 そう。誰か一人でも、真実を解ってくれる人がいるならば、それだけで救われることもある。
 舜とデューイは、紅花を送り、
「ああ、そうだ。生贄はいつから捧げてるんだ?」
「それは――」
 答えはすぐに返って来た。そう遠くはない、まだつい最近のことだったからである。ほんの、この一年半の……。
「救われないよな、あんな死に方……」
 あの蛇の巣穴に戻って、デューイが言った。
 この穴に、これほどまでに蛇が増えたのは、まだこの一年半のことらしい。凄まじい山の咆哮のような恐ろしい声と共に、巨大な大蛇が村を襲い、家々を壊して回った後、姿を消してしまったという。
「若飛を探していたのかな?」
 だとしたら、何故、一年半前に――。
 自官の時の想像を絶する若飛の痛みと苦しみが、あの母親の元に伝わったのかもしれない。
 全ては憶測だが、そう考えれば辻褄が合う。
 村を呪って、蛇の巣窟で死んだ母親が、宦官になるために去勢手術を施された若飛の苦痛を感じ取り、我が子が酷い目にあわされていると思い、目醒めた。
 ちょうどそれが、一年半前――。
 村で我が子を探したが見つからず、紫禁城で我が子を見つけた。
 だとしたら彼女は――あの蛇の怨念は、若飛に取り憑いていた訳ではなく、若飛を守ろうと側にいたのだ。そして、若飛に害をなす者だけを、絞め殺した。
 もちろん、自分が蛇の姿となって、この世に繋ぎとめられていることも知らなかったのだろう。
 だからこそ、若飛に母だと解ってもらえず、『蛇の化け物』呼ばわりされたことに愕然とし、そのまま姿を消してしまった。
「でも、ここへ戻っていないとなると、何処へ消えたんだ?」
 何の匂いもしない怨霊を、探し出すことは難しい。舜もデューも動物並みの嗅覚を持ってはいるが、霊能力のようなものは、特に持っていないのだから。
 それでも――、
「決まってるだろ。我が子に化け物呼ばわりされたら、あと、彼女が頼れるのは一人だけだ……」


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