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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)
二夜 蜃の楼 18
しおりを挟むとにかく舜は、他に行くところもないので、部屋に戻ることにした。決して、デューイに対抗意識を燃やして、のことではなく、自分でそれを調べるためである。
十であるこの世界を見つけているのに、その世界を知るための一も二も解らないのだから、真っすぐ驪山陵へ突っ込むより、たとえ遠回りに思えても、数の数え方を理解してから行った方が早いはずである。
ちなみにこれは、黄帝からの受け売りである。
もちろん、女性に興味がない訳ではなかったが……。
隠し扉を開けて中に入ると、莉芬が湯の支度をして待っていた。
それを見ただけで、舜の心臓は、再びバクバクと暴れ始めた。
「お召し替えも用意しておきました」
一揃えの服を手に、莉芬が言った。
「あ、ありがと」
どこか間抜けな返事である。
もっと気の利いた台詞を言うべきなのかも知れないが、血の気が下半身に集中している舜には、それ以外の言葉も見つからなかったのである。
出来るだけバスタブの方を見ないようにしながら、
「あの、莉芬……」
と、声をかける。
「はい。何でございましょう」
莉芬は頬を染めて、舜を見上げた。
そんな表情も、ドキ、っとする。
「地下宮殿――驪山陵のことだけど……。何で、あそこだけ、侵入者避けの仕掛けがしてあるんだ?」
その舜の言葉に、莉芬の瞳が、戸惑った。
「仕掛け……ですか?」
「ああ。いきなり矢が飛んで来て、驚いた。あそこは出入り禁止? それにしちゃあ、立て札も兵士も立っていなかったけど」
「さあ……。私は気に留めたこともございませんでしたので」
「気に留めたことがない?」
おかしな話である。まるで、存在しているのに、存在していないかのような口ぶりではないか。
たとえば、いつも右に曲がる三岐路で、左側の道のことなど気に留めてもいないように。
無意識の内に、いつも右に曲がり、左手に何が存在しているのかなど、気に留めたこともないように。
すぐ側にありながら、一度も踏み込んだことのない空間が、確かにこの世界には存在しているのだ。
「中には何があるか知ってるかい?」
舜は訊いた。
「さあ……」
と、莉芬はまた、首を傾げる。
どうやら、あの地下宮殿は、この世界の人々の禁忌になっているらしい。
だとすれば、蜃があそこにいる、という可能性も、大きいだろう。
「お召し物のお手伝いをしましょうか?」
莉芬が言った。
「え?」
「湯を召されるなら、お召し物を――」
「あ、いい。自分でやるから――。あ、あの、見られてると、ちょっと……」
その言葉に、クス、っと一つ笑みが零れた。
莉芬が、衝立の向こうに姿を消す。
舜は、ふぅ、と息を吐き出した。
だが、十を理解するには、まだしなくてはならないことがあるのである。
バスタブの方へと足を進め、舜は、中の湯を、手のひらを沈めてすくってみた。
やはり、それも光と同じに、舜の体に害を与えるものではなかった。
この世界では、普段そぐわない水や光とも、忌むことなく付き合って行くことが出来るのだ。
「こんな蜃気楼を創ることが出来る化け物って、やっぱり《神仙術》の域を超えてるよなァ……。オオハマグリの苦手なもの、って何だっけ?」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、舜は取り敢えず服を脱いで、湯に浸かった。
この世界の正体も判り、この世界を生み出しているらしき場所も判り……と、着実に前進して来てはいるのだが、どうすればこの世界から出られるのか、ということになると、まだ皆目見当がつかない。
そうして、風呂に入りながら考え事をしている吸血鬼、という図は、どこか奇妙なものであっただろう。
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