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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)
二夜 蜃の楼 20
しおりを挟む「ずっと、私の番が来るのを待っていたわ……」
頬を緩めて、幸せそうに、莉芬は言った。
「君の番?」
舜が口に出して問い返すと、莉芬の表情が、ハッ、と変わった。
「あなた……もう生き返ったの?」
と、舜を見つめて、呆然と言う。
「たった今、生き返ったばかりだよ、血の匂いを嗅いで――。〇.五秒くらい死んでたかな。一気に血を抜き取られたような気分だった」
けだるさの消えた体を起こし、舜は、困惑する莉芬の面を、じっと見据えた。
血の匂いで覚醒した美しい少年の面貌は、より鮮やかな神秘を纏っている。
赤光を放つ双眸は、人外の美貌を妖しく彩り、研ぎ澄まされた乱杭歯は、彼の持つ夜の宿命を裏付けている。
あまりに美しい姿ではないか。それこそ、彼本来の姿なのだ。
莉芬の表情が、恍惚と変わった。舜の双眸を虚ろに見つめ、夢遊病者のように、茫としている。
「君の番、ということは、これまでにこの世界に迷い込んで来た旅人も、全て今のやり方で殺された、という訳か」
赤光を放つ双眸で、舜は訊いた。
「……殺した訳では……ないわ。ここでの永遠の生を与えて上げたのよ」
「ものは言いようだな。永遠の生命(いのち)がそれほど良いものなら、何故、君は、限りある生命を手に入れたかったんだ?」
その少女は、今の舜との交わりで、死すべき人間の体――その要となる血を手に入れたはずなのだ。
「あなたには……解らないわ……。蜃様は、永遠の生命をくださったけど、生きる歓びまではくださらなかった……。毎日、同じことの繰り返しで、そんな中で生きることが、どれほど辛いか……」
桜色の唇を噛み締めながら、莉芬は、舜の赤光を放つ双眸の力のままに、受け応えた。
「……。その蜃という奴はどこにいるんだ? あの地下宮殿か?」
舜は訊いた。
「解らない……。蜃様が何処にいらっしゃるのかなんて、私たちには……。私たちは、あの方の望まれるようにしか、生きていくことが出来ない。それが辛いものでもあっても、死ぬことも出来ない。だからここには、争いも、憎しみも存在しない。蜃様がそれを望んでおられないから……。あの方は、始皇帝の不滅願望と引き換えに、そう約束をなさったから……」
紀元前二一〇年、天下巡遊の途中で、秦の始皇帝は重体に陥り、命運を断った。
巡遊の度に、神仙思想と縁の深いこの之罘山を訪れていた、というから、不滅願望の成就たる永遠の生も、この地で果たされることになったのだろう。
「蜃っていうのは、一体、何者なんだ? ただの人間ではないんだろう?」
無駄であろうとは思ったが、舜は一応、訊いてみた。
「蜃様は伝説……。もう誰の記憶にも残っていない……」
やはり、そのオオハマグリの姿を知る者はいないのだ。あの驪山陵を、この世界の人間にとって、気にならないもの、として存在させていたように。
「君のように、血の流れる体を持った人間は、どうやってここから出るんだ?」
その問いかけに、莉芬は、不思議そうに顔を上げた。
「どう……?」
「ああ。蜃が連れ出してくれるのか?」
「さあ……。でも、そうだわ。多分、驪山陵へ行けばいいのよ。どうして今まで気がつかなかったのかしら。彼所へ行けば出られるかも知れないのに。今までそんなことなんて考えたこともなかったわ」
「……」
ここの民は、全てそういう風に洗脳されているのだ。そして、新しく訪れた旅人も、血を失った瞬間に、その禁忌を植え付けられるのだろう。
驪山陵のことを気に留めてはいけない、と。
だからこそ、今までそこへ行ってみよう、ということも考えつかなかったのだ。
その中で、舜やデューイは例外だったに違いない。
普通、山で道に迷った旅人は、この楽園に辿り着いた途端に、最初、舜やデューイがそうであったように、風呂や食事をすすめられ、疲れた体を癒すためと、今までの空腹を満たすために、喜んでそれを受け入れる。何日も山で迷った揚げ句に、こんな楽園に辿り着いたのだから、そこですすめられた熱い湯と贅沢な食事を、断るはずもないだろう。それは、何よりも彼らを喜ばせるものであったはずなのだ。
舜やデューイがそれを断ったのは、ただ単に、普通の食事や、風呂の類いが苦手だったから、ということに外ならない。
そして、この世界へ訪れた旅人は、その食事や風呂の湯に含まれる何らかの薬物――仙薬とでも言おうか――に犯され、さっきの舜のように自らの意志を保てず、この世界のことを知る間もなく、限りある生命と、永遠の生命を取り替えられる。
だとすればここは、楽園の姿を借りた魔窟――魔都ではないのか。
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